ページ

2024/02/29

ヴァイオリンとピアノによるウクライナ支援コンサート

 時は2024227日(火)で、題名はSPECIAL CHARITY CONCERT FOR THE HOSPITAL IN KYIVである。

場所は田園江田教会で、田園都市線の江田駅から東へ246号線を超えて10分程度らしいのだが、我が家からも246号線沿いに歩いていけばたどり着き、電車に乗るとかえって時間がかかりそうで歩いて行った。時間は630分開演。この教会は天井が高く(10m程度ある)、コンサートには好ましい大きさだが、多分天井は岩綿吸音板と思われる。したがって音が響かないため、教会の説教に対しては音声明瞭性が上がり好ましい状態と思われるが、ヴァイオリンには響きが少なく厳しいかもしれない。演奏者はヴァイオリンが澤田智恵、ピアノがシャポワロフ・レオニードである。収容人員は150160名程度で、満席であった。曲はヘンリー・マンチーニのひまわり(ソフィア・ローレンで話題になった映画音楽)、ヴィヴァルディの四季より冬と春、ベートーベンのピアノソナタ《悲愴》の第二楽章、ラヴェルの亡き王女の為のパヴァーヌ、レオントーヴィッチ(ウクライナの作曲家)のシチェードリク、サラサーテのツィゴイネルワイゼン、最後はスコリク(ウクライナの作曲家)のメロディー(戦争の映画音楽)で、どれもいい曲であったが、最も素晴らしかったのはツィゴイネルワイゼンで、力の入ったいい曲だった。亡き王女の為のパヴァーヌも情感のこもった抑えた半音ずれたような低い音の旋律で、いい曲だった。




2024/02/22

尺八購入

 三曲のコンサートを聴いたことで刺激になって、昨日(2024221日)中古の尺八を購入した。実は中国河南省舞陽県賈湖(Jiahu)遺跡から、紀元前7世紀のタンチョウヅルの尺骨(羽の骨)に孔を開けた笛があり、尺八のような吹き方をしたとのこと。2600年前の人々も尺八のような楽器を用いていたのだから何とかできないかと思った。写真は尺八、4本調子の篠笛、5本調子の篠笛を並べた。尺八は竹製で、長さは約55cm 都山流銀中継があるもので、yahooオークションで買った。中継ぎの金属が剥げているし、竹も手の油がついていて、ちょうど両手のそれぞれの中指で押さえるところになる。多分10年以上20年も使ったもののようだ。とにかく音は出た。また篠笛より相当?重く感じる。しかし安定して音が出ない。なかなかむつかしい。とにかくここを超えないとダメだ。上唇の中央のでっぱりをすこし避けて空気を出すことがきっときれいな音を出すために重要な気がする。ただそうでもないかもしれない。?



2024/02/18

三曲コンサート (箏 三絃 尺八) 和楽器の玉手箱 春を聴く

 令和(2024217日(土) 200300 横浜市山内地区センター集会所 主催:青葉区三曲協会、この協会は『箏・三絃・尺八による伝統音楽(三曲)の継承と普及を目指し、流派を超えて努力している団体』とチラシにある。曲は1.春の曲、2.春の海、3.さくら・ろくだん・おぼろ月夜・ふるさと、4.雲井獅子、5.桜狩、6.春の姿など春にちなんだ曲ばかりが並んでいる。そのうち三味線および17弦の箏がある曲はさくらなどの4曲の合奏のみ、また雲井獅子は一般の一尺八寸の尺八と二尺の尺八の合奏だった。17弦箏は13弦の一般の箏より低い音が出る。また二尺の尺八も一般の尺八より低い音が出る。三曲は箏・尺八および三味線で構成された音楽なので、どうするときれいな音楽となるか気になっていた。クラシック音楽のようにハーモニーできれいに響かせるというようなことはこの三曲では無いと思われるので、どうしたらその部分がよくなるかを感じてみたいというのが今回の私のテーマだ。 このコンサートでは低音が出る17弦の箏や、二尺の尺八があるので音域が広がって自然の空間を感じることができたように思う。ただまだまだ聴きこんでいかないと本当の良さは分からないかもしれない。また演奏場所は山内地区センターの集会所で、天井は岩綿吸音板なので、講演や会議には好ましい音響状態であるが、三曲等の音楽では吸音が効き過ぎている可能性もある。音が分析的に聞こえるので、三曲の音楽に対してはどうか気になった。ただ箏も三味線も楽器自体に自己残響があるので、ちょうどいい可能性もある。







2024/02/13

アカデミア・コンサート2024

 アカデミア・コンサート2024は室内楽アカデミアという学校で学んでいる学生が講師陣と室内楽で共演するというコンサートです。2024211日(日) 14時から、横浜市青葉台のフィリアホールであった。

このホールは永田音響設計が建築設計および建築音響設計を行っている。建築設計の担当は山本剛史であった。この設計の特徴は舞台を含め天井が高く、両側壁間は比較的狭くできていて、音に包まれるよう側方反射音重視の設計方法となっている。当時(1993)としては新しい方法である。永田音響設計Nwes93-5号によれば余裕のある響きをえるために14mの天井高を確保した。その結果一人当たりの室容積は123、観客席は500名とのこと。    

この天井高は舞台を含めてのことで、舞台では演奏者同士がお互いの音を確認するためには、直接音以外には反射音を期待することはなかなかむつかしい。舞台音響を考慮して、舞台にも壁の凹凸や浮雲などでより反射音を舞台に返すことを考慮する必要があったのではないかと思っている。

