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2024/04/24

歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』 歌劇『道化師』の公演

 歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の作曲はピエトロ・マスカーニ、歌劇『道化師』の作曲はルッジェーロ・レオンカヴァッロ、これらのオペラは民衆を題材に、しかも彼女の不倫を理由に、彼氏同士が決闘などしたりして激しく幕が終わる。このような出来事は物語になりそうで、音楽も美しいが、民衆の中によくある出来事なら、落ち着いて生活が出来ない。わが生活を見てほっとする。だから物語になるので、オペラは貴族たちの物語だけではないこともわかった。

2024421日(日) 14時開演、17時終演

ティアラ江東は地下鉄半蔵門線の住吉駅から歩いて、数分程度の、都立猿江恩賜公園の中にある施設で、ティアラとは「宝冠」のことのようだ。たしかに外観は円弧のガラスカーテンウオールのファッサードだからか、名前に注釈が必要だ。一般名称は江東区江東公会堂。建築設計は久米設計。建物はきれいで、舞台の機能も、客席のデザインもこなされていて、演劇関係の公演やコンサート、さらにオペラの公演も対応が出来ている。客席のデザインも舞台と客席が対向するだけでなく、二階席は桟敷席が1階席を取り囲んで、空間の一体感を盛り上げている。

客席は通常固定席1,228(1848席、2380)ではあるが、1階の前方の客席はオーケストラピットができていてオペラにも対応している。ただし1階席の客席は100席ほど少なくなっているはずだ。当日、1階席は満席であった。舞台は幕設備となっていて、いくつかの舞台装置がある。

オペラ歌手に関しては、出演者は420日の公演と、421日の公演が別グループになっており、さらにカヴァレリア・ルスティカーナと道化師の出演者も別グループになっている。演出は土師正人、指揮は諸遊耕史、オーケストラは江東オペラ管弦楽団、さらに江東オペラ合唱団、および四街道少年少女合唱団、またさらにダンサーが数名いる。総勢大人数となるが、チケット代は4000円で購入者としてはお得な値段である。

カヴァレリア・ルスティカーナの主演は末廣貴美子で、何度か見ているが、声がきれいで、しかも音量が大きく、今までで一番良かったのではないか。多分建築空間もよかったとおもう。

オーケストラはプロセニアムの客席側にあるために、響く空間の中にいて、大きな音で響く。何となくワーグナーの気持ちになった。もうすこしオーケストラの音を舞台の下などに潜り込ませて、歌手の声を響かせ目立つようにできたらと思ったが、これは現在の設計上の難しいところだ。オペラの演出上の悩ましさは、歌舞伎のように花道をつかって俳優が舞台を出て客席の中に入るようなことは、この大人数のオーケストラをさけて行う必要があり、なかなかむつかしい。また単純に言えば、観客が舞台の近くまで寄れない、と同時に俳優も観客の近くに寄れない。今後の演出上のテーマがあるように思う。





2024/04/23

善照寺仏教壮年会40周年記念式典・追悼法要

 令和6年(2024420日(土)400より600

仏教壮年会の40周年を祝って行われたようだ。父がかつて仏教壮年会に入っていて、親鸞聖人の銅像を購入したり、活躍した様で、その関係者としてうかがえた。

壮年会会長等のあいさつのあと、山﨑龍明氏による講演があった。山崎龍明氏は、仏教学者のようで、本日のテーマは、『聖徳太子の仏教と社会観   ―十七条憲法の精神―』というもので、以下に示す資料をいただき、大事なものなので、家に帰ってからすぐに捨てないでとっておいてくださいとのこと。思い入れを感じる。十七条のうちの第一条は「和ぎ(やわらぎ)こそを貴び、、、」、第四条「政治を司る群響も、、、みな礼を本としなければならない。、、」、第五条「饗応を拒絶し財の欲をすてて、、、」、 第十六条「民を使役する場合は、、、多忙な季節に、、民をつかってはいけない。もし農夫が田畑やかいこの仕事をしなければ、人は何を食べ何を着るのでしょうか。」 第十七条「大事なことを独断で決めてはならない。、、、多くの衆とよく話し合い、それによって道理に合っていることがえられるであろう。」これらの話を現在の政治と絡めて身近な話題とするなど、わかりやすくおもしろく、ためになった。最後の章は特に現在の内閣は大事なことを国会で決めずに「閣議決定」にするなどの方法を題材に話すなどなるほどと思えた。

