2011/10/21

日本建築学会関東大会で床衝撃音の対策工法について発表しました


少し前の話になりますが、建築学会の大会が8月23日(火)から3日間、早稲田大学の早稲田キャンパスで開催されました。
我々の発表は初日の午前中に行われ、「高性能遮音二重床の開発」と題して、共同発表者の堀内氏が発表しました。

多くの乾式二重床は、スラブと二重床の間にある空気(床下空気層)の振動による圧力で重量床衝撃音がスラブ素面より性能低下します。それに対して本工法は大幅な性能向上が得られました。本工法は、二重床のパネルが立体的な中空構造となっており、床下空気層とパネル内の中空部が連通されています。床衝撃力を受けたときの床下空気層の振動圧力は、この連通によって低減し、遮音性能が向上するというものです。

現在はその現象や効果の確認および施工性などについてUR都市機構と共同研究を進めております。実験に用いている床材はホームセンターで品質の良いものを探し「小名浜合板」社製のパーチクルボードで実験をしております。

2011/10/12

荏田宿の仮設芝居小屋


荏田町にある行きつけの床屋でこんな話をした。
「ここ(床屋)の前の道路は大山街道でちょうど直角に折れ曲がっているところだから、江戸の方から来た人には、この場所は相当目立つね。ここに芝居小屋などがあったらよかったのにね。」と言ったら、なんと床屋さんが小さいころ、この場所に実際に仮設の舞台ができて実際に芝居をやっていたとのこと。

現在その敷地は駐車場と野菜の直売所になっていて、卵やキュウリ、トマトやみそなどがおいしく週に1~2回買いに来る場所で、直売所のおじさんにも芝居小屋の話を聞いてみると確かにやっていたとのこと。おそらく40~50年前までのことらしい。すなわち1960年から1970年ぐらいまでと思われる。

収穫の終わった秋に1か月ほどの間、旅役者が来て、直売所のある周辺をよしずで囲って、その中に仮設で屋根のある舞台をつくって公演をしていたそうだ。舞台には花道がついていて、裏には楽屋があったそう。ここは江戸時代には、高札場となっていた場所である。高札場とは幕府のお触れを示すところ

で、街(村)で一番賑やかな所に設置することになっていたので、ここは江戸時代には荏田宿一番の繁華街だった思われる。




荏田交差点方面から見た直売所

1960年代に国道246号線ができ、荏田の交差点で旧大山街道が分断されてしまい、かつての荏田宿の商店街も分断されて活気がなくなってしまった。さらに今は東急田園都市線ができたために、そのあざみ野駅と港北ニュータウンのちょうど間にあたり、賑やかな場所の谷間になってい
て不便な場所である。しかも昔の大山街道の面影は全くと言ってよいほどなく、古くからいる人々の頭の中の記憶の中にしかない。
先週10月2日(日)は荏田宿の氏神様の剣神社のお祭り、10月9日(日)は、隣の旧石川村の驚神社の秋祭りがあった。神輿やお囃子の中にすこし昔の村祭りの名残が残されている。

驚神社のお祭り

2011/08/09

YOKOSUKA JAZZ DREAMS 2011

 7/30にYOKOSUKA JAZZ DREAMS 2011のコンサートがよこすか芸術劇場であり、横浜国立大学名誉教授で、消音器の研究で有名なG先生と行ってきた。毎年の恒例で、もう何年も一緒にJAZZDREAMSに来ている。今年は渡辺貞夫グループ2011、ドラマー、ジョージ川口の息子川口雷二のTHE BIG4+4名(ソロ)、そして前田憲男とウインドブレイカーズ+マリーン、すべてのバンドのレベルが高く素晴らしい。

 公演中、音の方向感について気がついた。渡辺貞夫のバンドの時には、我々は舞台に向かって左側にいたので、左側のスピーカから聞こえてきていた。舞台両袖にスピーカを設置しているので一般的なことである。しかし川口雷二のバンドの時には、演奏が始まった途端、中央のドラムから低音の音が聞こえてきて、あれと思ったが、その後、ピアノはピアノ、コントラバス、そして右側にいるソロ、トランペット、トロンボーン、サックスなどが、それぞれの場所から聞こえてきた。方向感があるとやはり音が活き活きと感じられる。ドラムのスティックを叩く高い音はスピーカから聞こえてきたので、拡声装置を使っていないというわけではないようだ。前田憲男のバンドもそれぞれの楽器から聞こえてきた。やはり素晴らしい。

 前田憲男は1934年2月6日生まれ、77歳、司会者が昨年前田憲男にお会いした時、100歳でもコンサートをやりたいと夢をおっしゃっていたそうだ。さらに今回マイクを向けると、「いや今年は変えました、夢でなく、予定です」と。いやはや素晴らしい。渡辺貞夫も1933年2月1日生まれで、78歳、(チラシには77歳と書かれていた)。全く年を感じさせない活き活きしたアルトサックスの音だ。
 またG先生も80歳を超えてお元気でJAZZだけでなく、クラシックのコンサートにも通っていらっしゃる。今後も多くのコンサートにご一緒したいと思う。

