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2023/01/23

中世ヨーロッパの音律の純正律は何で必要になったか?

 先日(1/15)NHKEテレのクラシック音楽館で演奏された西村朗作曲「2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー」は、その演奏前に、わざわざ雅楽が演奏されて、そのなかで笙と龍笛は同じ旋律だけど音の高さが異なるため、同時に演奏するとヘテロフォニーの音がすると紹介していた。ヘテロフォニーとは、同一の旋律を奏でる様々な奏者や歌手が、任意で別々に動いたり、リズムやテンポを微妙にずらしたりすることで、異なった装飾や音型が生じ、偶発的に瞬間的なポリフォニーを生ずるようになったものをいう。ピアノは一つの鍵盤に3つの弦があり、一台のピアノの音でも細かく言えば多少それぞれが異なる音を響かせている。それを連続的に速くたたくことでヘテロフォニーが生じやすくなるという。ピアノは現在、平均律で調律されているが、このような演奏によって新たな響きが得られるようだ。これは現在の音律についての新しい動きであるが、ピタゴラス音律から中世の純正律をへて、現在は平均律に変化している。しかし中世ではどのような問題があって、ピタゴラス音律が純正律に変更されたのか考えてみた。20221215日付けの「音律を含む音に関する歴史年表」のブログでは、中世の音律について以下のような事を書いた。

15世紀ごろ、イギリス・アイルランド地方で生まれたケルト人の音感覚では純正に協和する状態(5/4の比率)を三度とした。ピタゴラス音律の三度は81/64という比率となり、不協和音程と扱われていた。中世ではピタゴラス音律は、八度、五度、四度の三つだけが協和音程とされていた。この新たな音程の三度で、豊かな甘美な響きが生み出された。

15世紀、スペインのバルイトロメー・ラモスは純正三度の5/4の比率を含む純正調という名の音律を考案した。この音階ではピタゴラスの音階もいくつか含まれているが、第三度音(5/4)、第六度音(5/3)、第七度音(15/8)が決定的な違いがある。ルネッサンスの気運。十字軍がトレドにあるアラブの図書館を奪還して、作曲家のツァルリーノは中からプトレマイオスの「和声論」のテトラコードに出会い、ラモスの音律と同じあることを発見した。また和声的な分割方法はモノコードの操作を通じて、倍音の存在が予見されていた。

1523、ピエトロ・アーロン(14801545)、イタリアの作曲家、ミーントーン(中全音律ともいう)を発表。ミーントーンでは三度をいかに純正な音程(5/4)に保つために純正五度の音程をすこしだけ狭くしたもので、唸りのない純正音程を微妙にずらすことをテンペラメント「Temperament」という。ミーントーンでは適用できる調の範囲も広がり、協和と不協和の際立った関係の中に置くと、「感情過多様式」と呼ばれるバロック末期の独特のスタイルが生み出される一因となった。ヘンデルをはじめ、バロック時代の多くの作曲家たちに愛用された。

1722ヨハン・セバスチャン・バッハ(16851750、ドイツ)平均律クラヴィーア曲集(1722)、正確にはThe Well-Tempered Clavierで、平均律ではない。ミーントーンのもつ機能上の側面を改善するためにウエル・テンペラメントと呼ばれるさまざまの音律がドイツを中心に考案された。ミーントーンとしばらくは共存していた。また純正調の流れをくむ純正三度を基盤としたミーントーンと、純正五度を基盤としたピタゴラス音律の二つを併せ持つ音律として、数多くのウエル・テンペラメントが生み出された。この18世紀のバッハの頃にはヴェルクマイスターやキルンベルガーやヤングという人の名が、音律の名称となっている。

またこの時代、新しい大きな教会ができ始める。

●ノートルダム大聖堂1250年完成、1099年第一回十字軍がエルサレム奪還に成功し、12世紀において教会は王をもしのぐ絶大な力を手にした。最初期のゴシック教会といわれるパリのサン・ドニ教会(11941220)、シャルトル(11941220)、アミアン(12201270)、ノートルダム大聖堂完成が1250年。

