2008/11/10

川崎市立日本民家園の農村舞台(船越の舞台)で農村歌舞伎をみる

川崎市立民家園は主に古民家を移築して、里山のような雰囲気の中に展示されている施設です。しかも、囲炉裏には薪が実際にくべられていたり、白川郷の民家が御蕎麦屋さんになっていたり、また室内で昔話の朗読があるなど、単に展示されているのではなく、実際使われている雰囲気があり、温かみがあります。

その民家園の中でも、最も奥の山の頂上に農村舞台があります。この農村舞台は、安政4年(江戸時代末期)に三重県志摩半島の船越という漁村の神社の境内に立てられたもので、地元の『若者組』が、その運営に関わっていたようで、明治20年ごろまでこの地元の人々によって演じられていたようです。その後、昭和48年に、この民家園に移築され、昭和51年には、国指定の重要有形民俗文化財に登録されています。普段は、この民家園の中でも端っこで、また急な階段を上っていかなければならないので、ひっそりとしていますが、この歌舞伎公演が、先日11月3日文化の日にあり、そのときは満席の賑わいでした。
公演は、秋川歌舞伎 あきるの座によって行われました。農村舞台での農村歌舞伎はめったに見られないと思い、行ってきましたが、何年か前から毎年文化の日には、ここで公演があるようです。

あきる野座は、あきる野市二宮地区で継承されてきた二宮歌舞伎を継承する目的で行われています。まず子供歌舞伎が平成4年に結成され、平成9年に大人歌舞伎も含め、あきる野座という座名を採用して再スタートしたそうで、平成12年には東京都指定無形民俗文化財の認定を受けているそうです。
演目は『義経千本桜 二段目 伏見稲荷鳥居前の場』で、約1時間の公演でした。ちょっとゆったりとした、素人的なところもありましたが、話が面白く、また身近な感じがして、とても楽しみました。寒い日で、また座りにくい場所でしたが、それも感じさせませんでした。

江戸時代、また明治時代の人々は、このような歌舞伎を身近に楽しんでいたのだろうと昔の人々の思いに馳せていました。義経の都落ちの話ですが、静御前がもっている鼓の皮(狐の親の皮)を慕ってきた狐が、義経の家来に化けて、静御前を追手から助ける話です。子の親を慕う気持ちは、長い間受け継がれてきているものだと思います。