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2010/12/17

銀座ヤマハホールでの久元祐子ピアノリサイタル

12月1日に久元祐子ピアノリサイタルを聴きに銀座ヤマハホールに行きました。
銀座ヤマハホールは今年の春オープンしたコンサート専用のホールで、シューボックスタイプのコンサートホールです。シューボックスタイプの大きな特徴として、ウイーン楽友協会ホールやボストンシンフォニーホールに代表される音の良さがあります。その理由は残響の長さとともに、強い側方の初期反射音が得られるからとも言われています。
前回のブログでご紹介した清瀬けやきホールもその考え方を使っています。しかし、側方反射音があまり強くなると拡がり感が得られるだけでなく、音の像を大きくしてしまい、ピアノの音が、舞台一杯に拡がって不明瞭に聞こえてしまうこともあります。その欠点をなくすために、ヤマハホールでは、初期の側方反射音を与える壁の部分を拡散壁にしています。おそらくその効果が効いていて、ピアノの音ははっきりとピアノから聞こえてきます。

今回のコンサートは、ベートーベンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」を中心に構成されていました。最初の曲は、アンダンテ・フォヴォリという曲で、もともとはこのワルトシュタインの第二楽章だったのが、長すぎたために独立させて、新たに2楽章を書き直したそうです。そのほかベートーベンの影響を受けたシューマンやショパン、シューベルト、R・シュトラウスで、ロマン派の曲です。久元さんのピアノは情感がこもっており、穏やかな気持ちになります。
今までは久元さんのリサイタルは東京文化会館小ホールで行われていました。東京文化会館小ホールは四角の形ですが、舞台がその一つの頂点にあり、観客席側に側方の初期反射音をもたらしにくい形をしています。しかしそのためか音が明瞭で、ピアノの演奏家には好まれているようです。今年は新しくできたヤマハホールでしたが、その雰囲気を残しながらも、響きもあるホールです。このような新しい音響設計法が今後どのように発展していくかも気になります。

2010/12/13

清瀬けやきホールの清瀬管弦楽団によるオープンコンサート

2010年12月12日(日)、清瀬けやきホールにて清瀬管弦楽団のコンサートがあり聴いてきました。従来、清瀬市民ホールという名称で親しまれてきたホールですが、2009年一旦クローズして2年間リファイン改修が行われ12月5日に清瀬けやきホールとしてオープンしました。こけら落とし公演は、日本フィル金管5重奏により行われ、12日は地元で活動している清瀬管弦楽団によるコンサートでした。

清瀬けやきホール


 リファイン改修にあたって、弊社は音響設計を担当させていただきました。音のリファイン改修の一番の目玉は、側方からの初期反射音が得られるように、1階席の舞台両側の客席を2階に持ち上げてバルコニー席とし、1Fの舞台脇に壁を設置したことです。かつて平土間客席であった客席を、1F奥の客席下にトイレを設置することでスペースを確保しつつ客席の勾配を上げ、その分舞台が見やすくなり、また直接音が到達しやすくなりました。その直接音をバルコニー席からの初期反射音が補強します。扇型の多くの多目的ホールの弱点を改修したものです。

バルコニー席の様子

客席の勾配

当日は無料で、さらに先着順のために、1時間半前にロビーに到着しましたが、すでにお客さんは20~30名ベンチに並んでいました。約1時間前にチラシを配り始めたときはもうたくさんの人が並んでおり満席になりました。
コンサートの始まる前に、舞台で2~3名のコントラバス奏者が練習をしていました。その音がやけに近くに聞こえるのです。そしてコンサートが始まると、やはり目の前まで演奏音が迫ってきます。まるで舞台の中で聞いているような臨場感がありました。500席のホールでオーケストラを聴いたことがこれまでにないということもありますが、全く新しい経験でした。


また清瀬管弦楽団の演奏も素晴らしいものでした。清瀬管弦楽団は1958年の創立で、今回は44回目の定期演奏会で歴史があります。曲目はワーグナーのニュルンベルクのマイスタージンガーの前奏曲、ハチャトリアンの仮面舞踏会、後半はシューマンの交響曲第3番『ライン』です。前半は華やかな動きのある曲で、後半はのびのびとした曲でした。演奏者は62名+指揮者(松井 浩)です。楽団員が多いので舞台を客席側に拡張して演奏していました。いよいよ新しい動きが始まった感じです。たくさんの人にこのホールが使われることを願っています。

なおリファイン改修の設計は、青木茂建築工房、舞台技術は空間創造研究所です。

2010/12/01

神奈川芸術劇場の見学

日本建築学会文化施設小委員会の主催で、オープン間際の11月28日午後に神奈川芸術劇場の見学会が行われた。この建物はNHK横浜と神奈川芸術劇場の複合施設で、1~3階部分がNHK、5~8階が劇場および小ホールや練習スタジオとなっている。5階に劇場があるために、吹き抜け空間にらせん状にエスカレーターを配置して、登っていく雰囲気をドラマティックに演出されている。

外観

エスカレーター



ホールと名付けられているこの劇場は1300席であるが、できる限り舞台に近いところに席を設けようと考えられて設計され、オペラ劇場のように3層に客席を配置している。またプロセニアム劇場でもあるが、そこからいかに可変できるかも主要なテーマとなっている。客席は、勾配をほぼ平らの状態から、後方を2階席の先端につなげられるように可変できるようになっている。この勾配は、かつてピーターブルックのセゾン劇場での公演のときにつくられた仮設の観客席の勾配に近いもののようだ。ギリシャの野外劇場エピダブロスの勾配はさらに急勾配との説明が、設計者である香山設計の長谷川さんからあった。華やかなすばらしい劇場空間と感じた。



1階席後方が持ち上がり2階席に続く


見学会の後、設計者の長谷川さん、アプルの大野秀敏先生、館長の眞野純さん、舞台技術の草加さん、舞台美術の堀尾さん、横浜を代表してBankArtの池田さん、司会の東北大学の坂口先生によるパネルディスカッションがあり、それぞれの方の設計意図や意見や抱負が語られた。最後に池田さんより、この劇場に関して少し否定的な意見が述べられた。1階は町に開かれていなく閉鎖的であること、また横浜の一等地といえる場所に、このような重構造の箱モノを作ったことなどであった。パネリストの他の皆さんも、このことに関しては前向きな見解を述べられず、館長からも公共劇場についてあまり自信のない発言が出た。演劇の観客人口は低減しており、演劇が何を目指しているのかは本当に難しいという。しかし、私の見解では、おそらく池田さんのご意見は劇場の表面的な内容を仰っており、これに対して、この劇場は都市に開かれているし、NHKとの複合によって、多彩な人間がこの吹き抜け空間に賑やかにおとずれ、また人々を感動させる公演が計画されていったことを仰ればよかったと思うが、館長はおそらく劇場の本質論を述べる必要があると思われて、口が重くなったのではないだろうか。最後に観客席から名古屋大学の清水先生がご意見を述べられた。この劇場は非常によくできており、このような単なるべニア板でできた舞台床ができたのは、館長がプロだからと述べていた。ベニアであれば、大道具をくぎで固定したり、床に穴を開けることもできる。傷んだら容易に取り替えられる。それは演出表現が自由になることを意味し、確かにプロが使う劇場であり、高い理想を実現するためのものという感じを受けた。「演劇とは何か」を追求して、それが表現できるように設計されているように思う。この劇場に期待したい。

