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2019/12/25

鈴木聖子著 <雅楽の誕生 田辺尚雄がみた大東亜の響き> を読んで



音響技術にかかわっているとヘルムホルツという人のことが出てきます。弊社のブログにもヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床という二重床を開発している話が載っています。このヘルムホルツという人は1862年に「On the Sensations of Tone 」(初版)(訳は音律の感覚についてというような意味)という本を出して、音響技術者にはヘルムホルツ共鳴器の発明者として知られていて、現在よく目にできる放送局のスタジオの天井や壁などにある有孔板に利用されています。本書の中では数ページにこの共鳴器の仕組みが周波数分析器として発明され、紹介されていますが、この本の主題は純正律から現在の平均律に移行していることに対して批判的な見解を述べているようです。このヘルムホルツのもとへ東大の音響物理学者田中正平(物理学科の第一回の卒業生(1882年卒業)が明治21年(1888年)に留学し、純正調オルガンを完成させたということは音響学の歴史の中に知られています。明治20年(1887年)に東京音楽学校が設立されたばかりで、なんで東大かと疑問を持たれる方もいると思いますが、音楽の研究も当時、東大が物理学の研究として最先端だったと思われます。

鈴木聖子著 <雅楽の誕生 田辺尚雄がみた大東亜の響き>の主人公の田辺尚雄(1883~1984)も東京帝国大学理科大学物理学科(1904年入学)で音響物理学を学び、大学院で日本音楽を研究対象としたとのこと。影響を受けたのは指導教官及び先輩でベルリン大学のヘルムホルツの下で学び、帰国してから邦楽研究所を構えた田中正平および夏目漱石の俳句の弟子でもあり、尺八について論じた博士論文で博士号を得た(1908年1月)寺田虎彦(1878~1935)(1899年入学)が影響しているようです。

本書の序章に
明治期の日本が、西洋の「music」という言葉を「音楽」と訳したときに、日本の「音楽」の概念は大きく揺さぶられることになった。
とあります。バッハやモーツアルト、ベートーベンなどのヨーロッパの音楽に対して、田辺は日本の音楽の存在も西洋音楽と同じようにレベルの高い位置にあるということを根拠づけようとしたようです。
ダーウインの「種の起源」(1859年)以降、進化論を国家や民族の進化に適応させることが流行り、西洋音楽研究にも進化論が登場しました。ここで登場したのがヘルムホルツで、彼は、和声の発展に向かって音楽が進歩してきていると主張した。それと同じような考え方で、日本では和声を持っているのが雅楽であると認識し、雅楽が進歩発展していくであろうと田辺は考えたようです。

しかし現在からみれば日本の音楽は和声の方向に向かって発展しては来なかったし、同様にヨーロッパの音楽も純正律から平均律に大方変化している。日本の音楽は雅楽に向かって発展しているのでもなく、歌舞伎の音楽の方が雅楽よりまだ我々の中に溶け込んでいるようにも思います。

しばらく前になりますが(9/19)、サントリーホールで蘇州民族管弦楽団のコンサートを聴きに行きました。オーケストラは100名近くいましたが、普通のオーケストラの場合には前面にはヴァイオリンのグループがいるところ、その代わりに40名ほどが二胡で、その後ろに琵琶や月琴のような楽器、中国の琴や横笛、大太鼓などのほとんど中国楽器、チェロやコントラバスが5~6台ずつ、ハープ、ティンパニーなどの洋楽器もありますが、全体の中の一部でした。曲目もほぼ新作、華やかな感じで、ものすごいエネルギーを感じました。コンサートのパンフレットには蘇州民族管弦樂団は2017年11月に結成されたとあります。「中国民族楽器を使った民俗音楽とさらに西洋の音楽との融合は、先進的な芸術性と優れた演奏技術で聴衆を魅了し音楽界で高く評価されている」とありました。田辺尚雄が考えた未来を一瞬で乗り越えているような気がします。

