ページ

2023/07/31

シジュウカラの声、会話

 7/30の朝、テレビで、東京大学先端科学技術研究所の鈴木俊貴准教授が、シジュウカラの言語研究のことで紹介されていた。シジュウカラは、巣を蛇が襲うとしていると、「集まれ蛇だ」という鳴き声をし、攻撃的な鳥が近くに来ると、特別な鳴き方をして、集団的に会話をしていると言っていた。シジュウカラは我が家の玄関を開けたりすると、何匹もが近くに集まってきて、何かしゃべっているのが聞こえるが、何と言っているのか気になる。

20199月に書いたムクドリに関するブログでは、ライアンダ・リン・ハウプトが書いた「モーツアルトのムクドリ」を紹介している。

http://yab-onkyo.blogspot.com/2019/09/blog-post.html

(モーツァルトは、ムクドリのさえずりを楽譜にしたっていうことは、筆者は、モーツアルトがムクドリから曲想を得たということに興味を持ち同じようにムクドリを飼ってみたいと思い、自然保護管の旦那さんがムクドリの巣の除去を行った際に孵ったばかりのひなを飼うことになった(本来は野生動物で飼うことはできないが、合法的に)。名前をカーメンと名付けたムクドリとの共同生活で、モーツアルトのムクドリ(シュタール)との生活を再現しようとした。

 ムクドリも我が家の庭に時々来て、虫などの食べ物を食べて帰っていく。ただ時々出会うのは、どこかの街路樹に数百羽、ないし数千羽が集まって、滝のように騒がしく鳴いている状態にときどき出くわす。しかしこの鳥も「モーツアルトのムクドリ」によれば言語を理解するようだ。ただしこの本ではムクドリは人間の声を理解して、まねをすることができると言っているようだ。

鈴木俊貴先生が研究したように、鳥同士がムクドリの言語で会話しているとすれば、それはそれで新しい世界が広がるような気がする。ようするに人間が多い駅の近くの街路樹には、人間が鳥の糞などで迷惑をするのでもう少し別の場所を選んでほしいと鳥の言語で伝えるなどである。

そういえば我が家にはムクドリのほかに、ヒヨドリも竹林や我が家の庭のミモザによくきて、何かさえずっている。ミモザでは何かの幼虫を食べているような気がする。(突然みていたらアブラゼミが幹に止まった。)これも研究によって、何を話しているかわかってくるかもしれない。そういえばカラスも何か話をしているような気がする。人間と会話もできるようになると嫌われないで済むかもしれない。

 鈴木俊貴氏の論文の一例

テレビの番組の中での会話については以下の論文にも書いてあるような気がする。これは2016年に提出された、「Semantic communication in birds: evidence from research over the past two decades」から引用したものである。最初のところは、おそらく番組で話をしていた内容について図で説明している部分を抜き書きしたものである。

Japanese great tits (a) produce two types of alarm call for different nest produtors; "chicka" calls (b) for jangle crows(c) and "jar" calls (d) for Japanese rat snakes (e) . Note that those two alarms calls are acoustically discrete, but both of them have graded variation in note repetition number. The "chicka" calls also vary in combinations of notes within a call.

「シジュウカラは、(a) 異なる巣作り者に対して 2 種類の警報鳴き声を発します。 chicka」はヤグルマガラス (c) を呼び出し (b)、「jar」はニホンネズミヘビ (e) を呼び出します (d) これら 2 つのアラーム呼び出しは音響的には離散的ですが、どちらもノートの繰り返し数に段階的な変化があることに注意してください。 「チカ」コールは、コール内の音の組み合わせによっても異なります。」





写真 8/9 家の近くの電線に止まったムクドリ、午後の6時ぐらいで、そろそろムクドリの
ねぐらに帰ろうと話しているような気がした。



2023/07/24

ウズベキスタンの2弦のドタールの演奏

 先日朝の「おんがく交差点(BSテレ東)」というテレビの番組で、ドタールの演奏があった。ドタールとは、主にウズベキスタンの2弦の楽器で、駒崎万集さんが演奏していた。曲目は何曲かあったが、いずれも恋に関係している曲であった。また二弦ということもあって、どちらかというとメロディでなくリズムがかった雰囲気である。

デジタル大百科事典によると、「西アジアと中央アジアで広く用いられている弦楽器一種,長い棹をもち細長い共鳴胴をもつリュート。タールとはペルシア語で〈2弦〉を意味し,元来2本の絹弦が張られていた(トルクメニスタンウズベキスタンのドタールなど)が,今日ではアフガニスタンの一部を除いて金属弦取り替えられている。共鳴胴は洋梨を半分に割った形木製(一木をくりぬいたものや寄木作りのもの)で,腹面には薄い板が張られている。細長い棒状の棹には羊腸弦を巻きつけた可動フレットがあり,旋法によってこれ上下動かして微妙音律を整える。

 カザフスタンのドンブラも似たような楽器である。トルコのサズも相当似ている。しかもいずれもフレットはナイロンの糸などを巻き付けたままで、ドタールとそっくりだ。もともとは同じ仲間と思われる。