2010/11/30

渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホールの杮落し公演

2010年11月27日(土)10時半より、伝承ホールの杮落し公演があり行ってきました。伝承ホールの目的は、区民文化の伝承のためのホールであり、また優れた伝統文化のためのホールのようです。
プロデューサーの鈴木英一さんが御挨拶をされ、このホールは芝居小屋の雰囲気をイメージして作ったと仰っていました。舞台近くの両側客席には横に向いた桟敷席があり、花道もあり、それが客席中央手前で直角に曲がり壁の方に折れて鳥屋口があります。客席と舞台の一体感があり、芝居小屋の雰囲気が出ていました。

杮落し公演は、渋谷区の伝説的ヒーローである渋谷金王丸(こんのうまる)にちなんだ内容で、渋谷金王丸伝説と出して、祝言「寿金王桜三番叟」、新作カブキ踊り「KONNOMARU伝説」、「渋谷カブキ音頭」、最後に「かぶき体操」でした。出演は、渋谷金王丸に市川染五郎、渋谷川の川神に尾上青楓、桜の精に尾上京、常磐津は和英太夫(鈴木英一)、三味線は菊与志郎。カブキ音頭以降は、公募で選ばれたワークショップの皆さんでした。御隣に座っていた方が、染五郎は金王丸に似ていると仰っていました。どこのどなたにですかと聞きなおすと、金王八幡にある像だか絵にある金王丸だそうで、金王丸が身近になりました。今回の出し物で圧巻だったのは新作カブキ踊りです。ラップのケーダブシャインや菊与志郎のエレキ三味線やドラムなどのロック系の音楽で、新しいリズムで踊りまくるものです。カブキ踊りとは染五郎が歌舞伎の原点を見つめ直すために始めた究極の娯楽スタイルとのこと。非常に面白かったです。劇場も芝居小屋をイメージして、ある意味演劇空間の原点を見つめ直したものであり、公演の内容も原点に戻ってのものでした。



最近読んだ本の「シェイクスピアとエリザベス朝演劇」に、1596年ロンドンにある劇場スワン座に訪れたオランダ人がその雰囲気を表現した文章がありました。少々長くなりますが引用いたします。
「中に入ると、木造三階建ての桟敷にとりかこまれた平らながらんとした露天のたたきに出る。これが平土間であった。人間の高さの舞台には、超自然的人物たちを地中から登場させる上げ蓋が仕切ってあった。囲いを背にして、舞台は平土間の中央に四角に突き出ており、その両側にはまだ空間が残っていて、他の平土間席と同じく、立見客を入れることができた。舞台奥の貴賓席と呼ばれる一種の桟敷は、俳優の共同部屋(楽屋)の階上にしつらえていて、そこに陣取った観客は、役者を背後から眺めることになった。それでもここは名誉ある席であった。というのは椅子席でもあったし、またここにいればまわりの不愉快な連中から隔離されていたからである。こうしたわけで、俳優たちは周りじゅう、観客にとりかこまれていたのであった。」(引用)
これは、ほとんど江戸時代の芝居小屋と同じ風景であり、舞台と観客の一体感のある空間が演劇空間の原点といえるものだと思います。

2010/11/29

平河町ミュージックスのコンサートを聴きに行きました

平河町ミュージックスは、安井平河町ビルの1階のロゴバという家具屋さんのショールームで行われているコンサートです。2010年11月26日は「漆原啓子 瀬木理央のヴァイオリンひとつとふたつ~点と線」でした。
このショールームは2層吹き抜けの空間で、一部2階がその空間の中に宙に浮いた半島のように張りだしており、客席空間がその2階のために分断されています。舞台空間は設定されているのですが、お客さんが、どちらが正面ですかと聞いている場面もありました。
最初の曲はバッハの「パルティータ第3番」で、その半島の様な2F部分から突然演奏が始まりました。演奏者は見えない状態で上から音が聞こえてくるという演出です。
最初の曲の演奏が終わると1Fに降りてこられ、バッハの曲が天国から聞こえるようにと考えてそうしたとのこと。なるほど面白い空間だと思いました。
次はイザイの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番」、バッハの先のパルティータの引用から始まる音がちりばめられたような曲です。つぎの2曲はプロコフィエフの「二つのヴァイオリンのためのソナタ」と武満徹の「揺れる鏡の夜明け」で、珍しいヴァイオリンデュオの作品でした。こちらがコンサートのタイトルである点と線の線にあたるもので、急に音楽空間をイメージできるようになります。最後の曲は高橋悠治の「七つのばらがやぶにさく」でした。
この空間はショールームですから2面は大きなガラス張りで外からよく見えます。周辺の人には大変便利で、音楽を身近に感じられるコンサートです。曲目も刺激的な選択で、演奏者も演奏も素晴らしかったです。その場で販売されていた小沼純一著「無伴奏」を購入して帰りましたが、そのほぼ真ん中のページにイザイの写真が載っています。なんだか町の大工職人のような風貌で、繊細な曲を作曲した人のようでなく、親近感を覚えました。

コンサート会場の様子

話は変わりますが、わが事務所の近くにトヨタカローラ神奈川荏田店のショールームがあります。車のことでよく伺うのですが、そのショールームもコンサートには大変良い空間といつも勝手に思っており、今回のコンサートでそれをさらにイメージすることができました。このあたりを活性化させるために何かできないかといつも考えています。トヨタ荏田店の場所は、かつての大山街道の荏田宿の起点の様な所で、荏田商店街の端にあたり、道路の向かいにはデイケアセンターもあり、人が集まる理由もありそうです。

球形ピアノ室-音響技術の挑戦

現在、浜松市にて「○と□計画」として、ピアノ室付きの専用住宅の建設が進行しています。○は球形のピアノ室を象徴し、□は住戸部分を表しています。球形のピアノ室とのことで、音響設計のご相談をいただきました。
今年7月から着工し、ようやく○の部分の型枠が外れ、内外とも球形の空間が現れ、11/25に音響測定を行いました。外部は、建築家大野さんのブログにあるように球形のピアノ室と長方形の住宅がバランスよく、かわいらしく、すでに町に溶け込んでいる感じです。横を通った高校生たちが、ガヤガヤと浜松にフジテレビが出現したと騒いでいました。

