2018/11/28

響きが必要な音楽と響きが少ない方が良い音楽

10/25に、ザ・シンフォニーホール(大阪)で行われたキンボー・イシイ指揮、日本センチュリー交響楽団のコンサートに行きました。

演目は、J.S.バッハ:「音楽の捧げもの」BWV1079より“6声のリチェルカーレ”(ウエーベルン編曲)、その他3曲(R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』よりワルツ、コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35、モーツアルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」です。いずれの曲も音楽の都ウイーンで結ばれた曲を選んだとプログラムに書かれています。バッハの曲は、編曲したウエーベルンがウイーン生まれのため選ばれたとのこと。いずれの曲も素晴らしかったのですが、中で印象に残ったのは、この「6声のリチェルカーレ」で、プログラムによると「主題を一つの楽器によって奏でるのではなく、いくつかのセクションに分け、複数の楽器によって一つの旋律を奏でてゆくというもの」とあります。聞いているとキラキラした宝石の光を見ているような感じです。ザ・シンフォニーホールは大きく言えばシューボックスですが、私の席は舞台の脇の2Fバルコニー席のためか、楽器の音がどこから聞こえるのかはっきりしていて、この曲には大変好ましく感じました。



また、11/15には横浜県民共済みらいホールで行われました「民族楽器オーケストラ テュルク世界の大いなる遺産」という名のコンサートを聴きました。テュルクとはアゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルコ、トルクメニスタン、ロシア連邦内のサハ、アルタイ、トゥバなどのテュルク語系諸民族の文化を持つ国や地域で、その民族の合同オーケストラがテュルクソイです。そのオーケストラは以下の写真で示すようにドンブラやコムズ他、様々な民族楽器で構成されています。この音楽もまた宝石のように音がちりばめられているような感じの曲です。しかし大きなメロディに沿って、ハーモニーを構成していくような音楽ではなく、大きな面に音をちりばめていく感じです。
このような音楽はおそらくヨーロッパクラシック音楽のような残響は必要ではなく、むしろ音の位置などがはっきりしている方が聞いていて楽しい可能性があります。これまで芝居小屋の研究をしてきた中でも実感してきましたが、今後の室内音響研究が必要な分野と感じます。

なおこのみらいホールは弊社の音響設計した300席のホールで、どちらかと言えば演劇系のホールです。こけら落とし公演は平成15年の横浜夢座の公演でした。





   
昭和60年代は日本では多目的ホールが批判され、演劇や音楽の専用ホールが必要とされてきました。音響技術の分野では、反射音の効果が発見されるようになってきました。1950年代には直接音から50ms以内の初期の反射音は直接音を補強し、音声明瞭性を上げることが発見され、1970年代には80ms以内に到達する反射音は音楽に対しても明瞭性を向上させる効果があることが発見されています。さらにBeranekの音響設計したニューヨークフィルハーモニックホール(昭和37年(1962))が音響的に評判が悪く、シュレーダーらの調査で初期反射音の到来方向がホールの音響に影響を与えていると分析し、側方反射音の重要性が発見され始めました。BarronとMarshallは1981に側方から到来する反射音ほどSpatial Impressionに対する寄与が大きいことを見出し発表しました。そのような観点からウイーンムジークフェラインのようなシューボックスタイプのコンサートホールが重要視されるようになりました。その結果日本でもシューボックス型ホールのザシンフォニーホール(昭和57年1982)やカザルスホール(昭和62年1987)が建設されました。カザルスホールで室内楽を聞いた時には感激した覚えがあります。ところでシューボックス型の杉並区公会堂新ホール(平成18年2006)ができた時には、音響学会で見学会があり、東大の佐久間先生が舞台でピアノを弾かれて、周りでその音を聞いて音像の拡がりの実験をしました。私もびっくりしましたが、中通路より後ろの席になると、ピアノの音が舞台いっぱいに広がって聞こえます。初期側方反射音の効果で音像が空間的に広がって聞こえることを言い、これを見かけの音源の幅ASWとも言っています。さらに教会のように拡散音のエネルギーが大きい場合には残響感が増し、音に包まれた感じを得ることができます。しかしこのような音像が大きくなってしまう効果や音に包まれた効果はクラシック音楽のようなハーモニーを重視する音楽には好ましいですが、音像の位置をはっきりさせたい場合には逆効果になり、特に初期の側方の反射音の制御が必要になります。これらのことは今後の技術的な開発が必要だと思います。豊かな響きと音像の定位の両立です。強いて言えばサントリーホールのようなアリーナタイプでは豊かな残響感というよりはっきりした音像の定位が特徴と言ってもいいかもしれません。

