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2012/10/24

横浜ボートシアターの第1回船劇場語りの会


10月14日(日)16時より、横浜ボートシアターの第1回船劇場語りの会と題した公演が第七金星丸で開催されました。私は残念ながら打ち合わせが入ってしまい、大遅刻をしてしまいましたが、最後の語り、宮沢賢治作の『水仙月の四日』だけを聞くことができました。

松本利洋のエレキギターによる伴奏で、吉岡紗矢の語りです。音楽は、語りや演技が伴うと、それらの表現空間をより後押しする役割も大きいことを感じます。昔から歌舞伎、人形浄瑠璃やオペラ、ミュージカル等には伴奏音楽がついています。横浜ボートシアターの公演にもガムランのような音楽がついていることが多いのですが、これも効果的です。

公演の後には、お茶を飲みながらの反省会が船で行われましたが、松本さんは6つの全ての語りをほぼ即興で伴奏をしたとのこと。2度とは聴けない貴重なものです。内輪の会でしたが、お客さんもかなりいらして今後の船劇場の可能性を期待します。

キンボー指揮 神奈川フィル第284回定期演奏会


10月12日(金)横浜みなとみらいホールで行われた神奈川フィル定期演奏会に、NHKホールを設計した元NHKの浅野さんと一緒に聴いてきました。

曲目はブラームスの『ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77』後半はウエ―ベルンの『交響曲作品21』、J.シュトラウス2世の『皇帝円舞曲作品437』、ラヴェルの『ラ・ヴァルス』、今日のテーマはウイーンのようです。感動的だったのはヴァイオリン協奏曲の独奏者、韓国出身のシン・ヒョンスの演奏で、華やかで素晴らしく、拍手鳴りやみませんでした。アンコール曲は、まず自らピッチカートで伴奏を演奏し、楽団員が次々にそれを演奏し、全員が演奏したところで演奏を始める即興的で楽しい印象的な演出でした。

ウエ―ベルンの曲は、1928年ウイーンで作曲された暗い感じのものですが、それが情念になってふつふつと意思を感じるようになって行きます。『皇帝円舞曲』は華やかりしウイーンそのものです。ラヴェルの『ラ・ヴァルス』は様々な印象のワルツの曲が混ざっているちょっとイザイの無伴奏のような曲ですが、複雑で奥行きのある構成的なすばらしい曲です。

元NHKの建築家とはウイーンの建築家ハンス・ホラインと共同で、新国立劇場や東京フォーラムの設計コンペに参加したので、ウイーンも指揮者のキンボーさんもよく知っています。演奏会の後は演奏会のこと、ホールの音響のこと、キンボーさんのこと、ウイーンのことなどをつまみに一杯飲み、楽しい一晩を過ごしました。  

2012/10/22

高橋和久主演 『くれない坂の猫』



1051900、赤坂RED/THEATERで行われた『くれない坂の猫』を観ました。
赤坂RED/THEATERは、華やかなエスプラナード赤坂通りに面した赤坂グランベルホテルの地下にある劇場で、とても見やすい劇場です。そのホテルの隣は、外国人ばかりが道路まではみ出して話しながら飲んでいるロンドンやニューヨークのような雰囲気のバーがありました。

話は大阪万博の建設のころ、西向きの夕日のきれいな坂道の上にある整骨院が舞台。さえない、しかし気の良い医師がいる整骨院では、近所の人のたまり場になっています。そこへ万博の現場で働いている在日の若い労働者が、骨折したと仲間に運ばれて来ます。整骨医で働いている娘さんがその青年に恋をします。医院の周囲で西日を浴びながらゆったりしている猫に祈ると願いがかなうといううわさを信じて、彼らの未来を皆が祈ります。ユーモアとさわやかな人間性を感じた公演でした。
日本と韓国の間にも願いをかなえてくれる穏やかな『猫』が必要だと感じます。

第七金星丸主催 ダンスオムニバス『おばけ』公演



1071330 第七金星丸でのダンス公演を観ました。
タイトルの『おばけ』の意味は、大学を卒業して数年たったところで何かやってみようという人たちの集まりなので、青年が成長して『化けた』といった感じでしょうか?

5演目あり、その内3演目がダンス、1演目が演劇的ダンス、もうひとつがクセナキス作曲のドラム演奏。それぞれ質が高いものでした。演劇的ダンス『Pちゃんとボク』は自分とそれを客観的にみている自分が掛け合うほんのりとした感じのもので、舞台の下、奈落の空間も使って演出も面白かったです。最後の演目の『見えてくる』は8名がガムランの音楽に合わせて踊るもので、ちょっと幻想的です。

ふね劇場の空間は舞台と観客が一体感のある空間だということを改めて感じました。プロセニアムがないこと、舞台と観客席の床が連続していること、もちろん天井も連続しています。視覚的にも近いので演技者がよそ者でなくなります。

ふね劇場にこれほど若い人がたくさんいらしたのをはじめてみました。しかもこの日の公演は夜の部もあり、予約で満席だそうです。しかも3日間の公演でしたから、たくさんの若い人にふね劇場の魅力を知っていただけたと思います。ふね劇場も『化ける』一歩手前です。

2012/10/01

カルチェミュジコ主催 グエン・ティエン・ダオ弦楽作品コンサート



928日(金) 作曲家グエン・ティエン・ダオ(Nguyen Thien DAO)の弦楽作品のコンサートが杉並公会堂小ホールでありました。グエン・ティエン・ダオ氏は1940年ベトナムのハノイ生まれ、1953年にフランスに渡り、国立高等音楽院でメシアンに出会い、現在フランスでは有名な作曲家として活躍されているようです。チラシをいただいて急に興味をもって行くことにしました。

