2019/01/07

川越市の旧鶴川座の引取り手募集

普段は建築音響の仕事をしている以外に 研究として長年芝居小屋の音響調査を行ってきました。ここ最近は、川越市の旧鶴川座の調査を行い、建築学会で発表を行いました。
昔は全国に数千件もあったとされる芝居小屋も、現在は数十件ほどしか残されておらず、関東にはこの鶴川座、群馬のながめ余興場くらいしかありません。
その貴重な資料である鶴川座を音響調査することで、芝居小屋の音響的特性を様々な角度から再現しようと試みました。

昨年・今年の建築学会のブログ。主に建築音響の発表になりますが、見ていただけると幸いです。

2018年の発表
2017年の発表 

しかし実はこの旧鶴川座、上記の音響調査当時は川越市も街づくりの一環と位置付けて保存活用事業を行っていたのですが、昨年になりそれがストップしてしまいました。鶴川座の持ち主である蓮馨寺も、それにより復原をあきらめ、今年の春、鶴川座を解体してホテルを建てることが決定しています。

非常にもったいないことと思いますが、川越市があきらめてしまった今、部外者ができることと言えば、鶴川座の移築先を探すことくらいのようです。移築のための費用も負担していただく必要があります。さらに時間もほとんどありません。

どなたか、この鶴川座に関心がある方、または関心がありそうな方をご存じでしたら、弊社までご連絡ください。


以下に、鶴川座の現在の様子と歴史を簡単にご紹介します。

現在の鶴川座(2013撮影)
鶴川座は蔵の街、小江戸、川越市にあり、東京近郊に唯一残存する芝居小屋です。建設は明治31年、竣工当時の外観は蔵造り風の形(下図)をしていますが、のち外観も洋風に模様替えされて映画館になり、現在では閉館し、廃墟になっています。鶴川座は明治26年に大火で焼けて立て直しています。

竣工当時の鶴川座(明治31年竣工)
明治11年(1878年)に近代劇場として大々的な洋風開場式を行った新富座の外観(下図)です。明治9年(1876年)日本橋区数寄屋町の火災で類焼し、立て直したため、鶴川座と似た蔵造り風です。


東京名所のうち第一の劇場新富座(三代目歌川廣重画)(Wikipediaより)

2018/12/28

劇場でない場所での公演

2016年に横浜ボートシアター創立35周年+代表の遠藤啄郎氏米寿記念冊子『「場」の持つ力』が刊行されました。「場(トポス)の持つ力によって、これほどまでに作品世界が生まれ変わり、見えないのではとあきらめていた世界が見えてきたのだ。」とあります。船劇場もまたそういった場です。この冊子のタイトル通りに、場の持つ力を生かした公演を3種類ご紹介します。


画材店での横浜ボートシアター公演

横浜ボートシアターが、9/14から10/1まで、画材店の大森アートポジションで仮面展を行っていました。こちらで9/16(日)、24日(月)、9/30(日)には創作影絵人形芝居が、さらに音楽ライブが9/17(月)、9/23(日)にありました。私は9/23の音楽ライブに伺いました。ちょうどひどい雷雨が降ってきて、びしょびしょになりながら公演場所に飛び込みました。ここは大森駅から線路に沿って東側にあり、ちょっと戦後の雰囲気が残ったような場所です。
画材店の道路側の場所が画廊で、仮面の展示された中、数名で歌や演奏をします。歌は主に「さらばアメリカ」から戦中・戦後の時代精神を振り返ったものでした。お客さんは20名ほどでしたが、道路からも中の様子が見え、いい場所でした。



20181222 神楽坂・香音里(かおり)
横浜ボートシアター樋口一葉作品を語る 「わかれ道」「この子」「闇桜」

神楽坂の駅から約1分間のところにレンタルスペース神楽坂・香音里(かおり)があります。こちらは昔の木造住宅で、8畳と6畳の二間続きの部屋の周辺に廊下がめぐらされている空間に、床の間と書院がついています。6畳の和室の方にはグランドピアノが置かれています。今回は、朗読する人1名と伴奏を行う人1名で、観客は約50名ほどでした。朗読を行うために雰囲気も音響的にもいい空間で、また樋口一葉の作品にもとても合う空間です。「わかれ道」は語り奥本聰、「この子」は岡谷幸子、「闇桜」は吉岡沙耶により朗読されました。また松本利洋によるエレキギターの機微の動きも素晴らしかったです。