2018/11/26

建築技術2018年12月号に「渋谷スタジオの音響設計」という記事を書きました

本記事は、2018年11月号の「渋谷スタジオ遮音工事」という濱口オサミ氏による記事の続編となります。この渋谷スタジオとは、渋谷の桜丘にあるマンションの1階に計画された木造架構の音楽スタジオで、竣工時には本ブログにも紹介をしています。

床は檜、壁・天井は赤松集成材で、軽鉄等の一般的な下地のない、仕上げが構造体になった架構です。また天井は木造のトラス梁を柱で支えて、その梁に赤松集成材の根太(240×40)を支持させ、さらに赤松集成材の板を載せた構造で、スラブからは構造的に分離した構造です。内部は木をふんだんに使った柔らかな温か味のある雰囲気で、音楽を演奏することに気持ちの良い空間です。

今回の記事は、その設計に対応した音響設計を弊社で行い、内容を記したものです。遮音設計や室内音響の方法などを書いています。中でも床は、一般的な防振床ではなくヘルムホルツ共鳴器を有する床を採用しています。その設計方法について、かなり具体的に書きました。

ご興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。なお、この工法はUR等と集合住宅用に共同開発した特許工法です。


2018/11/02

Almagroの芝居小屋―現存する世界最古の木造の芝居小屋―

先日、飯沢匡 著「ドン・キホーテの国」を読んでいたらP.81に、

「アルマグロの町は広場からしてアラビア風を遺していて変わった印象を受けるが、ここには世界最古の劇場が現存している。木造で中庭を囲んでコの字形に三階まで座席がある。早稲田大学演劇博物館が模した英国のエリザベス朝のグローブ・シアターによく似ている。」

とありました。これまで知らなかった劇場です。世界最古の劇場とは非常に面白そうです。正確には、現存する木造の芝居小屋としては世界最古という意味だと思われます。Almagroの位置を以下の地図で示します。



AlmagroのPlazaMayorのGoogleMap 


赤い印の斜め右下の白い布がかかっているところが劇場。

Almagro - 01

『Corral de comedias de AlmgroはCastile-La Mancha(カスティーリア-ラマンチャ)州、Almagro市の中心にあるPlaza Mayor(市長広場)のこの写真で言えば右側の建物にある。
この劇場は1628年にAlmagroの住民のDon Leonardo Oviedoによって、Taberna del Toroと言われた古い宿屋の中庭に建てられたとのこと。

Wikipediaに、Corral de comedias de Almagro ("Courtyard theatre of Almagro")の紹介記事がありました。劇場の名前はAlmagroの中庭形式の劇場です。 以下はWikipedia の英文を一部訳して紹介します。
記録に残っている最初の公演は1629にJuan Martinezの劇団Autorによって行われた。この劇団はスペインで認可された12の劇団のうちの一つである。ただし18世紀にはこの様な劇場の建設が禁止され、Taberna de las Cmedias と Taberna de la Frutaという旅館に改装された。ただ1802年には再び公演に使用された報告があるが、1857年以降は中庭としての使用以外には記録がない。
1953年の市長広場の改修時に、劇場として再発見され、1954年5月29日Calderon de la Barca 劇団によって開演した。それ以来 毎年 国際古典演劇祭がここで開かれている

と言ったことが書かれています。

現存する最古の芝居小屋のCorral de comedias de Almagroができたのは1628年で、ドン・キホーテがセルバンテスによって書かれたのは1605年、それより13年後になります。

R.E.ラッセル著 田島伸悟訳の『セルバンテス』のP.26に、
「1580年代には自分の書いた「二十本から三十本」の芝居が大当たりを取り、スペインのお客様に、それまでの芝居になかった目新しい重要な部分をいろいろと披露したのだ、とは晩年になってからの本人の述懐するところです。しかし残念なことに、現在ではそれらのうちの二本しか残っておりません。そのころスペインの主立った都市に常設の芝居小屋が出来たことで台本の需要も多くなっておりました」

とあります。

Alojería de Almagro

Corral de comedias de Almagro

Corral de Comedias de Almagro - 05

セルバンテスは1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレスで生まれ、1616年4月23日、マドリードで没しています。

イギリスでもシェイクスピア(1564.4.26~1616.4.23)がこのころ活躍していて、なんと亡くなったのはセルバンテスと同じ日です。シェイクスピアの劇場グローブ座も1599年にできています。シェイクスピアの作品は『ロミオとジュリエット』が1596年、『ハムレット』が1601年、『オセロー』が1604年、『リア王』が1605年、『マクベス』が1606年で、セルバンテスの活躍した時期に重なり、両地域で芝居好きの人々の存在を感じます。

