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2014/10/07

オーケストラピットと花道

少し前のことになりますが、7月26日に早稲田大学の教室にて、JATET建築部会 木造劇場研究会の発表が行われました。発表者は、私を含め下記の5名です。


  • 柴田満「三味線で辿る日本の音楽とその場所」
  • 永石秀彦「全国芝居小屋スライドショ-」
  • 賀古唯義「劇場誕生!我が国に全蓋式本建築の劇場が誕生した瞬間」
  • 山﨑泰孝「なぜ今木造劇場か~これからの劇場づくりと再生はすべて木造に~」
  • 藪下満「オ-ケストラピットと芝居小屋」 

私の発表は「オーケストラピットと芝居小屋」で、歌舞伎の花道とオーケストラピットの成り立ちの違いについて考えたことが発想の発端となっています。

歌舞伎は、能舞台のような形の舞台から、次第に舞台から花道が飛び出してきて現在に至っています。一方オペラは、当初はテアトロファルネーゼのように、アリーナ(平土間)で演じ、それを客席が取り囲む構成の例もありますが、次第に舞台が奥に入っていって、舞台の前にオーケストラピットがある形に変化して行った過程が大きく違います。前者は、演者が客席に近づいていきますが、後者は客席との間に距離ができていきます。

歌舞伎は、1603年の阿国が北野天満宮で行った歌舞伎踊りから始まっていると言われています。またオペラは1600年にフィレンツエの歌手ジャコポ・ペリが、詩人のリヌッチーニとともに舞台装置に取り囲まれた何人かの人物が登場する「オイリディーチェ(エウリディーチェ)」を作曲したことが始まりとされています。このように歌舞伎とオペラはほとんど同時に発生しています。

また歌舞伎用の劇場は、当初は神社の境内などの屋根のないところ(※1 P.18花下遊楽図屏風 天木宗仲画 六曲一双 桃山時代/17世紀初期 サントリー美術館)から始まって、次第に屋根のある能舞台の様な舞台(※1 P.21重要美術品 阿国歌舞伎草子 1巻桃山時代/17世紀初期 大和文華館)で公演する様になり、どのように花道ができたかは明確ではありませんが、花道は1733年の市村座の絵図(※1 P.64 市村座場内図屏風 江戸時代享保18年(1733年)頃)には出てきています。

先に示した最初のオペラを※2のP.59から引用すると、
「「エウリディーチェ」はフィレンツェ、ピッティ宮殿の大劇場で、1600年10月6日、マリア・デ・メディチとフランス王アンリ4世の結婚式であった。中略、こういった初期のオペラを上演した貴族たちは、それを古代ギリシャ劇の再生と考えていた。」
とあります。その代表的な劇場がテアトロ・オリンピコで、ジョージ・R・カーノールド著「ルネサンス劇場の誕生」のP259~260に、テアトロ・オリンピコ(1584年竣工)の杮落し公演「1585年3月22日『オイディップス王』」に関する観客の一人のフィリッポ・ピガフェッタの手紙が紹介されています。そこには、
「賓客たちが数時間に及ぶ交歓、ワイン及び果物、互いの衣装の素晴らしさ、オーケストラに陣取った婦人たちの姿を満喫した後に上演が始まった」
とあり、その数行後に、
「この幕開きの後、内部の遠近法的装置から、様々な楽器と声による調和のある音楽が聴こえて」
とあります。
オーケストラとは舞台前部にある場所での名前で、そこには楽団員ではなくご婦人たちがいたことになります。そして楽団員は、装置の後ろ側にいたことになります。