内部空間は、自分の話声が耳の周りで拡大して聞こえるブーミングや、壁の端で話した声が反対側の壁のところで鮮明に聞こえる「ささやきの回廊」現象などがはっきりと見られました。このままで音の博物館にしたいという声が出たくらいです。

この空間を、どうピアノ室にするかは音響技術の挑戦といってもよいくらいです。しかし試しに吹いてみたサックスの音は、豊かな残響のために気持ちよく感じます。音響設計のポイントは、この残響感を残して音響障害を取り除くことにあります。しかも大野さんのデザインを生かしながらの音響設計です。12月末には竣工予定です。

◯と□外観

音響測定の様子


2010/11/05

つくば古民家でのコンサートに行ってきました

2010年10月31日(日)17時半、第7回つくばフクロウの森コンサートがありました。
タイトルは「西村佳子 メゾソプラノリサイタル」、ピアノ伴奏は江澤隆行さんです。昨年の今ごろにも同じメンバーでコンサートがあり、ブログで紹介させていただきました。
江澤さんが、最初はスカルラッティの「すみれ」という曲で、300年前の古い曲ですと説明され、この家はそれより30年も古い時代にできたのです、とおっしゃいました。なるほどこの古民家は古いと感心したものです。
前日(10/30)は、台風14号のために大雨、当日は小雨交じりの良くない天気でしたが、ほぼ満席となっていました。
前半はオペラのアリアを、後半はポピュラーソング中心の内容でしたが、とくに前半のカントルーブ作曲の「かっこう」がカッコウの鳴き声をまねたとてもかわいらしいものでした。
会場は、床は畳、主な壁は襖と障子なので、ホールの様な響きはありません。ですが、土壁やガラス障子や天井からは反射音が来ているはずです。歌手は目の前3~4mのところで歌っていますが、歌は明瞭で、細かなニュアンスも伝わってきます。私は、歌手にとっては響きや返りの点が気になっていましたので、このような場所でも大丈夫かと講演後に江澤さんに聞いたところ、歌いやすいとのことでした。観客と一体感があって、このような場所は素晴らしいとおっしゃっていました。江澤さんの話や西村さんの歌を聞きながら観客が盛り上がっているのを見て、観客も舞台と一体化していると感じていました。とても満足して帰りました。

このコンサートは、つくばの地域計画の一環として行われているようで、もう7回にもなります。また次回は、11月20日、21日と「つくば田園都市居住シンポジウム」が開かれる予定で、そのあとにピアノ三重奏のコンサートも計画されているようです。



私も関係している「横浜ふね劇場をつくる会」では、鉄の艀による「ふねの劇場」ができてはいるのですが、市民活動の力及ばず、公共の海に常時浮かばせることができず、年に1回、1か月の限定で海上での公演の許可を受けられることにはなっています。しかし、ふね劇場を艀だまりの山下埠頭から公演できる場所に移動したり、公演のための発電機などの道具を借りたり、舞台設備の操作のための人件費などの公演の費用が捻出できず、これまで1度しか公演が実現できていません。やはり常時決まった場所に置けて、絶えず練習や公演ができるような状態でないと使いこなせないような気がします。

1981年に中村川に木造船を浮かべ、横浜ボートシアターが旗揚げしました。おはこの「小栗判官照手姫」が評判で賞(1984)をいただいたり、横浜水辺賞(1984)1や横浜文化賞(2001)などをいただいているのですから、横浜には貢献をしているはずです。しかし、実績が継続され積み上がっていません。つくばフクロウの森コンサートのように、町おこしの手段となるよう実績を積み上げるしかないのだと想います。ふね劇場も、同じように観客と舞台が一体化できる空間で、音響的には音楽も演劇も可能な空間です。しかも港横浜の象徴ともなれる存在です。来年2011年には公演を計画しています。再出発です。

2010/09/14

日本建築学会2010年北陸大会にて発表しました

日本建築学会北陸大会は、9月9日(木)から11日(土)まで、
富山市の富山大学で開かれ、私の発表は11日の午後4時半から5時までの
最終日の最後のセッションでした。

一昨年、昨年にひきつづき、
「木造芝居小屋の音響特性 その3-
康楽館、ながめ余興場、相生座、村国座、 呉服座、旧広瀬座の例」
として発表いたしました。

調査の目的は、以下。
・邦楽にとって、好ましい音響空間を、伝統芸能を育んだ木造の芝居小屋を通して検討すること。
・現在では数少なくなった芝居小屋の音響特性をインパルス応答の形で保存すること。

残響時間、音圧分布、RASTI、音響インパルス応答を測定し、音響シミュレーションを行ない、音楽・劇場関係者に聴感アンケートを行ないました。
その結果、朗読および三味線と篠笛などの邦楽器による音楽は、芝居小屋や歌舞伎座のような、残響の少ない劇場が好ましいと評価されました。

発表パワーポイント資料はこちらからダウンロードできます(約5.8MB)。


建築学会の参加者が非常に多いため、富山ではホテルが見つからず、隣町の高岡で11日に泊まり、翌日は、高岡見物をしました。
ホテルの前には青銅の大仏があるので、見に行きましたら、その前の商店街で5時半から7時半まで朝市が開かれていて、その中の酒屋さんの配送用の屋根のある場所で、テーブルや椅子が用意され、コーヒーやスープが飲めるようになっていて、たくさんの人が座っていました。

あいにく大雨で、いつもより朝市のお客さんが少ないと話をされていました。
大仏のあるお寺では、ご婦人たちが10名ほどで謡曲の練習をしていました。
高岡は古い町で、奈良時代は、歌人大伴家持が、越中の国府を治めていた(天平18(746年)から5年)ようで、その時に読んだ和歌がたくさんあるとのこと。
江戸時代は前田家の城であった高岡古城公園では、10月1日から3日まで、3日3晩徹夜で万葉集全20巻のすべての句を市民が朗唱するイベントもあります。
また奈良時代に国府があった雲龍山勝興寺は、ギリシャのパルテノン神殿の様に建物周辺に柱があり、風格のあるとても素晴らしいものです。現在は庫裡を大規模な修繕工事を行っていました。

また前田家の菩提寺の曹洞宗の瑞龍寺が、高岡駅の近くにありますが、美しい伽藍配置と建物で、感動しました。
(残念ながら、デジカメを忘れ携帯で写真を撮りましたので、ぼやけてしまいました。)


2010/08/04

平井先生の講演会「復元するということ -東京駅はそのまま復元してはいけません-」

2010年7月28 日(水)東京工業大学(緑が丘講義棟)で平井聖先生の講演会が開催されました。平井先生は、建築史、とくに城郭建築がご専門で、NHK大河ドラマの時代考証のご担当としても有名です。今回「復元」をテーマに講演とのことで興味があり、聞きに行くことにしました。

