2009/11/25

つくば古民家の書院でのコンサート

元禄時代(1688~1703)に建設された、つくばにある古民家の書院造りの空間にて、第4回つくばフクロウの森コンサート「メゾソプラノの世界」と題して、11月15日17時半からコンサートが有りました。

この古民家でクラシックコンサートを行うにあたり、今年の夏に、音響的に何か工夫ができないかとご相談をいただき、いくつか提案をし、実験を行ったりしながら検討いたしました。障子を除く、襖を板襖にする、廊下に屏風を立てる、畳を除いて板にするなどで様々に音響的に、室内を変化させてみました。

このコンサートは、街づくりの一環として行われているようで、主に近隣の方々が多く訪れていました。出演は、メゾソプラノ西村佳子氏、ピアノ江澤隆行氏です。

ホームコンサートなどといって、一般の住宅の居間などで行われるコンサートもありますが、この古民家の空間は、しっとりとしていて、日本庭園とあいまってとても美しい空間です。今回のコンサートは、さらに出演者と主催者とで相談しながら、屏風を立てたり、畳をはずしたり、工夫されたようです。
また主催者は、メゾソプラノにこだわり、声の美しさや温かい音色が表現されるよう選んだ曲のようでした。

曲目は、ヘンデルのオペラ「優しい眼差しよ」、フォーレの「リディア」、「夢のあとに」、西條八十作詞の「お菓子と娘」、野口雨情作詞の「七つの子」、北原白秋作詞の「びいで びいで」、ミュージカルから「夢やぶれて」、「一晩中でも踊れたら」などでした。ピアニストが曲の説明をしながら、また観客も地元の人がほとんどのため馴染んだ感じの良い雰囲気でした。音響的には、ピアノの下は畳を除いて板畳を敷き、演奏者の後ろには屏風折れの音響反射板を設置していました。歌も音も、とても親密感があり、素晴らしかったです。



 


10月には、この場所で篠笛と能管のコンサートが行われ、とても評判が良いため再演になるとのこと。また11月28日(土)には、弦楽四重奏のコンサートが計画されており、こちらも人気で、切符は売り切れとなり、急遽マチネを追加したようです。弦楽器に対しては、響きが不足するのではないかと気になりますが、どうなるでしょうか。


10月23日には、旧東京音楽学校奏楽堂で行われたソプラノのコンサートに行きました。ソプラノは田井中由幾子氏、ピアノ伴奏は青井彰氏で、そのほか芸大卒の若い演奏者も出ていました。曲目は、北原白秋、土岐善麿、三好達治などの曲でした。

この奏楽堂は、明治23年(1890)に初代学長の伊澤修二が建設したもので、空席の残響時間は1.1秒程度、コンサートホールとしては短いホールです。伊澤は、西洋音楽と日本の音楽の良いところを合体して、音楽を作ろうとしたようでしたが、その伊澤が目指した曲目(歌曲)が演奏されたのではと思って聞いていました。おそらく当時は、歌曲を対象にしたようで、音響特性も残響のそれほど長くない空間が好まれたのではと思います。最近行っている芝居小屋の音響空間の研究の延長のような感じで、興味をもって聞きました。

2009/11/05

「天地人」のかしも明治座でのコンサート

先日ブログでお知らせいたしました、ソウル&ビートユニット「天地人」のライブを見に、11/3(月)岐阜県の中津川市加子母(かしも)にある木造芝居小屋の明治座に行ってきました。

「天地人」は、元「オフコース」のドラマー大間ジロー氏率いる、ソウル&ビートユニットで、和太鼓(大沢しのぶ)、津軽三味線(黒澤博幸)、パーカッション(大間ジロー)のバンドで構成されています。

明治座は、落ち着いた里山のなかにある芝居小屋で、2年前に音響測定に来たことがあり、懐かしいところです。




内部は、天井が格天井の板張りで、木がふんだんに使ってあり、いかにも木の産地であるこの地域のものだと感じます。



開始1時間前に到着しました。


拍子木の合図で引き幕が開かれ、コンサートが始まりました。すばらしい津軽三味線や和太鼓の歯切れの良いリズムに引き込まれました。木造芝居小屋は、いい空間ということもあらためて感じました。


