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2015/05/11

横浜ボートシアターの公演 愛護の若 恋に狂ひて(再演)

 この公演は4/10(金)~4/12(日)であったが、出張が重なってしまい行けず、ゲネプロが船劇場で行われるというのでそちらに行ってきた。

 ボートシアターのサイトより 説経「愛護の若」より−恋に狂ひて−
 昨年も同公演を見てブログに書いている

 物語は、数百年前の説教節にある話。やっと授かったハンサムな息子が後添いの継母のいじめに遭い、家を脱出するが、更にいじめに遭い、滝から入水自殺をしてしまう。遺書を見て、父親をはじめ、思いを受け止めなかった人々108名すべてが、滝に飛び込み自殺をしてしまう。この悲劇を代々伝えようと愛護の若を神社にお祭りし、毎年供養したとのこと。

 舞台は人形とそれを操作する人と音楽で進行する。横浜ボートシアターの独特の演出である。人形に感情が乗り移ってみてしまう。なぜ周囲の人すべてが自殺してしまったのか、今回はよりよくわかった。また直接は比較してはいけないが、今年2月にあった川崎男子殺害事件が思い出された。その後毎日、献花が続いているとのこと。献花している人へのインタビューで『自分になにかができるのではないか、何かができたのではないかと自分に問うて来た』と言っていたことである。

 ジェラルド・グローマー著「瞽女うた」岩波新書の中に、説経のことが書かれている(p。83)。
「近世初期に一つの隆盛期を迎える門説経は、僧形の者による門付け芸である。三味線伴奏をつける者もいた。元禄5年(1692)の序を持つ『日本好色名所鑑』の改題再販であった『諸国遊里好色由来揃』(刊行年不詳)には、門説経は「伊勢乞食」がささらを摺り、方々さ迷い歩きながら演じた芸に由来するとある。~中略~ 元禄年間以降ささらと三味線を弾じる門説経が世間に知れ渡ったことは確かである。」
 「説経の詞章は、後年には歌舞伎、浄瑠璃、山伏祭文、会津万歳、くどきなどに取り入れられ、瞽女が「祭文松坂」として歌った題材も、その出典のもともとは説経であった。説経の人気は元禄以降、近世浄瑠璃の王座を占めた義太夫節に押され、江戸中期にはほとんど途絶えたが、説経から発生したジャンルは長らく栄え続けていた。」
とある。江戸時代、近世初期には説経は瞽女などによって全国に広がったようである。今はこのように口伝えに、生き方に関する情報が伝わることはほとんどなくなった。

 先日5/3~6に仕事でバンドンに行ったが、時間を見つけて、竹楽器のコンサートのAngklung Udjoに行った。舞台には、横浜ボートシアターの人形やお面に似た人形が並んでいた。別々の音階をもつAngklungをビブラフォンのように並べ、2.5オクターブの楽器もできる。そのコンサートが非常に素晴らしかった。子供が100名ほど出演してダンスや演奏をして盛り上げ、蛍の光を様々な言葉で歌ったり、また観客にも一人ひとり一つの音程の出るAngklungが渡され、それで全員で知られている音楽(例えばドレミの歌)を演奏したり、また最後は観客も巻き込んで輪になって踊った。観客の半分はヨーロッパ系と思われる人々であり、司会者はインドネシア語と英語で話をし、このAngklungで世界の平和を望んでいると言っていた。

以下の写真は、Angklung Udjoの様子である。

司会者


人形劇

ダンス