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2009/01/15

「黒船が運んだオケの芽」朝日新聞1/9(金)神奈川版の記事を読んで

今年は横浜開港150年であり、タイトルの記事はそれを記念したシリーズ連載の7回目です。
その中で、「ペリーの滞在中、宴席や葬儀で、当時の流 行曲や鎮魂歌、賛美歌が演奏されていた。初めて接した西洋音楽に、平野は『当時の日本人は黒船が運んだメロディやリズムを案外抵抗なく受け入れたのではないか』と考える。西洋音楽は浜風に乗って、その後、日本中に広がった。」とありました。

この文章によれば、西洋音楽は瞬く間に日本中に広がったように読めます。実は私も、10数年前に、ドナルド・キーンの「音楽の出会いとよろこび 続 音盤風刺花伝 中矢 一義 訳1980年第1版発行」 の中の「音楽と国際性」の章を読むまでは、西洋音楽に馴染んだ者としては、そのように音楽には国境は無いと思っていました。

ドナルド・キーンによれば「略、複雑なクラシック音楽 の場合には、国境が厳然と存在していることがわかる。明治日本の西洋音楽史をみると、ヨーロッパの歌曲のいくつかは、しばしば5音音階に移されて、ほとんど抵抗もなしに日本人に吸収されている。たとえば、日本人の多くは《蛍の光》が外国産だとは少しも気付かなかった。また日清戦争には、それまでの日本人が 知らなかったような種類の軍楽が急速に広まった。だが、クラシック音楽には、はるかに大きな抵抗が示されたのである。」「渋民村にいた石川啄木は、中略  メンデルスゾーンの音楽を愛好すると書き、さらに欧羅巴3千年の歴史を罵って、退化の記録のみを激語したリヒヤード・ワクネルの心を忍ばるる。とも記して いる。だが、その啄木の音楽的関心も、上京後は大きく変化する。啄木が出掛けたと思われる音楽的催しといえば、娘義太夫の公演ぐらいのものであった。」「クラシック熱が広がり始めるのは1930年代に入ってからのことである。しかしながら、その後のクラシック音楽の人気は、西洋の他の芸術分野の劣らぬほどの勢いを示した。」とありました。このように明治の時代は、クラシック音楽は邦楽と音律が違うために感覚としてなじむことができず、素直に日本人に受け入れられてはいないようです。

ペリーが浦賀に来航したのが嘉永6年(1853)、横浜開港は1859年7月1日、それからクラシックが広がり 始めた1930年代までは70~80年間ほどかかっています。ドナルド・キーンの文章は、日本人のクラシック音楽への愛情を皮肉に見ながら、最後に「国際 性という枠組みの中で、はっきりと日本的特色をもった音楽を作り出すという、明治の音楽教育者たちのいだいた夢が実現する日も、おそらくそう遠くないかも しれない。」
と結んでいます。

1月12日(月)の朝日新聞のGLOBEという欄に、「大野和士 指揮者 日本人であること。彼はそこからタクトを振りはじめた」という見出しの記事がありました。
そこには「音楽に国境はある。~中略~ 紛争下のクロアチアで8年間、ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者と音楽監督を務めた。ある時、楽団が 奏でるチャイコフスキーから、スラブ民族の情念がふつふつとうねり出すのを感じた。~中略~「異邦人」のコンプレックスに苦しんでいた自分が、突如、クラ シックという大河へと解き放たれたように思えた。」と書かれていました。このようにクラシック音楽に対して、自分が「異邦人」と感じる音楽家は多いようです。しかし今や、邦楽に「異邦人」を感じる人はもっと多いかもしれません。しかしこういう現象もあります。クラシックコンサートに行くと、中年の観客が多く見受けられますが、歌舞伎や三味線・尺八の音楽会には若い人がかなり見られます。

ペリーのおかげで、私にとってはクラシック音楽は大変身近な存在です。現在では、そのクラシック音楽の音律から、JAZZやポップス、ロックや歌謡曲が生まれ、日本人にもあたりまえの存在になっています。しかし、日本にはもともと邦楽が存在し、また世界中に様々な民俗音楽があり、それらは言語と同じように、それぞれの音律から構成されていることもわかっています。それらの起源は古く、生活空間や文化や民族によって違い、さらに影響し合って現在に至っています。音楽から世界を感じ、また楽しんで見たいと思っています。