われわれ音響技術者は、コンサートホール用の響く空間と、演劇や講演用の響かない空間の二つがあると今まで考えてきました。しかし、和太鼓や三味線やドラムのコンサートには、このような芝居小屋のような響かない空間がよいようです。
ライブツアーのプロデューサーの方が、今までは一般の多目的ホールで演奏すると、和太鼓の音圧が大きすぎて、うまくいかないとおっしゃっていました。
よく使用されるグラフで、B.F.Bay(他2名)が作成した「室の種類、室容積と最適残響時間」の中にあるコンサートホール用の最適残響時間の曲線は、「クラシック用コンサートホール」と書き換えないといけないのではと思います。

11月3日は、ちょうど寒波が訪れた日でした。天地人のメンバーは、秋田から寒波を連れてきたと言うほど舞台の上は寒そうでしたが、観客は地元の人が大部分で、この芝居小屋の隙間風には慣れた感じでした。
一般的なホールと比較すると音の返りが少ないので、自分の演奏音が聴こえにくく、そのためか最初の2曲は特に緊張感が感じられ、それがまたライブ感があって素晴らしかったです。

これまで天地人は、10月4日(日)内子座、10月18日(日)永楽館、そしてこれから、11月21日(土)九州の八千代座と23日(月祝)嘉穂劇場にも公演予定だそうです。宝船ツアーと銘うっての全国芝居小屋コンサートです。各地域で、すばらしい宝を見つけてきてください。

2009/11/02

歌舞伎座の音響調査

先日、歌舞伎座の音響測定をさせていただきました。

現代の伝統芸能の殿堂である歌舞伎座の音響を測定することで、これまでの全国の木造芝居小屋の音響データとの比較を行うことができます。そのため、歌舞伎座に調査の依頼を行い、深夜の空き時間を利用して測定させていただくことができました。ご協力いただき、大変感謝いたします。

当日は、神奈川大学寺尾研究室および木造劇場研究会のメンバーとともに測定いたしました。
調査場所は平土間席のみ、ダミーヘッドによるインパルス応答の測定を中心に、残響時間や音圧分布などを測定いたしました。

500Hz帯域の残響時間は1秒強、客席空間の室容積はおおよそ10000m3ですので、室容積と最適残響時間のグラフにプロットすると、木造芝居小屋と同様に、Knudsen and Harrisの講堂に好ましい曲線の近くにあります。
客席空間が大きいにもかかわらず、残響時間がこのように短いのは、歌舞伎座復興記念『歌舞伎座(非売品)』の中に、建築家の吉田五十八が、壁面のかなりの部分を『最新の吸音材料によって音響的効果が考えられており、』としたと書かれており、その結果と思われます。歌舞伎座に内部は、壁に菱形の文様のある壁材が使用されていますが、それが戦後の最新の吸音材料のようです。



現在、歌舞伎座のデータに関しては、インパルス応答と無響室録音の音を畳み込んで音響シミュレーションも行っており、座席の違いで聞こえ方が異なっていることもよく分かってきました。今後、木造芝居小屋の音響特性と比較しながら、邦楽にとって好ましい音響空間を研究していく予定です。


話は逸れますが、吸音材といえば、先日港北にある家具店IKEAに行く機会がありました。売り場の天井のかなりの部分にはグラスウールが貼られ、また内 部の大きなレストランの天井は、格子状の視覚天井の上に、ロックウール吸音材が張られていました。最近各地に続々と作られている大型ショッピングセンター では、ほとんど吸音材が使われていないため、ざわざわと非常に騒々しく疲れますが、IKEAのレストランでは、落ち着いて会話をしながら食事をすることが でき、吸音材の大きな効果が表れていました。