※聴衆が半分以上帰った後に来賓に対してあいさつがあったので、撮影しました。
ただし日本の楽器で蘇州オーケストラのように考えると、ヴァイオリンの代わりに蘇州では二胡が適用されていますが、日本の楽器では三味線では撥弦楽器で音が途切れるため、ヴァイオリンの代わりにはならず、蘇州オーケストラを簡単にまねすることは難しそうです。
日本の楽器で長音を出せるのは、笛類ですが、一般に篠笛は同時に二本以上で音を出すと唸ってしまいます。11/29のNHK Eテレ「にっぽんの芸能」で 「オークラウロ」というクラリネットのような形にキーを付けた尺八を紹介していました。大倉喜七郎が大正11年に開発したもののようです。この尺八は西洋音楽の音階に合わせたもののようで、もしこれが一般的な楽器になっていれば、西洋音楽に近い連続的な音で作曲ができた可能性があるかもしれません。

2019/09/30

天井改修のための劇場および体育館の音響測定

平成26年4月、特定天井の構造について建築基準法が改正された。東日本大震災(2011年平成23年)で各地で天井が落下したことがきっかけである。

特定天井の条件は以下の様になっている。
吊り天井で居室、廊下など日常人が立ち入る場所で、高さが6mを超える天井で、その水平投影面積が200m2を超えるもの、天井面の単位面積質量が2kgを超えるもの(天井に固定されている照明器具を含む)

以上の場合は規制対象となり、一般的な体育館や劇場の天井はほとんどこの規制に含まれることになり、何らかの対策が必要となる。それにより、弊社でも体育館や劇場の天井の耐震改修に伴う音響測定を請け負うことが多くなっている。

天井を耐震化する場合、最初に考えられるのは、天井を撤去して、躯体を露出させてしまう方法である。耐震的には満足するが、気を付けなければいけないのは、体育館などでは既存の天井が吸音天井になっていることが多く、それを撤去すると言葉が聞きづらいなどの音響障害が生じる可能性が高い。

弊社で担当した事例をご紹介する。

東工大体育館では、既存の屋根が折版で大きな荷重をかけられないため、新たな構造体を設置し吸音材を付加することができなかった。そのため壁に吸音材を貼付して対策を行った。対策前測定を行い、対策方法の検討を行った。写真は、対策後の吸音材を貼付した状況で測定を行っている。

東工大体育館

 また福山市の中学校の体育館では、天井の吸音材撤去が行われていたが、天井がドーム形状のために、仮に壁に吸音材を貼付しても天井と床の往復反射によるエコーがあり、音響障害が除去できない。そのため音響シミュレーションで、エコーが発生しない天井の吸音材の範囲を最小にする範囲を求めたが、現実には再度足場を立てねばならずこの対策はできていない。

福山市の中学校体育館
さらに、既存の天井にネットをかぶせてしまう方法もある。これは現状の音響性能に問題がない場合には、比較的安価な対策として効果的である。山武市のさんぶの森ホールや成東文化会館にて、工事前の音響測定を行い対策を検討して、この手法を取った。

また既存の天井を生かす方法としては、吊り天井を撤去して、鉄骨を設置しその鉄骨に下地を直に固定する方法があり、この方法が最も多く採用されると思われる。
弊社が音響設計を担当し、2005年に開館した横浜市磯子区民文化センター杉田劇場の例がそれに該当する。平成29年から30年にかけて天井の改修が行われた。

また弊社の例ではないが、音響で一番有名なサントリーホールも天井改修を行った。ここは、天井を壊さずそのままの状態で、内部の構造を取り替えている。

さらに、現状に不具合がある場合天井改修を機に修正する場合もありうる。東工大講堂の舞台上部天井のように、吊り天井であったものを鋼材で固定し、文化財のために大きくは変更できなかったが、舞台から出した音を一部演奏者に戻すような工夫を行った。音響シミュレーションソフトのCATTを使用して設計を行っている。またこの場合にはST(Support)を計測した。


工事前・後の音響測定については以下のような内容が考えられる。

1.客席の残響時間特性調査
スピーカからスイープパルスを放射し、インパルス応答を測定し、この値から残響時間を求める。この方法により、エコータイムパターンを分析し、エコーの検知もできる。また話声の明瞭度指数STIも計測することができる。

