横浜船劇場は、横浜ボートシアターが使ってきた演劇劇場で、舟に乗り込むときには一種構えて入っていく感じになる。普通の劇場の快適な空間の中に入っていくのとはちょっと違いがある。密閉された、閉ざされた空間に気持ちを入れ替えて、構えて入っていく感じになり、空間の中に入ると、異空間に入った感じになる。
船劇場は最初1981年に木造ダルマ船を用いて、中村川に浮かばせて始めたようだ。1967年に状況劇場(赤テント)が、1970年に 劇団黒テントが旗揚げしたが、私が大学を卒業して、最初に就職をしたころ、興味を持って、赤テントや黒テントに行った。劇場の空間でなく、テントなので、やはり密閉した空間であったが、当時でも船劇場は入りにくい空間で、横目で見ていた。
1997年関内に、わが事務所を設置した。ちょうど当時、横浜船劇場が沈船してしまい、再興をする活動が始まって、元黒テントの団員で、当時は都市計画の研究者であった竹沢さんに呼ばれて、船劇場の再構築の市民運動に参加した。市民運動によって、寄贈された鋼鉄製の艀は、2001年に舞台設計の堀尾さんの設計で、劇場に改修され、横浜トリエンナーレに参加し、「マハーバーラタ~王サルヨの婚礼」で始めて公演を行った。当時は、上半分はテントで覆って劇場としていた。
しかし普段は一般的な艀の屋根をかけて艀だまりに停船していたが、これでは日常的には内部で練習ができず、2008年に屋根を70cm持ち上げて、いくつかの窓を設けて、普段から練習や公演ができるような空間に改修した。ここまでは良かったが、今も艀だまりに存在していて、自由にお客さんを呼ぶことができずにいる。
しかし公海に停泊できるように新たな市民活動が始まった。この運動に、微々たる力だが、何とか参加させてもらっている。目標は新しい山下埠頭再開発で、その地域に船劇場を停泊させてもらうこと。あたらしい市長の山中竹春氏のカジノを含まない再開発計画を計画しているが、その中にうまく取り入れられるといいと思っている。
ただ船劇場側では船舶検査の結果、船底にいくつかの漏水が見られ、さらに船底を鉄板で覆うなどの工事が必要になっているようである。とにかく費用がないので寄付で集めないといけない。今までは臨時の劇場空間であったが、恒久的な劇場空間であるから、見栄えはそれほどでなくとも、まず安全である必要がある。そのためにはまず3年はその準備が必要になっているようだ。
横浜船劇場は、単なる公共的な場においた劇場ではなく、現代の鋼鉄製の芝居小屋と考えられる。そこでは芝居の公演だけでなく、練習によって新たな創造が生まれる場所でもある。単に一般的な公共団体の貸し小屋でない、とても大事な劇場の要素ではないかと思っている。
図 船劇場の平面および断面図 赤丸等は音響測定をした位置を示す。
写真 船劇場の音響測定をしている風景(2009年)、天井を70cm持ち上げたのち。