 この講師の話は、毎月10日に講演されるようだ。前回紹介した善照寺で行っている雅楽の勉強のはなしも、なるほどと思うところが多く、学校以外にもいろいろ興味深いところがあるようだ。






2024/04/16

箏・尺八のコンサート20240414

 日時:2024414() 13001500

場所:都築民家園

主催:都築民家園管理運営委員会、共催:都築区三曲協会

公演は茅葺き屋根の農家(都築民家園)で、会場は土間と座敷があり、座敷には囲炉裏もある。観客は、座敷に当たる舞台上の席には、30名ほど、平土間の席に、8席×56列程度で、約50席、合計80席で立ち見もいた。満員だった。壁は土壁や戸襖があるが、その他は外部に開放されていた。天井は茅葺きの裏側で、どちらかと言えば吸音性と思われる。床は、舞台側は板で、平土間席は本当の土の土間だった。都築三曲協会が共催であるが、今回は箏 数台と尺八 数台で、三味線はなかった。

演目は「花笠音頭」等の民謡もあったが、「さくらを編曲」したもの、松任谷由美の「春よ来い」、「ルパン三世」等新しい曲が主であった。印象的だったのは尺八3重奏の「竹の光」という曲で、きれいな和音を目指しているような曲だ。

最期に、「早春賦」と「ふるさと」を参加者と合唱したが、なんだか舞台と観客が一体化して楽しく過ごせた。

演奏が終わった後に、箏の人に聞くと演奏しやすかったと、私もきれいな音に聞こえた。尺八の人に聞いたら、お客さんが入る前に吹いていたら、吸音性が過多で、どうなるだろうと感じていたと。多分一般的には、コンサートホールとしてできているところは、かなり響くように作られている。それと比べると今回の空間は音の吸音性の空間となっている。今回の「竹の光」はアンサンブルでハーモニーを期待しているので、より響くところが好ましいのかもしれない。ただ三曲、特に箏は多分伝統的な和風の空間で、音の吸音性のある都築民家園のような空間が好ましいように感じた。









2024/04/10

真福寺の花祭り20240408

 202448()10時半ごろ、真福寺でご本尊の一つの釈迦如来立像1年に一回の御開帳を見に行きました。木造の釈迦如来立像で国の重要文化財です。顔が凛々しく締まっており、素晴らしいものです。仏像と言えば仏像ですが、人間の意志を感じる像です。やはり素晴らしいです。残念ながら写真は撮れませんでしたが、その代わりに甘酒をいただき、お釈迦様の誕生を祝っていると思われるお守りを買ってきました。

以下は2021.02.01に書いたブログ横浜市歴史博物館の特別展 『横浜の仏像 しられざるみほとけたち』にも釈迦如来立像のことを書いています。                           http://yab-onkyo.blogspot.com/2021/02/blog-post.html



2024/04/08

混声合唱団リンリーズ 第16回定期演奏会

 日時:202446()1400開演

森のホール21小ホール

リンリーズの出席者の中に、元飛島建設・設計部の高井さんが出演しているので何回か行っている。この時に同僚の人も会えて、いい機会となっている。今回はコロナ禍もあり、久しぶりの公演となった。