駒崎さんの音楽を聴いていると、クラシック音楽とは違う、ドタールのリズムで感じるものがある。このリズムはガムランや三味線やジャズなどにも通じるものがありそうだ。ときどきたまプラーザの日本蕎麦屋でそばを食べに行くが、また蕎麦屋も2軒あるが、いずれもBGMはジャズである。でもジャズより、このドタールの方がしっくりとこないかと思う。一度蕎麦屋で聞いてみたい音楽である。

2023/07/20

今年初めてのヒグラシの蝉

 714日、多分今年初めて、家の前の釈迦堂公園のなかで蝉の声が聞こえてきた。さらに718日に玄関前のアスファルトの部分にセミのなきがらが落ちていた。透明の羽で、ミンミンゼミよりも形が小さい。よく見るニイニイゼミではない。ヒグラシと思われる。ミンミンゼミに近い鳴き声である。残念ながら、なきがらを写真を撮る前に、アスファイルの上では、車にひかれてしまいそうだなので、草むらの中に捨ててしまった。写真を撮ろうと考え直した時には、残念ながら再度見つけ出せなかった。この蝉は釈迦堂公園の中から飛んできたのか、北側の忠魂碑の木々のなかから飛んできたものか気になるところである。

気のせいかわからないが、なきがらがあった後、蝉の鳴き声が聞こえなくなったような気がする。次はニイニイゼミが現れるのか?

今年は春から忠魂碑の北側の土地、および東側の集合住宅の土地の更に東側で、造成が始まっていて、そこにはタヌキやハクビシンが生息していたが、今はどこへ行ってしまったのか?残念ながらこれからは見れないかもしれない。自分の土地ももともとは山だったところを造成して作ったのだから何とも言えないが、木がたくさんあると子供たちにとっても格好の遊び場ができて、面白かったと思う。

中国地方、近畿地方、東海地方で本日7/20梅雨が明けたようだ。関東地方ももうすぐだ。もうじき本格的な夏だ。

※本日7/20の夕方6時ごろ、ミンミンゼミが釈迦堂公園で鳴き始めたようだ。

※本日7/21朝釈迦堂公園でツクツクボウシの鳴き声も聞こえた。

※本日7/21昼 忠魂碑の側の庭に多分ヒグラシがコンクリートの上で死んでいた。それを  芝生の上に移動させて写真を撮った。右側はさらにひっくり返して写真を撮った。多分忠魂碑ではカナカナという鳴き声が聞こえてきた。


※本日7/22昨日と同じ多分ヒグラシのなきがらがコンクリートの上に転がっていた。ここで思い出したのは、芭蕉の句で「閑さや岩にしみいる蝉の声」という句で、多分蝉の声が充満して、山や木々に反射して、更にひびき渡った状態のことだと思う。いわば残響室の拡散音
の状態に近いのだと思う。芭蕉が奥の程道で書いた句のようだが、書いたのは1869年の7で、どんなセミが鳴いていたかの論争もあり、結局はニイニイゼミだったようです。
※本日7/22は関東・甲信地方および東北地方に梅雨明けが宣言された。

           ※7/31突然我が家のフェンスにアブラゼミが止まった。今はニイニイゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、などが様々なところで鳴いている。
 
      ※8/10 我が家のミモザにとまったミンミンゼミ(上)とアブラゼミ(下)



2023/07/18

横浜ボートシアターと船劇場の再興

 横浜船劇場は、横浜ボートシアターが使ってきた演劇劇場で、舟に乗り込むときには一種構えて入っていく感じになる。普通の劇場の快適な空間の中に入っていくのとはちょっと違いがある。密閉された、閉ざされた空間に気持ちを入れ替えて、構えて入っていく感じになり、空間の中に入ると、異空間に入った感じになる。

  船劇場は最初1981年に木造ダルマ船を用いて、中村川に浮かばせて始めたようだ。1967年に状況劇場(赤テント)が、1970年に 劇団黒テントが旗揚げしたが、私が大学を卒業して、最初に就職をしたころ、興味を持って、赤テントや黒テントに行った。劇場の空間でなく、テントなので、やはり密閉した空間であったが、当時でも船劇場は入りにくい空間で、横目で見ていた。

1997年関内に、わが事務所を設置した。ちょうど当時、横浜船劇場が沈船してしまい、再興をする活動が始まって、元黒テントの団員で、当時は都市計画の研究者であった竹沢さんに呼ばれて、船劇場の再構築の市民運動に参加した。市民運動によって、寄贈された鋼鉄製の艀は、2001年に舞台設計の堀尾さんの設計で、劇場に改修され、横浜トリエンナーレに参加し、「マハーバーラタ~王サルヨの婚礼」で始めて公演を行った。当時は、上半分はテントで覆って劇場としていた。

しかし普段は一般的な艀の屋根をかけて艀だまりに停船していたが、これでは日常的には内部で練習ができず、2008年に屋根を70cm持ち上げて、いくつかの窓を設けて、普段から練習や公演ができるような空間に改修した。ここまでは良かったが、今も艀だまりに存在していて、自由にお客さんを呼ぶことができずにいる。