2011/07/26

キンボー・イシイ=エト―指揮、新日本フィルのコンサート

 6月11日、すみだトリフォニーホールで、友人であるキンボー指揮による新日本フィルのコンサートがありました。
 曲目は、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲ロ短調op.104、モートン・グールドのシンフォネット第2番、バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」のシンフォニック・ダンスです。チェロ独奏は向山佳絵子です。
 パンフレットには、坂本竜馬はブラームスより3歳年下でドヴォルジャークより5歳年上とありました。ドヴォルジャークが、ボヘミアからニューヨークに渡ったのは1892年9月、51歳の時だそうです。日本もアメリカも近代が始まって、産業が発展していくまっただ中でした。
その前年1891年にカーネギーホールが、また1900年にはボストンシンフォニーホールが建設されています。ドヴォルジャークはニューヨークのナショナル音楽院の院長として2年半を過ごし、アメリカにクラシック音楽の芽を育みました。その芽から花開いたグールドとバーンスタイン曲のコンサートで、華やかさがあります。

 キンボーは昨年(2010年)第9回斎藤秀雄メモリアル基金賞(指揮部門)(財団法人ソニー音楽芸術振興会)を小澤征爾に推薦され、故大賀さんから受賞している成長株です。
とにかくキンボー指揮の音楽は、リズムが華やかで威勢がよく、音楽は楽しまなくっちゃ、という感じが伝わってきます。

 コンサート終了後に楽屋に挨拶行きました。楽屋ロビーにいらした楽団員の方々に楽しませていただきましたと感謝を述べましたら、シンフォネット、ウエストサイドストーリーはジャズなので、クラシックの音楽家には結構難しいと言われながらも、皆さん満足そうでした。楽屋のキンボーも満足感があふれていました。

 コンサート当日は、ちょうど震災から3カ月目の日でした。キンボーは冗談で、日本に命がけで来ましたと言っていました。震災の後、来日を中止した音楽家は多数いらしたからです。よく来てくれたと嬉しく思います。
 震災の当日は、この新日フィルを指揮するために、ダニエル・ハーディングが会場(すみだトリフォニーホール)に向かっている途中で地震に遭遇、交通機関がすべて止まる中、会場にいらっしゃった150名程度のお客様のために演奏し、歴史的なコンサートになったと新聞にでていました。そして、6月20日に再度、同じすみだトリフォニーホールにて、チャリティコンサートを行っています。ダニエル・ハーディングのインタビューが新日本フィルのサイトに掲載されています。

2011/07/25

京都会館の改修計画案

 京都市右京区岡崎地区にある京都会館の改修計画が話題になっている。開館して約50年、確かに大規模改修時期ではあるが、改修の内容が世界水準のオペラハウスにしようというものだからその賛否が話題になっている。当初はコンサート専用ホールとして設計され、工事途中で多目的ホールに変更をしたため、舞台の上にはフライズ空間はない。したがってそのままではフライズを必要とするオペラハウスはできない。フライズを改修して作ろうとすると周辺地域の都市計画法の高さ制限を撤廃しなければならず、街づくりに大きな変更を伴うことになる。しかも隣の町、大津にはびわ湖ホールがオペラハウスとして存在している。本当に京都にオペラハウスが必要なのであろうか。

 実は京都会館と東京文化会館は同じ1958年(昭和33年)の着工で、竣工は、京都会館は1960年(昭和35年)3月、東京文化会館は1961年(昭和36年)3月である。設計期間は同時期で、設計者は前川國男、外観も相当似た感じの建物である。しかしその後の運命は大分違う。1995年にはコンサート専用の京都コンサートホールができて、京都交響楽団の根拠地が京都会館からコンサートホールに移動してしまい、会館の主目的がなくなってしまった。京都会館側からみれば、京都コンサートホールをつくらず、京都会館をコンサートホール用に改修すべきだったかもしれない。東京文化会館は、東京都芸術劇場やサントリーホールができてからはコンサートが少なくなったとはいえ、オペラの上演も盛んだ。また1998年の大改修では、音響反射板の格納方法を除き、新築時の状態に復原され、ますます公演が盛んにおこなわれ、施設の評価も高い。

 京都会館を、もし世界最高水準のオペラを上演するホールとするためには、フライズも含め大規模に改修しないとオペラハウスは成立せず、原型が無くなってしまう。またオペラハウスに改築できたところで、びわ湖ホールと競合し、しかも維持費がかかるために、どの程度上演できるか心配も残る。

 京都コンサートホールが存在する今となっては、京都会館の存在意義が少なくなってしまっている。それであるならば、歌舞伎の発祥の地である京都の京都会館を、日本の芸能を目的とする劇場としたらどうであろうか?桟敷席や花道を作り、歌舞伎が上演できるような舞台・客席空間としたらどうだろうか。大きなフライズも必要がない。南座と補完しながら、日本の伝統芸能を発展させる場所となるであろう。桟敷席の作り方は、弊社が関わった清瀬けやきホールの様な桟敷席の方法も提案できる。現在のような6角形の平面プランの場合には、壁から得られる初期反射音が客席に反射して来ないために、舞台からの直接音を補強することが難しいが、一段高い桟敷席をつくることで、側壁ができ、初期の側方反射音をもたらすことができると考える。

2011/07/22

海の中の音

 6月2日(木)の朝日新聞に「「音→エサ」サケに訓練」という記事があった。岩手県山田町で、サケの稚魚に対して「音」に反応して餌を食べる全国初の「学習」を開始していた。震災の9日前にスタートしていたそうだ。養殖池で水中スピーカから100~200Hzの音で合図を出し、それと同時に餌を与える試みで「音が鳴れば食事」と覚えさえる訓練である。放流した後も大きく育てられるよう、湾内で音を出して1個所に集めて餌をあげると効率的だと考えられた。しかし震災の停電により、2日目後には稚魚は学習の途中で放流することになったそうだ。とても興味深い試みであり、残念である。実験に使用されていたものが、どんな音であったか分からないが、魚にとってきっと心地よい音だったに違いない。
しかし、魚にとって心地よくない音もあるようだ。鯨類学者 Norris らが1983年に発表した論文によれば、イルカやクジラなどの鯨類は、餌となる魚やイカなどの獲物を、まともに追いかけて捕るのではなく、大きな音を出して殺した後に食べているのではないかという仮説をたてた。これは、マッコウクジラの胃の中からでてきたイカには、まれにしか歯形がみあたらないことから想定したものだ。