森のホール21は新京成線八柱駅から徒歩15分とあったが、時間が足りなくてタクシーで行った。森のホール21は円形の外観で華やかな雰囲気である。設計はA&T建築研究所で、この設計事務所は愛知県立芸術劇場の設計コンペで優勝し、大成建設から独立した会社である。今まではリンリーズは大ホールで公演をしていたが、今回は小ホールである。馬蹄形の客席配置で、雰囲気はとてもいいが、ホームページでは演劇重視型の多目的ホールと書かれている。1階席は392席、2階席は124席で、合計516席と書かれている。遅れて入ったので、2階席しか開いていなく、しかも2階席も満席であった。合唱の公演は、歌うのも健康に良さそうだし、合唱団も50人ぐらいいて、その関係者も多く集まりやすいのかもしれない。しかも懐かしい人に会えることもいい機会を提供してくれていると思う。

公演は、どの曲も力が入っていたが、とくに第三部のDark Night of the Soulやシューベルトのミサ曲が、気合が入っていて、弦楽アンサンブルかつしか(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の伴奏もついていた。チラシにDark Night of the Soul7拍子が多く、とても難しいと書かれていた。この変拍子は有名なのはジャスのTAKE FIVEで、5拍子でできていて、演奏時は3拍子と2拍子に分けてると演奏しやすいかもしれないが、この7拍子はどうやるんだろう?練習は大変だったと思っている。

また合唱の最後の声が長くのばされていた。これは意図的なのかどうかは分からないが余韻を残している。多分教会の残響を意識しているのかもしれない。さらに合唱団の公演は舞台で、幕設備に屏風型の音響反射板を用いていた。舞台を覆う音響反射板であればより歌いやすかったのではと思ったが、舞台の天井は幕設備のために天井反射音が来ないので、歌いにくいのではないかと感じた。

 

            公演の後、撮影した。




2024/04/01

イースター・コンサート(Easter Worship Cherry Blossoms Concert)

 柚の木の交差点近くにある教会で、コンサートがあると新聞のチラシが入っていたので、申し込んでいってみた。家からは歩きである。1階はRC造で、事務所やトイレに使っているようで、二階は木造のワンルームの教会で、天井高さは45mある。お客さんは2030名収容、床・壁・天井(傾斜がついている)は音の反射性で、よく響く。写真用の照明が天井からぶら下がっていて、写真館の用途にも使っているのかもしれない。331()10時より、11時まで。ボーマン・ベアンテ師のお話が半分と、演奏が半分。演奏はボーマン・ベアンテ師によるチェロと、ボーマン・ルリ子師による電子ピアノである。ボーマン・ベアンテ師は東京交響楽団の首席チェロ奏者を務めていた方だとチラシに書いてある。私の席は最後列で、しかも演奏者から56mしか離れておらず、低い音から高い音まで、大きな音でよく響くし、コンサートホールとして素晴らしいところだ。




2024/03/27

ノウルーズ(NOWRUZ)(ペルシャの新年)・コンサート

 ノウルーズとはペルシャの新年という意味だそうだが、日本ではちょうどソメイヨシノさくらが咲く時期で、学校の新学期が始まる時期になるので、ちょうどこれから新しい年が始まるという意味では同じような感じだ。

日時:2024323日(土)19002100

場所:港区立産業振興センター11F小劇場 定員120名 ロールバックチェアー

舞台の背面はガラスで外が見える状態で、あいさつがあり、つぎにカーテンをおろし、絨毯が背面に見えるようになって公演が始まった。主催はペルシャ絨毯専門のPersian Abrisham

この会場は、今回は音楽の公演であったが、平土間にして展示会もできるようになっていて、産業振興センターとして多用途に利用できそうだ。

主の楽器は、弦楽器のカマンチェ(4弦、二胡のように立てて弓で弾く)、タール(4弦、クルミ製の塊(共鳴器)が二つ接続しているような形で、フラットもある。ギターの元祖の様な形)、ドタール(2弦、が長く、低い音から比較的高い音まで出る。)、打楽器はドンバック(大きなワイングラスのような形に皮を張って太鼓にしている)、ペルシアンダフ(シンバルの大きな形で、表面に皮が張られ、裏側の枠にシンバルのようにたくさんの金物がついていて華やかな音が出る)、演奏者は床に敷かれた絨毯の上で座って演奏をしていた。