2009/10/29

I邸打楽器練習室完成

世田谷区の一戸建住宅に打楽器用音楽練習室が完成し、音響測定を行いました。施主は音楽家で、小太鼓、マリンバ、ティンパニーなどの演奏を行うための練習室となります。

地上2階、地下1階の住宅で、その地下1階が練習室となり、建築設計はACT環境計画、音響設計をYABが担当いたしました。

打楽器は、ピアノなど、そのほかの楽器よりも音量が大きく、100dBを超える音が出ます。音響設計の重要な目的は、まずは外部への遮音対策、そして室内での演奏音の音圧レベルを下げ、打楽器を歯切れの良い音とすること、さらに演奏している音が演奏者本人に聞こえるようにすることです。

そのため、1階のコンクリートスラブのレベルまでを地中として、壁からの透過音を無くし、換気用のダクトは消音器を経由して外部に開放させたこと、さらに床はコンクリートの浮床として、外部に演奏音がほぼ聞こえない状態とすることができました。
また内部の吸音材の厚みを100mmとしたことで、125Hz帯域まで吸音することができ、また一部の壁は拡散性のある反射面としたことで、小太鼓などが耳にうるさく感じることなく、また細かいパッセッジも明解に分離して、演奏することができるように思いました。
測定の結果、平均吸音率は、おおよそ0.4程度と目標通りとなっています。


2009/09/30

元「オフコース」のドラマー大間ジロー氏率いる、ソウル&ビートユニット「天地人」の「宝船ツアー2009」プレスリリースにコメントを提供いたしました

天地人は、元オフコース・ドラマーの大間ジロー氏、創作和太鼓界を牽引する女性奏者、大沢しのぶ氏、津軽三味線の日本チャンピオン、黒沢博幸氏によって構成されており、今月より、各地の芝居小屋を巡るツアー「宝船ツアー2009」をスタートしました。

YABでは、芝居小屋の音響調査を行ってきた御縁で、音響の観点から推薦のコメントをさせていただきました。

ツアープレスリリースはこちら

「宝船ツアー2009」公演スケジュール
10月4日(日)    内子座(愛媛県喜多郡内子町)
10月18日(日)    永楽館(兵庫県豊岡市)
11月3日(火・祝)    かしも明治座(岐阜県中津川市)
11月21日(土)    八千代座(熊本県山鹿市)
11月23日(月・祝)    嘉穂劇場(福岡県飯塚市)
「宝船ツアー2009」詳細: http://www.tenchijin.info/2009/

各地を回るツアーとなっていますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

2009/09/15

今年の全国芝居小屋会議が、ながめ余興場で開催されます

今年も、全国芝居小屋会議が10月23日(金)~25日(日)まで群馬県のながめ余興場を会場に実施されます。ながめ余興場は、先日音響測定を行いましたが、渡良瀬川の渓谷を見渡せる非常に景色のいい場所にあります。

詳細は、芝居小屋会議のブログをご覧ください。


昨年は、兵庫の永楽館にて開催され、YABも芝居小屋の音響特性について発表を行いました
その時の模様がこちらにアップされていました。

2009/09/14

木造芝居小屋の音響測定今年2回目無事終了

先々週の秋田の康楽館の調査に続き、9月8日(火)~9月10日(木)まで、今年2回目の測定に行ってきました。
8日(火)午後は群馬県みどり市のながめ余興場、9日午前中には岐阜県各務原(かかみがはら)市の村国座、午後には岐阜県瑞浪(みずなみ)市の美濃歌舞伎博物館となっている相生座、10日は愛知県犬山市の明治村の中にある呉服(くれは)座、計4座の調査を無事行うことができました。これで今まで調査した芝居小屋は、14座になります。