横浜都筑民家園での乙女文楽公演

最後に、11/25(日)13:30から14:30まで近くの都築民家園で、ひとみ座乙女文楽の公演がありました。公演の内容は「義経千本桜」道行初音旅です。さらに最後に人形の仕組みと扱い方の説明、および会場から希望者3名による三番叟の演技指導がありました。一人は外国人の方でした。乙女文楽は一人遣いで演じます。3人で行う文楽とは異なり、人形の周囲に人が少ないためにすっきりした感じがします。



2018/12/20

建築学会から床振動に関する新基準が発刊されました

11/8に建築学会のシンポジウムが建築会館で行われ、『建築物の振動に関する居住性能評価基準・同解説』が発表されました。

これまで、この床振動に関する基準は1991年および2004年の『建築物の振動に関する居住性能評価指針同解説』であり、それがずっと我々の解説書でした。

1991年の基準書には振動の変位と加速度の基準値があり、住宅や事務所における振動の基準もありました。2004年版の基準では、加速度が水平と垂直にわかれており、知覚確率を伴った評価の方法となっていましたが、評価の方法は設計者に任せられていました。

今回の2018年の新基準は、評価指針と設計指針を分離し、評価指針として「設計の過程で必要となる、振動とそれに対する居住者の評価との関係を表す指標のみを評価基準として独立させ」、設計指針では「加振力や応答測定点の設定方法など」や「対象とする振動の性状が限定され、振動源ごとに蓄積され」る傾向があるためにそれを分離させたとのこと。
ただし、設計指針はまだ発刊されてはいません。

新評価指針では、鉛直では、住宅と事務所と評価の違いがあり、ほぼ2dBごとにランクが変化し、さらに住宅の方が事務所より2dBほどランクが厳しくなっています。また水平方向の評価方法では、評価は等間隔のランクではなく、また周波数も0.1Hzから30Hzまで幅広く存在しています。

また、非定常の振動についても評価方法が決められています。

鉛直方向では、JISC1510-1995の鉛直特性で重み付けられた振動値に対して、今回の指針では、時定数VL10msが55dB となるときの時間の合計とする、とあります。ただし振動が10秒以上継続する場合や1秒以内にA*10^(1/4)で補正された場合には定常的振動と考えます。
1秒から10秒までの振動については、A*=A×10^(((logT)-1)/4)で補正されます。
道路交通振動のような場合に、ほとんどの時間が55dB以上となる場合にはそのままで問題はないのですが、例えば半分が55dB 以下の場合などは上記の方式を用いることになります。
また床の衝撃振動で、一人歩行のような1秒以下で衝撃がある場合には、多少低減されることになります。ただし何人もの人が通り抜ける場合には低減されません。
またゴムボール落下のような(例えば5秒間隔など)、等間隔で振動が発生するような場合にも、多少振動が低減されることになります。

振動の低減効果があることは、何か目的があるような場合にのみ必要な気がします。例えば夜中にある滅多にない鉄道車両の走行振動などが、それに相当すると思われます。

弊社のように、実験などでゴムボールを落としたような場合には、実験結果を低減することなく、単に最大値を求めて、比較することが好ましいと思われます。
ただ、スラブの振動測定をたくさんしてきましたが、評価方法は今回の指針を元に修正する必要があると思います。