 さらに「ダイオウイカを殺すソナーの騒音」として、ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト( 5月4日(水)18時20分配信)に掲載された記事が興味深い。

 2003年ころスペイン沖でダイオウイカの死骸が多数見つかった。その原因は船舶が発する低周波パルス音(石油・天然ガスの探査のため)ではなかったかと推測されたが、当時は証明できなかった。今回、カタルーニャ工科大学のアンドレ氏の研究チームが実験を行い、頭足類4種(イカ・タコなど)計87匹に対して、50~400ヘルツの低周波音(海軍のソナーや石油・天然ガス探査時など海洋で発生する標準的なレベルを想定)を、157~175デシベルの強さで2時間暴露させ、暴露終了直後と最大96時間後に被験動物を絶命させたとある。騒音で魚を殺害してしまうというのは驚きだ。海にも人間の活動による騒音公害が存在し、それが地上以上に深刻な可能性もあることが分かる。

 ちなみにダイオウイカとは、体長16mにもなる深海にすむ巨大イカで、海底2万マイルの映画に出てきた化け物イカを思い出させる。

2011/07/08

劇団ひまわりの「アンネ」公演

4月頃、上野駅で横浜ボートシアターの仮面など小道具を作成している関野さんにばったり会い、その時に、劇団ひまわりの「アンネ」のチラシをいただきました。関野さんはこのアンネ公演の衣装を担当されており、浅草に衣装を買いに行かれた帰りとのことでした。

しばらく前の話になりますが、この公演を5月12日に観に行ってきました。ちょうど大震災から2カ月の頃です。
会場は、劇団所有の稽古場兼ホールのシアター代官山、劇団ひまわり60周年記念公演です。演出は山下晃彦で、元横浜ボートシアターの小栗などを演じた俳優であり、今は演出家として活躍されています。

舞台の始まりでは、劇場が暗くなり、どこからともなく明るい笑い声が聞こえてきます。次第に大きな声になって何人かの妖精が明るい笑い声を発しながら客席後方から登場します。これから始まる悲劇をより浮き立たせるかのように。

物語は、ユダヤ人であるアンネの家族がナチスから逃れ、街の中の事務所の屋根裏に隠れるところから始まります。外部の暴力的な状態とは対照的に、隠れ家では同居者との日常的な小さないさかいや、15歳の若いアンネがスターになる夢を描く場面、そして自分が死んでも命が続くようにと日記を書きつづる日々が描かれ、その日常と悲劇とのギャップが身につまされます。

アンネは1945年第二次世界大戦がまさに終わろうとしている3月に強制収容所の中でチフスにより亡くなってしまいましたが、その翌月の4月にヒトラーは自殺、ドイツは5月無条件降伏をしています。

この公演では、最初の妖精の登場の仕方、コロス(古代ギリシャ劇の合唱団)が出てきたり、また人々の心の模様をガムランの音楽で表現するなど、横浜ボートシアターのDNAを感じます。妖精は、アンネの心を表現する役割を果たしており、最後にも登場して彼女の夢や希望が今も我々の心に残っていることを感じさせました。

2011/05/20

関東大震災とNHK放送局・劇場

関東大震災が1923年(大正12)9月1日に発生して、後藤新平が内務大臣兼帝都復興院総裁に就任し、震災対策を行いましたが、その翌年1924年(大正13)11月に東京放送局が設立され、初代総裁にその後藤新平が就任しています。東京放送局は日本放送協会(NHK)の前身で、翌年1925年(大正14)の3月22日に中波放送が仮放送を開始し、この日を記念してNHK放送記念日となっています。その後愛宕山に正式の放送局(JOAK)ができて、7月22日に本放送が開始されました。ほぼ同時に大阪放送局、名古屋放送局もできましたが、この時期に放送局が相次いで産声をあげたのは関東大震災の反省があったようです。NHKの放送記念日の中の説明によると、『この時、多くの根もない噂(これは外国の攻撃らしいなどといったもの)が飛び交い、そのために朝鮮系の人たちが襲撃されて命を落としたりという事件が多数起きました。そこで、どういう時にでも瞬時に国民に正しい情報を伝えるメディアが望まれたのでした。』と書かれています。

また関東大震災と劇場に関していくつかの興味深い話があります。まず地震の翌年、どさくさにまぎれて(?)規制が緩くなったことを利用して、わが国最初の現代演劇用の劇場、築地小劇場ができています。また1911年(明治44年)にできた帝国劇場(名前は帝国ですが民間の劇場です)は、震災時にはまだ開館してから12年しか経っていませんでしたが、外部を残して焼失してしまいました。しかし地震の翌年には再開しています。また歌舞伎座は1921年(大正10年震災の2年前)に漏電により焼失し、直ちに再建に取り掛かり、躯体が完成したところで、震災に遭い、内装材として用意されていたヒノキ材が全焼してしまいましたが、1925年(大正14年)1月に復興しています。たくましい民間の劇場の姿が見られます。
またこのころから全国で公共ホールができ始め、1929年(昭和4年)東京の復興のシンボルとして、日比谷公会堂ができています。震災の2年後(1925年大正14年)、NHK交響楽団の前身の日本交響楽協会が設立され、この日比谷公会堂が主な演奏会場となっています。
このように関東大震災の後には、情報と芸術の局面に大きな動きがあったことが見て取れます。

