2008/11/10

『建築家だって散歩する』山下昌彦著を読む

「私は良く散歩をする」という書き出しで始まるこの本は、タイトルは『建築家だって散歩する』ですが、建築家だから散歩が好きといった感じの内容です。
筆者は、UG都市建築の代表の方で、最近の作品では、麻布十番にできた高層集合住宅「アクシア麻布」がとても美しく、本の中でも紹介されています。
筆者は、

1975年。簡単には海外旅行ができない時代だった。私は大学院修士の学生で、幸運にも東欧・中近東の集落調査に参加する機会を得た。それはすばらしい体験だった。西ドイツで購入したフォルクス・ワーゲンのミニバスに乗って現れる集落を手当たり次第に観察して回ったのだ。建築家・原広司に率いられて東欧諸国からトルコのイスタンブールを通ってイランの砂漠地帯まで、約3ヶ月間の彷徨をした。

と書かれています。今では戦争があるなど危険な場所でもあり、当時すばらしい経験だったと思います。
また山下さんは、5年ほど設計事務所で勤務された後、ドイツに渡りやはり設計事務所で3年ほど働いたそうです。そのときのドイツ人の散歩好きにも影響を受けたようです。その後、世界中の都市を散歩しているとのこと。その中で、

中国人や日本人の伝統ののなかでは、散歩はどうも否定されてきたらしい。目的がない散歩は、遊び人や隠居か特殊な人だけに許されていたのではないか。神詣でや寺詣でなら目的があるのでよいが、ぶらぶら歩きははしたないことで、してはならない行儀であったのではないか。

と書かれています。何も目的がなく、ただぶらぶら歩くことは、日本人は後ろめたさを感じるとのこと。改めて考えてみると、以前に犬が我が家にいたときには、家の周りを毎朝犬の赴くままに散歩しました。今は、確かに散歩をすることは少なくなってしまいました。
しかし、浅草や明治神宮、江ノ島の神社など、はたまた金毘羅権現や熊野古道は混んでいます。今年オープンした芝居小屋永楽館のある出石町も江戸情緒の有る町並みのため観光客はたくさん歩いています。四国のお遍路さんもたくさんいるようです。目的をもって歩く人はたくさんいます。しかし無目的の散歩は少ないのではないかと思います。
私の家の近くには旧大山街道があり、そこには旧荏田宿からつづく古い荏田商店街がありますが、最寄りの江田駅やあざみ野駅から遠く、寂しい状態です。旧大山街道は道幅が狭いわりに車がたくさん通り、今は江戸情緒など何もないどころか、歩道もなく、塀と車に挟まれそうになって歩かなければなりません。しかし、街道筋から多少脇に入ると、里山が広がり、そこに剣神社という神社があります。この神社は、江戸時代から神奈川県を代表する神楽を舞う神社として有名でした。しかもその周辺は、美しい山や林や水田、畑が残っています。ただ、人が散歩できるような道がありません。都市と農村の接点のような場所のために、場合によっては、とても魅力のある場所になりそうな可能性を感じます。このあたりが、散歩のできるような場所になれればいいのではないかと、この本を読んで考えております。





都心部では、ドイツのような魅力が街になさ過ぎます。

日本人は、歩いていける範囲に、すばらしいアーティストが演奏するホールがあるという生活をしたことがない。職場から4時ごろには帰宅して、シャワーを浴びて、簡単な食事をすませ、ドレスアップして、ちょっとそこまで室内楽でも、なんて生活をしたことがないでしょう?ヨーロッパ人たちはなんの苦もなく、そういう都市生活を楽しんでいるわけなのである。ちなみに、ハンブルク市は第二次世界大戦で壊滅的な破壊を受けた。中略、しかし、市民の要望でそれ(住宅)よりも前に整備されたのがオペラハウスだったのである。

と書かれています。たしかに現代の日本人には、そのような余裕がなさそうです。

しかし、山下さんに読んでほしい本があります。服部幸雄の「大いなる小屋」です。江戸、明治期には、日本人はヨーロッパ人に勝るとも劣らないほど、劇場通いをしていたようです。生活を楽しむということが日常的にあったようです。特に戦後は少なくなってしまったように思いますが、それでも戦後直ぐに、空襲で焼けた歌舞伎座は立て直されていますし(昭和25年12月建物完成、26年1月興行再開
)、身近なところでは、磯子では廃墟であった場所に昭和21年杉田劇場(木造芝居小屋)ができたようです。昭和21年4月に美空ひばりがデビューした場所です。山下さんがおっしゃるように、街を、散歩することが楽しい場所にしたいと思います。


著者:山下昌彦「建築家だって散歩する」 発行所:株式会社コム・ブレイイン \1200

川崎市立日本民家園の農村舞台(船越の舞台)で農村歌舞伎をみる

川崎市立民家園は主に古民家を移築して、里山のような雰囲気の中に展示されている施設です。しかも、囲炉裏には薪が実際にくべられていたり、白川郷の民家が御蕎麦屋さんになっていたり、また室内で昔話の朗読があるなど、単に展示されているのではなく、実際使われている雰囲気があり、温かみがあります。

その民家園の中でも、最も奥の山の頂上に農村舞台があります。この農村舞台は、安政4年(江戸時代末期)に三重県志摩半島の船越という漁村の神社の境内に立てられたもので、地元の『若者組』が、その運営に関わっていたようで、明治20年ごろまでこの地元の人々によって演じられていたようです。その後、昭和48年に、この民家園に移築され、昭和51年には、国指定の重要有形民俗文化財に登録されています。普段は、この民家園の中でも端っこで、また急な階段を上っていかなければならないので、ひっそりとしていますが、この歌舞伎公演が、先日11月3日文化の日にあり、そのときは満席の賑わいでした。
公演は、秋川歌舞伎 あきるの座によって行われました。農村舞台での農村歌舞伎はめったに見られないと思い、行ってきましたが、何年か前から毎年文化の日には、ここで公演があるようです。

あきる野座は、あきる野市二宮地区で継承されてきた二宮歌舞伎を継承する目的で行われています。まず子供歌舞伎が平成4年に結成され、平成9年に大人歌舞伎も含め、あきる野座という座名を採用して再スタートしたそうで、平成12年には東京都指定無形民俗文化財の認定を受けているそうです。
演目は『義経千本桜 二段目 伏見稲荷鳥居前の場』で、約1時間の公演でした。ちょっとゆったりとした、素人的なところもありましたが、話が面白く、また身近な感じがして、とても楽しみました。寒い日で、また座りにくい場所でしたが、それも感じさせませんでした。

江戸時代、また明治時代の人々は、このような歌舞伎を身近に楽しんでいたのだろうと昔の人々の思いに馳せていました。義経の都落ちの話ですが、静御前がもっている鼓の皮(狐の親の皮)を慕ってきた狐が、義経の家来に化けて、静御前を追手から助ける話です。子の親を慕う気持ちは、長い間受け継がれてきているものだと思います。