Kiaさんが主に弦楽器、例えばカマンチェやタールを一人で演奏し、Mashuさんがドタールを一人で演奏し、更に打楽器のドンバックやペルシアンダフと合わせて2人で演奏し、さらに、Aminの声楽を含めて全員で演奏するなど、さまざまな演奏をしていた。それら多くの楽器は私には知らない楽器だが、たとえばタールという弦楽器は、二つの塊をくっつけたような形で、それを平らにするとギターのような形にも見えてくる。カマンチェは二胡のように弓で弾くが、形としては将来ヴァイオリンにも変化していきそうである。ドタールはイラン、タジキスタン、ウイグルなどで人気のある楽器で、シルクロード沿いのトルコのサズやカザフスタンのドンブラなどとも2弦で似ている。それぞれが様々な形で展開していったように思う。このコンサートにはなかったがペルシャのバルバットという楽器は、古くは中国にわたりピパ、更に日本で琵琶になったようだ。ヨーロッパに渡り、イタリアでマンドリンにも変化したようだ。

またクラシック音楽のコンサートのように演奏者は演奏するひと、観客は聞く人と分けられているという感じがあるが、このコンサートは聞く人も演奏者と関係がある人が多そうで、最後の場面では、観客も演奏者の傍によって一緒に話をし、さらにだんだん集まってきて記念写真を撮るようなこともしていた。

公演が始まる前、舞台の後壁のガラス窓から外部が見える。


                             カマンチェ 4弦で、弓で引く、クルミの木で共鳴箱はできていて

                 羊の皮を貼っている。二胡のように楽器を立てて弓を引く


                                    タール 4弦 フラットがついている ギターの元祖のような形



                                          上部:ドタール 下部ペルシアンダフ

                           トンバック 太鼓の本体はクルミの木、羊の皮を張っている。


                           公演終了後、観客は舞台によって記念写真などをしている。


                  会場で購入したCD(DROPLET DANCE)


2024/03/25

「52ヘルツのクジラたち」を読んで

 著 町田そのこ、52ヘルツのクジラたち、中央公論新社

川和小学校のコミュニティハウスで、音響技術者が喜びそうな名前の本があって借りた。ただし音響技術者にとっては、JISの基準がオクターブバンドで言えば、63Hzから始まって4000Hzまでが評価の対象で、52Hz(ヘルツ)は63Hzのバンドに入る低い周波数である。しかも感度が高い周波数より、床衝撃音を除いて比較的騒音対策の対象になりにくい。

しかしこの本は、p.71に「52ヘルツのクジラ」の意味を書いている。「普通のクジラと声の高さが-周波数って言うんだけどね、その周波数が全く違うんだって。クジラもいろいろな種類がいるけど、どれもだいたい10から39ヘルツっていう高さで歌うんだって。でもこのクジラの歌声は52ヘルツ。あまりの高音だから、他のクジラたちには聞こえないんだ。」 とにかく騒音問題を扱っているのではなかった。一般の音響技術者であれば、うるさいので何とかしなければと思うのだけれど、この本では、歌っている52ヘルツの音が他人に聞こえないことが問題なんだということがテーマなのだ。

主人公は再婚した義父や母にいじめられ、たまたま雨の中であった少年もやはり親にいじめられ、お互いに、いいことも暴力的な悪いことも死に直面するようなこともありながら、様々な出来事があり、最終的にはお互い助け合いながら生きていこうという結論。話はとても展開が早く、映像的で、最後まで一気に読んでしまった。

話はとても現代的なテーマで、この意志や気持ちが伝わらないことは、より敷衍的にも展開でき、お互いに助け合っていかなければということがメッセージだとも感じた。



2024/03/20

旧釈迦堂や旧真福寺周辺の早淵川沿いの神社・仏閣等

 あざみ野駅周辺の早淵川沿いの神社・仏閣などはかなり高台にある。多分洪水があった時にでも水害から避けられるようにと考えたのかもしれない。そこで早淵川に沿って、あざみ野駅周辺を歩いてみた。この荏田の地域は東名高速道路と国道246号線が2本かなり並んで横断しており、横断する前の状況を想像することはなかなか難しい。主に釈迦堂および旧真福寺の過去の状況を文献ではなく、地理学的(明治時代初期の地形図)な、地政学的(国道246号線や東名高速道路)な、物理的(早淵川との地盤の高さ)な解釈の方法で想像してみた。独立行政法人農業環境技術研究所が明治初期につくられた地図(歴史的農業環境閲覧システム)および現代の地図を比較できる比較地図を作成し、公表している。それを利用した。