今回はピアノおよびヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどの弦楽器はアンサンブルの時には舞台の前よりの中央に固まって演奏していたので、お互いの音がよく聞こえたと思われ、弦楽器のハーモニーもきれいに聞こえた。室内楽アカデミアの学生たちの演奏は、講師も含めての演奏であるがとてもレベルが高く、素晴らしかった。

また弦楽四重奏などの弦楽器の音律はどのように設定しているかも気になっている。ハーモニーがとてもきれいだったと感じた。平均律を多少ずらして純正律にあわせて演奏しているようにも思う。

 

              写真:コンサートが終了したときに客席後方から舞台をとった。




2024/02/08

華開く律令の世界という展覧会 副題:令和5年度かながわの遺跡展

 この展覧会は山内地区センターに張り出されていたポスターで知った。会期:横浜会場の神奈川県立博物館は令和623日~36日、これに先立ち 茅ヶ崎市博物館で、令和51216日~令和6124日であったようだ。私が神奈川県立博物館に行ったのは2月3日の初日であった。

会場の横浜の神奈川県立博物館は、かつて横浜正金銀行本店だったようで、古い建物だ。頂いたパンフレットのごあいさつのところで、『律令とは、中略、もともと中国の隋・唐で整備された国家の法規制のことです。これが7世紀後半以降に日本で導入されたことで、社会体制が大きく変化してゆき、律令に規定された新しい時代がやってきます。』 序章には『皇極天皇四(645)年に乙巳(いつし)の変で蘇我宗家を滅ぼした中大兄皇子たちは、多くの政治改革を断行していきました。中大兄皇子は後に天智天皇に即位し、続く天武・持統天皇の時代で日本の「律令」の骨子が形作られ、大宝元年(701)の大宝律令で完成を見ることになります。』 

この展覧会はこの流れを踏まえ、神奈川県にあるこの時代の遺跡について展示したものだ。興味深かったのは、7世紀後半に隋・唐から律令という国の法制度を取り入れたことだ。約1300年前から中国との交流があったということは人が往復していたということを示している。

ブログ:建築音響の交流の歴史その1 https://yab-onkyo.blogspot.com/2023/12/1.htmlの雅楽の項でも中国や朝鮮その他の国との交流があったことを書いた。

この展覧会は国の法制度に関してのものだったが、宗教はもちろん音楽・楽器についても交流があったはずだ。1300年前とはひどく前のような気がするが、現在も同様のことが行われている。残念ながら現在でも戦争もあるが、このような国際的な文化的な交流については大事にしなければいけないと思う。


                                    写真:展覧会のポスター

2024/02/04

住宅の機能:親戚や近隣が家に集まれるか。

 今年(2024)の正月1日は、能登半島で輪島市付近を中心として大地震があり、多くの住宅が倒壊し、多くの人が圧死した。道路が倒壊した住宅や、がけ崩れや、断層・亀裂などで寸断され救助になかなか行けないことが続いた。県がやっと二次避難所を開設し、避難を呼びかけたが、思うように避難ができていない。124日の天声人語には『県は2次避難を呼びかけるが全体の2割程度にとどまっている。理由は様々だが、住み慣れた地を離れたくないと願う人が多い。』 『2007年に能登で起きた地震では、中略、輪島市内の高齢化率が5割超の集落で約300戸のうち、世帯流出したのは4戸だけだったという。』『家は自分が住む以外に、盆や正月に皆が集まる場所だと気づく。』 多くの家が倒壊し、多くの人命を失ったことは、建設業界にいた身として、何とかできなかったのかという思いだ。多くの古い家屋は、大きなガラス戸やふすま戸があり、開口部が多く、耐震要素はどちらかと言えば耐震壁ではなく、貫のことが多い。貫はある程度時間が経つと、しっかりと固定しているのではなく、ゆるみが出てきてしまうのではないか。または貫だけでは地震に対する耐力が不足している可能性もある。今後この解決方法について研究をしていかないといけないように思う。

 またこの天声人語の話としては、地震があって2次避難を呼びかけても全体の2割程度にとどまっているのは、住み慣れた地を離れたくはないという理由だ。家は自分が住む以外に盆や正月に皆が集まるところだとのこと。具体的に言えば正月や盆には親戚や地域の人たちが集まるところ、また親戚の人や地域の人が集まったり、さらに泊まれることなども含まれる。家の平面的な形態のことで言えば、広い居間、床が畳であれば簡単に融通が利くが、机・椅子での生活の場合には、家族の数以上に椅子の数が必要となる。また寝室も家族以外に必要なことが多い、さらにトイレや洗面についても余裕が必要な気がする。そう考えるといま旧住宅公団が開発した最小限住宅の延長線上にある集合住宅の形態では十分ではない。さらに人が集まっている場合でも、耐震的に十分満足し安全である必要もある。そうなると建設費用も今までより増大し、更には建設場所や土地取得も費用の観点から満足させる必要がある。

  昨年の統計では東京周辺の人口が増え、地方では減ってきている傾向があるようだ。したがって益々土地代が上がり、家は狭くなり、建設費も上昇することになる。道路や電車も混むようになり、災害時の被害が大きくなる可能性も増えることになる。その結果、住宅はますます狭くなり、余裕のある空間は作れなくなってしまう。また地方はますます人口が流失して、農業・漁業や林業の担い手が減ってきてしまうことになる。さらに芸能で言えば地芝居やお囃子などのお祭り、神楽などの担い手が減ってきてしまう。さらに人口が減少することで更に人口の偏在化が顕著になってくるように感じる。農業・漁業・林業および地方の芸能を必要な産業と考えると一気に現在は非常に重要な経済の転換点と考えてしまう。