2010/05/31

津軽三味線 黒澤 博幸のソロライブ「幻奏」を聞く

5月29日(土)17:00より、マスミスペースMUROで、津軽三味線 黒澤博幸氏のソロライブがありました。黒澤さんは、和太鼓+パーカッションと津軽三味線のバンド「天地人」のメンバーで、昨年、芝居小屋ツアーを行った際に、コメントを寄せさせていただいた関係で、このコンサートも知り、大変興味を持って伺いました。黒澤さんは、津軽三味線の奏法を考え出した仁太坊が1857年7月7日に生まれた青森県五所川原市金木で毎年開かれる「津軽三味線全日本金木大会」で、2002年から2004年まで3年連続「仁太坊賞」を獲得した若いけれど大物(1972年盛岡生まれ)です。

ライブの場所ですが、山手線の大塚駅から歩いて5~6分の表具屋さんの倉庫兼ショールームのような場所で、床は板ですが、壁は和紙で仕上がっており、天井は小屋組みと化粧野地板が見える、和風の空間で、行燈が照明となっていました。30~40名ほどが入れそうな広さです。私は最前列に座ったので、三味線から3mほどしか離れていません。ライブでは、仁太坊の生い立ちの説明をしながら、彼は「叩き奏法」を開発し、三味線を伴奏楽器から独奏楽器へ格上げさせたとのこと。 その「叩き奏法」から繰り出される音は、3mで聞くと大変迫力のある耳が痛くなるほどの音です。バチが、弦ではなく、胴の皮に当たって出される音です。バチは叩く場合と、返しながら弾く場合があり、また左手の人差し指と薬指で弦を爪弾く場合もあり、その4タイプを素早く組み合わせ、また弦の上を、指を滑らす場合とビブラートをかける場合やサワリの音も含めると繊細な音から握力のある音まで、大変変化があります。しかもJAZZの様に即興だそうです。またJAZZのようにパルシブな音です。三味線を弾きながらの民謡も素晴らしく、津軽三味線を堪能しました。

仁太坊が生まれた1857年(安政4年)は、明治元年(1868年)より11年前です。秋田県小坂町の芝居小屋「康楽館」ができたのは明治43年(1910年)で、それよりもずっと後です。邦楽器の演奏会が開かれるようになったのは、明治になってからといわれていますが、仁太坊は、その先駆けです。もっとも演奏会といっても、街を周って、家々の前で演奏する、いわゆる門付け芸人だったとのこと。津軽には芝居小屋はあったのでしょうか?

今回の収穫は、表具屋さんの和風のショールームで、素晴らしいコンサートが行われたということです。抽象的な雰囲気の多目的ホールでなく、はっきりと和の雰囲気のある場所で行われるのは、活き活きした感じになるものだと思いました。
 次回は2010年7月10日 東京の護国寺の四萬六千日法要の奉納演奏を「仁太坊伝説」というテーマで行うようです。またそれに先駆けて、7月3日に金木町の太宰治記念館と津軽三味線会館で、仁太坊生誕祭を行うようです。双方興味があります。成功をお祈りいたします。

2010/05/10

久良岐能舞台の地歌舞の公演

「日本の伝統芸能に親しむ 地歌舞の魅力」と題して、「山村楽千代 舞二十番への道(其の四)」の公演が5月9日(日)2時からありました。公演は、村尚也氏の解説と以下の3演目です。村氏によると今日は久良岐能舞台始まって以来の超満員ですとのこと。

演目

地歌舞 からくり的、山村楽千代、地歌(歌と三弦) 藤井泰和
地歌舞 狐の嫁入り、おどりの空間(5名)地歌はテープ
地歌舞 鉄輪(かなわ)、山村楽千代、地歌 藤井泰和、
    鳴り物 望月太意吉、望月太意三郎、福原 徹

こちらは庭園にガラス障子で開かれている能舞台ですが、今日は若葉もきれいなよい天気なのに、雨戸が閉じられており外が見えません。その理由は、狐の嫁入りの公演のときの暗転のためでした。真っ暗やみの舞台を、一列の小さい火が橋掛からにじり口まで横切った瞬間、狐が化けた花嫁姿の5名が舞台に立っていたり、真っ暗やみの中に狐がにじり口から顔を出したり、幻想的な雰囲気が醸し出されていました。また踊りもしぐさが狐らしく、とても楽しいものでした。
からくり的は、楊弓場(江戸では矢場といった)で的を射ると、仕掛けで天井からさまざまなものが落ちてきます。その落ちてくるもの、例えば武者や白拍子や羅生門の鬼などを踊りで表現します。また鉄輪は、奥さんが鬼に変身し、浮気をした夫の彼女を呪い殺そうとする話です。この二つは精神性や象徴性が強く、能のような所作表現のために高度に想像力が必要な内容です。地歌舞すべてがこのように象徴性(村さんは、見立てという言葉を使っていました)があるのかどうかはわかりませんが、現代の演劇でも通用する内容だと思います。

また隣に座っていた方は、この久良岐能舞台で謡曲と能を習っているそうです。学生時代に上京され、昭和26年歌舞伎座が再度オープンした時から歌舞伎座に通っていたそうで、しかも金比羅歌舞伎も面白いと教えてくれました。とくに金比羅歌舞伎は一晩泊まることが重要で、役者たちが行く飲み屋を見つけて、一緒に飲めると言っていました。もうおそらく80歳近い方ですが、お元気で、今年の祇園の都踊りも行ってきたそうです。しかもお仕事は、芸能関係ではなく、工学部卒の技術者とのこと。興味深いお話をいろいろうかがうことができました。また機会があればぜひお会いしたいです。

次回の公演は、6月13日(日)午後二時より女流義太夫です。これも面白そうです。また切符は完売になりそうですね。

2010/05/06

荏田の真福寺で12年に一回のご開帳

地元の荏田商店街から少し入ったところに真福寺というお寺があり、そこの虎薬師坐像の12年に一回の御開帳(寅年の四月)が今年で、4月8日から20日まで開催されるとのことで最終日4月20日に見てきました。

同時に国指定重要文化財で、鎌倉時代の作である釈迦如来立像も毎年この時期ご開帳とのことで、そちらも見ることができました。この釈迦如来立像は、境内のコンクリートの小さな収蔵庫に安置されており、寄木造で木目がとても美しく驚きました。
真福寺のご本尊は千手観音立像で、こちらは子の歳の四月に御開帳とのこと。残念ながら後10年見ることができません。こちらは神奈川県の重要文化財に指定されています。

私は荏田町に住んで22年になりますが、いままでこの御開帳のことは知らず、一度も見たことがありませんでした。今回、たまたま近くの野菜の直売所に寄った時に案内を見て知りました。とくに御釈迦様は、一度は拝んでおいたほうがよいと思われるほどの美しさでした。

我が家の住所は、開発される前は、荏田町大字釈迦堂谷と言い、前の道路は釈迦道(しゃかんどう)と言っていたようです。しかし現在この釈迦堂はありません。真福寺の御釈迦様が、この釈迦堂と関係があるのか、またこの御釈迦様がいったいどこから来たのか、興味があります。
数え年で七年に一度(現在は丑と未の年)行われる有名な長野の善光寺御開帳はたくさんの人出がありますが、ここはひっそりとしていました。善光寺のように、真福寺も6年ごとに一度くらいの割合で御開帳があれば、忘れられなくていいかもしれません。またこのような催しにより、街を賑やかにすることができればいいと思っています。