サンタ=マリア大聖堂1436 フィレンツェ、ルネッサンス様式の建築,教会の名は「花の(聖母)マリア」の意。巨大なドームが特徴の大聖堂は、イタリアにおける晩期ゴシック建築および初期ルネサンス建築を代表するもの。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大]である。ピサやシエナの大聖堂建立に触発されてこれを凌ぐ規模の大聖堂の建設が計画された。1418819日、ドームの模型公募の布告が行われ、ブルネレスキは、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提出した。142087日、建設が開始され、1434830日にはドーム頂頭部の円環が閉じられて一応の完成をみる。

内部空間のある劇場の歴史も始まる。

1584 テアトロ・オリンピコ  観客席は半楕円形で、構造はローマ劇場に倣っている。

1587最古のオペラ「ダフネ」が上演されたギリシャ神話を題材とした最初のオペラとされている。

1598 シェークスピアのグローブ座開設

1605ドン・キホーテ セルバンテスによる世界で最初の近代小説ともいわれている。

1618テアトロ・ファルネーゼ 観客席はU字型をしていて、4500名収容したとされている。近代劇場におけるプロセニアムの型式がはじめて登場した。

1628 Almagroの劇場 Taberna del Toroという宿屋に劇場が併設された。現存する世界最初の木造の芝居小屋ともいわれている。

1637サン・カシアーノ歌劇場最初のオペラハウス開場。現在使用されている最古のオペラハウスはナポリのサンカルロ劇場である。オペラがローマから、宮廷や個人の邸宅で音楽が行われる伝統のなかったヴェネツアに輸出されて初めて、それは大衆にも手の届くものになった。

1600年前後に、シェークスピアやセルバンテスが活躍して、それぞれが活躍する形の劇場、舞台とそれを囲む2層ないし3層の客席の劇場がたくさんでき始めてきた。いずれも中央の平土間の上は屋根がないものであった。しかしテアトロ・オリンピコをはじめとしたオペラハウスにつながるような劇場については、平土間の上にも屋根ができている。平土間の上に屋根のない状態から、屋根ができて、空間が閉じられるようになると、響きの状態も大きく異なるものと思われる。

 中世の音律の特徴は美しい和音が構成できること。何故、美しい和音が必要となったかについて、建築空間と何のつながりもないと思われるかもしれないが、仮説として、上記の歴史の中にあるように、12世紀ごろ大きな空間を持つ教会ができて、美しい和音の讃美歌が歌えるようになったこと、オペラ劇場が16世紀に完成したが、その前に美しい歌声が出せる空間ができ始めている可能性がある。オペラの歌声は、演劇のセリフと違い、また日常の話し方とは全く違う大声の歌で構成されている。このような歌を響きの良い空間で歌うことが、オペラの条件になっているものと思われる。

 わが両親のお墓がある馬込の善照寺の本堂は、何十年か前に立て直されて今はコンクリート構造となっている。お釈迦様が祀られている本堂の内陣部分は、床が一部畳となっていて、そこでお坊さんがお経を唱える。我々がいる外陣部分は床全面が畳であるが、内陣および外陣のその他の部分は音の反射性の材料で仕上がっている。したがってそれなりに響く空間となっている。場合によっては二人のお坊さんが高音部と低音部を分けてお経を唱えて合唱すると、とてもきれいな和音が生じている。この現象が以前からあったものか、訓練されて自然にできるようになったのかはよくわからないが、その他のお寺では、声明を何十人かで唱えるととてもきれいなハーモニーになっているところもある。このような仏教寺院の歴史も、室内音響と関係があるのか知りたいところだ。

2023/01/17

Zoorasia(横浜の動物園)に散歩

 2022.12.28(水)、 息子夫婦がZoorashiaに行くというので、我々夫婦もお邪魔させてもらった。車で行けば30分もかからずに行くことができて、この荏田から考えるととても近い。学校は年末で冬休みになっていると思うけれど、平日のために、駐車場はがら空きであった。ここは上野動物園と違い、下図のようにとても広く、動物たちが強いて言えば森の中に住んでいるような感じでできているために、とても自然に感じることができる。しかも水平距離でも1kmを超えるために、適度な散歩になる。印象に残った動物は象で、バケツがすぐに一杯になるような糞をしながら歩いていたが、神聖な象というより、非常に身近な象と言った感じで好ましく思った。

