音響技術にかかわっているとヘルムホルツという人のことが出てきます。弊社のブログにもヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床という二重床を開発している話が載っています。このヘルムホルツという人は1862年に「On the Sensations of Tone 」(初版)(訳は音律の感覚についてというような意味)という本を出して、音響技術者にはヘルムホルツ共鳴器の発明者として知られていて、現在よく目にできる放送局のスタジオの天井や壁などにある有孔板に利用されています。本書の中では数ページにこの共鳴器の仕組みが周波数分析器として発明され、紹介されていますが、この本の主題は純正律から現在の平均律に移行していることに対して批判的な見解を述べているようです。このヘルムホルツのもとへ東大の音響物理学者田中正平(物理学科の第一回の卒業生(1882年卒業)が明治21年(1888年)に留学し、純正調オルガンを完成させたということは音響学の歴史の中に知られています。明治20年(1887年)に東京音楽学校が設立されたばかりで、なんで東大かと疑問を持たれる方もいると思いますが、音楽の研究も当時、東大が物理学の研究として最先端だったと思われます。
鈴木聖子著 <雅楽の誕生 田辺尚雄がみた大東亜の響き>の主人公の田辺尚雄(1883~1984)も東京帝国大学理科大学物理学科(1904年入学)で音響物理学を学び、大学院で日本音楽を研究対象としたとのこと。影響を受けたのは指導教官及び先輩でベルリン大学のヘルムホルツの下で学び、帰国してから邦楽研究所を構えた田中正平および夏目漱石の俳句の弟子でもあり、尺八について論じた博士論文で博士号を得た(1908年1月)寺田虎彦(1878~1935)(1899年入学)が影響しているようです。
本書の序章に
明治期の日本が、西洋の「music」という言葉を「音楽」と訳したときに、日本の「音楽」の概念は大きく揺さぶられることになった。とあります。バッハやモーツアルト、ベートーベンなどのヨーロッパの音楽に対して、田辺は日本の音楽の存在も西洋音楽と同じようにレベルの高い位置にあるということを根拠づけようとしたようです。
ダーウインの「種の起源」(1859年)以降、進化論を国家や民族の進化に適応させることが流行り、西洋音楽研究にも進化論が登場しました。ここで登場したのがヘルムホルツで、彼は、和声の発展に向かって音楽が進歩してきていると主張した。それと同じような考え方で、日本では和声を持っているのが雅楽であると認識し、雅楽が進歩発展していくであろうと田辺は考えたようです。
しかし現在からみれば日本の音楽は和声の方向に向かって発展しては来なかったし、同様にヨーロッパの音楽も純正律から平均律に大方変化している。日本の音楽は雅楽に向かって発展しているのでもなく、歌舞伎の音楽の方が雅楽よりまだ我々の中に溶け込んでいるようにも思います。
しばらく前になりますが(9/19)、サントリーホールで蘇州民族管弦楽団のコンサートを聴きに行きました。オーケストラは100名近くいましたが、普通のオーケストラの場合には前面にはヴァイオリンのグループがいるところ、その代わりに40名ほどが二胡で、その後ろに琵琶や月琴のような楽器、中国の琴や横笛、大太鼓などのほとんど中国楽器、チェロやコントラバスが5~6台ずつ、ハープ、ティンパニーなどの洋楽器もありますが、全体の中の一部でした。曲目もほぼ新作、華やかな感じで、ものすごいエネルギーを感じました。コンサートのパンフレットには蘇州民族管弦樂団は2017年11月に結成されたとあります。「中国民族楽器を使った民俗音楽とさらに西洋の音楽との融合は、先進的な芸術性と優れた演奏技術で聴衆を魅了し音楽界で高く評価されている」とありました。田辺尚雄が考えた未来を一瞬で乗り越えているような気がします。
※聴衆が半分以上帰った後に来賓に対してあいさつがあったので、撮影しました。 |
日本の楽器で長音を出せるのは、笛類ですが、一般に篠笛は同時に二本以上で音を出すと唸ってしまいます。11/29のNHK Eテレ「にっぽんの芸能」で 「オークラウロ」というクラリネットのような形にキーを付けた尺八を紹介していました。大倉喜七郎が大正11年に開発したもののようです。この尺八は西洋音楽の音階に合わせたもののようで、もしこれが一般的な楽器になっていれば、西洋音楽に近い連続的な音で作曲ができた可能性があるかもしれません。