2.ST(舞台音響)
ST(Support)はA.C.Gadeらによって考案された物理量であり、演奏者などの主観量(演奏のしやすさ)と相関を持つもので、ステージ上の反射音の量を評価する際に用いられる。

3. IACC(Inter-Aural Cross-Correlation両耳間相互相関係数
両耳の外耳道入口にマイクを挿入して、舞台に設置した無指向性音源から放射した音を受音して、空間の広がり感の評価を行う。

4. 音圧分布測定
舞台上で発生した音が、ホール内で均一に分布しているか確認する。音圧レベル分布は、主に天井、壁の拡散形状の影響を受ける。可動の音響反射板がある場合には、音響反射板状態と幕設備状態の二通りを測定する。
   
5.音響シミュレーション
測定結果に音響障害があれば音響シミュレーションソフトのCATT等で現状と改良案を作成する。音響障害の代表的なものはエコーないし、フラッターエコーである。または残響音の豊かさが不足するなどもある。


室内音響は主として以上のものであるが、改修時に天井以外の音響性能をチェックすることもある。
 
6. ドアの遮音測定
7.  界壁、階床の遮音性能測定
8. 空調騒音測定
9. ビリつき音測定
10.電気音響に関する測定

2019/09/10

モーツアルトのムクドリ

ライアンダ・リン・ハウプト著「モーツアルトのムクドリ」 を読んだ。

モーツァルトは、飼っていたムクドリのさえずりから「ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453」の曲想を得たという話があり、それをテーマとして書かれたものである。曲は1784年4月12日に作曲された。モーツアルトはこの曲の完成前後で、ムクドリを購入し、飼っていたようである。



モーツアルトのムクドリに関するメモに対して著者は、

「ムクドリの歌の記譜はこの鳥の購入記録の“zugleich folgende” すなわち”すぐあとに“書かれたとあり、この彼がこのムクドリを買うと同時に歌を記録したことが示唆される。 」

とする。(モーツァルトは、ムクドリのさえずりを楽譜にしたっていうことは、筆者は、モーツアルトがムクドリから曲想を得たということに興味を持ち同じようにムクドリを飼ってみたいと思い、自然保護管の旦那さんがムクドリの巣の除去を行った際に孵ったばかりのひなを飼うことになった(本来は野生動物で飼うことはできないが、合法的に)。
名前をカーメンと名付けたムクドリとの共同生活で、モーツアルトのムクドリ(シュタール)との生活を再現しようとした。

筆者はこのカーメンにモーツアルトのピアノ協奏曲第17番ト長調の主題を覚えさせようとしたとする。シュタールはこのフレーズを歌えたことが記録に残されているからだ。しかし、「雛のころから1日少なくとも30回は自分のヴァイオリンでこの協奏曲のモチーフを弾いて聞かせた。」が、カーメンがそれを覚えることはなかったそうだ。そして、カーメンには別の好みがあるとする。

「鳥はほかの作曲家よりモーツアルトを好むと言われており、もしかしたらそれは事実かもしれない。だがカーメンは違う。彼女はバッハとブルーグラスの方が好きだ。喜びにあふれんばかりの反応からすると、お気に入りのバンドもある----グリーンスカイ・ブルーグラスだ。」

さらに読み進むと、本文第6章でモーツアルトのムクドリ(シュタール)が購入されたのは、作曲された4月12日より後の5月27日と支出簿にあることが判明する。

「ここまで読んだ方はもう、ムクドリが簡単なフレーズを模倣できることには驚かないだろう。とはいえ、この鳥がモーツアルトの旋律をどうやって覚えたかは、様々な説が流布している。」

として、モーツアルトが購入する前からムクドリ-シュタール-はこのモチーフを覚えていたか、購入した後に覚えたのか、この問いについて著者は悩みに悩んでいる。結論は読んでのお楽しみとさせていただく。

ムクドリは、一般的には大きな群れで街中の大きな木などをねぐらとして生活し、鳴き声は騒音となり、糞で周囲を汚す害鳥と思われている。しかしこの本のおかげでかわいいい鳥という面を知ることができた。

