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2012/05/08

第七金星丸のJAZZライブ


鋼鉄の艀、第七金星丸で4月27日(金)にJAZZライブがありました。この艀は横浜港の中の独特の雰囲気のところにあり、赤錆びだらけの内部空間も力強いです。JAZZはドラムス、コントラバス、トランペット、短波ラジオ(これも楽器です)、そしてキーボードの構成。心地よい新しい音楽が生まれていると感じました。
きっとここ横浜の港から新しい音楽や演劇や美術がうまれてきます。それは垣根をとっぱらったあたらしい総合芸術だと思います。期待が大きいです。


騒音制御工学会に発表


平成24年4月24日(火)に開催された騒音制御工学会の春季研究発表会に、「高性能乾式遮音二重床の開発―実大実験棟における測定結果」と題して、共同研究者として発表しました。会場は産業技術総合研究所臨海副都心センターでした。

本研究は、昨年度建築学会大会に発表した床衝撃音対策手法を、UR都市機構とYAB建築・音響設計との共同研究として発展させたもので、目的は、高度成長期に建設された壁式構造集合住宅の居住性能改善のための乾式二重床の開発です。性能向上の目標として、重量床衝撃源(Ⅰ)であるバングマシンによる床衝撃音を、スラブ素面よりL数で10、63Hz帯域で10dB改善することを目標に行いました。
昭和40年代の集合住宅の床スラブの厚みは110mm程度です。現在は一般的には床衝撃音対策上200mm程度のスラブを用いています。インピーダンスレベルを比較するとスラブ厚の違いで床衝撃音レベルが約10dB異なります。現在行われている当時の集合住宅の改修は、風呂、キッチや壁のクロスなどで、設備的、また視覚的には改善できても、床衝撃音上の対策は従来の工法では不可能でした。

当時の床スラブはそのままで、現在の床衝撃音性能の水準まで向上させるためには、床仕上げで10dB改善する必要があります。その対策手法として、ヘルムホルツ型の共鳴器を応用したもので、画期的な性能が得られたものと考えています。昨年度は、その目標をクリアし、今年度からは実施に向けた実用的な開発実験をUR都市機構と行います。
今年の騒音制御工学会は、低周波音や環境振動の研究発表が主で、床衝撃音については本件のみでした。以前はたくさんあったのですが最近は年々減ってしまい、しかもプログラムの一番最後の講演となっていて、大会の中では期待度も低い感じです。それでもたくさんの方が最後まで聴いていてくださり感謝いたします。

こんぴら歌舞伎大芝居を今年も見ました



第28回こんぴら歌舞伎大芝居を今年もなんとか見ることができました。公演は4月5日から22日まであり、我々の一行は、21日(土)の午後の部、千穐楽22日(日)午前の部を見ました。
公演の場所は、江戸時代の芝居小屋(天保6年1835年)、旧金比羅大芝居金丸座です。いつもここに来ると、舞台―客席空間が一体で、役者と観客が一緒に楽しめる素晴らしい空間だと感じます。舞台から観客席まで一体の竹のすのこの天井、花道、仮花道、そして舞台に直角に向いた桟敷席、すっぽんや回り舞台、空井戸、花道の上部にある宙吊用の懸け筋など、今の劇場にはあまり見られない工夫がされています。観客席は、枡席で畳の上に胡坐などをかいて座ります。私の席は、花道のすぐ脇だったので、役者の足元がすぐ近くで見られます。もっとも今年はあまり花道を使っていませんでしたが。

今年は中村吉右衛門の一門の公演です。出し物は、21日の午後は、1)戻駕色相肩(もどりかたいろにあいかた)、2)三代目中村又五郎・四代目中村歌昇襲名披露口上、3)義経千本桜 川連法眼館の間、22日午前の部は、1)正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)、2)一本刀土俵入りです。