調査の目的は、邦楽に好ましい音響空間を探ることと、残り少なくなった江戸歌舞伎様式の芝居小屋の音響空間を音響インパルス応答の形で保存することです。インパルス応答があれば、無響室録音の音楽と重ね合わせることで、あたかもそこで演奏されたかのような音がシミュレーションできます。インパルス応答が、ダミーヘッドによるステレオ録音であれば、より立体的に空間を再現できます。
日本の伝統芸能を育んだ芝居小屋のような残響の少ない空間が、邦楽にとって好ましい音響空間ではないかという仮説を立てて、その正しさの検討をしています。
Sabineの残響理論(1900年)から始まった室内音響学ではありますが、劇場やコンサートホールはそれ以前にもあります。木造芝居小屋の建設には、もちろんこのSabineの残響理論が使われているわけはありません。しかし、いずれも残響時間は0.6秒~1.0秒程度、舞台回りの壁は、土壁、客席は、障子や土壁や板壁で、舞台側ライブエンド(反射性)、客席側デッドエンド(吸音性)のような形につくられています。
したがって建設時には、意匠デザインだけでなく、音響についても考えているような気がしています。今回調査した芝居小屋は、ながめ余興場、村国座、相生座の3座が、床が板張りで、特に、村国座は、壁はかなりの面積が漆喰壁で、残響感がかなりありました。

以下測定をした芝居小屋の特徴などをご説明いたします。
ながめ余興場はその名のとおり、渡良瀬川の渓谷を眺められる絶好の景色の「ながめ遊園地」の中にあります。遊園地は、大正14年(1924年)開園され、さらにながめ余興場は、昭和12年(1937年)、その中心施設として、建設されました。しかし昭和62年(1987年)閉館を余儀なくされましたが、保存運動の結果、平成9年(1997年)大改修が完了し、現在に至っています。この芝居小屋は、昭和12年の建設当時は、板床の上にゴザを敷いていたようですが、現在は、ベンチになっています。床はフローリング、壁は漆喰壁、天井は格天井で、畳の床と違って、結構響きます。また学生も含めて、地元民の利用も盛んのようです。この10月23日(金)~25日(日)には、ここで全国芝居小屋会議が開催される予定で、柳家紫文の都々逸や人形浄瑠璃の公演も計画されています。

ながめ余興場 測定の様子




 村国座は、村国神社境内にあり、客席後方が板戸で出来ていて、神社に向かって開放できます。村国座の創建は、慶応2年(1866年)に建設が提案され、明治10年ころ(1877年ころ)完成したようです。農村歌舞伎の舞台として、特に近年は子供歌舞伎の公演を行っているようですが、創建から130年たち、建物が傾いてしまい、平成の大修理を行って、この平成21年の2月に完成したものです。この大修理の指導は、神奈川大学建築史の西先生が行ってきています。この劇場は、金丸座の空間と同じように、建築的に緊張感のあるすばらしい空間です。特に松丸太の大きな小屋組みが見えて、天井の竹の化粧小舞が繊細で美しく、壁は、ほとんど漆喰です。床は升席ではなく、単に板の床となっています。したがってよく響きます。この小屋は国の重要文化財に指定されています。竣工後は、杮落とし公演として、5月に大黒摩季のコンサートもあったようで、そのときには、客席後の板戸も開放して、コンサートが行われたようです。またこの秋には、スペインのフラメンコの公演も計画されています。

村国座 外観

村国座 内観

村国座 測定の様子


 相生座は、岐阜県瑞浪市の山の中にある民間経営の芝居小屋で、昭和の高度成長期、都市化の流れの中で、地歌舞伎が危機的状況になったときに、危機感から美濃歌舞伎保存会が出来、当初はテント小屋で公演していたようですが、昭和51年岐阜県明智町と名古屋の芝居小屋を合体して誕生したそうです。中には、農村歌舞伎の衣装や小道具類も展示されています。この経営者は、これらの歌舞伎衣装の貸し出し業務や、相生座に隣接した日吉ハイランドクラブというゴルフ場や、歌舞伎の衣装や浮世絵などを展示しているミュージアム中仙道、またセラミックミュージアム内のフレンチレストラン『クレイ』も経営しているようです。このセラミックミュージアムは磯崎新の設計です。
この相生座は、村国座と同様、天井空間に小屋組みが見えていて大きな空間でしたが、なにかほっとするような親しみのある空間でした。