イタリアでは、テアトロ・オリンピコが1584年に竣工、1585年に「オイディプース王」によって開場しています。観客席は半楕円形で、構造はローマ劇場に倣っています。この劇場は世界で初めての屋内劇場ともいわれています。また1618年にはテアトロ・ファルネーゼが開場しています。平土間を囲む馬蹄形のような観客席とプロセニアム風の舞台がついています。1637年には最初のオペラハウスであるサン・カシアーノ歌劇場が開場しています。

芸術現代社刊「オペラ全集」のP.13には「オルフェオ」が紹介されていますが、その中で、
「オペラ史上最初の作品と言われる<ダフネ>がフィレンツェの宮廷に集うカメラータ(同士の意)たちの手で上演されたのは16世紀も押し詰まった1597年、そしてその3年後には、現存する最古のオペラ<エウリディーチェ>が登場する。」 
ただしそれは、
「オペラと呼ぶにはあまりにも音楽性に乏しい」

と書かれ、そして1607年に初演されたモンテヴェルディの最初のオペラ<オルフェオ>について、
「ドラマと音楽の統一が、ここに初めて果たされた」

と書いています。オペラも1600年前後から始まっていることがわかります。

ドイツではWikipediaのオペラの項目によると、
「最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、シュッツ(1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に三十年戦争(1618年 - 1648年)の影響の少なかったハンブルクに公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。」

とあります。

その他にWikipedia コメディア・デッラルテの項目によると

「コンメディア・デッラルテ(イタリア語: Commedia dell'arte)は、仮面を使用する即興演劇の一形態。16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、主に16世紀頃から18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けている。」
とあります。

同時代の日本ではというと、1603年に阿国が北野天満宮で歌舞伎踊りを行ったことが記されており、芝居小屋の萌芽が感じられる時代となっています。
1615年には京都南座が四条河原町で開場、7つの櫓の1つ、江戸では、中村座(当初は猿若勘三郎芝居)が寛永元年(1624年)2月に、中橋南地で櫓を上げています。

中国では?例えば西遊記はどうだろうと調べてみると、これもwikipediaではありますが、

「実在の僧侶玄奘が、仏典を求めるため国禁を犯し、16年の歳月をかけてインドとの間を往復した史実を踏まえてはいるが、各地に伝わった三蔵伝説や猿にまつわる逸話などを吸収し、南宋代の都市で語られた講談や元の雑劇で発展した。元末期頃(14世紀)に大枠の話が成立した後、いくらかの改編を経て、明代中期の16世紀に、長篇小説として完成する。現存する最古のテキストは、1592年初版の『新刻出像官板大字西遊記』(世徳堂本)であり[1]、その後清代にかけて様々な刊本が発刊された。」

とあり、元は古い物語ではありますが、現存する最古のテキストは1592年刊とのこと。偶然とはいえ、これも記しておこうと思います。


なんとなく1600年前後に、演劇的な出来事が世界の各地で起こっているような印象を受けます。
それではほかの地域、ヨーロッパでは、アラブでは、中央アジアでは、インドや中国ではどうなっているのか気になってきます。そのうち調べてみようと思います。

2018/10/29

荏田宿お祭り2018

今年の夏は異常に暑く、豪雨による岡山の大洪水や広島の土砂災害も記録的で、台風もたくさん上陸した年でした。台風21号は関西空港を水没させてしまい、大きな被害が出ました。24号は10/1ごろ強い風で本州を縦断していきました。その約1週間後、また台風25号が24号と似たようなコースで近づいてくる中、地元のお祭りが行われました。

10/6の18時頃、お祭りの前夜祭の宵宮(よみや、よいみや)の時に台風25号が北陸方面へ通過していきました。お祭りと重なりやきもきしましたが、幸い、紅白の幕が時折舞い上がった程度でした。

この荏田に、隣町の驚神社宮元囃子連の援助のもと、お囃子が約30年ぶりに再開し、今回が3回目のお祭りとなります。いつも驚神社の宮元お囃子連のメンバーにかなり手伝っていただいて何とかこなしておりましたが、今年は驚神社のお祭りと重なってしまい、自分たちだけで行うことになりかなり緊張しました。

事前の練習を2週間毎日連続で行って、お祭りに備えました。お祭り当日にはすでに疲れがたまり指は腱鞘炎の様な状態でした。お祭り当日(10/7)は、台風一過のいい天気で暑いぐらいでした。

私は人数の少ない笛の係なので忙しく、お祭りの最初と最後しか写真は撮れませんでした。途中2~3か所、老人ホームに立ち寄って獅子舞とひょっとこ踊りを因幡(いんば)という曲で行います。この曲は難しく、またちゃんと聞いて楽しんでいただきたいので、宮元の人の援助をお願いしました。それ以外は荏田宿のお囃子会で行うことができました。途中はかなりの暑さでしたが事故もなく、無事終了することができました。