最初の曲は弦楽三重奏曲『梢のざわめき』、ヴァイオリン、ビオラ、チェロです。初めは細かく忙しない、しかし静かなピチカート、風の梢を揺らす葉の音、それから虫の飛んでいるような音、何か透明感のある自然を感じる音です。
次は弦楽六重奏曲1789曙、都会の通勤客の雑踏のような感じ、新しい息吹を感じました。もっとも後で調べてみると1789年はフランス革命の年、これは革命の息吹を表しているのだろうと思います。

ここで幕間。席を立つと、後ろに横浜バロック室内合奏団のバイオリニストの方がいらっしゃったので、印象的だった曲の感想を話し合いました。
後半はチェロ独奏のためのアルコ・ヴィーヴォ、弦楽四重奏曲第一番。
まず現代音楽の良くある特徴の不協和音はなく、また音は幾重にも連続していますが、ハーモニーのように音を重ねて奥行きを出すようなこともありません。こんな聞き方が正しいかどうかはわかりませんが、音や音の連続で何かを表現しているようなので、何を表現しているのか一生懸命考えながら聞いていました。音の連続はバッハの無伴奏にも近い感じがしますが、しかし振幅はより大きい。そして透明感のある風景または空間を感じます。また聴きたいと思いました。

コンサートが終わり、グエンさんは舞台に上がって演奏者を労われました。小柄で腰の低い優しそうな方でした。

2012/09/24

横浜ボートシアターの演出家 遠藤啄郎氏の講演会


去る9月8日(土)の19時より、中区若葉町にあるnitehiworks(ニテヒワークス)で、横浜ボートシアターの演出家である遠藤啄郎さんの講演が『極楽爺さん』と題して行われました。遠藤さんの今までの演劇人生、そして横浜ボートシアターのことなど話されました。

nitehiworks( ニテヒワークス)とは、廃ビルを改装して作られたカフェ+アートスペースです。2層吹き抜けの空間で、2階からも見降ろせます。ここでは展覧会や音楽会が行われており、響きもある魅力的な空間です。
主催は第七金星丸です。この会の目的は、横浜ふね劇場の存在を知ってもらうこと、そしてふねの修繕積立をはじめようと呼びかけたことです。

遠藤さんのお話で印象に残ったのは、中学生の時に戦争で疎開して工場で働いていたこと、その様な中で演劇のまねごとをしていたそうで、その頃から演劇人生が始まっている筋がね入りの人でした。
横浜ボートシアターは仮面劇で知られていますが、最初はイタリアのコメディア・デラルテを参考に始まり、次第にインドやインドネシアの芸能を参考にしてきたそうです。遠藤さんは現代演劇に対して批判的で、毎日2回2000席の歌舞伎座をいっぱいにできる歌舞伎がすごいとおっしゃっていました。
ふね劇場の魅力とは、芝居をつくっていく上で経費が安いことであると。横浜ボートシアターは木造船から大ヒット作の『小栗判官照手姫』を生み出したのですから。

歌舞伎や人形浄瑠璃を別の世界において、現代演劇を語ることはよく行われています。日本は明治期と第二次世界大戦の後の文化革命(?)で、文化の過去を断ちきって、将来を語り始めてしまった。明治期はヨーロッパの、戦後はアメリカの文化を考え方の主軸に据えてしまった。その結果、根なし草のように根拠が薄弱となった。演劇や音楽は、世界中の文化を同列において、味わうものだと今は考えています。

遠藤さんの講演の後は、横浜ボートシアターの松本さんのエレキギターの伴奏で、吉岡さんの仮面をつけての即興劇の公演がありました。エレキギターの演奏は、まるで琵琶のような音を出したり、仮面の怒りの表情に合わせて音を出したり、伴奏音楽が演技と合わさると、単なる音楽だけではない表現力の豊かな音楽になることが新たな発見となりました。
遠藤さんの講演の後、私も発言に参加し、現在ふねが置かれている横浜港の辺境の地、艀だまりが将来、魅力的な芝居町になるよう努力することなどを話しました。


nitehiworks講演会の様子



2012/09/18

日本建築学会大会(東海)に参加してきました


建築学会大会が9月12日から14日まで名古屋大学で開催されました。

私が関係している発表は4論文あり、9月14日の9時台の床衝撃音のセッションで、『高性能遮音二重床の開発その2、および連報のその3』、また午後からは、壁式集合住宅の再生技術に関するオーガナイズドセッションで、『EV設置による既存壁式RC集合住宅の剛性変化』、および『壁式構造集合住宅におけるあと施工アンカー穿孔騒音の伝搬性状』です。

高性能遮音二重床の開発では、4~50年ほど前に建設されたスラブ厚さが現在ほど厚くはないストック再生型集合住宅の床衝撃音対策に用いる工法で、主に低音域の音の改善ができます。原理はヘルムホルツの共鳴効果を使っています。この工法で、スラブに衝撃を加えたときと比較して、L数で10以上の改善が得られ、床衝撃音対策に有効な工法として紹介しました。
ヘルムホルツは1862年に共鳴器の原理を『On the sensations of tone』という本で発表しました。目的は楽器の音の調律で、ちょうど世界の名だたるオーケストラが、例えばウイーンフィル(1842)やベルリンフィル(1882)などが結成された時期に当たります。オーケストラの楽器間の音の高さが異なっては困ります。しかもそのときは、純正律から平均律への移行期間でもあります。音楽の基礎をつくった技術のひとつです。その偉大な技術、しかも古い技術を床衝撃音対策に使わさせていただきました。