現在の地図で、調査したところを□で示している。下図は明治初期の農業環境の地図で、太いオレンジの線で旧大山街道を示し、細いオレンジ色の線で、釈迦道(しゃかんどう)を示している。かつて釈迦道は図のように尾根を横断している。


            明治初期の農業環境図

神明社

あざみ野駅の近くを流れる早淵川の上流1kmほどのJollyPastaの一つ手前を左折したところの根の中腹にあるのが神明社で、牛込獅子舞の代表的存在と由来の標識にある。


神明社の鳥居と本殿

慰霊碑                                                         

平成元年 区画整理事業により地区に点在していた墓地を整理し、供養した。場所はあざみ野駅から近く、うかい亭の駅側にあり、尾根の頂上で、忠魂碑のある山脈を分断した田園都市線を超えた延長線上にある。管理しているお寺は分からない。


西勝寺                                                             西勝寺はあざみ野駅の下流側すぐのところにある。早淵川近くにあるが階段を上ったところにある。墓地はこの本堂の裏側にある。


西勝寺墓地(本堂の裏側の一番高いところにある)今はさらに墓地の増築工事を行っている。


伊勢社                                                             伊勢社は早淵川から見て、たまプラーザの方に西勝寺を超えたところの山の頂上付近にある。

驚神社                                                            「驚」は馬を敬うという漢字を合体させたような名前である。あざみ野駅から約500m下流側にある。早淵川近くにあるが、階段の上にある。



忠魂碑



忠魂碑は当時の政府に忠誠を尽くして、日清戦争・日露戦争・第二次世界大戦などの戦争で亡くなったこの近隣の人の名前を記してたたえた記念碑で、お墓ではない。横浜市歴史博物館特別展 『横浜の仏像 しられざるみほとけたち』のブログ

https://yab-onkyo.blogspot.com/2021/02/blog-post.htmlにも書いたが、都築・橘樹研究会の『都築・橘樹地域史研究2』という本を横浜歴史博物館から紹介され、その中に林浩一著『都築郡山内村忠魂碑について』という文書(p. 112118)があり、そのなかに、忠魂碑は大正八年に釈迦堂の土地が寄付されたと書かれている。廃仏毀釈があったのは明治の初めなので、大正八年では廃仏毀釈が原因としては時期が遅すぎているように思う。単に本堂の老朽化ないし後継者がいなくなったためかもしれない。またこの釈迦堂にはお墓が付属していなかったようで、このお釈迦様が納められているお堂があっただけのようだ。


真福寺(真言宗豊山派養老山 真福寺)                                        真福寺の由来の文章によれば、真福寺は老朽化により当時観音寺であった当地に大正10年(1921)真福寺ならびに釈迦堂を移し、それぞれの本尊を客仏として安置したとかかれている。本尊の木造千手観音像(一本造)は、県の重要文化財で、客仏の木造釈迦如来立像は、国の重要文化財で、鎌倉時代の作とある(昭和八年一月二十二日国の重要文化財指定)。この釈迦如来立像は口をキリリと締め、意志の強そうなお顔をしている。他のほとんどの仏像がにこやかな穏やかなお顔をしているが、この顔を見ていると緊張する。素晴らしい仏像である。


 この木造釈迦如来立像は、京都清凉寺本尊を模刻したもので、県内には、この他に称名寺像と極楽寺像が国の重要文化財の指定を受けている。この真福寺は入り口には階段があり、高く位置し、洪水から守られている。この寺の入り口には春彼岸とあり、お墓参りをしましょうと書かれているので、墓地を探したが、この本堂の周辺にはなく、ただこのお寺の隣の敷地に近隣の慰霊碑が経っていた。また、その隣地には、お宮さんの建物もあった。正確には真福寺のお墓は旧真福寺近くの敷地に今もある。