事務所からみえる大きな竹に止まったムクドリ

「ムクドリが音声模倣をしたからといって、驚くにはあたらない-------ムクドリ科の鳥として、世界でも屈指の物まね上手な種に属し、鳥や楽器のほか、人間の声も含む様々な音を上手にまねる能力はオウムにも引けをとらない。」(本文より)
そうだったのだ。きっとモーツアルトもそのことを知っていたに違いない。多分ムクドリは人を含めた周囲の環境に適応しながら、コミュニケーションを取りながら、生きていることがわかる。

この春、我が家の庭でシジュウカラの子供が孵った。しばらく小さなシジュウカラが10羽近く飛んでいた。玄関の扉を開けると子供たちが目の前の電線に何羽もとまり、話しかけてくる気がした。何を言っているのかよくわからなかったが、遊んでくれと言っているようだった。

庭のシジュウカラの子供

シジュウカラの親

近くの駅の大量のムクドリたち(音量注意)。


2019年 建築学会大会(北陸)で発表しました

今年の建築学会大会は例年より多く、9月3日から6日までの4日間開催されました。

大会会場となるのは金沢工業大学で、私の発表は4日の午前約10時から、会場は7号館です。以下の写真の右側手前の写真の建物の4階です。



本建物は大谷幸夫(おおたにさちよ)の設計です。国立京都国際会館や沖縄コンベンションセンターの設計者として有名です。この7号館は中央が吹き抜けていて、その中をエスカレータで登っていくようになっていて、教師や学生同士のコミュニケーションの容易な形態になっています。このときも、私が廊下でトイレを探していたら、目の前を歩いていらした濱田先生が気づいて教えてくださいました。

今回は、
「ヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床の開発 集合住宅の改修への適用」

と題して発表させていただきました。
今まではヘルムホルツ床の開発実験ばかりの発表でしたが、今年実際の集合住宅に採用されましたのでその結果を報告いたしました。
衝撃音遮断性能は、このヘルムホルツ床を使うことで今までの二重床やスラブ素面よりもこのように向上するとグラフで示しながら述べました。

質疑応答コーナーでは、6件の講演がある床衝撃音(2)のセッションの中で、最初に会場からは本題に質問がありました。

「防振ゴムの硬度が40度で柔らかいから低減効果があるのであって、ヘルムホルツ共鳴器の効果ではないのではないか」
という質問がありました。私はそれに対して、下部開口をガムテープなどで塞ぐと共鳴周波数の部分の低減効果はなくなると説明し、防振ゴムの影響ではない説明しました。

また「防振ゴムが柔らかすぎて、たわみが大きいのではないか」との質問もありましたが、これに対しては現場の所長は少し柔らかいかなとおっしゃったと答えたところ、会場でどっと笑いが起こりました
興味をもって質問をしていただき、良い雰囲気で終えることができました。

今回使用した防振ゴムは、日東化工さんでこのために加硫して作ったもので、少量なためまだ高額です。

以下発表原稿です。

















2019/08/28

夏祭り2019

地元、荏田地区の夏祭りが8月3日に35度の猛暑の中、開催されました。本番の開始は夕方5時からですが、私が参加しているお囃子グループはいわば相撲の触れ太鼓のような感じで、炎天下の3時から舞台に乗って演奏を始めました。大会の準備をしている人たち以外、お客さんは誰もいない中、勇壮な感じで始めました。ただこの写真のパラソルは日光を遮ってくれて役に立ちました。

今回はしずみと乱拍子という曲を最初の破矢の曲の中間に組み込む方法で演奏しています。
曲目は、破矢(しずみ+乱拍子含む)、鎌倉、国固め、師調目、再度、破矢(しずみ+乱拍子含む)という流れでした。猛暑ですから暑くて大変でしたが、ほぼ問題なく役割を果たしました。
演奏の効果もあってか、夕方からは日も陰り祭りの本番は大変な人でした。
パラソルはありましたが、私はさらに首に保冷剤を巻いて、頭から水をかぶったうえに、麦わら帽子をかぶって演奏しました。大変疲れましたが、満足感もあり、また楽しみました。来年も頑張りたいと思います。