『EV設置による既存壁式RC集合住宅の剛性変化』の論文は、やはりストック再生型集合住宅(洋光台団地5階建)にエレベータを設置したが、その際に階段室の壁を一部取り除いている。それにより建物の剛性が変化するかどうかを、EV設置前後で振動解析と常時微動による解析行い、そのうち振動解析を行った高光さんが発表しました。YABでは常時微動による振動測定を行い、EV設置前後の固有振動を比較して、ほとんど変化が見られなかったという内容となっています。設置後の測定は、昨年の3.11の大震災の1週間後に行われ、常時微動だけでなく余震のデータもいくつか記録できました。

『壁式構造集合住宅におけるあと施工アンカー穿孔騒音の伝搬性状』の論文では、清瀬旭が丘団地で、あと施工アンカーの穿孔実験を行い、住棟への騒音の伝搬性状を調べたものです。騒音と振動(固体音)の測定を弊社が担当しました。
この実験も古い集合住宅の再生工事を居住しながら行うために開発された静音型湿式コアドリルと、従来からあるハンマードリルを比較したものです。湿式コアドリルでは、穿孔作業の隣接住戸では55~60dBA、2軒目の住戸では45dBA以下となり、隣戸では多少うるさいが、2軒目からはほとんど生活に支障がない程度になります。これに対してハンマードリルでは、隣接住戸では80~85dBA、2軒目でも65~70dBA、3軒目でも50~55dBAあり、居住しながらの作業は難しい状態で、湿式コアドリルの効果が分かります。以上いずれの4編も 集合住宅の再生技術に関係しています。

また9月13日には研究集会(シンポジウム)があり、『東日本大震災における鉄筋コンクリート建物の被害と分析』、『頻発する天井の落下事故防止に向けて』、等震災に関係するもの、また建物の保存や再生に関するもの、『モダニズム建築の評価』、『利用の時代の歴史保全』、『登録文化財の保存と活用』、等がテーマになっていました。そのいくつかをつまみ食いしながら聞きました。いずれも興味深い話でした。

帰宅して翌朝、3日ぶりに庭に水をまいていたら、ふと蝉の声が聞こえないことに気が付きました。やっと長く暑い夏も終わりそうです。

2012/09/10

南大塚ホール杮落公演 『トキワ荘の夏』


9月1日(18時半スタート)、リニューアルした南大塚ホール杮落公演の「トキワ荘の夏」という公演を観ました(YABは音響設計を行いました)。

大塚駅を降りると、駅の前の大通りで阿波踊り大会が行われており、ものすごい人混みでした。
普段、ホールまでは駅から5分ほどですが道路を横断することができず、阿波踊りの太鼓のリズムが楽しげに響く中、混雑を迂回して公演に大幅に遅刻をしてしまいました。それでも一番後ろの場所に折り畳み椅子を持ち込んで、幸いにも座らせていただけました。

トキワ荘は漫画家が輩出したところとして有名ですが、主人公は何と手塚治虫ではなく、石ノ森章太郎です。若手が先輩を追いかけ追い抜いて行く、切磋琢磨する話です。追い抜かれそうになる手塚治虫のちょっとさみしい、しかし最後の場面で新たな手法で復活を予言させるような台詞もあるなど、活き活きした舞台です。また舞台だけでなく観客席の通路を花道の様に使って演出していました。好感のもてる公演でした。

設計者としては、声がどう聞こえるかが気になっていたのですが、役者の声がしっかり前へ出て力強く聞こえてきました。このことが、改修前の扇型の観客席の側壁を舞台の端から徐々に反射面をつくって広げていくことで、初期反射音を客席に返す工夫をした効果だといいと思っています。とにかく演劇には良いホールとなっています。


阿波踊りの様子

2012/08/20

南大塚ホールのリニューアル工事完成



4年ほど前に、南大塚地域文化創造館に併設されている南大塚ホールのリニューアルの音響設計に関わりましたが、今年に入ってやっと工事が始まり、この8月ようやく完成しました。
音響設計の課題とした点は、客席前部の扇型に拡がった側壁を、分割し徐々に壁面を広げていき、舞台からの初期の反射音を客席に返せるように考えたことです。側壁の壁を分割したことが衣装デザインの主要なモチーフにもなり、水晶の結晶体が壁になっているようなすがすがしさを感じます。
このホールの特徴は邦楽のコンサートや演劇公演、講演会が多いことです。したがって改修前は短めで0.75秒/500Hzです。改修後も舞台音響反射板の側板がないので、その部分に当たる舞台側壁を反射性とし、また出来る限り客席を反射性にして、室内楽もできるようにと考えました。

杮落し公演は、「トキワ荘の夏」です。9月1日~3日まで公演があります。
豊島区制施行80周年 池袋演劇祭特別参加作品、南大塚ホールリニューアル記念公演
でもあります。

設計は、株式会社東建築設計事務所です。


客席

側壁




トライビートスタジオ浮床完成時の残響時間


現在、板橋で工事中のトライビートスタジオが浮床まで完成し、足場も何もないコンクリートだけの空間の段階で、残響時間の調査を行いました。500Hz帯域で約5秒、63Hz帯域で10秒を超える教会の様な響きでした。このスタジオの特徴は天井高が約6mと高く、弦楽器の素晴らしい響きが得られるように目標を立てています。しかも残響調整をして、JAZZなど打楽器を含む音楽にも対応できるように考えています。10月末の竣工に向けて、工事が進んでいます。



測定の様子


天井高

2012/08/13

キンボー指揮のN響コンサート


7月8日(日)、キンボー・イシイ=エトウ指揮、N響オーチャード定期を聞きに行きました。
曲目はドビュッシー:小組曲、シューマン:ピアノ協奏曲、ベートーベン:交響曲7番です。ピアノ独奏は小菅優です。
ドビュッシーの曲は最初から楽しげできれいな曲です。シューマンのピアノ協奏曲は小菅優のピアノが素晴らしく、オーケストラに負けない力強さがありました。そして後半の7番。今まで聞いたことがないような力強くまた楽しげで、JAZZのようなテンポでした。とくに4楽章は圧巻で、管と弦でJAZZのようなノリで裏リズムを構成し、勢いがありました。