相生座 測定の様子




 呉服座は、今は明治村の中にありますが、ホームページには「明治初年大阪府池田市の戎神社の近くに建てられ、戎座(えびすざ)と呼ばれていたが、明治25年(1892)に同じ池田市の西本町猪名川の川岸に移され、名称も呉服座と改められた。」とあります。このときの地区名が「ごふく」でなく「くれは」と呼ばれていたようで、くれは座と呼ばれるようになったとガイドさんが説明していました。「ここでは地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才等様々なものが演じられたが、特に興味を引くのは、尾崎行雄や幸徳秋水らが立憲政治や社会主義の演説会に使っていることで、当時の芝居小屋が大衆の遊び場、社交場であると同時に、マスコミの重要な役割も果たしていたことがうかがえる」とあります。床は、升席となっており、板の上にゴザが敷かれています。現在屋根の杉皮葺きが、鳥にいたずらされ、大分持っていかれてしまったとのことで、青いネットが保護用に張られています。なお呉服座も国の重要文化財に指定されています。

呉服座 測定の様子



呉服座 内観



呉服座 外観 鳥よけの青いネット


明治村の中にある帝国ホテル
(旧所在地 東京都千代田区内幸町 建設年代 大正12年(1923))


 今回調査した岐阜県の芝居小屋は、村国座、相生座、一昨年は、白雲座、常盤座、鳳凰座、明治座でしたが、そのほかにも蛭子座(えびすざ)、五毛座(ごもうざ)、東座(あずまざ)とあり、岐阜県の中仙道沿いにたくさんの芝居小屋が残されています。これは江戸時代に、幕府の直轄領で、歌舞伎上演が許可されていたことによるそうで、現在でも地歌舞伎の保存会が27団体もあるようです。またその周辺の民家は、瓦屋根の軸組み構造のものがほとんどで、農村風景と相まって、街並みが大変きれいだと感じました。

芝居小屋の音響調査は、劇場演出空間技術協会のなかにある木造劇場研究会と神奈川大学寺尾研究室と全国芝居小屋会議の3団体の共同で行っています。また本調査には、ポーラ伝統文化振興財団の助成を頂いております。

2009/09/11

響く馬頭琴

8月5日の朝日新聞夕刊に、「自由な時代 響く馬頭琴」という見出しの記事がありました。
モンゴル最大のお祭りのナーダムが、建国記念日である7月11日に始まり、ウランバートルの中央競技場で行われた開幕式で、国立馬頭琴交響楽団の演奏があったそうです。
馬頭琴とは、弓で2本の弦をこすって音を出す楽器で、チェロのような、またはチェロより濁った音を出します。楽器の棹の先に、馬の顔の彫り物があるので、馬頭琴といいます。

モンゴルの歴史を振り返ると、1921年にソ連赤軍の支援を受けて中華民国から独立し、1924年から社会主義国としてモンゴル人民共和国となる。1946年中華民国からも独立を承認され1961年に国連加盟された。しかし1930年から独裁体制であったが、1980年以降、ソ連のペレストロイカの動きがあり、1990年一党独裁が崩壊してモンゴル国となっています。

記事では、その3年後の1993年、国立馬頭琴交響楽団ができて、馬頭琴が民族のシンボルとして民主化の歩みとともに息を吹き返したそうで、この15年間は、毎年、建国記念日に、国立馬頭琴交響楽団の演奏があるそうです。さらに記事には「馬を愛する遊牧民が儀式の時に狭いゲルで弾いていたころは、胴体に馬の皮を用い、音も響かなかった。」とあり、それが「徐々に胴と弦は木材とナイロンにかわり、響きを良くするために胴にも切れ目がはいり、チェロのようになった。楽器の『現代化』は社会主義時代に拍車がかかる一方、伝統的な民謡はさびれ、弾き手も減った。」「しかし国立楽団の発足で歯止めがかかり」、「楽器の形や演奏形態は変わったが、大切な馬の生きた毛を使って民族の歌を奏でる精神は受け継がれた。」とあります。