講演は、城郭建築でも奉行所の復元(お白洲のある裁判所、実はお白洲には屋根がある、一般のテレビドラマの空の下のお白洲は嘘)などの実例を説明され、最後に本題の東京駅の復元のあり方について、ご説明されました。東京駅周辺の、現代と全く違った明治時代の風景などを紹介され、そしてご自身でコンペに出品され佳作になった案についても触れ、ご説明されました。

東京駅は日清戦争がはじまった頃に建設が始まり、第二次世界大戦で焼失した軍国主義の象徴の様な建物であるから、復元の仕方としては、半分は建設当初のもの、半分は原爆ドームのように空襲で焼失した状態を復元し、敗戦の証としたいという内容でした。
私は、東京駅の復元について、もう少し当初の建設状態に忠実に行うべきといった話だと想像していたため、このような考え方もあるのだと感心をいたしました。
このように歴史や建築に対する基本的な考え方によって復元の内容が大きく異なってくることが理解でき、その奥深さを感じました。

私も、ここ数年芝居小屋の音響調査を行っていたため多少建築史に近い研究をしたと思っていますが、音響空間の建築史という分野も必要ではないかと思い始めているところです。
機会があれば、平井先生にこのようなお話をしたく思いました。

2010/07/12

ブブゼラの音

ワールドカップサッカーが、本日スペインの優勝で終了しました。
今大会、非常に印象的だったのがブブゼラの音でした。最初に聞いた時は、なんと威嚇的な音だろうと感じました。南アフリカの伝統楽器ということですが、この楽器でどのような音楽を演奏するのだろうか、サッカーの試合にもうるさくて邪魔ではないかと思いました。しかし、テレビでサッカーの試合を見ているうちに、その違和感が薄れてきました。しかも7月8日の朝日新聞の朝刊に、元NHKアナウンサーの山本さんが「選手がいいシュートを放つと、一瞬、ブブゼラの音が途切れ、再びブーブーとなる。うねりのようなものが自然に作られている。アナウンサーは、その波を体で受け止めて、しゃべることができる。」と好意的な意見を書かれていました。

ところで、日本にもこのような楽器は無いかと考えていたところ、6月23日の朝日新聞朝刊の「青鉛筆」の欄には、ブブゼラによく似た楽器として、秋田県立博物館に展示されている祭礼道具の「木貝(けや)」が紹介されていました。長さ55cmの木製のタケノコのような円錐形の形をしたもので、「ブオーン」と響くと書かれています。今も秋田県内の祭りに登場するとのことです。

そしてさらに似たものを発見しました。一作日(7月10日夕方)のことですが、池袋近くの護国寺で四萬六千日法要があり、その前に黒沢博幸氏による津軽三味線の奉納演奏が本堂で行われるとのことで、それを聞きに行きました。津軽三味線の始祖「仁太坊(にたぼう)伝説」と題し、仁太坊の生い立ちや、津軽三味線の演奏法があみだされた背景などを説明されながら、演奏が行われました。本堂は満席で、津軽の風景が浮かぶような素晴らしい演奏でした。その後法要が始まり、お坊さんたちが入場する際、また法要の合間、そして終了するときに、ホラ貝の音が合図のように本堂の外でなっています。それを吹いているお坊さんに「ブブゼラの音のようですね。」といいましたら、なんと「全く一緒なんです。」という予期せぬ答えが返ってきました。吹き口を見せてくださり、トランペットのように口びるをふるわせて音を出す方法も教えてくださいました。ブブゼラと一緒ですとのこと。また、横で一緒に聞いていた外国の方も納得するように、うなずいていました。

2010/05/31

津軽三味線 黒澤 博幸のソロライブ「幻奏」を聞く

5月29日(土)17:00より、マスミスペースMUROで、津軽三味線 黒澤博幸氏のソロライブがありました。黒澤さんは、和太鼓+パーカッションと津軽三味線のバンド「天地人」のメンバーで、昨年、芝居小屋ツアーを行った際に、コメントを寄せさせていただいた関係で、このコンサートも知り、大変興味を持って伺いました。黒澤さんは、津軽三味線の奏法を考え出した仁太坊が1857年7月7日に生まれた青森県五所川原市金木で毎年開かれる「津軽三味線全日本金木大会」で、2002年から2004年まで3年連続「仁太坊賞」を獲得した若いけれど大物(1972年盛岡生まれ)です。

ライブの場所ですが、山手線の大塚駅から歩いて5~6分の表具屋さんの倉庫兼ショールームのような場所で、床は板ですが、壁は和紙で仕上がっており、天井は小屋組みと化粧野地板が見える、和風の空間で、行燈が照明となっていました。30~40名ほどが入れそうな広さです。私は最前列に座ったので、三味線から3mほどしか離れていません。ライブでは、仁太坊の生い立ちの説明をしながら、彼は「叩き奏法」を開発し、三味線を伴奏楽器から独奏楽器へ格上げさせたとのこと。 その「叩き奏法」から繰り出される音は、3mで聞くと大変迫力のある耳が痛くなるほどの音です。バチが、弦ではなく、胴の皮に当たって出される音です。バチは叩く場合と、返しながら弾く場合があり、また左手の人差し指と薬指で弦を爪弾く場合もあり、その4タイプを素早く組み合わせ、また弦の上を、指を滑らす場合とビブラートをかける場合やサワリの音も含めると繊細な音から握力のある音まで、大変変化があります。しかもJAZZの様に即興だそうです。またJAZZのようにパルシブな音です。三味線を弾きながらの民謡も素晴らしく、津軽三味線を堪能しました。

仁太坊が生まれた1857年(安政4年)は、明治元年(1868年)より11年前です。秋田県小坂町の芝居小屋「康楽館」ができたのは明治43年(1910年)で、それよりもずっと後です。邦楽器の演奏会が開かれるようになったのは、明治になってからといわれていますが、仁太坊は、その先駆けです。もっとも演奏会といっても、街を周って、家々の前で演奏する、いわゆる門付け芸人だったとのこと。津軽には芝居小屋はあったのでしょうか?