リズムの取り方はおそらくキンボー独特のものかもしれません。しかしひょっとしてベートーベンの時代の人も、重々しくではなく、その様に楽しげに聞いていたかもしれないと感じました。クラシック音楽の流れの中で、バッハは和音(ハーモニー)を確立し、ベートーベンはリズムを、ロマン派の人たちはメロディーを確立したのではないかと思い始めました。ハーモニーは美しさを、リズムはわくわくした楽しさを、メロディーは物語を表現しているのではないかと思います。
またメトロノームは1816年ドイツ人のヨハン・ネポムク・メルツェルによる発明ですが、最初にベートーベンが使ったと言われています。

8月8日ジュニアフィルハーモニックオーケストラのオペラシティコンサートホールでの演奏を聞きに行きました。団員は小学生から大学生までの構成。小さい体で小さなチェロを演奏する姿も見られます。前半は川瀬賢太郎指揮で、ウエーバーの魔弾の射手、後半はキンボー指揮で、ボロディンの交響曲第2番。
アマとは思えない演奏ぶりで、特にボロディンは舞台からあふれるばかりのオーケストラで、音も迫力いっぱいでした。

いわき湯本の三函(さはこ)の三函座(みはこざ)見学


8月2日いわき市にある小名浜工場で、パーティクルボードの製造工程を見学させていただきました。現在YABでは高性能の乾式二重床を開発中で、パーティクルボードはその基本的な材料となるもので、その開発にご助言もいただきました。
その後(4時近くになりましたが)、いわき市の湯本の温泉街にあるかつての芝居小屋で、その後映画館となった後閉館し、現在解体が計画されている三函座を見学に行きました。

震災の被害状況を調べた2011年度JATETフォーラム資料には、震災で傾いたこともあり、今年の3月にも解体申請されると書かれていました。三函座は、趣のある温泉街の三函の道筋にはなく、通りからわかりにくい細道を20~30mほど中に入るとそこにあります。ですが実際には、その細道が見つからずに車でうろうろしているうちに芝居小屋の裏側に出てしまい、そこで屋根が朽ちていて、お化け屋敷のようになっている建物を発見しました。
前へ周ってみると、楽しげな雰囲気の正面に出ました。

三函座 裏手


三函座 正面


三函座が開館したのは明治30年代であり、常磐炭鉱華やかりし当時の面影がある。これを見るとやはり観光地になるためには、街自体が豊かになる必要があると感じる。生活基盤がしっかりし、街が豊かになり、そこに住む人々が通う温泉街や芝居小屋が街のゆとりを表します。
いわきはかつて炭鉱で栄えた街です。自然の恩恵を利用した産業を第一次産業と定義すれば、鉱業も第一次産業です。炭鉱はすたれてしまいましたが、温泉のお湯を使って発電ができれば、かつての第一次産業華やかりし頃の街になるのではないでしょうか。しかし三函座は、そこまでは待てないかもしれません。雨や風や雪などの自然の力で朽ちそうです。


横須賀ジャズクルージングと横須賀ジャズドリーム


遡って624日(日)。昨年に引き続き、横浜国大の名誉教授のG氏とヨコスカベイサイドポケットで行われた横須賀ジャズクルージングに行った。
1400開演で1800終了の4時間、長い。4つのバンドが出演した。大橋祐子(Pf)トリオ+上田裕香(Vo)、志賀聡美4Trombones+守 新治(ds) トリオ、GYPSY VAGABONZ+ゲスト3名、松尾明(ds)クインテット+MAYA(Vo)、最後には4バンドが合同で演奏しお祭りのようであった。司会は北口幹二彦(ものまね)。すべてエンターテインメントに徹していて、それぞれのバンドに個性が有り、4時間楽しく過ごせた。その後夕食は、海に面した公園の中にあるレストランでおしゃべり。先生の教え子が書かれたという「日本の美術No.529 近世の芸能施設とその空間」という本をいただいた。著者は上野勝久氏で、能舞台や芝居小屋のことが書かれており、表紙は金比羅大芝居の海老蔵の暫である。中には江戸時代の屏風絵の写真がたくさん載っており、実物を見に最近出光美術館まで行ってきた。

728日(土)、引き続きG氏と横須賀芸術劇場の横須賀ジャズドリームに行った。もう5年以上続けて来ている。16時から20時まで、こちらも4時間。出演は日野皓正h FACTORMALTA ジャズオーケストラの2バンド。日野皓正のバンドは、NEVER GIVEUPなどエネルギッシュな音楽で、またDJdj hondaが素晴らしかった。MALTAの昨年結成されたMALTA JAZZ BIGBANDは、これもまた楽しい往年のJAZZの名曲を、合間に冗談を交えながら演奏した。ゲストに阿川康子(Vo)、松永貴志(pf)、川嶋哲郎(ts)。とくにゲストが中心の幕では、とくに川嶋哲郎のテナーサックスが高度なテクニックで魅了された。
終わって、近くのレストランで先生の研究人生や最近のコンサートについてお話をうかがった。

横浜ふね劇場を作る会総会


少し前の話ですが、7/1の16:00より横浜ふね劇場にて、「横浜ふね劇場をつくる会」の総会があった。昨年、公演をふねで行う計画があったが、横浜市港湾局は、陸でできることをなぜふねでやる必要があるのかという様な理由で公演が許可されなかった経緯がある。

その後のふね会の活動は特に低調で、総会には10名程度しか出席していない状態となり総会とは名ばかりになっており、今後の展望は全くない。
しかし総会の後の試演会では、たくさんの人が来てくださり、ふね劇場に期待されていることが分かる。実際の公演活動が必要である事を強く感じた。