そのような複雑な歴史を経てきた馬頭琴ですが、その発祥は相当古いもののようです。13世紀に書かれたマルコポーロの「東方見聞録」の中にも、馬頭琴らしい楽器のことが書かれているようですが、その頃はまだヨーロッパには擦弦楽器はあまり知られていなかったようです。ヴァイオリンは、16世紀後半に完成し、その後現在の形になるには19世紀になってからのようです。

弓で弾く二弦の擦弦楽器には、中国の二胡、カザフスタンのコブスなどがあります。二胡は蛇皮が張られていますが、カザフのコブスは、ハート型のひょうたん?を半分に割ったような形で、何も表面に張られていません。それでもかなり大きな音が出ます。二胡はヴァイオリン、カザフのコブスはビオラ、馬頭琴はチェロに音域が近いような気がします。日本では、弓で弾く弦楽器は胡弓だけですが、三味線と形が似ていて三弦で、ふさふさした多量の馬の尻尾の毛でできた弓で弾きます。ルーツは中国ではなく、東南アジアではないかという説があります。しかし、現在日本ではあまり流行っていません。

おそらく世界中で生まれた様々な楽器や音楽が、シルクロードや南の海を経由して日本に入り、日本人の好みで選択されたものが現代に残っているのだと思います。

昨年馬頭琴のコンサートに行き、演奏者にどのようか空間が演奏に好ましいですかと聞きましたら、もともと草原で弾いていましたから、とおっしゃいました。したがって馬頭琴の「響き」は、風が吹き渡るような感じのところで演奏することが理想のようです。馬のいななきのような曲もあります。馬が疾走している様子が目に浮かびます。

2009/09/01

芝居小屋の音響調査1回目無事終了

8月28日、建築学会の発表の後、そのまま秋田の小坂町まで、車で移動し、4時半に康楽館に到着しました。康楽館は、洋館風木造芝居小屋で、国重要文化財に指定されています。



常設公演が終了した夜5時より、音響測定開始しました。夜9時、最後のインパルス応答の計測時に雨が降り始め、屋根に当たる雨音がうるさいため、暫らく様子を見ながら、雨の弱いときを見計らって、なんとか無事終了しました。
康楽館は、響きは無いのですが、舞台から声を出してみると、はっきりとしていて発声しやすく、客席に飛んでいっている感じがし、また客席で聞いていても、とてもすっきりと明瞭に聞こえます。舞台でサックスの音を出してみますと、自分の周りにだけ音が存在するような感じで、慣れないと演奏しにくいような気がしました。

測定の様子






次の日は、午前中は隣町の鹿角市の鹿角市交流プラザのホールで、音響測定を行いました。こちらは7年前に竣工したもので、弊社は音響設計にかかわることができました。多目的ホールではありますが、主目的は吹奏楽の練習ということです。音響設計の主方針は、左右異なる、強い側方反射音を客席にもたらすようにしています。残響時間は、低音域は除き康楽館と大きな違いは無いのですが、そのために自分の出した音は大変良く聞こえます。このホールがどのように使われているか、いつも気になっていたのですが、その日は午後から劇団の講演会があり、練習室はバンドの練習が入っていました。今後もたくさん使用されることを期待しています。

鹿角市交流プラザホール測定の様子


第二段の芝居小屋の測定も近々行う予定で、ながめ余興場、村国座、相生座、呉服座、第三段は、福島の旧広瀬座に伺う予定です。

2009年度 日本建築学会大会

2009年度の日本建築学会大会は、仙台にある東北学院大学の泉キャンパスで行われました。
今年も、木造芝居小屋の音響特性に関する発表を、8月28日に行いました。
タイトルは、『木造芝居小屋の音響特性その2 旧金毘羅大芝居金丸座、内子座、嘉穂劇場、八千代座、永楽館の例』です。本研究は、社団法人劇場演出空間技術協会・建築部会・木造劇場研究会、神奈川大学、全国芝居小屋会議と共同で行ったものです。