今回の収穫は、表具屋さんの和風のショールームで、素晴らしいコンサートが行われたということです。抽象的な雰囲気の多目的ホールでなく、はっきりと和の雰囲気のある場所で行われるのは、活き活きした感じになるものだと思いました。
 次回は2010年7月10日 東京の護国寺の四萬六千日法要の奉納演奏を「仁太坊伝説」というテーマで行うようです。またそれに先駆けて、7月3日に金木町の太宰治記念館と津軽三味線会館で、仁太坊生誕祭を行うようです。双方興味があります。成功をお祈りいたします。

2010/05/10

久良岐能舞台の地歌舞の公演

「日本の伝統芸能に親しむ 地歌舞の魅力」と題して、「山村楽千代 舞二十番への道(其の四)」の公演が5月9日(日)2時からありました。公演は、村尚也氏の解説と以下の3演目です。村氏によると今日は久良岐能舞台始まって以来の超満員ですとのこと。

演目

地歌舞 からくり的、山村楽千代、地歌(歌と三弦) 藤井泰和
地歌舞 狐の嫁入り、おどりの空間(5名)地歌はテープ
地歌舞 鉄輪(かなわ)、山村楽千代、地歌 藤井泰和、
    鳴り物 望月太意吉、望月太意三郎、福原 徹

こちらは庭園にガラス障子で開かれている能舞台ですが、今日は若葉もきれいなよい天気なのに、雨戸が閉じられており外が見えません。その理由は、狐の嫁入りの公演のときの暗転のためでした。真っ暗やみの舞台を、一列の小さい火が橋掛からにじり口まで横切った瞬間、狐が化けた花嫁姿の5名が舞台に立っていたり、真っ暗やみの中に狐がにじり口から顔を出したり、幻想的な雰囲気が醸し出されていました。また踊りもしぐさが狐らしく、とても楽しいものでした。
からくり的は、楊弓場(江戸では矢場といった)で的を射ると、仕掛けで天井からさまざまなものが落ちてきます。その落ちてくるもの、例えば武者や白拍子や羅生門の鬼などを踊りで表現します。また鉄輪は、奥さんが鬼に変身し、浮気をした夫の彼女を呪い殺そうとする話です。この二つは精神性や象徴性が強く、能のような所作表現のために高度に想像力が必要な内容です。地歌舞すべてがこのように象徴性(村さんは、見立てという言葉を使っていました)があるのかどうかはわかりませんが、現代の演劇でも通用する内容だと思います。

また隣に座っていた方は、この久良岐能舞台で謡曲と能を習っているそうです。学生時代に上京され、昭和26年歌舞伎座が再度オープンした時から歌舞伎座に通っていたそうで、しかも金比羅歌舞伎も面白いと教えてくれました。とくに金比羅歌舞伎は一晩泊まることが重要で、役者たちが行く飲み屋を見つけて、一緒に飲めると言っていました。もうおそらく80歳近い方ですが、お元気で、今年の祇園の都踊りも行ってきたそうです。しかもお仕事は、芸能関係ではなく、工学部卒の技術者とのこと。興味深いお話をいろいろうかがうことができました。また機会があればぜひお会いしたいです。

次回の公演は、6月13日(日)午後二時より女流義太夫です。これも面白そうです。また切符は完売になりそうですね。

2010/05/06

荏田の真福寺で12年に一回のご開帳

地元の荏田商店街から少し入ったところに真福寺というお寺があり、そこの虎薬師坐像の12年に一回の御開帳(寅年の四月)が今年で、4月8日から20日まで開催されるとのことで最終日4月20日に見てきました。

同時に国指定重要文化財で、鎌倉時代の作である釈迦如来立像も毎年この時期ご開帳とのことで、そちらも見ることができました。この釈迦如来立像は、境内のコンクリートの小さな収蔵庫に安置されており、寄木造で木目がとても美しく驚きました。
真福寺のご本尊は千手観音立像で、こちらは子の歳の四月に御開帳とのこと。残念ながら後10年見ることができません。こちらは神奈川県の重要文化財に指定されています。

私は荏田町に住んで22年になりますが、いままでこの御開帳のことは知らず、一度も見たことがありませんでした。今回、たまたま近くの野菜の直売所に寄った時に案内を見て知りました。とくに御釈迦様は、一度は拝んでおいたほうがよいと思われるほどの美しさでした。

我が家の住所は、開発される前は、荏田町字釈迦堂谷と言い、前の道路は釈迦道(しゃかんどう)と言っていたようです。しかし現在この釈迦堂はありません。真福寺の御釈迦様が、この釈迦堂と関係があるのか、またこの御釈迦様がいったいどこから来たのか、興味があります。
数え年で七年に一度(現在は丑と未の年)行われる有名な長野の善光寺御開帳はたくさんの人出がありますが、ここはひっそりとしていました。善光寺のように、真福寺も6年ごとに一度くらいの割合で御開帳があれば、忘れられなくていいかもしれません。またこのような催しにより、街を賑やかにすることができればいいと思っています。

2010/04/28

第26回四国こんぴら歌舞伎大芝居を見ました

4月17日の早朝、この時期41年ぶりの雪の中、四国の高松に向けて車で横浜を出発しました。午後2時に無事に琴平に到着、目的はこんぴら大芝居を見ることです。
こんぴら大芝居は、天保6年(1835年)に完成した江戸歌舞伎様式の芝居小屋、旧金比羅大芝居金丸座で、鶯のさえずる4月に毎年行われています(今年は4月10日~25日)。実際、劇場の中にいると、鶯の声が聞こえてきます。



午後の部は「通し狂言 敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)三幕」。敵討の話ですが、一幕も二幕も、裏切りや殺しなど暗い話から始まり、3幕目でようやくドタバタ劇が始まります。小悪人演ずる市川亀次郎が、平土間の客席の中で追いかけっこをしたり、梯子を持ち出して2階桟敷席まで登り、そこから舞台へひらりと飛び降りたり。その間、観客はやんややんやと笑い声がいっぱいになります。最後は無事敵討を果たすことができるという話で、このような形の劇場のよさを十分活かしていると思いました。

翌朝は、こんぴらさんの階段を数百段上り、金比羅宮大門を入った近くにある資生堂の神椿という素晴らしいデザインの喫茶店に入りました。コーヒーを飲み、その後歌舞伎の午前の部を見ました。3部あり、一部は義賢最後(よしかたさいご)、二部は棒しばり、三部は浮世風呂です。

義賢最後の公演の演出には度肝を抜かれました。追われる源氏の片岡愛之助演じる義賢は、妻や子供を逃がした後、平家に切られ血まみれになって舞台の上に仁王立ちした後、階段に向かって顔から棒のようになったまま倒れます。見ている方は、さらに血まみれになっているのではとハラハラします。二部「棒しばり」、主人が出かける留守の間、召使いが蔵のなかの酒を飲まないように両手を棒に縛られていますが、二人で力を合わせてその酒を飲んで踊る話で、非常にこっけいな話です。一人は中村翫雀(かんじゃく)、もう一人は先ほど顔面血だらけになったはずの片岡愛之助です。三部は、三助の話で、風呂を掃除していると大変美人のナメクジが出てきて言い寄ってくるのですがそこに塩をかけて撃退する話です。あり得ない話なのですが、気持ちが悪くおかしな話です。あんなナメクジなら出てきてほしいような妖艶なナメクジで、塩をかけられて消える時には花道のすっぽんからスーッと消えていきます。セリは人力ですからずいぶんスムーズに動いていました。
二日間なんと楽しんだことか。