今回の東日本大震災では、事実を発信するという放送の役割はある程度果たして、おかげさまで根もないうわさによる関東大震災の悲劇は、今回はありませんでした。しかしあまりに被害を受けた地域が広く、地震、津波、原発と3つの局面から復旧・復興を考えるには、現在の放送の機能だけでは不足し、インターネットを使った情報伝達が大きな役割を果たしています。
またさらに世界中から叡知を集め共有し、ばらばらの情報を早急に、復旧・復興の方向にまとめ上げていけるような、放送とインターネットを融合した新たな公共的な情報の態勢が、このような大震災の後にはできてくるように感じます。

またこの際、劇場にこだわらず、どこでも演劇空間・音楽空間と考えたらよいと思います。演劇や音楽は人生に必要なものだからです。生きていく喜びを表しているものだからです。

2011/05/11

清瀬けやきホールが新建築4月号に掲載されました

昨年の12月12日付の弊社のブログで紹介をいたしました清瀬けやきホールが、『新建築4月号』に紹介されました。旧清瀬市民ホールを改修したもので、設計者青木茂氏の言葉ではリファイニング建築と呼んでいます。弊社で音響設計を担当いたしましたが、その改修にもっとも留意した点は、扇型の舞台から拡がった観客席の形を、舞台袖から客席に向かって直角に側壁をつくり、その上をバルコニー席としたことです。そのことによって、直接音を側方からくる反射音で補強し、音が前へ出てくるようになります。多くの多目的ホールにも適用ができる手法と考えています。

2011/05/09

こんぴら歌舞伎大芝居公演


4月16日の土曜日、午前9時に横浜を車で出発し、途中緊急地震速報を車のラジオで聞きながら夜の8時に四国の丸亀に着きました。そこで一泊し、翌朝は丸亀城や善通寺を見ながら午後2時にいざ金比羅大芝居金丸座へ。おかげさまで今年も何とかこんぴら大芝居を見に行くことができました。


今年は松本幸四郎を座頭とする一行の公演です。午後の部は『鈴ヶ森』、『藤娘』、『鯉つかみ』。『鈴ヶ森』は権八と雲助の立ち回りが見どころです。

『藤娘』は三味線や太鼓に合わせての舞踊ですが、踊り手が手で指揮をしているような感じで、音楽が鳴り、また三味線の掛け合いに迫力があり、緊張感がありました。フィギュアスケートの浅田真央に使ってもらいたいようなリズムだとふと思いました。
『鯉つかみ』は市川染五郎が二役を演ずる午後の部一番の出し物です。市川染五郎はこのブログでも紹介いたしましたが、渋谷の伝承ホールの杮落し公演を観た際には、エレキ三味線をバックにロックの様な激しい日本舞踊を踊っていました。今回もまた金丸座の魅力をすべて使った演出で、恰好のいい若侍が鯉の悪霊と戦うのですが、同じ染五郎が早変わりで、悪霊になったり若侍になったりしながら、井戸に落ちたり、花道のセリ(すっぽん)から出てきたり、最後には宙乗りを使ってそこで曲芸をしたり、観客を大いに笑わせ、泣かせました。

 客席の天井は、竹のすのこでできており、そこから花吹雪を散らすことができます。
またかけすじという宙乗り装置も設置されています。


翌朝は午前の部は、『熊谷陣屋』と『河内山』です。『熊谷陣屋』は歴史とは異なり、熊谷直実が子供の敦盛の首を打ち取った場面で、義経が首実験をするが、実際には我が息子を敦盛の代わりに犠牲にしたことが分かる。家族の愛と無常が強い形で表現されていて感動です。『河内山』は、あるバカ殿が腰元奉公する娘を妾にしようとするが、河内山という坊主が偉い坊主になり済まし、娘を親元に返すように、さらに金を要求し、まんまと成功する痛快な話です。
歌舞伎の豪快な展開や芝居小屋の魅力で、この二日間大変楽しみました。

この18日の午後は、また車で友人に会いに愛媛の伊予まで行きました。この日は、知人のつくば技術大学の卒業生が卒業設計に伊予の文化施設など町づくりに関する計画をまとめた研究を発表するということで、地元の市役所の人、市議、町づくりにかかわっている人々や愛媛大学の先生や大学生や高校生などが大勢集まりました。
とてもしっかりした内容だったために大いに議論が湧きました。それを企画した私の友人や発表した本人たちとさらに一杯飲みながら盛り上がりました。

翌朝は大雨でしたが、朝8時に伊予を出て、鳴門海峡、明石海峡を越え、楽しかった2日間を胸に何とか無事に夜の8時半に我が家に着いた次第です。

トゥルースシェルプロデュース公演『LOST!? ~冒険者たちへ~』

3月25日に上演予定だった、元横浜ボートシアターの高橋和久さんが出演するハロルド・ピンターの『家族の声』を見に行こうと思っていましたが、直前にチケットを購入しようとしたところ地震のために公演が中止になってしまっていました。
この公演には、元黒テントの新井純も出るので楽しみにしていたのに残念でした。この時はまだ頻繁に余震もあり、計画停電もあり、確かに無理はできないので仕方がありません。再演の計画を期待します。
神奈川芸術劇場など神奈川県の3月の公演も地震以来中止となり、その日のために準備してきた俳優たちにとっても非常に残念だったろうと思います。