左から1991年および2004年の『建築物の振動に関する居住性能評価指針同解説』、
右が今回(2018)の『建築物の振動に関する居住性能評価基準・同解説』


2018/11/28

響きが必要な音楽と響きが少ない方が良い音楽

10/25に、ザ・シンフォニーホール(大阪)で行われたキンボー・イシイ指揮、日本センチュリー交響楽団のコンサートに行きました。

演目は、J.S.バッハ:「音楽の捧げもの」BWV1079より“6声のリチェルカーレ”(ウエーベルン編曲)、その他3曲(R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』よりワルツ、コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35、モーツアルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」です。いずれの曲も音楽の都ウイーンで結ばれた曲を選んだとプログラムに書かれています。バッハの曲は、編曲したウエーベルンがウイーン生まれのため選ばれたとのこと。いずれの曲も素晴らしかったのですが、中で印象に残ったのは、この「6声のリチェルカーレ」で、プログラムによると「主題を一つの楽器によって奏でるのではなく、いくつかのセクションに分け、複数の楽器によって一つの旋律を奏でてゆくというもの」とあります。聞いているとキラキラした宝石の光を見ているような感じです。ザ・シンフォニーホールは大きく言えばシューボックスですが、私の席は舞台の脇の2Fバルコニー席のためか、楽器の音がどこから聞こえるのかはっきりしていて、この曲には大変好ましく感じました。



また、11/15には横浜県民共済みらいホールで行われました「民族楽器オーケストラ テュルク世界の大いなる遺産」という名のコンサートを聴きました。テュルクとはアゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルコ、トルクメニスタン、ロシア連邦内のサハ、アルタイ、トゥバなどのテュルク語系諸民族の文化を持つ国や地域で、その民族の合同オーケストラがテュルクソイです。そのオーケストラは以下の写真で示すようにドンブラやコムズ他、様々な民族楽器で構成されています。この音楽もまた宝石のように音がちりばめられているような感じの曲です。しかし大きなメロディに沿って、ハーモニーを構成していくような音楽ではなく、大きな面に音をちりばめていく感じです。
このような音楽はおそらくヨーロッパクラシック音楽のような残響は必要ではなく、むしろ音の位置などがはっきりしている方が聞いていて楽しい可能性があります。これまで芝居小屋の研究をしてきた中でも実感してきましたが、今後の室内音響研究が必要な分野と感じます。

なおこのみらいホールは弊社の音響設計した300席のホールで、どちらかと言えば演劇系のホールです。こけら落とし公演は平成15年の横浜夢座の公演でした。





   
昭和60年代は日本では多目的ホールが批判され、演劇や音楽の専用ホールが必要とされてきました。音響技術の分野では、反射音の効果が発見されるようになってきました。1950年代には直接音から50ms以内の初期の反射音は直接音を補強し、音声明瞭性を上げることが発見され、1970年代には80ms以内に到達する反射音は音楽に対しても明瞭性を向上させる効果があることが発見されています。さらにBeranekの音響設計したニューヨークフィルハーモニックホール(昭和37年(1962))が音響的に評判が悪く、シュレーダーらの調査で初期反射音の到来方向がホールの音響に影響を与えていると分析し、側方反射音の重要性が発見され始めました。BarronとMarshallは1981に側方から到来する反射音ほどSpatial Impressionに対する寄与が大きいことを見出し発表しました。そのような観点からウイーンムジークフェラインのようなシューボックスタイプのコンサートホールが重要視されるようになりました。その結果日本でもシューボックス型ホールのザシンフォニーホール(昭和57年1982)やカザルスホール(昭和62年1987)が建設されました。カザルスホールで室内楽を聞いた時には感激した覚えがあります。ところでシューボックス型の杉並区公会堂新ホール(平成18年2006)ができた時には、音響学会で見学会があり、東大の佐久間先生が舞台でピアノを弾かれて、周りでその音を聞いて音像の拡がりの実験をしました。私もびっくりしましたが、中通路より後ろの席になると、ピアノの音が舞台いっぱいに広がって聞こえます。初期側方反射音の効果で音像が空間的に広がって聞こえることを言い、これを見かけの音源の幅ASWとも言っています。さらに教会のように拡散音のエネルギーが大きい場合には残響感が増し、音に包まれた感じを得ることができます。しかしこのような音像が大きくなってしまう効果や音に包まれた効果はクラシック音楽のようなハーモニーを重視する音楽には好ましいですが、音像の位置をはっきりさせたい場合には逆効果になり、特に初期の側方の反射音の制御が必要になります。これらのことは今後の技術的な開発が必要だと思います。豊かな響きと音像の定位の両立です。強いて言えばサントリーホールのようなアリーナタイプでは豊かな残響感というよりはっきりした音像の定位が特徴と言ってもいいかもしれません。