数日前、ブログで紹介したM邸ピアノ室で試演会がありました。ピアノ、ヴァイオリンやソプラノやチェロの演奏でした。20名ほど観客がいましたが、残響時間が2秒ほどあるために、ソプラノの人は残響をうまく使いながら、それに声を重ねていくように次第に乗って歌っているように感じましたし、ヴァイオリンも艶のある素晴らしい音で響いていました。
金丸座の響きとは全く違う世界で、こちらも大変素晴らしい演奏会でした。

2010/04/07

M邸ピアノ室竣工

葛飾区のM邸に、ピアノ室が完成いたしました。建築設計はACT環境計画、音響設計をYABが担当いたしました。

設計にあたり、お客様からの要望は「大ホールで弾いているような豊かな響き」というものでした。しかし住宅ですからそれほど大きな空間ではないため、空間印象を左右する初期反射音は、直接音が到来してからせいぜい10msで到来してしまいます。そこで天井をできる限り高く(約9m)し、高さ1.8m以下の範囲は、屏風折れなどの形状で拡散性にして、強い初期反射音を拡散させるようにしました。ただし、この初期反射音は、ヴァイオリンの柔らかい音色を作りだすことに関係している可能性があり、拡散性の程度については注意が必要です。残響調整は、2Fの奥の壁にグラスウールを貼ることで調整いたしました。

残響時間は、空席でグラスウールがない状態の場合2.41秒/500Hz、グラスウールを貼った場合には2.28秒/500Hzと非常に長く、平均吸音率も0.08程度と非常に小さな値です。
竣工したピアノ室で、アルトサックスで音を出して確認を行った際には、グラスウールのない状態では、早いパッセージの音は若干濁った感じになりましたが、グラスウールを設けると濁りが無くなりました。音は教会のように上から降ってくるような印象があり、とても気持ちのよいものになっています。今後、壁面の本箱に楽譜などが入り、また観客が在席すると残響時間が多少短くなりますが、それでもとびきり残響の長いすばらしいピアノ室ができたと思います。近いうちに試演会が行われるようで、楽しみにしています。

先日新しくできた銀座のヤマハホールは、側壁を拡散形状として、初期の側方反射音を弱めています。似たような考え方ですが、おそらく目的は違います。シューボックス型の特徴は強い初期の側方反射音が得られ、音に包まれた感じが得られますが、そのためか音像の大きさが大きくなりぼやけてしまいます。確かにヤマハホールでは、音を聞いてみると音像がはっきりとしていてクリアのように思います。


2010/04/06

JATET 機関紙No69に木造芝居小屋の音響調査報告の記事が掲載されました

 JATET(公益社団法人劇場演出空間技術協会)の機関紙No.69に、「木造芝居小屋の音響調査報告」と題して、記事を書きました。
芝居小屋調査のきっかけから、調査結果報告、音響シミュレーションの聴感アンケート結果など。

本研究が「日本の伝統芸能・文化にふさわしい音響空間」を示すことができればと思っております。また、世界の様々な音楽に対して、研究の方法を示すことができ、そして今後の劇場ホールの設計にお役に立てれば幸いです。

この記事の続きは、先日の「JATETフォーラム2009/2010」にて発表いたしましたので、こちらの記事を合わせてご覧ください。

2010/02/17

JATETフォーラム 残響可変の変遷の発表

JATETフォーラム2009/2010にて、残響可変の変遷について発表を行いました。内容は下記になります。

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残響可変の変遷
藪下 満  有限会社YAB建築・音響設計


ここでは、残響可変の変遷について、舞台空間の可変、客席空間の可変、吸音可変、その他(残響室、電気的システムなど)に分類して述べる。参考文献は主に雑誌「音響技術」によっている。

1.音響反射板等による舞台空間可変

ここでは主に舞台空間にある可動音響反射板による残響可変について述べる。昭和56年発行の新建築学体系33 劇場の設計のP.265には、音響反射板は、「わが国に多く見られる多目的劇場、特に公共ホールの舞台に欠かすことのできない設備となっているものである。電気的拡声方法を用いないでクラシック音楽の演奏などの音声を客席方向へ集中指向させるための仮設壁面である。」。可動音響反射板は、いつ頃から、ホールに設備されたのかは、はっきりしないが、建築資料集成2(昭和35年)には、杉並公会堂の断面に可動の音響反射板が書かれている。この杉並公会堂は、昭和32年(1957)開館である。また日比谷公会堂は、昭和4年(1929)の開館であるが、主に公会堂として設計されているために、可動音響反射板は設置されていない。しかしフライズが小さく、舞台の壁も台形をしており、東京文化会館などが出来るまでは、東京のオーケストラコンサートの主会場であったようだ。その後、NHKホール(昭和46年(1973))では、オーケストラコンサートとオペラに対応するために、音響反射板を、残響時間の可変装置とし、満席時1.6秒から1.3秒に可変させた。その後、静岡市民文化会館、新宿文化センター(いずれも昭和53年(1978)開館)では、

舞台を完全吸音して、音響反射板を残響可変装置として、さらに意識して設計されるようになった。たとえば新宿文化センターでは、空席時で、設置時2.0秒幕設備時1.6秒と可変幅が0.4秒と大きくなった。それまでは、舞台空間がコンクリート素面のままということが多かったために、音響反射板の有無では、大きく残響時間が変化してはいない。その後、岩国市民会館(昭和54年(1979)などで、音響反射板有無で残響時間は、変化はするが、125Hzなど低音域では、残響時間が、設置時1.8秒が、幕設備時で、2.0秒と逆転する現象が多く見られるようになった。これはフライズの大空間が、吸音材が張られても、低音域の吸音に対しては十分でなく、残響時間を長くすることに影響し、また音響反射板は、低音域に対しては、吸音の役割をしてしまうためである。
また昭和54年開館の和歌山市民会館では、小ホールは、音響反射板の有無で、コンサート(空席時1.3秒)と邦楽用(1.1秒)と残響を調整している。
また主としてコンサートを目的としているが、オペラのために、重量物の天井の音響反射板をスライドさせて格納する方法が現れる。昭和58年の国立音楽大学講堂、昭和59年の洗足学園前田ホールである。 さらにオーチャードホール(平成元年1989)や滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(平成10年1998)のように、コンサートとオペラを両立させるために、フライズの空間を確保し、十分な音響反射性能を得るために、大規模に走行させて音響反射板を格納する方法が採用された例がある。また側方反射音を重視するようになったことから、音響反射板の天井板の高さが高くなったことも特徴のひとつである。
またアクトシティ浜松(平成6年1994)のように、多目的ホールであるが、天井の音響反射板の高さを高く設定するために、プロセニアムの高さも可変できるように工夫する例も現れた。
残響可変の変わった例として、伝国の杜 置賜文化ホールのように、舞台に能舞台を設置した時には、舞台空間が変化することで、残響時間も、音響反射板設置時、空席時1.5秒、能舞台設置時1.4秒、幕設備時1.1秒と変化させている。