横浜の郷土資料館で、何年か前に、神奈川県の神楽の特集をやっていて、江戸時代は飢饉の年ほど神楽が盛んだったと書かれていました。演劇には人々にエネルギーをもたらす何かがあることを示しています。大地震の後の最悪の状況の時こそ、演劇や音楽が必要だと感じます。

4月になってやっと少し落ち着きが出てきて、演劇の公演も始まりました。4月8日(金)仙川劇場で、やはり高橋和久出演のタイトルの公演『LOST!? ~冒険者たちへ~』を見てきました。ゲームにはまった娘をゲームの中の非現実の世界に飛び込んで、ゲームの戦いに参加する中年オヤジの話です。ゲームですが迫真の戦闘シーンが多いので、地震の後遺症に悩んだ身には多少疲れましたが、最後は娘を探し出し、ゲームの管理者とも仲良くなるハッピーエンドの話で、内容はテンポが速く、コミカルです。このLOST!?の話は、現実と非現実を交錯させた新しい世界だと感じました。

また元気をいただくために公演に出かけたく思います。

公害としての放射能

3月11日の東日本大震災からもうじき2カ月が立つというのに、音響技術者には何もお役にたてないもどかしさがあり、この大震災に対し発言ができていませんでしたが、環境の観点から発言することにしました。
この大震災によって福島第一原発から放射能漏れが生じ、甚大な被害が生じています。東電や、関連企業の担当者の体を張った努力で、原発の放射漏れと闘っていることはわかります。しかし、原発の周辺区域のみならず、福島市、郡山市など都市部を含めて福島県の東半分は放射能の濃度が高くなっており、一部小中学校の校庭や公園の利用が制限されるなど、日常生活にも被害が生じています。

環境基本法では典型的7公害として、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭を対象としています。公害の定義は、この7つの事象が相当範囲にわたって生ずることにより、人の健康又は生活環境に係る被害が生じることをいいます。また公害は人為的な原因に基づくものに限られ、地震、台風などの自然現象を原因とする被害は含まれません。このような観点から、今回の福島第一原発の放射能汚染は公害の定義に該当すると考えられます。

放射能を公害と定義して、騒音、水質汚濁、大気汚染など他の公害の事象と同じように、人の健康又は生活環境を守る観点から、客観的に監視できる体制が必要と感じます。現在は原子力安全・保安院など原子力の安全については、経済産業省に属していますが、これでは原子力の推進側と一体になってしまいます。放射能汚染については、環境省に属する環境基本法の中に公害として位置づけるのが適当ではないかと思うようになりました。

2011/03/01

明空風堂‘11  「言向け和平せ(ことむけやわせ)」 

古屋和子氏主宰のタイトルの語りの研究会が2月26日 東京 広尾の東江寺の本堂でありました。演目は次の2題です。それぞれ約1時間あり、合計約2時間、会費は500円。

 藤沢修平作 -橋物語―より 『約束』
  演出 相生二郎、語り 畑板智保/野口 英
 谷崎純一郎 作 『刺青』
  語り 武 順子、 津軽三味線 山本竹勇

東江寺本堂とは、仏壇の手前の、お坊さんが一般的にお経をあげる場所が5m角ほどの能舞台になっていて、その周辺が畳敷きになっています。能舞台の部分の中央に敷物をして、その上で語り手が語り、舞台周辺3方に最前列は座布団、その後は低いベンチが設置されて100名ほどのお客さんがいらしてました。お客さんの目の前には、ご本尊の仏像がこちら側を眺めていらっしゃるので、静謐な感覚になります。

『約束』は江戸時代、若い二人が、5年後にある橋で再び会おうと約束をして、それを目標に、さまざまな苦しい日々を生きながら、ついにその日を迎える感動的な話です。語りを聞いていると想像が働き、場面の鮮明な映像が浮かんできます。畑板さんは手に急須の蓋の様な形の楽器?を2枚持っていて、話が転換するところで打ち鳴らすと、かなり印象的な唸りが聞こえます。前回のブログに書きましたが、蓋のそれぞれの固有振動数が多少ずれているための現象です。

『刺青』は、刺青師が彼の理想とする美しい若い娘さんの背中に、勝手に麻酔をして女郎蜘蛛の刺青をしてしまう話で、背徳の匂いのする話です。津軽三味線をバックに語られ、また三味線の唸りが聞こえ、幻想的です。

2月22日の朝日新聞に学校やお寺で結ぶ縁というテーマで紹介されていた大阪のお寺、應典院(おうてんいん)では、演劇や講演会をしていると書かれていました。このようにお寺の本堂もいい演劇やコンサートの場所になりうると実感しました。

次回の東江寺の明空風堂は、3月26日(土)2:30開演、大和楽だそうです。

唸り音について

二つの周波数のわずかに異なる純音を重ねると、異なる周波数を周期とする唸り音が発生します。この違い方がたとえば100Hzと101Hzのように1Hz異なると1Hzの周期で唸りが発生し、ウオ―ン、ウオ―ンと聞こえます。これが心臓の鼓動に近いと気持ちが悪くなるような音となり、相当小さな音でも騒音クレームとなることがあります。