ふね劇場を合法的な存在とするためには、建物ではないが建築基準法と、ふねとしての船舶安全法を技術的に満足させ、さらに横浜市の都市計画に合致する必要がある。法律上は技術的に適用できるとして、都市計画に合致させるためには、横浜ふね劇場に魅力が有り、横浜市の発展に寄与できると皆さんが思えるようになる必要がある。

現在ある艀だまりは、貯木場入口という交差点のところにある。以前貯木場があったところであり、江戸時代の芝居町の木挽町の様な響きがある。現実には横浜港の辺境の地であり、何らかの計画を行う必要のある地区である。都市計画で、こここそ文化発信の場所と位置付けられるとよいと感じる。みなとみらい地区や大桟橋や象の鼻地区からふねでここに通える様にできれば、それこそ江戸時代初期の中橋のたもとにあった芝居町そのものになる。ふね劇場がその一翼を担えれば、港町横浜がより楽しい街になるはずである。

2012/06/28

渋谷ヒカリエ シアターオーブ見学



6月20日午後から、渋谷ヒカリエの劇場「シアターオーブ」の見学会がありました。とても印象的な劇場でした。まず渋谷駅から直結していること、吹き抜けているホワイエからの景色が素晴らしいこと、その吹き抜けを窓にそってエスカレータで登っていくこともドラマチックでした。客席は約2000席ですが、非常に舞台が近く、パンフレットによれば最後尾で28.8mしかありません。3階席の後ろから見ても確かに舞台が近く感じます。舞台の幅が20mとすると、客席の幅は25~26mではないかと思われます。客席幅が少し広いですが側壁からの反射音がエコーにならない距離で、いわゆるシューボックスタイプの劇場となっています。また舞台が畳1畳分の分割されたパネルからできていて、取り外しが可能で、どこにでもセリが設置できる。この舞台や客席の形状は、昨年オープンした神奈川芸術劇場(1300席)とも雰囲気が似ており、現在の舞台技術の最先端であると感じます。

客席の形状として、音楽ホールではシューボックスタイプとワインヤードタイプの2つのタイプが知られています。ワインヤードタイプで劇場を作る場合には、コンサートホールと同様、初期反射音をどう作り出すかが重要になってきます。初期反射音に補強され音声が力強く聞こえつつ、舞台から客席最後部までの距離を短くできる可能性が出てきます。ギリシャ劇場の形で、客席に段々畑をつくって初期反射音をもたらすような形です。ただし舞台の形は出舞台となり、プロセニアムタイプとは違ったものになります。この形は舞台が観客席と一体化する可能性もあると感じています。



吹抜けとエレベーター


ホワイエの窓


3階席から舞台を見る



舞台方面から


舞台のパネルをはずして

2012/06/26

「日本芸能の音と空間」 劇場演出空間技術協会(JATET)建築部会・木造劇場研究会


JATET建築部会・木造劇場研究会が、6月20日(水)6:30~8:00、早稲田大学の演劇博物館レクチャーホールでありました。今回のテーマは「日本芸能の音と空間」です。
発表者は私(藪下)を含めた、以下の3者。

●鈴木英一(常磐津和英太夫)「伝統芸能の音響に関わる諸問題」
●藪下満(YAB建築・音響設計)「芝居小屋の音響調査総集編」
●小野朗(永田音響設計)「邦楽ホ-ルの音響設計」


 鈴木さんの発表では、近世の野外芸能では(雰囲気が伝わることが重要で)舞台に耳を集めさせる一方、役者の言葉が完全聞こえなくても良いという感覚が育っていたという。しかし近代以降は台詞が聞こえるようにしようとした。演奏会では聞こえることが絶対条件で、その結果マイクの使用に抵抗がなくなったのではないか。完全に聞こえること(情報の多さ)と娯楽性は反比例する可能性もありそうといったことはとてもおもしろい内容であった。

 永田音響の小野さんは、古代劇場や日本の伝統音楽にみる反射音を得る工夫を例に挙げ、直接音に続く、適度な遅れ時間をもった適度な強さの反射音が重要であると話された。
興味深かったのは、クラシック系の音楽家の音響に対しての要求内容はほぼ同じであるが、邦楽系の音楽家の求めるものは人によって異なるとのこと。


 私の発表では、これまでにも何度かブログに書いてきましたが、2007年から2009年に調査し技術報告集に発表したものをまとめました。

 「木造劇場、とくに芝居小屋の良さを再認識しよう」と劇場演出空間技術協会(JATET) 建築部会に、木造劇場研究会が2006年に発足した。研究会では木造劇場は音がよいという話題がよく出たために、JATETと全国芝居小屋会議と神奈川大学の共同研究を行うことになった。
調査は、2007年~2009年の3カ年、全国の芝居小屋15座(表1)とその比較のための劇場(歌舞伎座、音響反射板を設置した杉田劇場、元禄時代の書院(コンサート会場として使用されている)、神奈川大学の講堂、横浜ふね劇場など)を調査し、2012年2月建築学会技術報告集に掲載された。

以下技術報告集に掲載されたものから抜粋。




 実験内容は、劇場で残響時間周波数特性およびスイープサイン波によるダミーヘッドによる音響インパルス応答を計測し、音楽などの無響室録音と音響インパルス応答との重畳によるシミュレーションをし、それをヘッドフォンで聴感アンケートをとった。
 図1には残響時間周波数特性の測定結果を、図2には室用途と最適残響時間のグラフに測定結果をプロットして、芝居小屋の残響時間の位置を確認した。


  

  

 