旧真福寺は宿自治会館の近くにあったようで、宿自治会館の近くにはお墓がある。木々がうっそうとしている中にお墓があるので、昼間も少し薄気味が悪い。この墓地を管理しているところはどこかわかりにくいが、この真福寺だということ。(※近隣の人に聞いたが、真福寺と観福寺は兄弟で住職をしているとのこと)、この墓地の奥には現在非常に大きな集合住宅の「アルスあざみ野」があり、よく見るとこの墓地の中段には不自然に地面を削った後があり、この最後の宿自治会館側の道のところでも擁壁がある。


最初に示した現況図と明治時代初期の農業環境図を現在の荏田の近くを中心に拡大して示す。現況図で黄色い線で示されたところは、釈迦道と一部旧大山街道と旧大山街道に沿った道路が示されているが、今やこの道は主要な幹線(県道)となっている。釈迦道(参照:農業環境図、最初に記した図を拡大したもの)は山脈を越える山道となっており、峠の位置では現在の忠魂碑(旧釈迦堂)と同じ山なりにあったことになり、釈迦道の峠からは大きなレベル差はないと思われる。また国道246号線ができる前は、多分この山脈はさらに続いていて、農業環境図に緑色の線で示したが、山を貫通していることがわかる。現在宿自治会館がある位置は、明治時代では山なりの一部に存在していて、多分この旧真福寺も真福寺の墓地も山なりの一部分に位置していて、早淵川より高い位置にあり、洪水を避けられる高さにあったと思われる。また旧大山街道は釈迦道と交わるところで直角に曲がっているが、この山脈を避けるような形で、現在の国道246号線をわたり、早淵川まで行って曲がっている。また早淵川と合流する布川も現在は東名高速道路で地下化しているが、以前はそのまま谷を伸びていて、蛍も生息するきれいな川となっていたようだ。


現在の釈迦道と旧大山街道と東名高速道路と国道246号線および早淵川・布川を示している。さらに緑の線で現在の宿自治会館(旧真福寺)方向の道を示している。

 また釈迦道は峠を越える位置で、現在の忠魂碑とほぼ同じようなレベルとなっていたように思うが、いつ切通が出来たかはまだ資料が見つからない。東名高速道路については、1951(昭和26) 東京・神戸高速自動車道路調査を再開とある。調査再開と有るので多分戦前から調査は行われていたことになる。1963(昭和38)18日測量のための杭打ち式開催、全線起工式開催が、1965(昭和40)422日、東名高速道路が全線開通したのが昭和44年(1969年)526日で、真福寺の由来では、大正10(1921)に現在の場所に移動したと書かれている。その後、この地域(旧真福寺周辺)は国道246号線の計画の高さに合わせ、地盤を下げたように思う。またその延長線上にある釈迦道も東名高速道路の高架下を通り抜けるため、計画に合わせ、地盤の変更を行ったのではないかと思う。いずれにしても実際の工事は戦後(1945年)以降と思われる。切り下げしたときの擁壁がしっかりとしている。しかし東名高速道路の下を抜けるためだけではこのような大掛かりな切通にはなっていないように思う。先ほども書いたが、現況図ではこの釈迦道は現在県道であり、主要幹線となっているようだ。したがって峠を越えるような山道では、自動車道路としては安全ではないので、切通にしたように思う。多分大工事のような気がする。

またなぜ真福寺は現在の位置に変更されたかを考えてみる。もし単に本堂が老朽化したのであれば、建て直すこともできる。しかしこれは国道246号線が出来たことによって、地盤の高さを変更する必要があり、現在の位置に変更したのではないかと思われる。真福寺の由来では、大正10(1921)に現在の場所に移動したと書かれている。国道246号線は大正9年(1920年)に当時の道路法に基づき、東京府道第1号東京厚木線、神奈川県道厚木東京線などと指定されたとのこと。時間的には重なっている。また忠魂碑のところですでに書いたが、忠魂碑は大正八年に釈迦堂の土地を寄付されたとされているが、これとも時期がほぼ重なっている。