騒音クレームとなるような唸りが発生する現実の状況とは、例えば同じ機種のプロペラファンやポンプやコンプレッサーが2台以上ある機械で、それぞれの負荷が多少異なる場合に回転にずれが生じ、唸りが発生します。この場合には、唸りの周波数が時々変化するために、それも気持ちが悪くなる要因となります。さらに具体的言うと、ルーフファンやポンプや空調室外機ないし冷凍室外機でコンプレッサーが複数台入っているようなものに唸りが生じます。とにかく2台以上同じ回転機械があると唸りが発生しやすいために、回転数を大きく変化させて設置することが重要です。これらのことはメーカや設計者に注意を促したく思います。

また、この唸り音はよく超低周波音と間違われます。超低周波音は、20Hz以下の耳では聞こえない低い周波数の音ですが、障子がガタガタしたり、胸に圧迫感が起こったりします。しかしこの超低周波音を感じるような音圧レベルは、一般の空調ないし冷凍用室外機からは発生しません。また低周波音という言葉もあります。これは1~80Hz程度までの超低周波音を含む低い周波数の音です。「低周波」という言葉だけが独り歩きし、姿の見えない恐ろしいもののように扱われている場面によく出くわします。しっかりと、音として認識することが重要です。

そもそも音楽の音階の始まりであるピタゴラスの音律は、いかに唸りを生じさせないかということに注意して作られています。基本の周波数に対し1.5倍して唸らない二つの音の関係を作り、さらにそれを1.5倍するということを繰り返し、基本の周波数に対して2倍(オクターブ)を超えたら2で割って、さらに続けて音階を作っています。1対1.5の関係はドとソの関係です。それがピタゴラス音階で、作られたのは紀元前550年ほど前のことです。そのころから人類は唸り音が嫌いなようです。

しかし、一方よく聞き慣れた日本のお寺の鐘は唸ります。この唸りはわざわざ唸るように作ったものだと思われます。おそらく、人々の願いが天に届くように唸りをつくっているのだと考えています。インドネシアの楽器、ガムランの音楽も唸りが特徴的です。日本の三味線や琵琶なども唸りが生じています。また現在では西洋音楽は平均律を用いていますから、厳密に言えば唸りが発生しています。20世紀の音楽家はこの唸りを利用することがあるようです。例えばメシアンの曲などはピアノが唸りを生じることで幻想的な雰囲気をつくりだしているようです。これらの場合には、唸りの音は、超自然的な場面を感じさせるのではと思います。このように、この唸りが気持ちよく聞こえるか、気持ち悪く聞こえるかは紙一重のところがあります。気持ちのよい唸り音の条件としては、少なくとも音が減衰していく必要があると感じます。

2011/02/21

音楽の起源の空想

密林のネコがサルの声をまねて、サルを捕まえようとする行動が発見されたとのこと。これはブラジル、マナウス近郊のアマゾンの熱帯雨林に生息するネコ科の小型肉食動物マーゲイが、オマキザル科の一種フタイロタマリンの赤ちゃんの声をまねて獲物をおびき寄せるとの研究を、ニューヨークで活動する非営利団体の野生生物保護協会(WCS)が2010年7月8日に発表したものです。このニュースはナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト2010.07.14を見て知りました。

実は昨年のことですが、自宅で尺八のCDを聞いていたら、開いていた家の窓に鳩が来て、家の中をのぞいて、尺八の声に合わせるかのように歌い始めました。尺八が鳩を呼び寄せたかのようで驚きましたが、それとそっくりの話です。CDは「霊慕 虚無僧尺八の世界 東北の尺八」で、演奏は中村明一です。

一昨年(2009年)に、ドイツの洞窟で35000年前の骨でできた笛が発見されました。穴が5個見えていましたが、これでどのような音楽が演奏されたのか想像してみましたが、ひょっとしてその笛で鳥や動物の声をまねて、獲物をおびき寄せるのに使ったかもしれないと思うようになりました。それが進化して現在の音楽になった可能性があるような気がします。

35000年前は旧石器時代後期で、ショーヴェ洞窟壁画、アルタミラ洞窟壁画、ラスコー洞窟壁画なども現れています。大系世界の美術第一巻「先史・アフリカ・オセアニア美術」(1973年発行 木村重信 著)によれば、「人間が美術作品らしいものを作り始めたのは、中略、旧石器時代後期にわれわれの直接の祖先にあたるホモ・サピエンスが現れて以来のことである。」「後期旧石器時代人はまだ農耕や牧畜を知らず、野生の動物を狩り、野生の植物をとって生を支えた。中略、彼らは罠を設け、陥穽(カンセイ、落し穴)を堀り、あるいは狩出し、追込みなど、あらゆる可能な手段を尽くして狩猟に専念した。」 とあります。また、洞窟壁画は、住居の装飾を目的としているわけではなく、洞窟を住居とする場合には、入口から数メートルの、日光が直接または間接に指し込む部分のみを用い、壁画は、例外なく洞窟の奥深いところに描かれているとのこと。絵の内容は、「彼らが好んで捕獲し食用とした動物ばかりが描かれていること。しかもこれらの動物は肉付きのいい成熟した姿であらわされ、特に身重の雌が好んで描出されたこと。また2匹以上の動物が組み合わされる場合は、ほとんど雌雄一対で表わされること。それとは逆に動物の殺害を意味する、矢や槍を身に受けた動物の描出が多いこと。このような絵と関連して、罠または陥穽を表した図形が多く見出される。」「このような具体的な性質を有する絵画の背景には、常に野獣を狩る危険と飢餓の緊迫によって強められた、旧石器時代の人の強烈な欲望がひそんでいたが、そのことによって絵画はすこぶる生命的なものとなった。」
洞窟壁画は、動物をとらえたい欲望を呪術的に表現したもののようです。これらから類推すると、音楽もきっと初めは動物を捕まえる道具で、その内、呪術的な表現、例えば儀式の道具になっていったのではと想像できます。