 芝居小屋の音響的特徴は、響きの少なさ、音声明瞭性および音の方向感である。芝居小屋の残響時間(空席)は、室容積と最適残響時間の関係からみると、KnudsenとHarrisが推奨する講堂に適した残響時間曲線周辺に存在しており、Bagenal と WoodやKnudsenとHarrisが推奨するコンサートホールに適する残響時間とはかけ離れた位置にある。また主観評価実験により、朗読や常磐津三味線および篠笛などの邦楽については、芝居小屋や歌舞伎座などの響きの少ない空間が好まれることが確認された。

 以上が技術報告集からのまとめで、これまでの研究から、空間が音楽を育てるという漠然とした仮定を置けるのではと考えています。


 先日、明治大正時代のクラシック音楽用のコンサートホールを研究しているという、ベルリン工科大学の研究者の方から連絡があり、お会いする機会がありました。
彼に、なぜクラシック音楽は残響が必要だと思うかとうかがってみたところ、「ベートーベンは天井の高い、残響のある部屋でコンサートをしており、それに合わせて作曲をしているから」とのこと。また、馬頭琴の演奏者なら、どのようか空間が好ましいかの問いには、草原で弾いていたからそのような場所であると。
 以前に、カザフスタンの音楽大学の研究者が、カザフスタンの楽器ドンブラは、ユルタという羊毛でできた家の中か、草原で演奏していたから響きが少ない空間の方が好ましいとおっしゃっていたのとも合致します。

 クラシック音楽の特徴はハーモニーであり、それは響きのある空間で活きるものです。バッハ(1685~1750)の「主よ、人の望みの喜びよ」では、八分音符の三連音符がたくさん続きます。また「無伴奏チェロ組曲1番のプレリュード」では、16分音符の4連音符が最初から最後まで続きます。これはまるで和音の実験をしているように思えるほどです。ピタゴラス音律から純正律への変換を確実にするための実験のようだと感じます。
 また、ヘルムホルツのOn the sensations  of Tone(1862)に書かれている共鳴器は、楽器の音程をチェックするチューナーであるとのことで、この時代オーケストラが独立し始め、ウイーンフィルハーモニー(1842)、ベルリンフィルハーモニー(1882)ができ始め、平均律への移行期にあたります。日本は、明治元年前後のことになります。

 一方、芝居小屋は歌舞伎や人形浄瑠璃の公演が主目的ですが、舞踊などの伴奏に3曲(三味線、箏、尺八、または胡弓)の演奏もあり、明治以降は器楽のみのコンサートも開かれたようです。津軽三味線の独特の演奏方法は、独奏楽器として仁太坊が、明治初期に開発したものです。

 木造の空間は全て同じ音響状態とは言えません。木造でも、例えば蔵の様な分厚い土壁の空間と、畳や障子や襖でできた空間とは全く違うものです。
最近のブログで紹介をした、つくば市北条の蔵ではクラシックコンサートを行っていましたが、これはおそらく響きのある空間だと想像します。

 1977年の「音響技術」誌に、「宗教建築の音響―日本の社寺建築」と題して掲載された安岡先生の論文は、当時、コンクリートの建築物で、木造寺院の安易な形態だけの模倣を行っていることへの警鐘として調査を行ったことが書かれていました。形だけの模倣では、音響空間まで再現はできないからです。

 現在は、残響のあるホールが注目されて、残響の少ないホールが排除されている傾向があります。しかし、すべての音楽が残響が長ければいいというものではありません。

 今回の研究会でわかったことは邦楽にとって好ましい音響空間は、未だ研究途上であることである。邦楽を育てた芝居小屋の空間をたたき台にして、建築音響技術者も、邦楽の音楽家も音響空間について語り、どのような空間が邦楽にふさわしい空間であるか共通の認識を持つ努力が必要と思われます。

2012/06/21

短波ラジオ奏者の直江実樹 企画: 第七金星丸アワー


第七金星丸アワーと題して、6月16日(土曜日)19:30より横浜でライブがありました。前半の前半は、尺八、フルート、ソプラノサックスおよび短波ラジオによる演奏、前半の後半はトランペット、アルトサックス、パーカッション、コントラバスなどの演奏でした。

前半の尺八はブルース・ヒューバナーさんという外国人の方。フルートの音と合わさって、たえず唸りを生じていて、由緒正しい尺八の音程を確保している様子。尺八の音程とフルート、サックスのそれぞれの音程を維持しながら演奏していると感じます。

異なる音律をもつ楽器のアンサンブルは、それぞれの特徴ある音空間がぶつかりながら共存することで新たな緊張感をもつ空間ができます。その場合には、二つの方法があると感じています。長い音の場合には、ハーモニーは求めずに音を共存させます。唸りが発生してもそれは表現の一形態と考えます。短い音の場合には、同時に音を出さずに間に編み込んで行くような感じで音を出せば共存します。今回のこのような演奏形態は、私もいつも音楽の今後のあり方として、期待しているものです。今後の第七金星丸ライブに期待したいです。


2012/06/19

レゴランドお台場6月15日オープン


お台場DECKSの6F、7Fに日本初の「レゴランド(お台場)」がオープンしました。当社は、レゴランド内の4Dシアターの音響設計をさせていただきました。オープン前の音響測定では良い結果が得られました。
近々、実際の上映も見に行きたいと思っています。


つくば市北条の蔵のコンサートホール


つくば市北条は、筑波山参詣の町として、また古い街並みが残っていることでも知られています。しかし、先日つくば市に竜巻が大きな被害をもたらした際に、北条も竜巻に襲われて被害を受けたところとして有名になってしまいました。

その北条の古民家の蔵でクラシックコンサートが行われていると聞いていたので、つくばに出かけるついでに、どのようなところか見に出かけました。
北条の町は、地方の都市によくあるようなシャッター街の印象とは違い、人々が多く街を歩いていて立ち話をしたりしていましたが、それは竜巻の復旧工事が行われているためなのかもしれません。竜巻で瓦が飛ばされたりしているために、ブルーシートで覆われている家もいくつかありました。