荏田宿の歴史は古く、江戸時代は大山街道の宿場町としてこの地域では華やかな場所だったと想像ができます。つい40~50年ほど前までは、周囲は山に囲まれていて、この荏田宿のあたりはこの地域の中心街だったと思います。

30年ほど前までは荏田宿のお囃子連も活躍していたようで、驚神社のお囃子連の再興のお手伝いをしていたとのこと。そんな縁で、今度は荏田宿のお囃子の再興にお手伝いをしていただいているそうです。昔は神楽も盛んだったようで、遠くまで出稼ぎに行っていたとのこと。しかし今や見る影もありません。商店街も記憶にある限りでは、30年ほど前には床屋さん、雑貨屋さんや酒屋さん、魚屋さん、すし屋さん、カラオケスナック、などがありました。床屋さん、すし屋さん、カラオケスナックは今でもありますが。しかし246が商店街を分断し、田園都市線のあざみ野駅ができて、港北ニュータウンに地下鉄が通って、その中間にある荏田宿商店街は急速にさびれてきています。商店街があれば住民同士顔を合わせることがありますが、今ではそういう機会もほとんどありません。誰でもが参加できるお祭りで、多少でも住民たちのつながりができるといいと思っています。

宵宮が始まりました

お祭りの朝、子供神輿の組み立て

山車を引き終わった時、祭りの後

お神輿も終わり、子供たちがいなくなった後、
大人たちで自治会館まで担いで帰ります

チーク材の3WAYスピーカ

2018年10月27日(土)朝日新聞朝刊の「折々のことば」に

「昔の職業というものは大まかで、なんでも含んでいる 夏目漱石」
という言葉が紹介されていました。そのなかで、
「昔は一人がいくつもの商売をし、すぐに手に入らない物は間に合わせで作った。昨今は『知識や興味の面積が日に日に狭められ』て、個人が孤立し、ひどく無能になりつつあると。講演『道楽と職業』から。」
とありました。
この文章を読んだときに、最近チーク材によるスピーカを作ったことを思いだしました。

私は建築音響による建築設計を専門としていますが、無響室の検収測定のために無指向性音源を作ったり、マイク移動装置、超音波発信機を作ったりと、文字通り「すぐに手に入らない物は間に合わせで作っ」ていました。

そんな中で、バンコクにできるレストランのスピーカの相談を受けました。デザインは、タイらしくチーク材で作りたく思いました。日本でFOSTEXのスピーカユニット(ドライバー、ツイータ、ウーハ)を購入し、High Pass / Low Passフィルターを組み立て、それをタイまで運び、スピーカの箱を作っている工場に持ち込み、チーク材でホーンと箱を作ってもらいました。タイでもチーク材は貴重な存在で、やっと手に入れたそうです。レストランの計画は遅れていてまだできていないのですが、近いうちに実現できそうです。このスピーカは貴重なチーク材のためにタイから外国への持ち出しはできません。音の方の評判も上々です。タイで十分に役に立ってほしいと思います。

事務所で組立中

バンコクのスピーカー工場にて


これはガーデンパーティのためにここにセットしたものです。ステレオですので、もう一台あります。

2018/10/26

ホキ美術館の吸音材


93日、4日と千葉県の2か所の劇場に改修のための音響調査に伺いました。

測定の前日、92日(日)から千葉に向かい、千葉県緑区にあるホキ美術館に行ってみました。

ホキ美術館は鉄板製の美術館で、シャープな躍動感があります。美術館の端部は部屋全体がキャンティレバーとなって宙に飛び出しています。しかも断面は大きなC型の形状で、Cの途切れた部分は壁の下部にスリットとして通っていて不思議な感じがします。その内部の展示空間もシャープで、美術館や博物館の天井の仕上げは一般的な岩綿吸音板ではなく、ボード類の上に塗装仕上げでした。床もゴムチップ床で吸音するところがないのですが、椅子は球形の椅子で、触ると気持ちの良いフワフワとしたウレタンスポンジのようなものでできていて、デザインが素晴らしいだけでなく、これは吸音材でもあると思いました。ただ数が少ないので、もう少し多ければ残響調整ができそうと思った次第です。

もし吸音材を追加するとすれば、選択肢として、岩綿吸音板のように表面が凸凹していなく、また従来の有孔板のように孔が大きくなく目立たない、微細穿孔板(MPP: Microperforated Panel Absorber)という方法良いのではないかと思いました。日本ではあまり活用されていませんが、建築学会などで研究発表されています。孔が目立たないので、ホキ美術館のようにシャープにデザインされた場所には可能性があるのではと思います。