2011年1月11日の朝日新聞の夕刊に、「危ない!親鳥 声を使い分け」「シジュウカラの親が、天敵のカラスとヘビに対する警戒の鳴き声を使い分け、聞いたひなは巣の奥へひっこんだり巣から飛び出したり、それぞれ天敵に応じた防衛行動をしていることがわかった。」と立教大学の鈴木俊貴さんの研究が発表されたというニュースが書かれていました。鳥には言葉があり、古代人はそれを利用していたと思われるが、鳥や動物の言葉が分かるといろいろ環境のことがわかる可能性があると感じました。

2011/02/14

「○の音場を楽しむ会」というコンサート

1月7日のブログでご紹介した球形ピアノ室の施主でありピアニストの山本玲さんが、2月11日(金祝)にコンサートを計画され、このプロジェクトに参加された建築家の大野さん、建設会社川島組の皆さん、音響技術を担当した私をご招待くださり、20名ほどが集まって開催されました。

コンサートは「○の音場を楽しむ会」という名前でしたが、とにかく皆さん同様、ピアノが入ってどんな音になるのか気になっていましたので、不安半分楽しみ半分で参加しました。
音響技術者には、球形や立方体は音響障害があるために避けるべき形という観念があります。その先駆的建物は、1871年(明治4年)にロンドンにできた、平面的には楕円形で天井はガラス製のドーム型のロイヤルアルバートホールです。フラッターエコーなどの音響障害により、音響学に貢献した有名な建物です。もちろん英国国歌を演奏する場所、またビートルズなどのコンサートが行われたホールとしても有名です。またその前年1870年(明治3年)には、世界で最も美しい響きといわれているウイーンムジークフェラインザールができています。今回のこの球形のピアノ室もちょっとおおげさですが歴史的な出来事のように感じます。

音場の確認という意味で、設計の大野さんが激しい曲と静かな穏やかな2種類の曲の演奏を山本さんにお願いしたとのことで、ショパンの「革命」、と辻井伸行の「川のささやき」が演奏されました。さらにピアノの蓋を開けたり、閉めたりして演奏することも試してみました。蓋を開けたほうが大きな音になりますが、音の大きな力強い「革命」でも音は割れたりせず、また一つ一つの音がきれいに聞こえていました。さらにいえば、音の一つ一つが自己主張していて、音響技術の言葉ではありませんが華やいで聞こえます。「川のささやき」も、さざ波が次から次へと岸辺に押し寄せているような情景が浮かぶきれいな曲です。竣工当初はこのような高い音はキンキンひびいて耳をふさぐような感じだったようですが、調律師にハンマーを調節していただいたおかげで、きれいな音になっていました。
このような挑戦的なプロジェクトに参加できて本当によかったと思います。設計の大野さんのデザインコンセプトが一貫していたことが、いい空間ができた原因と感じています。

撮影:川島組 大畑さん

私は横浜から車で行ったのですが、横浜は朝から結構激しい雪で、御殿場を抜けるまで雪が続いておりました。天気予報では、夜までには神奈川西部は積雪15cmと言っていましたし、次の日も雪の予報でしたので、どうなるかと心配しながらでしたが、音が良かったので安心し、また帰りも御殿場あたりでは雪は降っていましたが、積雪はなく気持ちよく帰りました。

これより少し前の2月6日(日)に、ACT環境計画が主催するアントラクトで、小川典子のピアノコンサートがありました。曲目はベートーベンのピアノ・ソナタ第30番、31番、32番を休憩なしに集中して聞くコンサートでした。アントラクトのホールは住宅の居間空間で、2層吹き抜けていますが、コンサートホールとは大きさが違います。力強い音は大変力強く、柔らかい音は柔らかく、明確に聞こえてきます。音楽家は神経を使って大変でしょうが、素晴らしい力の入った演奏で感激しました。

この二つの空間は、大きさはどちらも大きくは違いがありませんが、音の雰囲気は多少違いがあるように思いました。アントラクトの空間は、平行の面を極力なくして、響きを作りました。したがって素直な感じです。球形のピアノ室は、場所によって多少違いがあるかもしれませんが、個性的で、華やかな感じがしました。設計の大野さんは大聖堂をイメージして設計したとおっしゃっていましたが、その様にちょっとキラキラした感じがあります。
しかしいずれの空間も音楽家と非常に近くで聞くことができ、音量感や臨場感が素晴らしく、大きなコンサートホールとは全く違うこのような空間での体験は、なかなか得難いものだと思っています。

山本さんが、「革命」の曲はショパンが、ロシアによるワルシャワ侵攻に抗議して作曲したと説明されていました。またコンサート当日の2月11日は民衆革命によってエジプトのムバラク政権が崩壊したことでも記念的な日になりました。このピアノ室にたくさんの人がいらして音楽を楽しんで行っていただけるようにと願っています。

このコンサートの会の模様は、山本さんの「感性をはぐくむピアノ教室≪sfera-musica≫」のブログ、および川島組さんのブログ建築家大野さんのブログにも紹介されています。