コンサートが行われているのは立派な古民家で、1Fの店の中をのぞいてみるとコンサートのポスターが置かれてあったので 硝子戸を開けて中に入ってみました。奥様が出てこられ、少しお話を伺いました。ベルリンフィルやウイーンフィルのメンバーも来て、年に何回かコンサートを行っているとのこと。今度の土曜日6月23日にもウイーンフィルのフルート奏者のワルター・アウアー氏と、工藤重典氏と、チェンバリスト橋本麻智子さんの共演で演奏会があるとのこと。しかし切符は完売していると。以前このお宅は醤油屋さんで、蔵は米蔵だったそうです。

蔵は木造ですが土壁が厚く、きっと響く空間だと想像できますが、伺った日は倉庫のようになっていて、中は見せていただけませんでした。昨年の大地震の際に、瓦屋根がかなり崩れてしまい、また壁も傷んだようです。今年5月には筑波大学の学生も手伝ってやっと修理が終わったところだということでした。幸いこの民家は竜巻の被害を免れたようです。

いつか機会を見つけてコンサートを聞きに行きたいと思っています。このコンサート等については、ブログ 「たかぼんのつくば市北条古民家暮らし」に書かれています。
帰りには地酒 「純米吟醸 筑波」を買って帰りました。

2012/05/08

第七金星丸のJAZZライブ


鋼鉄の艀、第七金星丸で4月27日(金)にJAZZライブがありました。この艀は横浜港の中の独特の雰囲気のところにあり、赤錆びだらけの内部空間も力強いです。JAZZはドラムス、コントラバス、トランペット、短波ラジオ(これも楽器です)、そしてキーボードの構成。心地よい新しい音楽が生まれていると感じました。
きっとここ横浜の港から新しい音楽や演劇や美術がうまれてきます。それは垣根をとっぱらったあたらしい総合芸術だと思います。期待が大きいです。


騒音制御工学会に発表


平成24年4月24日(火)に開催された騒音制御工学会の春季研究発表会に、「高性能乾式遮音二重床の開発―実大実験棟における測定結果」と題して、共同研究者として発表しました。会場は産業技術総合研究所臨海副都心センターでした。

本研究は、昨年度建築学会大会に発表した床衝撃音対策手法を、UR都市機構とYAB建築・音響設計との共同研究として発展させたもので、目的は、高度成長期に建設された壁式構造集合住宅の居住性能改善のための乾式二重床の開発です。性能向上の目標として、重量床衝撃源(Ⅰ)であるバングマシンによる床衝撃音を、スラブ素面よりL数で10、63Hz帯域で10dB改善することを目標に行いました。
昭和40年代の集合住宅の床スラブの厚みは110mm程度です。現在は一般的には床衝撃音対策上200mm程度のスラブを用いています。インピーダンスレベルを比較するとスラブ厚の違いで床衝撃音レベルが約10dB異なります。現在行われている当時の集合住宅の改修は、風呂、キッチや壁のクロスなどで、設備的、また視覚的には改善できても、床衝撃音上の対策は従来の工法では不可能でした。

当時の床スラブはそのままで、現在の床衝撃音性能の水準まで向上させるためには、床仕上げで10dB改善する必要があります。その対策手法として、ヘルムホルツ型の共鳴器を応用したもので、画期的な性能が得られたものと考えています。昨年度は、その目標をクリアし、今年度からは実施に向けた実用的な開発実験をUR都市機構と行います。
今年の騒音制御工学会は、低周波音や環境振動の研究発表が主で、床衝撃音については本件のみでした。以前はたくさんあったのですが最近は年々減ってしまい、しかもプログラムの一番最後の講演となっていて、大会の中では期待度も低い感じです。それでもたくさんの方が最後まで聴いていてくださり感謝いたします。

こんぴら歌舞伎大芝居を今年も見ました



第28回こんぴら歌舞伎大芝居を今年もなんとか見ることができました。公演は4月5日から22日まであり、我々の一行は、21日(土)の午後の部、千穐楽22日(日)午前の部を見ました。
公演の場所は、江戸時代の芝居小屋(天保6年1835年)、旧金比羅大芝居金丸座です。いつもここに来ると、舞台―客席空間が一体で、役者と観客が一緒に楽しめる素晴らしい空間だと感じます。舞台から観客席まで一体の竹のすのこの天井、花道、仮花道、そして舞台に直角に向いた桟敷席、すっぽんや回り舞台、空井戸、花道の上部にある宙吊用の懸け筋など、今の劇場にはあまり見られない工夫がされています。観客席は、枡席で畳の上に胡坐などをかいて座ります。私の席は、花道のすぐ脇だったので、役者の足元がすぐ近くで見られます。もっとも今年はあまり花道を使っていませんでしたが。

今年は中村吉右衛門の一門の公演です。出し物は、21日の午後は、1)戻駕色相肩(もどりかたいろにあいかた)、2)三代目中村又五郎・四代目中村歌昇襲名披露口上、3)義経千本桜 川連法眼館の間、22日午前の部は、1)正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)、2)一本刀土俵入りです。

物語として興味をもったのは、戻駕色相肩です。駕籠かきが舞台中央で一服。駕籠のなかは島原の遊女。駕籠かきがそれぞれ廓体験の自慢話をしながら踊る。踊っているうちに一人の懐から連判状が、もう一人からは香炉が落ちる。互いの所持品から、一人は久吉の命を狙う天下の大盗賊 石川五右衛門で、もう一人は命を狙われている相手 真柴久吉であることが分かる。そこで刃を交えることになるが、そこへ駕籠の中の島原の遊女が割って入る。そこで幕。なんで駕籠かきが石川五右衛門で、遊女が素手で刀を止めて、その後はどうなったかは関係なく、幕が引かれる。ひどく飛躍しているが腑に落ちる感じが良い。