観福寺  

観福寺(真言宗豊山派 宝剣山) 本堂は鉄筋コンクリート造でできているので新しく、古くからある建物ではなさそう。観福寺の墓地はこの本堂の裏側にあり、広い敷地で、周辺では最も高台にある。

ただしこの観福寺の一部のお墓と真福寺のお墓は、現在の宿自治会館の隣の山側の木々の中にある。



OIKO∑教会

横浜生田線の柚の木の交差点を剣神社の方へ曲がり数十メートルのところを、さらに数10メートル奥に有るプロテスタントの教会。ギリシャ文字のような名前の教会である。ここではコンサートもやっているようで、興味深い。この場所は早淵川のレベルとはそれほど大きな違いはないが、1階はRC造でできており、2階が教会のようだ。今までの論旨で言えば、もし早淵川が洪水になった時には、一階がコンクリート造なので、倒壊は避けられると考えられる。

                写真OIKO教会

剣神社 

剣神社の由来によれば、村(荏田村と思われる)の中央字榎木谷にあり、剣明神と号す当初の総鎮守なり、云々 また 商人が居眠りをしている間に大蛇が狙ってきたので、刀で斬殺した。その剣を祀って剣明神としたと。この伝説は八俣の大蛇の伝説と類似しているとも書かれている。そこで由来の文書では、「開拓神」ないし「農業神」として祭ったのではないかと、鎌倉時代の創建と言われている。いま一般的に考えると大蛇はこの早淵川で、洪水の時には暴れ川になるので、剣でなく、鍬とかスコップで川を改良したのではないかと思う。剣神社周辺は、今も水田の地域である。


矢羽根不動尊  ここは柚ノ木交差点をさらに横浜生田線という道路をセンター北駅の方向へ向かい、早淵川と交差するちょっと手前で、山に相当登ったところにある。創建の正確なことは分からないが、この石の階段は早淵川からは相当レベル差があり、段差も規則的ではなく、登るのは大変で、階段の施工も結構大変だったと思われるが、洪水の時には安全だ。また矢羽根不動尊とはロマンチックな名前である。この神社のすぐ横には、小さなお稲荷さんもある。

東善寺本堂 ここは矢羽根不動尊の前の横浜生田線という道路をセンター北駅の方向へ向かい、橋を渡ってすぐのところにある。やはり東善寺は入り口に階段があり、早淵川とはレベル差がある。


       慈眼寺も杉山神社も高台にあり、早淵川とは高さにレベル差がある。

              センター北駅から眺めた右側 杉山神社、左側 慈眼寺


2024/03/17

和楽器に親しむ というコンサート

 このコンサートの正式な名前は都築区民活動センターが主催している「交流サロン」で、今回のテーマは「和楽器に親しむ」というもの。演奏は都築区三曲協会のみなさまと書かれているのは、主催者は都築区民センターだからです。三曲は箏と尺八と三味線のことで、その合奏という意味ですが、今回は、三味線は居ないようです。場所は都築区民活動センターというところで、2024315日の10時から12時までですが、最初は主に箏と尺八の演奏で、さらに早春賦、故郷などの唄を参加者が歌を伴う合奏があり、後半は箏を触り、塩ビ管でできた尺八を吹かせていただきました。さらに自己紹介もあり、観客と演奏者が溶け込んでいるように思いました。観客には北大の学生で尺八や箏のクラブに入っていて、今は春休み中で来れたとのこと。観客は年寄りばかり?なので、若い人が居るのは頼もしく感じました。