また※2のP.59には、テアトロ・ファルネーゼのアリーナについて、ステージと同じように使用したとの記述があります。少し長くなりますが、以下に引用します。

「パルマにあるジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ設計のテアトロ・ファルネーゼは、長く伸びた円形劇場形につくられており、ルネッサンス建築全般にいえることだが、古典ギリシャ・ローマの建築様式の原理に基づいている。テアトロ・ファルネーゼでは、円形劇場形がつくりだすアリーナも、ステージと同じくアクションに使われることがよくあった。1628年12月21日の杮落しの出し物は、トルネオ(馬上武術試合のための音楽)の≪マーキュリーとマルス≫で、台本はアッキリーニ作、間奏はモンテヴェルディ作曲だった。このスペクタクルは、クライマックスで中央アリーナに水がいっぱいに入れられ、ネプチューンが引き起こしたあらしと海賊に船や海の怪物が巻き込まれててんやわんやのところへ、フル・コーラスを従えたジュピターが騒ぎを静めに天井から降りてくるという趣向である。」
※2のP.60によれば、現在よく見る馬蹄形のオペラ劇場の最初がテアトロ・サン・カッシーノ(1637年)で、初めて舞台と客席の間にオーケストラピットができました。それまで多くの試行錯誤があったと思われますが、オーケストラピットの成立過程の歴史はあまりはっきりしていません。以下に一部引用します。
「世界最初のオペラ専用劇場がつくられたのもヴェネツアである。1637年のテアトロ・サン・カッシアーノ(聖カッシアーノ劇場)がそれで、オペラのスペクタクル的な効果を出すのに必要な舞台設備が整っていた。金持ちのトロン家が、1629年に焼失した劇場に替わるものとして建てられたのである。営利を目的としていたので、壁沿いにぐるっと席が段状に設けられ、できるだけ多くの観客を収容するようになっていた。オーケストラは、以前は舞台の両脇、桟敷席、書割りのうしろなどに座っていたのが、この時初めてステージの前に置かれるようになった。」
とあります。

音響的な視点からオーケストラピットを見ると、観客から楽器(音源)が見えないために楽器からの直接音は聞こえず、回折音または天井などからの反射音を聞くことになります。したがって中高音域の音は低減してしまい、音質が変わってしまいます。さらに楽団員の演奏環境も、あまりよいとはいえません。ピット内で音がこもるため音圧レベルが相当高く、難聴に気をつけねばならないほどだと思います。

オーケストラピットは、オペラにとって最初からあったものではありませんが、観客をたくさん収容するという商業的な理由から現在の形ができたものと考えられます。芝居小屋と比較すると、観客と舞台の一体感という観点から言えば芝居小屋が圧倒的に優れていると感じます。そこで当初テアトロ・ファルネーゼに見られるオペラにもかつてあった一体感を再度実現するために、オペラを芝居小屋で公演したらどうだろうかというのが今回の提案です。芝居小屋は商業的にいえば、現在の歌舞伎座や南座のような大きな小屋も含まれますが、その場合オーケストラはどこに配置すれば一番よいのかは検討する必要があります。


※1「歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎 ― 江戸の芝居小屋 ― 」展カタログ
企画・構成サントリー美術館

※2マイケル・フォーサイス著 長友宗重・別宮貞徳 共訳 「音楽のための建築」

2014/10/01

建築学会(2014)で発表しました

2014年度建築学会大会が9月12日(金)から14日(日)まで、神戸大学で開催され、私は、共同研究者として2つの発表に参加しました。

12日の床衝撃音の分野で、神奈川大学の廣瀬君の発表『Helmholtz共鳴器を有する高性能乾式二重床の開発その3 共鳴器構造1ユニットでの基礎実験』、また13日の、あと施工アンカーの分野では『静充填型あと施工アンカーの実用化に関する研究 その1からその5』の一連の発表の内の最後、『その5 試験体における騒音振動測定結果』と題する水上さんの発表です。

Helmholtz共鳴器を有する遮音二重床は、床衝撃音が10dB改善できる二重床で、数年ほど前に開発し、現在は施工性・コストの面からの改良を目指しています。現在UR都市機構、神奈川大学、江尻建築構造設計事務所、そして当社の共同で実用化に向け実験を行っています(実験は、神奈川大学およびUR技術研究所で実施)。

主の目的は、数十年前に建設された集合住宅の改修をする際に、当時の薄いスラブの床衝撃音を改善することにあります。
当時の平均的な110mm厚のスラブでは、重量床衝撃音(タイヤ)ではLH-70ほどになります。それを開発中の遮音二重床によって、LH-60ほどに改善することを目標としています。従来の二重床のほとんどは、施工後に素面よりも重量床衝撃音が大きくなってしまうため、開発が急がれます。

同様に、静充填型あと施工アンカーも集合住宅の耐震改修に適応できるように開発を行っています。私の方の発表では、この工法は騒音・振動を低減しているために居住しながら(居付)改修を行えると紹介しています。
従来型のハンマードリルと、ドリルでコンクリートを削り取るタイプ(コアドリル)では騒音が25dBAほど違います。2軒隣の住戸では45dBAを下回るほどで、人が住みながら工事をすることが可能です。

また明治大学中野キャンパスで行われた、騒音制御工学会の秋の大会(2014年秋季)大会でも神奈川大学の安田先生の発表に、共同研究者として参加しました。
9/18午後の、新しい騒音・振動対策技術と適用事例の分野で、『Helmholtz共鳴器を有する高性能乾式二重床について』と題して、その理論的な面を考察しています。