 

2023/01/08

磐梯熱海旅行

 息子夫婦が仕事で郡山に行くので、旅行のいいチャンスと思い、車に乗せてもらいました。日程は20221220日(火)~21日(水)で、2時半に郡山について、家内とは磐梯熱海にあるホテルに電車で向かいました。磐梯熱海は郡山から会津若松に向かう電車の丁度中ほどあたりで、峠に当たるところでした。そのためか郡山では雪がないのに、ここではすでに30cmほど積雪があり、一面雪景色となっていました。以下の写真は「華の湯」というホテルのロビーから庭を撮った写真です。ちょうどホテルの前で山から来た川が、郡山方面と会津若松方面に分かれる分水嶺となっているようです。

                                                写真 磐梯熱海の雪景色

翌日は白河にある南湖公園および南湖神社に行ってきました。南湖公園は1801年に築造され、南湖神社は1922年に渋沢栄一の援助によって創建された、松平定信を祀る神社の様です。隣接して南湖公園があり、中央には翠楽苑(すいらくえん)という和風の建物があり、中ではお茶を楽しむことができるようです。美しい庭園でしたが、年の暮れで、普通の日のために、お客さんはほとんどいない状態でした。

お昼ご飯は、この辺りは大部分が休日になっているようで、那須高原南が丘牧場まで行き、中にある  お食事処庄屋で、食事をしました。建物は近くの庄屋の建物を移築したと言っていました。写真に示しました。

                                                  写真 南湖神社入り口

                                               写真 南湖公園の翠楽苑

 

                                                写真:お食事処庄屋の内部



2023/01/03

2023年の正月の剣神社でのお囃子 

 202311日元旦に、11時から3時まで剣神社で、お囃子および獅子舞をしてきました。剣(つるぎ)神社で、何十年か前に、正月の夜中0時過ぎて、新年のお囃子を始めたら、苦情が来て中止になり、それ以来、倉庫のような神楽殿は使われていないようです。今ではその神楽殿は床が抜けそうになっていて、使われていないようです。今回は、神楽殿は使わず、地面の上に茣蓙を敷いて、お囃子の舞台としました。したがってここ剣神社でお囃子をするのは何十年かぶりです。剣神社は高台にあり、お囃子の音が相当遠くまで伝搬するためか、参拝客は、本殿から階段の下まで、並んでいて、いつもより多いようです。これはお囃子の効果かもしれません?さらに騒音の苦情が来ないことも祈っています。

 剣神社は多分剣がご本尊の様ですが、剣とは勇ましい名前ですが、多分剣とは土木作業のことを意味しているのだと思います。つるはしやスコップで、近くを流れる早淵川の治水をして、洪水を防いだのだと思っています。以前、この周辺は今もそうですが、稲作が盛んでしたが、同時に洪水も頻繁に起きていたようです。したがって私はいつもこの神社で、自然災害が無いようにとお祈りしています。

                写真:お囃子の演奏風景

                写真:獅子が子供たちと遊んでいるところ

12日に、たまプラーザテラスでの都築太鼓を聞きました。超大太鼓も含めて、演奏そのものは素晴らしかったけれど、ちょっと太鼓の連続音がいくさの陣太鼓の様で、勇ましく感じたため、平和を願う雰囲気の正月らしさではなかったように思います。大太鼓の打ち方は府中の超大太鼓のように何秒かに1回たたくような、ゆっくりした打ち方もあって、これもゆっくりとした雰囲気になりますが、とにかくこの日は正月なので「トロイメライ」のような、ゆっくりとした曲もあってもいいように思いました。もう一つ篠笛を2本で演奏していましたが、二つの音が重なって、唸りが発生していました。これを気にする人は気にするので、できれば1本の方がいいように思いました。

                写真 たまプラーザテラスでの都築太鼓の演奏