しかし公海に停泊できるように新たな市民活動が始まった。この運動に、微々たる力だが、何とか参加させてもらっている。目標は新しい山下埠頭再開発で、その地域に船劇場を停泊させてもらうこと。あたらしい市長の山中竹春氏のカジノを含まない再開発計画を計画しているが、その中にうまく取り入れられるといいと思っている。

ただ船劇場側では船舶検査の結果、船底にいくつかの漏水が見られ、さらに船底を鉄板で覆うなどの工事が必要になっているようである。とにかく費用がないので寄付で集めないといけない。今までは臨時の劇場空間であったが、恒久的な劇場空間であるから、見栄えはそれほどでなくとも、まず安全である必要がある。そのためにはまず3年はその準備が必要になっているようだ。

横浜船劇場は、単なる公共的な場においた劇場ではなく、現代の鋼鉄製の芝居小屋と考えられる。そこでは芝居の公演だけでなく、練習によって新たな創造が生まれる場所でもある。単に一般的な公共団体の貸し小屋でない、とても大事な劇場の要素ではないかと思っている。

 

         図 船劇場の平面および断面図 赤丸等は音響測定をした位置を示す。


    写真 船劇場の音響測定をしている風景(2009)、天井を70cm持ち上げたのち。

2023/07/04

江東オペラシリーズvol.22、歌劇「イルトロヴァトーレ」のコンサート

 202371日(土)の1600より、深川江戸資料館 小劇場で、歌劇「イルトロヴァトーレ」を聞きに行った。深川江戸資料館は、メインで江戸時代の江戸(多分深川)の長屋の実物大の模型があり、観客の半分は外国人が、子供を連れてきていた。中には、船宿やお店が並んでいた。私は公演より1時間ほど早めに行って、これらを見学した。

さらに小劇場は、内装が、木造の民家のような、木組を使って作られたような空間で、この江戸資料館にはふさわしい感じとなっている。舞台は幕設備となっていて、背景にはスクリーンがあり、舞台セットの代わりに、場面ごとの背景が映し出されていた。また歌の対訳のスライドもスクリーン上部に映し出されていた。客席後方で、場面ごとの背景用と、対訳用のプロジェクターが設置されていた。

収容人員はホームページによれば、客席232席とのことで、こじんまりとした劇場である。舞台も図面を大まかに読むと、間口は約12m、奥行きは約8mである。歌劇の舞台としては、俳優が数人と、グランドピアノが左手(下手)にあり、ピアノの鍵盤は客席側で、蓋は舞台の俳優側に向かって開けてある。舞台セットは石の柱が2本が両脇にあるだけなので、俳優の動きに邪魔な感じはない。ただし幕設備もスクリーンも強いて言えば吸音材なので、音が客席の方向へ向かうのはほぼ直接音だけとなってしまっている。したがってオペラの舞台としては吸音が多いため、ピアノも大きな音で、またオペラの人も大声を出して、演じる必要があったのではないか?もう少し舞台を囲うような舞台セットがあればよかったような気がするが、費用の問題があるのかもしれない。

 以下に示すパンフレットにあるイル・トロヴァトーレのあらすじによれば、15世紀初頭、スペインのアラゴンのできごとで、先代の伯爵には二人の息子があり、兄は今の伯爵(ルーナ伯爵)、弟(マンリーコ)は幼い頃より行方不明で、今も捜索が続けられている。実際はジプシー女(アズチューナ)がさらったが、マンリーコはこのアズチューナを実の母と思いこむ。さらにアラゴン侯爵夫人の女官(レオノーラ)が謎の吟遊詩人(イル・トロヴァトーレ)、実はマンリーコに思いを寄せる。しかしさらにこのレオノーラにルーナ伯爵も思いを寄せている。したがって話としてはルーナ伯爵と実際の弟マンリーコは恋敵となって話が展開する。さらにジプシー女が昔の恨みを晴らすために暗躍する。

物語そのものは悲劇で終わるのだが、物語としては一瞬結婚式になりそうになったり、決闘の場面があったり、火あぶりになったり、ドラマティックな展開が面白いので、魅力的なオペラ展開となっている。

物語の時代の15世紀(1400年代)は、日本では室町時代、戦国時代に入る前、中国は明の時代が始まったばかり、イタリアではブルネレスキがフィレンツエにルネッサンス様式のマリア大聖堂を建設したころとなっているが、実際の原作はスペインのアントニオ・ガルシア・グラディスで、1836年のことのようだ。日本で言えばほぼ幕末。オペラ「イル・トロヴァトーレ」はヴェルディの作で、1853年のことである。なんでこんなドラマティックなオペラができたのだろうか?観客は大変楽しんだと思う。そのような時、世の中が安定しているといいと思うのだが。日本では江戸時代の終わりに近い時で、旧金毘羅大芝居金丸座が1835年にできている。



※ 1日(土)のヴェルディ・ガラコンサートは細沼初美さんが公演中止となっていた。