2.客席空間可変による残響可変

客席空間を間仕切ることによって、残響を可変する方法の変遷について述べる。その多くが、2階席を1階席と可動間仕切壁で区切り、大ホールと中ホールに規模を変化させる方法である。昭和48年の加古川市民会館、昭和50年の八戸市公会堂、昭和51年の高知県民文化ホール、昭和52年の敦賀市民文化センター、昭和57年の土岐市文化プラザが、いずれも石本設計事務所による一連の設計で、2階席先端を可動間仕切壁で仕切る方法によっている。この中で、加古川、八戸、敦賀は、間仕切りの有無で、残響時間はほとんど変化していないが、高知では、大ホールの反射板設置時1.6秒、中ホール時1.2秒、土岐市では、天井に残響可変装置も装備されて下り、大ホール音響反射板設置時1.75秒、中ホールでは1.49秒となっている。
平成元年の水戸芸術館コンサートホールATMでは、残響時間の可変ではないが、天井を上下させて、客席への初期反射音の時間遅れを調節する機構がある。
また特殊な例として、平成10年の東京芸術大学奏楽堂で、オーケストラから邦楽までの用途があるために、音響反射板設置時、天井を上下させて、天井高さ10mで、1.8秒、15mで2.6秒と変化させることが出来る。

3.吸音材による残響可変

残響可変の最初の例は分からないが、今回の調査では、旧杉並公会堂(昭和32年)は、可動の音響反射板のほかに、蝶番つきの残響可変装置があり、可変幅が0.2秒であった。初期で、大規模な例としては、立正佼成会の普門館(昭和45年)で、5000名収容の宗教施設であるが、吹奏楽の全国大会が行われていることも有名で、天井からシリンダー状残響可変装置が設置されている。
残響可変装置は、吊り下げ式、蝶番による回転式、カーテン式、シリンダーによる回転式、スライド式などの吸音率を物理的に可変する装置のほかに、残響室(エコールーム)により、残響を付加する方法と、電気的に残響を付加する方法がある。
代表的な例として、サンプラザホール(昭和48年)は、建築的にデッドな空間をつくり、エコールームや電気的な残響付加装置を設置したもの、昭和49年のヤマハつま恋エキジビションホールも同様、半屋外のデッドな空間に電気的な残響付加装置を設置している。
吊り下げ式残響可変装置の代表的な例として、高知県民文化会館大ホール(昭和51年)および松江市総合文化センタープラバホール(昭和61年)がある。回転式では、札幌市教育会館大ホール(昭和55年)、つくばセンタービルノバホール(昭和58年)、スライド式では、中新田バッハホール(昭和56年)、カーテン式では、やはり中新田バッハホール、青山音楽記念館(昭和62年)の京都フィルハーモニー室内管弦楽団のホームグラウンドのホールなどがある。
またリハーサル時と本番の残響特性の変化を調整するための吸音カーテンが、東京オペラシティコンサートホール(平成13年)およびミューザ川崎シンフォニーホール(平成16年)がある。また舞台でピアノ演奏用に舞台周辺のライブネスを吸音材によって変化させているホールとして、カザルスホール(昭和62年)、岐阜メルサホール(平成3年)、ミューザ川崎シンフォニーホールが上げられる。
平成18年の新杉並公会堂は、側壁上部のグラスウールの幕および舞台上部の天井が90度回転し、幕類が下ろせる状態となり、残響時間もコンサート形式時、満席時1.9秒、講演時1.1秒と大幅に可変できるようになっている。

残響可変年表はこちらからダウンロードできます(PDF)。


  
  
  

2010/02/16

JATETフォーラム2009/2010にて発表を行いました

2月2(火)~2月3日(水)に、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)にてJATETフォーラムが開催され(JATET:(社)劇場演出空間技術協会)、 木造芝居小屋の音響特性について、および残響可変の変遷について、YABも発表を行いました。芝居小屋の音響特性についての主な内容は下記になります。

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木造芝居小屋の音響特性
The Acoustic Characteristics of the Wooden Playhouses
藪下 満
JATET建築部会・木造劇場研究会
有限会社YAB建築・音響設計

□はじめに
JATET建築部会木造劇場研究会(代表、建築家 山﨑泰孝)の中では以前より、「木造劇場は音が良い」という意見が多く聞かれていた。古い木造劇場の音がいいというのは、一般的に考えると不思議な印象がある。そこで全国各地にある木造芝居小屋の音響調査を行って、その理由を探ってみようと、神奈川大学建築学科寺尾研究室、および全国芝居小屋会議のご協力を得て共同で研究を始めた。
初年度の2007年度は、芝居小屋が今も多く残る岐阜県の常盤座、明治座、白雲座、鳳凰座の4座の調査を行った。2008年度は、香川の旧金毘羅大芝居金丸座、愛媛の内子座、福岡の嘉穂劇場、熊本の八千代座、兵庫の永楽館、2009年度は、秋田の康楽館、群馬のながめ余興場、岐阜の村国座、相生座、愛知の呉服座(くれはざ)、福島の旧広瀬座の調査を行った。また芝居小屋との比較のため、磯子区民センター杉田劇場(多目的ホール、音響反射板設置)、久良岐能舞台、横浜ふね劇場、神奈川大学講堂(セレストホール)、鹿角市交流プラザ、東京歌舞伎座、古民家の書院などの調査を並行して行った。歌舞伎座は、残響時間から見た場合に芝居小屋と同じ系列にあるのではないかと考え調査対象とした。

□木造芝居小屋について
本研究において、木造芝居小屋とは、舞台・客席ともに屋根で覆われている江戸歌舞伎様式の木造の小屋のことと定義した。当初は主に歌舞伎や人形浄瑠璃などの芝居が行われてきたが、明治以降は芝居興行の間に、長唄、地歌・筝曲、義太夫節、豊後系浄瑠璃、謡曲、小唄なども演奏されていた。明治に入り急速に増加し、全盛期には全国に2000以上もあったとされる。しかし戦後に急激に減少し、現在では全国芝居小屋会議に参加されている芝居小屋の17箇所ほどとなってしまっている。しかし近年、木造芝居小屋は、劇空間のすばらしさや、街づくりの大きな要素として見直され始めている。以下調査した芝居小屋を建設年代順に並べて表1に示した。 

表1.調査をした芝居小屋の建設年



□調査目的
きっかけは木造劇場の音響的な特性への関心であったが、日本の伝統芸能を育んだ芝居小屋の調査によって、邦楽にとって好ましい音響空間の検討を行うことを研究目的とした。また、数少なくなった芝居小屋の音響的な特性を、インパルス応答というデータで保存できることも貴重である。邦楽の定義は、邦楽器を用い、歌や語りを多く含む音楽全般である。