義経千本桜もまた子狐の親が鼓の皮に使われてしまい、その鼓を追って、子狐が義経の家来の忠信に化けて、近づく話で、これもかなり飛躍がありますが、この子狐が山に帰るシーンが何と舞台の上手奥の木の脇で、上から吊られてそろりそろりと1mほど上昇して消えるのです。以前何年か前に観た「葛の葉」の時の狐は、懸け筋を使って、宙乗りで、観客席の後ろへ飛んでいたことを覚えています。そのときは涙が出るほど感動しましたが、今回は狐のファンタジーとしてはちょっと残念な演出でした。

22日の午前の部、一本刀土俵入は物語も感動ものですが、回り舞台や花道、脇花道、それに雨戸を使った暗転もあり、芝居小屋ならではの演出がありました。
この回り舞台の下は、木でできたロールベアリングが仕込まれていて回転するようになっていますが、それが数日前にひとつ外れてしまったようです。それを知っていたため、千穐楽まで、無事に回り舞台が回ってホッとしました。今考えてもよく出来たロールベアリングだと感心しました。芝居小屋から学ぶことはたくさんありますね。





東海道最後の芝居小屋 島田市みのる座 跡地見学


2012年4月17日(火)静岡県島田市で音の測定の仕事をしました。
その後、以前から気になっていた、近くにある「みのる座」という芝居小屋の消息を見に行くことにしました。島田駅から裏道を歩いて向かい、途中で出会った人に「みのる座はまだありますか」と聞くと、「まだあるよ、後すぐだよ」と教えてくれました。しかし100mほど歩くと更地があり、通りかかった人に「みのる座はどこですか」と尋ねると、この場所にあり解体されてしまった、駐車場になるらしいとのことでした。あると期待して辿りついたのでがっかり。


残っているのは商店街のアーケードの天井にあるみのる座の看板だけでした。それにしても商店街もシャッター街となっており、かつては東海道の大井川の江戸側の(越すに越されぬ)宿場町として栄えていた場所です。また大井川で木材を運んできた林業の町でした。




更地になっていた

かつてのみのる座の入り口

看板

アーケード シャッター街

近くの古道具屋にみのる座ゆかりの寅さん




みのる座は、大正5年(1916年)に芝居小屋として開館し、昭和34年(1959年)映画館に改装、平成22年(2010年)3月10日、映画館として最後の上映会を行い、94年間の歴史に幕を閉じたそうです。その大きな原因は耐震補強とのことでした。たしかに94年もたてば老朽化し、何らかの工事が必要となり、その場合には耐震補強もして新しい建築基準法に従う必要があります。島田市では唯一の映画館だったようですが、周辺にはシネマコンプレックスもできたため、お客さんも減少していたようです。2011年9月解体されました。

岐阜から東、東京から西の東海地域では、唯一の木造の芝居小屋だった建物で、回り舞台もあったようです。それが解体されてしまいとても残念です。文化財として残す方法はなかったのでしょうか。
大正5年開館とは、四国松山近くの内子座と同じ年です。しかし内子座とはずいぶん違う運命をたどっています。内子町は古い建物なども残したきれいな街並みで、内子座とも雰囲気をあわせており、内子座もたくさん使われています。地域の人の意識に町おこしの手法について共通の認識が必要と思います。

2012/02/20

論文「芝居小屋の音響特性」が日本建築学会技術報告集第18巻第38号(2月発行)に掲載されました


2007年度から3年間、全国の木造芝居小屋と比較のための劇場等の音響調査を行い、建築学会の大会に発表してきましたが、それらをまとめて論文を執筆し、日本建築学会技術報告集2月号に掲載していただきました。

江戸時代初期から建設が始まった木造の芝居小屋は、明治期には全国で数千軒ほどもあったとされていますが、現在全国で数十軒ほどしか残されていません。芝居小屋は歌舞伎や人形浄瑠璃の公演のほか、明治期には箏や三味線などの器楽演奏会にも使われるようになっていました。そこで伝統芸能を育んだ芝居小屋15座の音響測定を行い、音響反射板を設置した杉田劇場や歌舞伎座などと比較してみました。調査の方法は、インパルス応答と無響室録音の音源とを重畳し、音響シミュレーションを行って演奏音を再現し、主観評価実験を行いました。その結果、芝居小屋の音響的特徴としては、響きの少なさ、音声明瞭性および音の方向感で、芝居小屋の残響時間はコンサートホールに適する残響時間とはかけ離れた位置にあり、また邦楽は芝居小屋や歌舞伎座の様な残響時間の短い空間が好まれることが確認されました。

「JATET FORUM 2011 東日本大震災による劇場・ホール被災調査報告 資料集」に、全国芝居小屋会議の奈良部さんが東北地方の芝居小屋の調査結果(P.269)を記しています。
それによると、東北地方には芝居小屋が確認されているだけで6館あります。秋田県小坂町の康楽館、福島市民家園にある旧広瀬座、福島県南相馬市の朝日座、いわき市の三函座、日立市の共楽館、群馬県みどり市のながめ余興場です。いずれも昨年3月11日の東日本大震災による大きな被害はなかったようです。しかし、いわき市の三函座は震災をきっかけに売却が決まり2012年3月には取り壊す予定とのこと。また、この調査で新たに2軒の芝居小屋の存在が確認され、ひとつは石巻市の岡田劇場で、津波で流されてしまった。もう1軒は福島県本宮市の本宮映画劇場で、こちらは震災による被害はなかったとのこと。
芝居小屋の維持は通常でも大変なことですが、震災の被害に挫けないように続けることは大変です。
この論文が芝居小屋の存続・活用に少しでも役に立てればと思います。