荏田宿お囃子の会の演奏 篠笛は会長で勇壮な感じで開始したところ

山内中学校の吹奏楽部(75名ほど)の演奏(本番)

2019/06/25

「ヘルムホルツ床」東京白金のマンション採用事例

お知らせが遅くなりましたが、URと共に開発を行い、実用化を目指してきた「ヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床」が、このたび港区白金の民間マンション1棟まるごとのリノベーションに採用され、今年の3月に竣工いたしました。

建物は平成10年(1998)竣工の民間の賃貸マンションでRC造4階建、15戸、スラブ厚は150mmの建物です。

URの実験では、団地を想定して床高さを140mmとしていましたが、今回の条件は床高さ100mm、しかも床下に配管を行うというものでした。そのため重量床衝撃音(ゴムボール)での改善目標は、実験時の10dBより少し低く、10dB弱に設定しました。

床衝撃音測定は、(1)旧フローリング(二重床)、(2)スラブ素面、(3)ヘルムホルツ床が張られた状態(天井無し)、そして(4)天井が張られた後の計4回行いました。

図1 住棟平面図(一部)および測定位置図

測定結果

重量床衝撃音(ゴムボール)測定結果
旧二重床 → 63Hzと125Hz帯域でスラブ素面より低下していた
ヘルムホルツ床→ 63Hz帯域で8.3dB、500Hz帯域で19.7dB、スラブ素面より改善した

軽量床衝撃音(タッピングマシン)測定結果
ヘルムホルツ床は旧二重床と比較して250Hz帯域で8.8dB改善

※天井の設置前後の変化は、ゴムボールではL値上変化はなく、タッピングマシンではL数で2dB効果があった。

図2 床衝撃音測定結果(左ゴムボール、右タッピングマシン)

ヘルムホルツ床の特徴
ヘルムホルツ共鳴機構により、床下の空気層の音圧を低減できること、面剛性が高く力が分散し変形を抑えられること、面密度が一般の二重床より大きいことなどの長所があります。

床仕上構造の設計にあたり、床仕上高さおよび床下の必要空間を設計条件として、部材の厚み、空洞部の厚み、面剛性、面密度、防振ゴム、表面材およびコスト・施工性・耐久性などを、また最後にヘルムホルツ共鳴周波数および床下空間の共鳴周波数の設定を行っています。

表1 床仕上げ表

図3 床仕様

図4 平面の基本パターン

今年の秋の建築学会にて「ヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床の開発 集合住宅の改修への適用」と題して発表を行う予定です。

設計および施工技術にあたり、技術士事務所 佐野英雄氏、平成ビルディング 小池豊氏、アーキジャムワークショップ 小山美智恵氏、アルファリンクス 弓削寛司氏、雨澤壮敏氏に協力を得ました。

2019/05/23

旅する楽器展

国立民族学博物館で『旅する楽器 南アジア、弦の響き』という企画展(2019年2月21日~5月7日)を行っており、大阪での仕事の帰りに立ち寄ってみました。

国立民族学博物館は大阪府吹田市千里万博公園の中にあります。最寄り駅は大阪モノレールの万博記念公園駅です。そこから太陽の塔のわきを通った先に博物館があります。


2007年に、トルコのイスタンブールで開催されたInter Noiseの大会に参加した際、街を歩いていて大変びっくりしたのは、楽器店が多くあり、しかもエレキギターなどの電気楽器はほぼなく、ほとんどが弦楽器のサズおよびその種の民族楽器だったことです。サズは町の店舗の壁にもかけられており、いつでも弾ける状態になっています。街を歩く人の中にも楽器のケースを持っている人がたくさんいたので、一人に「それは何ですか」と声をかけると、路上でサズをケースから出して弾いてくれました。そのくらい身近に民族楽器があることに驚きました。

2007年トルコの楽器店

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

また、2008年にはカザフスタンに行きました。カザフスタンの民族楽器であるドンブラ及びコブスを演奏するホールの音響調査が目的でした。ドンブラは馬の足音のような弾き方で、コブスは重厚なチェロのような音を出す楽器です。カザフスタンは独立後に民族楽器の復興につとめており、その当時ドンブラ用のコンサートホールを作るという計画があったのですが、アメリカ発信のリーマン・ショック(2008年)の影響でカザフスタンにおける建設計画もかなり止まってしまい、このドンブラホールの建設計画も中止されてしまいました。とても残念なことです。