2018/11/26

建築技術2018年12月号に「渋谷スタジオの音響設計」という記事を書きました

本記事は、2018年11月号の「渋谷スタジオ遮音工事」という濱口オサミ氏による記事の続編となります。この渋谷スタジオとは、渋谷の桜丘にあるマンションの1階に計画された木造架構の音楽スタジオで、竣工時には本ブログにも紹介をしています。

床は檜、壁・天井は赤松集成材で、軽鉄等の一般的な下地のない、仕上げが構造体になった架構です。また天井は木造のトラス梁を柱で支えて、その梁に赤松集成材の根太(240×40)を支持させ、さらに赤松集成材の板を載せた構造で、スラブからは構造的に分離した構造です。内部は木をふんだんに使った柔らかな温か味のある雰囲気で、音楽を演奏することに気持ちの良い空間です。

今回の記事は、その設計に対応した音響設計を弊社で行い、内容を記したものです。遮音設計や室内音響の方法などを書いています。中でも床は、一般的な防振床ではなくヘルムホルツ共鳴器を有する床を採用しています。その設計方法について、かなり具体的に書きました。

ご興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。なお、この工法はUR等と集合住宅用に共同開発した特許工法です。


2018/11/02

Almagroの芝居小屋―現存する世界最古の木造の芝居小屋―

先日、飯沢匡 著「ドン・キホーテの国」を読んでいたらP.81に、

「アルマグロの町は広場からしてアラビア風を遺していて変わった印象を受けるが、ここには世界最古の劇場が現存している。木造で中庭を囲んでコの字形に三階まで座席がある。早稲田大学演劇博物館が模した英国のエリザベス朝のグローブ・シアターによく似ている。」

とありました。これまで知らなかった劇場です。世界最古の劇場とは非常に面白そうです。正確には、現存する木造の芝居小屋としては世界最古という意味だと思われます。Almagroの位置を以下の地図で示します。



AlmagroのPlazaMayorのGoogleMap 


赤い印の斜め右下の白い布がかかっているところが劇場。

Almagro - 01

『Corral de comedias de AlmgroはCastile-La Mancha(カスティーリア-ラマンチャ)州、Almagro市の中心にあるPlaza Mayor(市長広場)のこの写真で言えば右側の建物にある。
この劇場は1628年にAlmagroの住民のDon Leonardo Oviedoによって、Taberna del Toroと言われた古い宿屋の中庭に建てられたとのこと。

Wikipediaに、Corral de comedias de Almagro ("Courtyard theatre of Almagro")の紹介記事がありました。劇場の名前はAlmagroの中庭形式の劇場です。 以下はWikipedia の英文を一部訳して紹介します。
記録に残っている最初の公演は1629にJuan Martinezの劇団Autorによって行われた。この劇団はスペインで認可された12の劇団のうちの一つである。ただし18世紀にはこの様な劇場の建設が禁止され、Taberna de las Cmedias と Taberna de la Frutaという旅館に改装された。ただ1802年には再び公演に使用された報告があるが、1857年以降は中庭としての使用以外には記録がない。
1953年の市長広場の改修時に、劇場として再発見され、1954年5月29日Calderon de la Barca 劇団によって開演した。それ以来 毎年 国際古典演劇祭がここで開かれている

と言ったことが書かれています。

現存する最古の芝居小屋のCorral de comedias de Almagroができたのは1628年で、ドン・キホーテがセルバンテスによって書かれたのは1605年、それより13年後になります。

R.E.ラッセル著 田島伸悟訳の『セルバンテス』のP.26に、
「1580年代には自分の書いた「二十本から三十本」の芝居が大当たりを取り、スペインのお客様に、それまでの芝居になかった目新しい重要な部分をいろいろと披露したのだ、とは晩年になってからの本人の述懐するところです。しかし残念なことに、現在ではそれらのうちの二本しか残っておりません。そのころスペインの主立った都市に常設の芝居小屋が出来たことで台本の需要も多くなっておりました」