物語として興味をもったのは、戻駕色相肩です。駕籠かきが舞台中央で一服。駕籠のなかは島原の遊女。駕籠かきがそれぞれ廓体験の自慢話をしながら踊る。踊っているうちに一人の懐から連判状が、もう一人からは香炉が落ちる。互いの所持品から、一人は久吉の命を狙う天下の大盗賊 石川五右衛門で、もう一人は命を狙われている相手 真柴久吉であることが分かる。そこで刃を交えることになるが、そこへ駕籠の中の島原の遊女が割って入る。そこで幕。なんで駕籠かきが石川五右衛門で、遊女が素手で刀を止めて、その後はどうなったかは関係なく、幕が引かれる。ひどく飛躍しているが腑に落ちる感じが良い。

義経千本桜もまた子狐の親が鼓の皮に使われてしまい、その鼓を追って、子狐が義経の家来の忠信に化けて、近づく話で、これもかなり飛躍がありますが、この子狐が山に帰るシーンが何と舞台の上手奥の木の脇で、上から吊られてそろりそろりと1mほど上昇して消えるのです。以前何年か前に観た「葛の葉」の時の狐は、懸け筋を使って、宙乗りで、観客席の後ろへ飛んでいたことを覚えています。そのときは涙が出るほど感動しましたが、今回は狐のファンタジーとしてはちょっと残念な演出でした。

22日の午前の部、一本刀土俵入は物語も感動ものですが、回り舞台や花道、脇花道、それに雨戸を使った暗転もあり、芝居小屋ならではの演出がありました。
この回り舞台の下は、木でできたロールベアリングが仕込まれていて回転するようになっていますが、それが数日前にひとつ外れてしまったようです。それを知っていたため、千穐楽まで、無事に回り舞台が回ってホッとしました。今考えてもよく出来たロールベアリングだと感心しました。芝居小屋から学ぶことはたくさんありますね。





東海道最後の芝居小屋 島田市みのる座 跡地見学


2012年4月17日(火)静岡県島田市で音の測定の仕事をしました。
その後、以前から気になっていた、近くにある「みのる座」という芝居小屋の消息を見に行くことにしました。島田駅から裏道を歩いて向かい、途中で出会った人に「みのる座はまだありますか」と聞くと、「まだあるよ、後すぐだよ」と教えてくれました。しかし100mほど歩くと更地があり、通りかかった人に「みのる座はどこですか」と尋ねると、この場所にあり解体されてしまった、駐車場になるらしいとのことでした。あると期待して辿りついたのでがっかり。


残っているのは商店街のアーケードの天井にあるみのる座の看板だけでした。それにしても商店街もシャッター街となっており、かつては東海道の大井川の江戸側の(越すに越されぬ)宿場町として栄えていた場所です。また大井川で木材を運んできた林業の町でした。




更地になっていた

かつてのみのる座の入り口

看板

アーケード シャッター街

近くの古道具屋にみのる座ゆかりの寅さん




みのる座は、大正5年(1916年)に芝居小屋として開館し、昭和34年(1959年)映画館に改装、平成22年(2010年)3月10日、映画館として最後の上映会を行い、94年間の歴史に幕を閉じたそうです。その大きな原因は耐震補強とのことでした。たしかに94年もたてば老朽化し、何らかの工事が必要となり、その場合には耐震補強もして新しい建築基準法に従う必要があります。島田市では唯一の映画館だったようですが、周辺にはシネマコンプレックスもできたため、お客さんも減少していたようです。2011年9月解体されました。

岐阜から東、東京から西の東海地域では、唯一の木造の芝居小屋だった建物で、回り舞台もあったようです。それが解体されてしまいとても残念です。文化財として残す方法はなかったのでしょうか。
大正5年開館とは、四国松山近くの内子座と同じ年です。しかし内子座とはずいぶん違う運命をたどっています。内子町は古い建物なども残したきれいな街並みで、内子座とも雰囲気をあわせており、内子座もたくさん使われています。地域の人の意識に町おこしの手法について共通の認識が必要と思います。