大統領文化センターホールでの民族楽器による演奏および音響測定(2008年9月28日)


 これらの旅行を通じて、様々な楽器が様々なところで存在していることが気になっていました。

また昨年には、「テュルクソイ」というテュルク語系諸民族の民族楽器の合同オーケストラの演奏を聴く機会もあり、このブログでもご紹介しました。

今回は、たまたま国立民族学博物館で開催されていた『旅する楽器 南アジア、弦の響き』の展示会に行った次第です。これだけ様々な楽器が一堂に陳列されているのを見るのはなかなかないことです。サズやドンブラ、コブスは単独にそれぞれの地域に存在していることはわかりますが、その他の地域、西アジア、中央アジア、南アジア、中国、東南アジアとのつながりが感じられます。

正直、弦楽器だけでもものすごい数が存在していることがわかりました。おそらく管楽器や太鼓なども入れると相当な数になると思います。

季刊166. 2018民俗学『特集 旅する楽器』のP.4に「楽器は、特定の地域で生まれ、その場所で何世紀にもわたって伝承された『土着』型がないわけではないが、圧倒的に多いのは他地域から伝播し定着した楽器である。」とありました。

「旅する楽器展」は西アジア、中央アジア、南アジア、日本、中国、東南アジアにある楽器のルーツを探るもので、大陸の東のどん詰まりにある日本の楽器、三線、三味線、箏などもどういう経路を経てきたのかと思いをはせました。

『旅する楽器 南アジア、弦の響き』より









2019/01/07

〔募集終了〕川越市の旧鶴川座の引取り手募集

2019.7.17(追記) 残念ながら鶴川座の解体作業が始まってしまったため、引き取り手募集は終了いたしました。
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普段は建築音響の仕事をしている以外に 研究として長年芝居小屋の音響調査を行ってきました。ここ最近は、川越市の旧鶴川座の調査を行い、建築学会で発表を行いました。
昔は全国に数千件もあったとされる芝居小屋も、現在は数十件ほどしか残されておらず、関東にはこの鶴川座、群馬のながめ余興場くらいしかありません。
その貴重な資料である鶴川座を音響調査することで、芝居小屋の音響的特性を様々な角度から再現しようと試みました。

昨年・今年の建築学会のブログ。主に建築音響の発表になりますが、見ていただけると幸いです。

2018年の発表
2017年の発表 

しかし実はこの旧鶴川座、上記の音響調査当時は川越市も街づくりの一環と位置付けて保存活用事業を行っていたのですが、昨年になりそれがストップしてしまいました。鶴川座の持ち主である蓮馨寺も、それにより復原をあきらめ、今年の春、鶴川座を解体してホテルを建てることが決定しています。

非常にもったいないことと思いますが、川越市があきらめてしまった今、部外者ができることと言えば、鶴川座の移築先を探すことくらいのようです。移築のための費用も負担していただく必要があります。さらに時間もほとんどありません。

どなたか、この鶴川座に関心がある方、または関心がありそうな方をご存じでしたら、弊社までご連絡ください。


以下に、鶴川座の現在の様子と歴史を簡単にご紹介します。

現在の鶴川座(2013撮影)
鶴川座は蔵の街、小江戸、川越市にあり、東京近郊に唯一残存する芝居小屋です。建設は明治31年、竣工当時の外観は蔵造り風の形(下図)をしていますが、のち外観も洋風に模様替えされて映画館になり、現在では閉館し、廃墟になっています。鶴川座は明治26年に大火で焼けて立て直しています。

竣工当時の鶴川座(明治31年竣工)
明治11年(1878年)に近代劇場として大々的な洋風開場式を行った新富座の外観(下図)です。明治9年(1876年)日本橋区数寄屋町の火災で類焼し、立て直したため、鶴川座と似た蔵造り風です。


東京名所のうち第一の劇場新富座(三代目歌川廣重画)(Wikipediaより)