とあります。

Alojería de Almagro

Corral de comedias de Almagro

Corral de Comedias de Almagro - 05

セルバンテスは1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレスで生まれ、1616年4月23日、マドリードで没しています。

イギリスでもシェイクスピア(1564.4.26~1616.4.23)がこのころ活躍していて、なんと亡くなったのはセルバンテスと同じ日です。シェイクスピアの劇場グローブ座も1599年にできています。シェイクスピアの作品は『ロミオとジュリエット』が1596年、『ハムレット』が1601年、『オセロー』が1604年、『リア王』が1605年、『マクベス』が1606年で、セルバンテスの活躍した時期に重なり、両地域で芝居好きの人々の存在を感じます。

イタリアでは、テアトロ・オリンピコが1584年に竣工、1585年に「オイディプース王」によって開場しています。観客席は半楕円形で、構造はローマ劇場に倣っています。この劇場は世界で初めての屋内劇場ともいわれています。また1618年にはテアトロ・ファルネーゼが開場しています。平土間を囲む馬蹄形のような観客席とプロセニアム風の舞台がついています。1637年には最初のオペラハウスであるサン・カシアーノ歌劇場が開場しています。

芸術現代社刊「オペラ全集」のP.13には「オルフェオ」が紹介されていますが、その中で、
「オペラ史上最初の作品と言われる<ダフネ>がフィレンツェの宮廷に集うカメラータ(同士の意)たちの手で上演されたのは16世紀も押し詰まった1597年、そしてその3年後には、現存する最古のオペラ<エウリディーチェ>が登場する。」 
ただしそれは、
「オペラと呼ぶにはあまりにも音楽性に乏しい」

と書かれ、そして1607年に初演されたモンテヴェルディの最初のオペラ<オルフェオ>について、
「ドラマと音楽の統一が、ここに初めて果たされた」

と書いています。オペラも1600年前後から始まっていることがわかります。

ドイツではWikipediaのオペラの項目によると、
「最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、シュッツ(1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に三十年戦争(1618年 - 1648年)の影響の少なかったハンブルクに公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。」

とあります。

その他にWikipedia コメディア・デッラルテの項目によると

「コンメディア・デッラルテ(イタリア語: Commedia dell'arte)は、仮面を使用する即興演劇の一形態。16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、主に16世紀頃から18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けている。」
とあります。

同時代の日本ではというと、1603年に阿国が北野天満宮で歌舞伎踊りを行ったことが記されており、芝居小屋の萌芽が感じられる時代となっています。
1615年には京都南座が四条河原町で開場、7つの櫓の1つ、江戸では、中村座(当初は猿若勘三郎芝居)が寛永元年(1624年)2月に、中橋南地で櫓を上げています。

中国では?例えば西遊記はどうだろうと調べてみると、これもwikipediaではありますが、

「実在の僧侶玄奘が、仏典を求めるため国禁を犯し、16年の歳月をかけてインドとの間を往復した史実を踏まえてはいるが、各地に伝わった三蔵伝説や猿にまつわる逸話などを吸収し、南宋代の都市で語られた講談や元の雑劇で発展した。元末期頃(14世紀)に大枠の話が成立した後、いくらかの改編を経て、明代中期の16世紀に、長篇小説として完成する。現存する最古のテキストは、1592年初版の『新刻出像官板大字西遊記』(世徳堂本)であり[1]、その後清代にかけて様々な刊本が発刊された。」

とあり、元は古い物語ではありますが、現存する最古のテキストは1592年刊とのこと。偶然とはいえ、これも記しておこうと思います。


なんとなく1600年前後に、演劇的な出来事が世界の各地で起こっているような印象を受けます。
それではほかの地域、ヨーロッパでは、アラブでは、中央アジアでは、インドや中国ではどうなっているのか気になってきます。そのうち調べてみようと思います。