日時:2025年6月20日(金)13:45から5時ごろまで
場所:映画館Jack and Betty 伊勢佐木モール近くの若葉町、私は市営地下鉄の阪東橋から歩いて行った。
映画の内容:もと三菱重工横浜造船所にいた杉島和三郎が語り部となって、関東大震災や第二次世界大戦で焼け野原になった横浜を復興させてきたこと、昔あった造船所のこと、グランドホテル、元町商店会のこと、朝のラジオ体操の会、山下埠頭に〇〇があったらいいねプロジェクトや、CoroColo居場所づくりよりどころや、横浜ボートシアター、サンバサウラージの活動、サーフィンボードで運河をめぐる濱橋会、様々な機会を作って人と人を繋ぐことをしていると言うことをテーマにしているようだ。最後はこの杉島さんがかつて三菱重工横浜造船所だったところが、ランドマークタワーなどのビル群になっているのを見ながら、「随分変わった」と感慨深げにいうところでこの映画が終わる。この時のエンディングの曲が横浜ボートシアターの松本さんの曲だとのこと。きっといい方向に向かって変わっているのだろう。私にとっても、かつての三菱重工横浜造船所は、相模原南部清掃工場の設計のときに、私は防音対策を担当し、何度も打ち合わせに行ったところでよく覚えている。場違いのようなレンガ倉庫もあった。その敷地が現在はランドマークタワーや横浜パシフィックホテルやレンガ倉庫というレジャー施設に変わっている。この映画にはなかったが私が小学生の時に来た山下公園は公園と呼ぶにはさみしいものだった。しかし今は立派に木々が育ち、草花も美しく咲いている。しかしできた当初は関東大震災で生じたがれきを埋め立てて造ったようだ。この映画の中に、最初の木造の艀で出来た横浜ボートシアターのこと、のち住民運動によってできた鋼鉄製の艀による劇場も紹介されていた。映画の後、横浜ボートシアターの3名と以前この船劇場でジャズの演奏をしたジャズピアニストの遠藤津子さんとの対談があった。遠藤さんが強くいったのは、この船劇場はジャズの生演奏が心地よく響くというものだった。たしかに一般的に考えるとこのあまり見たことのない空間がいい響きを持つというのは不思議なことだ。私も音響の立場から言えば、この船劇場は、演劇に対しては明瞭に伝達でき、またバックの音楽にも心地よい響きを持ったものになっているといえる。たしかにこの船劇場の最初は側壁に幕が張られていた。この場合には演劇は明瞭に伝達できるが、音楽については残響が短すぎる可能性があった。現在の状態が演劇にも音楽にも好ましい空間として最適と思う。ただこの船劇場の天井を倍ぐらいに高くすることができれば、演劇に対しては不向きになるが、クラッシック音楽には好ましい響きが得られると考えられる。この艀には様々な可能性がある。この対談の中には横浜ボートシアターのかつての代表 遠藤啄郎が取り入れたガムランの話はこの映画にはなかったが、ガムランも現在の船劇場で好ましい響きが得られると思う。聞いてみたいものだ。最後は横浜ボートシアターの3名がこの映画のエンディングの曲に歌詞を付けて歌った。感動したが、実はこの映画館の空間は音響的にデッドのために歌を唄うのはきっと大変だったと思う。
約1か月前に船劇場で、「泥の河」という映画を上映した。その時のブログを以下に示した。http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/05/blog-post_18.html