2009/01/06

神奈川大学管弦楽団の第54回定期演奏会、および吹奏楽部の第44回定期演奏会を聴きました

 明けましておめでとうございます。

 昨年の正月のブログと同じ様になりますが、私の2008年の聞き収めコンサートは、12月25日に管弦楽団の定期演奏会で、2009年は1月4日の吹奏楽部の定期演奏会で幕を開けました。

 管弦楽団の定期コンサートは、めぐろパーシモンホールで行われ、前半はスッペ作曲喜歌劇『軽騎兵』序曲、ハチャトリアン作曲 組曲『仮面舞踏会』、後半はフランク作曲『交響曲ニ短調』でした。このフランクは、コンサートでは、ほとんど演奏されていないように思われますが、穏やかな曲で、循環形式(多楽章の曲で、共通の主題を繰り返し登場させる手法)が用いられ、新しい曲だと思わせるものでした(実際には1888年作曲)。演奏は、いずれの曲もとても勢いがあって、好ましく感じられました。ホールも明るい木目調でいい雰囲気でした。

 吹奏楽部の演奏会は、東京芸術劇場大ホールでした。神奈川大学吹奏楽部は毎年大学の部の全国大会に出て、ほとんど金賞を得ていますが、3年連続出場すると、参加はお休みになります。そこで今年は、スペイン・フランスに行って演奏をしてきたようです。しかもスペインで行われた第37回国際吹奏楽コンテストin Altea 2008に出場し、見事1位を獲得したそうです。おめでとうございます。演奏会の曲目は、前半、ロッシーニ作曲『歌劇「盗むかささぎ」序曲』、パスカル・ペレ・チョヴィ作曲『ぺピータ・グレウス』、ファン・エンリケ・カネ・トドリ作曲『Poema Polar』、真島俊夫作曲『三つのジャポニズムⅠ.鶴が舞う、Ⅱ.雪の川、Ⅲ.祭り』、後半はジャック・イベール作曲『交響組曲「寄港地」よりⅡ.チュニスーネフタ、Ⅲ.バレンシア』、サンチャゴ・ロペ作曲『ガリトー』、高昌帥(Chang Su Koh)作曲『ウインドオーケストラのためのマインドスケープ』、アンコール曲は、ハチャトリアンの『仮面舞踏会(管弦楽団とたまたま同じ曲)』、『美空ひばりメドレー』、『星条旗よ永遠なれ』でした。『Poema Polar』は国際コンクールの課題曲で地球環境をテーマとした曲だそうです。『三つのジャポニズム』は、自由曲として披露したそうで、祭りのリズムが随所にあり、次第に盛り上がっていき、和太鼓で最高潮に達します。華やかな元気な曲で、ちょっと明るくしたボレロです。国際コンクールでは、スタンディングオーベーションだったそうです。ちょっと和風なすばらしい曲でした。作曲者の真島さんは、神奈川大学の工学部に在籍して(卒業はせず、音楽に入った)いたそうで、縁があります。東京芸術劇場大ホールは扇型をしていますので、初期反射音が客席にもたらしにくい形をしていますが、楽器の音像ははっきりしているので、吹奏楽のように音が大きく、さまざまなところから出てくるような場合には臨場感がありました。しかし指揮者が、アンコール曲の曲目を言った言葉が聞き取れませんでした。

 学生の演奏会は、相当練習しているためか、力強さやエネルギーを感じます。曲目もコンサートではめったに演奏されないような曲を選んでいて、そのこともいいです。今後も、学生の演奏会は進んで行くようにしたいと思いました。また、音律の違う楽器のアンサンブルの曲があればいいと思っています。たとえば三味線とヴァイオリンとか尺八とフルートとかです。今までは和楽器でも、または二胡のような楽器でも、平均律にあわせて、アンサンブルをしていますが、それぞれの楽器の音色の特徴を生かしながら、二重螺旋のような曲ができるのではないかと思っています。音の空間が地球を感じる大きさになります。