これまでの芝居小屋の調査は、9座になります。
これらの残響時間の特性は、室容積と最適残響時間のグラフにプロットすると、Knudsen&Harrisの推奨する『講堂に好ましい曲線』の周辺に位置しています(下記発表原稿に示しています)。
したがって芝居小屋は、音声の明朗な伝達が容易な音響特性ということが分かります。ほとんどの場合、話声を含む邦楽の場合には、このような特性は好ましいと感じますが、邦器楽のみの演奏の場合はどう感じるのか。聴感アンケートの結果では、朗読、常磐津・三味線はほとんどの人が、室内楽用のホールより、芝居小屋の方が、好ましいと感じていましたが、邦楽でも篠笛の演奏の場合には、室内楽用のホールのほうが芝居小屋より、わずかであるが好ましいと感じる人が多い結果となっています。芝居小屋のような空間は、単純に邦楽にとって好ましいとは簡単にはいえないという結論になっています。


発表したスライドはこちらからダウンロードできます。
2009年建築学会発表資料

また、東京歌舞伎座や国立劇場大・小ホールも、また旧東京芸大奏楽堂もこの曲線の周辺に位置しています。
歌舞伎座や国立劇場が、木造芝居小屋と同じ傾向にあることは、どちらも公演内容が歌舞伎を中心とするもののために、それほど違和感はないと考えますが、旧東京芸大奏楽堂は、日本で最初のコンサートホールとして明治23年(1890年)に建設されたものです。我々の発表の前は、この奏楽堂の音響特性についての発表でしたので、こちらが感じる奏楽堂について、述べたいと思います。

旧奏楽堂が、芝居小屋と同じような音響特性である理由は、たまたまそうなってしまったのではないという感じがしています。
東京歌舞伎座の開設は、その前年(明治22年)です。その時期、おそらく木造芝居小屋は、全国に相当数、身近な存在として、あったと思われます。東京芸大設立の立役者、伊澤修二は、明治8年(1875年)ボストンのブリッジウオーター師範学校に入学、西洋音楽を学んだ後、明治11年(1878年)帰国し、明治12年(1879年)に文部省の音楽取調掛設立に参加、明治14年(1881年)に小学唱歌集を編集し、明治15年(1882年)に出版しています。音楽取調掛の目的は『東西二様ノ音楽ヲ折衷シテ新曲ヲ作ル事』だったようで、小学唱歌の目的は、和音階だけでなく西洋音階を学ぶことも重要な目的であったようです。伊澤はその後、明治19年に音楽学校設立の建議をし、明治22年東京音楽学校の初代校長に就任し、五線譜『筝曲集』を出版しています。伊澤は単に西洋音楽を輸入しようとしていたわけではなく、伝統的な音楽の良い部分を取り出して、「国楽」を創生しようとし、日本の雅楽、俗楽(庶民が好んだ三味線音楽や箏の音楽)をも研究するように提唱していたようです。
以上のことは、奥中康人著『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』、や千葉優子著『ドレミを選んだ日本人』に詳しく書かれています。
したがって、旧奏楽堂は、現在イメージするクラシック音楽のための専用コンサートホールではないと思われ、邦楽や小学唱歌も演奏されるコンサートホールであったと想像できます。伊澤はボストンで、西洋音楽を学んでいます。ボストンシンフォニーホール(1900年竣工)は、まだ出来てはいませんが、どのような空間で西洋音楽が演奏されているかは良く知っていたはずです。同時に邦楽の演奏もどのような空間で演奏されているかも知っていたはずです。その結果が旧奏楽堂ではないかと思っています。

2009/08/12

音は斜陽産業か?