                      集合写真を撮るときに、撮影させてもらいました。

プログラムのチラシの中に、歴史のことがかかれていて、「箏は奈良時代に中国から伝来した楽器で、雅楽の楽器の一種になり、控えめな伴奏する楽器でした」と書かれています。多分雅楽の中の控えめな伴奏する楽器と書かれているのは、和琴いう楽器ではないかと思います。この和琴はどうも中国からではなく、日本の埴輪にも出てくる古くから伝わる楽器の様です。以下は我がブログ(2023.03.24)の「花散里の最初の方にある文、箏、琴、和琴」というタイトルの中に、箏、琴、和琴ということが書かれています。源氏物語に出てくる話です。「風情のありそうに繁っている奥から、美しい音色の箏(そう)の琴(こと)を和琴(わごん)の調子に整えて合奏し賑やかにひいているのが聞こえてきます。」注:()内は訳者の瀬戸内寂聴がフリガナをふってくれている。源氏物語』では、古代中国の士君子の倫理性を担った琴に対して、日本伝来の遊楽を楽しむ和琴が対比され、琴は礼楽中心の楽器、和琴は自由な発想を持った楽器として描かれた。」以下はこのブログである。

https://yab-onkyo.blogspot.com/2023/03/blog-post_24.html

箏や琴や和琴やハープやウクライナのバンドゥーラも弦がたくさんあり、それぞれの用途がありますが、また多分それぞれと別の楽器、例えば尺八や篠笛と合奏するなども考えられます。我々の世代は、クラシック音楽が小学校のメインの曲で、山田耕作や宮城道雄や滝廉太郎等の人たちによって、西洋音階でできた歌などを習い、クラシック音楽を習ってきましたが、クラシック音楽の曲や山田耕作などがつくった今や古くて新しい曲や民謡やJAZZなども併せて聞いたり、演奏したり、歌ったりすることができるようになりました。ただ残念ながら楽器屋さんに行くとピアノやリコーダー、サックスやトランペットなどの吹奏楽器、またドラムなどがありますが、篠笛や尺八や三味線や箏や和太鼓などはまだありません。小学校でも授業で和楽器も習うようなので、そのうちそのような楽器も置かれるようになるといいな。

 



2024/03/11

N響大河ドラマ&名曲コンサート

時: 202439日(土)午後400、場所:東京芸術劇場コンサートホール 

指揮:キンボー・イシイ、オーケストラ:NHK交響楽団 

コンサートとしては珍しい大河ドラマのテーマ曲で主に構成されている。番組が始まる前のたった240秒で聴かせなければならず、どれもはっきりしたテーマを持っている。すごい迫力で、オーケストラの実力がよく分かった。真田丸には尺八も出てきた。尺八を勉強し始めた身としては、癪に障るほど上手な笛の音だった。実はこのコンサートはキンボーさんのお母さんのミエンさんから行こうとすすめられた。ただN響なので簡単には切符は買えないと言ったら、友人にN響の会員がいるので頼めると思うと。おかげさまで切符は手にいれることができたけれど、ミエンさん本人は寝ている間に亡くなってしまい、残念ながらお会いすることができなかった。友人から送られてきたミエンさんの写真は、近くに止まっている車と着ている服の色が同じだったというもの。ミエンさんと会っていると楽しかったことが思い出される。ミエンさんと最初にあったのはウイーンだけど、ニューヨークでレストランを経営していたこともあり、私の息子がC.I.A(カリナリー・インスティチュート・オブ・アメリカ)に入学する前に研修としてそこにお世話になったこともある。2001.9.11の同時多発テロ事件の時、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んでビルが倒壊した。その途中に信じられないと電話をもらったことがある。またその後日本の我が家の近くに娘さん夫婦と住んでいて、よく会いに行ったが、2011.3.11の東日本大震災(13年前の今日)があり、原発事故のため、娘さん夫婦はバリ島に避難し、ミエンさんはウイーンに引越しをしてしまった。それ以来メールだけの会話になってしまった。ただ我が息子夫婦もドイツでキンボーさんのコンサート聴いており、世代が変わってきたことを感じる。キンボーさん、これからもさらに頑張ってください。聞きに行きますから。コンサートのアンコールの後、写真を撮ってもいいとのことなので写真を撮った。