2011/01/17

スロバキア国立オペラ ラ・ボエームの杉田劇場での公演

昨日1月16日(日)2:00より、スロバキア国立オペラ「ラ・ボエーム」の公演を杉田劇場で見ました。杉田劇場は300席しかない劇場で、切符代は前売り3500円。切符を買う前に感じたことは、採算度外視の公演という印象です。300席の劇場でのオペラは、ほとんどの日本人にとって経験がないと思います。

歌手は6名、ピアノ演奏者1名、各幕のはじめにスロバキアの人が、日本語でその幕の説明をして幕が開きます。舞台にはグランドピアノと椅子2脚、テーブルとテーブルの上にワインとワイングラス2個、それに舞台後ろ壁の下に上向きのスポットがいくつかあります。イオネスコの舞台のように舞台装置は簡単です。実際に幕は無く、音響反射板が設置されています。したがって一般の舞台照明でなく、音響反射板についている照明がメインです。

ラ・ボエームはプッチーニ(1858~1924)のオペラで、パリの若い芸術家と同じアパートに住むお針子さんミミの悲恋の物語で、中に素晴らしいアリアがたくさんあります。300席ですから、アリアを歌うと、劇場中が歌でいっぱいになります。私の席は真ん中よりちょっと後ろの席でしたが、舞台から10m程度しかなく、俳優の表情もよく見えます。最後ミミがロドルフォのもとで息を引き取るときには涙が滲んできました。隣の席の方もそうでした。素晴らしい舞台でした。観客も盛り上がっていて、歌が終わると拍手がたくさん、ブラボーも何度も聞こえました。

実は最近、つくばの町づくりの活動をされている、つくばの研究所の物理学者の大須賀氏からいただいたメールにチェコの350席のオペラ劇場の話がありました。大須賀氏は今は物理学者ですが、以前チェコのオパヴァ市にあるシレジア劇場というところで、オペラの演出家として雇われていたそうです。写真も送っていただきましたが、非常に美しい劇場で、206年の歴史があるとのこと。大須賀氏によれば「小さい劇場は舞台が視野一杯になり、舞台の中に聴衆が入っていきやすい事も素晴らしいです。1000席規模を越えると、この親近感は一気に消滅する」とおっしゃっていました。206年前ということは1805年ですから、プッチーニの生まれる50年以上前、ベートーベンが活躍していたころのことです。日本は明治時代が1868年からなので、幕末に次第に向かっていった時期です。
杉田劇場で300席のオペラを見て、大須賀氏の話を実感した次第です。

シレジア劇場


このスロバキア国立オペラの日本公演は、長谷川洋行氏がプロデュースをしており、もう日本では13年目だそうで、杉田劇場では3回目だそうです。ポケットマネーで本物のオペラの面白さ、楽しさを感じてもらおうという趣旨で行われている活動で、すべて経費はオペラのチケット代金で賄っているとのこと。今回は1月15日(土)保土ヶ谷公会堂、昨日杉田劇場、明日18日(火)は鎌倉芸術館小ホール、1月24日(月)関内ホール(小)です。

2011/01/07

球形ピアノ室完成

あけましておめでとうございます。いよいよ2011年が始まりました。
昨年の話になりますが、11月にご紹介した球形のピアノ室が無事昨年暮れに竣工し、音響調査を行いました。
残響時間は、コンクリート素面のときには500Hz帯域で2.8秒と長いものでしたが、竣工時の建築空間では1.42秒、吸音用にクッションを8個をベンチに置いた場合で1.07秒となり、気持ちの良い響きが感じられる空間になりました。

クッション(吸音材)を設置して実験する様子


測定の様子

球形の空間は、音響障害である「ブーミング」、「ささやきの回廊」、「フラッターエコー」、「音の焦点」などが起こります。ピアノ室を設計する場合には、一般的には音響障害を排除した空間をはじめから設定して、音響調整をすることが多いのですが、今回はその逆で、球形の無限の空間をイメージして、その空間を大事にしながら音響設計を行ったため、前回のブログでは、音響技術の挑戦と書かせていただきました。具体的には、壁・天井には、様々な形の木毛板をたくさんランダムに配置し、それをアンコにして、断熱材兼拡散材兼多少の吸音材としてパーライトモルタルで凹凸を付けてこて塗りしたものです。パーライトモルタルは中高音域の音を対象としていますが、低音の拡散体のためには、譜面棚を平面的に7角形のうち3辺に配置しました。そのほか3辺をベンチ、1辺を入口としてあります。譜面棚の扉は、さまざまにスリットを入れて、低音を広帯域に吸音するように心がけました。
そのような音響的な対策を行った結果、音響障害はほとんど感じなくなりました。入口付近で多少ブーミングが見られ、ささやきの回廊がいまだに多少残っています。しかしこれらは演奏に直接影響がないと考えられます。
球形のピアノ室の窓は円形のガラスブロックが星のようにランダムに配置されたものです。実際に星のようにも感じ、宇宙の様な印象があります。ピアノの音もおそらく宇宙空間に響き渡るような感じになると思っています。



天井付近

内部

外観

外観

 このピアノ室で、35年ほど前に旅行で行ったギリシャのエーゲ海に浮かぶサントリーニ島にあるLAUDAという海に面した美しいレストランを思い出しました。そのレストランは、海に向かう急斜面にあけた洞窟にあり、内部は火山岩のでこぼこした表面に真っ白な漆喰を塗りつけた仕上げで、海に向かって開放されています。いつかこのような空間を作ってみたいと思っていましたが、ついにそれが実現したような感じがしています。


施工:株式会社 川島組