□調査内容・方法
調査内容は、残響時間周波数特性、音圧分布、音声明瞭度指数(RASTI)、エコータイムパターン、および音響インパルス応答である。さらにこの応答に対して、無響室で録音した朗読や音楽を畳み込むことで、その舞台での様々な演奏音をシミュレーションによって作成し、音楽舞台関係者に、その音質評価や劇場ごとに好ましいと思われる演奏音などの聴感アンケートを行った。

□音響測定結果
残響時間周波数特性を図1に示した。一番残響が長いのは、音響反射板設置状態の杉田劇場で、次に旧広瀬座、歌舞伎座、村国座、また嘉穂劇場の順となっている。




図1.残響時間測定結果

旧広瀬座は、床は板張りの上にゴザ、壁は板か土壁、天井は野地板張りと反射性だが、低音域は短くなっている。村国座は床が板張り、壁はほぼ土壁の上に漆喰、天井は野地板の上に瓦となっていて、歌舞伎座と同様、残響時間はより低音域で長くなる傾向がある。また金丸座も空間が小さいため残響時間は比較的短いが、土壁が多いため、同じく低音域ほど残響が長くなっている。それらを除き、多くの芝居小屋は残響時間が0.8秒前後と、いずれも低音域まで平坦な特性となっている。

平均吸音率の分析結果を図2に示した。残響時間の長い杉田劇場は0.2程度、そのほか内子座、ながめ余興場、村国座、久良岐能舞台なども0.2程度になっている。これに対して、平均吸音率が0.3程度となっているのは、歌舞伎座、金丸座、八千代座、鳳凰座、康楽館などである。歌舞伎座には側壁に菱形文様のある吸音材が張られているため、平均吸音率が大きくなっているものと思われる。音声明瞭度指数(RASTI)の分析結果では、杉田劇場は0.5程度、芝居小屋は0.6~0.7となっており、杉田劇場はFAIR(普通)、それに対して芝居小屋はGOOD(良好)と評価され、芝居小屋は音声明瞭性が高いことが分かる。

図2.平均吸音率分析結果

最適残響時間グラフを図3に示した。芝居小屋や歌舞伎座の残響時間(空席)は、室容積と最適残響時間のグラフにプロットすると、KnudsenとHarrisが推奨する講堂に適した曲線周辺に位置していることが分かる。東京歌舞伎座も同様に、講堂に適した曲線周辺にあり、ほぼ芝居小屋と同一の残響時間特性となっており、空間の大きさは異なるが、音響特性上は芝居小屋の音響空間と大きな違いが無いことがわかる。
図3.最適残響時間と残響時間測定結果

□音響シミュレーションによる聴感アンケート結果
邦楽は、日本の伝統的な空間である芝居小屋のような音響空間が適するという仮説のもと音響シミュレーションによる聴感アンケート行った。昨年の調査では、常磐津+三味線に関してはクラシック用のホールより、圧倒的に芝居小屋のほうが好ましいとの回答が得られたが、篠笛のゆったりとした曲「青葉の笛」については逆転する結果となっていた。そこで今年は、篠笛でも祭囃子のような歯切れの良い音楽も加え、ヴァイオリンは、ハーモニーを重要視する曲と不協和音のある曲で比較をした。また芝居小屋とクラシック用ホールの中間のような歌舞伎座のシミュレーションも評価対象に加えた。回答者は、吹奏楽や管弦楽団の学生、JATETのメンバーなど、劇場や音楽に関係している125名である。その結果を図4に示した。


図4.アンケート結果

常磐津三味線に好ましい空間は、歌舞伎座87%、康楽館11%、杉田劇場が2%となった。芝居小屋よりも、残響の少なさでは同じ程度の歌舞伎座が圧倒的な割合で評価された。これに対してヴァイオリンの曲、バッハの「G線上のアリア」では、歌舞伎座が15%、杉田劇場が68%。さらにヴァイオリンの曲でモーツアルトの「不協和音」では、歌舞伎座が34%、杉田劇場が45%となり、ハーモニーのあるG線上のアリアは、残響のある杉田劇場が、また不協和音で構成された曲では、歌舞伎座が好ましいと割合が大きく変わった。ハーモニーと残響感には相関関係がありそうである。篠笛は、「青葉の笛」では31%が康楽館、46%が歌舞伎座、杉田劇場は15%となっており、昨年のアンケートでは、この曲を好ましいと感じる人は、芝居小屋より杉田劇場が多かったが、今回は歌舞伎座を対象に加えたことで杉田劇場の割合が大きく減少した。祭囃子のような篠笛の曲「常磐の庭」では、康楽館が35%、歌舞伎座が47%、杉田劇場が12%と変化し、歯切れの良い曲は、予想通り、あまり残響感が無いほうが好まれる結果となった。篠笛に対してフルートは、歌舞伎座38%、杉田劇場43%と好ましいと感じる劇場が二つに分かれた。朗読は、康楽館43%、歌舞伎座55%と圧倒的に残響が少ない劇場が好まれる結果となった。
歌舞伎座が好ましいという評価が多いが、これは、舞台間口も天井も高いために、直接音を補強する役割の初期反射音が非常に少ないが、50msec以上遅れてくる拡散音があるために適度に残響感を感じながらも、音の明瞭性があるため好ましく感じるのではないかと思われる。


□まとめ
邦楽に好ましい音響空間は、響きの少ない空間が好ましいということはアンケートの結果から大きくは結論つけられる。しかし芝居小屋の音響空間がもっとも好ましいということでもない。さらに好ましい空間を分析するために、残響時間が、芝居小屋と大きな違いのない、側方反射音に特徴のある鹿角市交流ホールや初期反射音が少ないがアンケートで評価の高かった歌舞伎座の特性を参考に、初期反射音や拡散音構造の効果についてさらに研究が必要と考えている。芝居小屋は、聴衆にとっては好ましい音で聞こえるが、演奏者にとっては、音の返りや客席の空間に響きを感じられないために演奏しにくいことも予想され、また歌舞伎座では、一般の劇場や芝居小屋と同じ音量で、舞台で発した場合には、初期反射音が少ないために、観客席では声が小さく聞こえることになる。芝居小屋でも歌舞伎座でも演奏者にとっては、特段の技術が必要と思われる。

□謝辞
本調査を実施するにあたり、芝居小屋の関係者の皆様、久良岐能舞台、磯子区民文化センター(杉田劇場)、鹿角市交流プラザ、歌舞伎座、横浜ふね劇場、無響室録音にご協力していただいた音楽家の皆様、アンケートにご協力いただいた皆様、また神奈川大学管弦楽団・吹奏楽部・ビッグバンド部・建築学科の学生に心より感謝の意を表します。また本研究に対し、2008年度、2009年度には、ポーラ伝統文化振興財団より助成をしていただき、深く感謝いたします。

発表スライドはこちらからダウンロードしていただけます(約4MB)。