 CO2排出削減のために、ハイブリッド車などエコカーが推進されるようになってきました。今後それらがガソリン車に取って代われば、排気ガスによる大気汚染と、騒音公害がかなりなくなるのではと感じています。
 私の学生時代、すなわち40年ほど前は、大気汚染や水質汚濁、騒音などの公害が問題になっていました。それが現在の職業を選んだ大きな要因のひとつです。したがって、私はガソリン車が減っていくことはすばらしいことだと思っています。特に電気自動車であればなおよいと思います。
 ロックウールを製造している日東紡が千葉工場を平成24年に閉鎖されると発表しました。不況の影響とのことですが、実際、ロックウールを用いた岩綿吸音板などの吸音材が、最近使われなくなっていると感じていました。流行りの安藤忠雄や妹島和世+西沢立衛の建築の影響か、また集合住宅の室内の音響反射性の空間に慣れた影響か、最近は、学校の教室などでもほとんど吸音材が使われていません。大型ショッピングセンターの吹抜け空間も、コスト削減のためか、賑やかさの演出のためか、相当騒がしい空間になっています。これでよいのであれば音響技術者の出る幕がありません。
 工場に対しては、騒音規制法が、またスーパーマーケットには大店立地法が適用され、騒音の発生が抑えられ、音響技術が役に立ったと感じます。
 集合住宅にも多くの音響技術者がしのぎを削って、技術開発を行ってきました。約50年前に始まった分譲集合住宅も相当に騒音対策技術の発展の形跡が見られます。

 このような現象を見ていくと、そろそろ音は斜陽産業ではないかと思ってしまいます。
しかし実際には、集合住宅の性能表示制度には、音は選択項目で、一番問題になる床衝撃音などにはこの制度は利用されていません。特にほとんどの木造や鉄骨造の集合住宅は、まだまだ音響技術が開発されていません。さらに集合住宅の改修でも、見た目は新しく出来ても、昔の薄いスラブに対して、有効な床仕上げ材はまだできていません。また美術館などの公共建築や学校や大型商業施設には、音声明瞭性や騒音の低減のために吸音材の施工が必要と思われ、また非常に効果があると思われます。

 最近では、ハイブリッドカーが静かすぎることが問題となっていたり、音の問題は、より感覚的で複雑なものになってきているとも言えます。
 今後音の仕事として考えられるのは、美しい自然の音が意味を持ってくるような空間の創造や、様々な音楽のための最適な音響空間を探る技術などではないかと思っています。音響の最先端技術として、健康や医学、音楽や楽器、拡声装置などに切り開く分野があると感じています。

2009/08/11

木造芝居小屋の音響調査、ポーラ伝統文化振興財団から助成決定

昨年度に引き続き、今年も木造芝居小屋の音響調査に関して、ポーラ伝統文化振興財団より、助成をいただけることとなりました。大変感謝する次第です。
この木造芝居小屋の音響調査は、木造劇場研究会(代表 建築家山﨑泰孝氏)が主体となり、弊社はこの音響調査を担当しております。
音響調査は、全国芝居小屋会議と神奈川大学建築学科寺尾研究室と共同で行っており、一昨年は、岐阜県にある白雲座、常盤座、明治座、鳳凰座を、昨年は香川県 琴平の金丸座、愛媛県の内子座、福岡県飯塚市にある嘉穂劇場、熊本県の八千代座、兵庫県豊岡市出石の永楽館の音響測定を行いました。
今年は、秋田県小坂町の康楽館、福島県福島市の旧広瀬座、群馬県みどり市のながめ余興場、岐阜県の村国座、相生座、愛知県の犬山市の明治村にある呉服(くれは)座の調査を行う予定です。
調査の目的は、日本の伝統芸能を育ててきた江戸歌舞伎様式の木造芝居小屋を、音響的な観点から研究することで、邦楽に好ましい音響空間を検討することです。
検討の方法は、残響時間などの物理的音響データの比較と、現場で分析した客席空間のインパルス応答と無響室録音のデータとを畳み込んで音響シミュレーションを行い、聴感で評価する方法となります。
比較の対象としては、クラシック音楽に好ましいとされているホールと、邦楽を主に行っているホールとの比較、また昨年までの調査により、芝居小屋は、室容積と最適残響時間という関係から、講堂や会議室として好ましい音響空間であることが分かったため、講堂も調査対象として予定しています。すでにこれまでに、横浜ふね劇場、つくばの古民家の和室、神奈川大学講堂のセレストホールの調査を行いました。特に、邦楽は残響の少ない空間で育ち、クラシック音楽は残響のある空間で育ったということから、それぞれの音楽の演奏方法や表現方法が、それらの空間と関係していると考え、そこに焦点を当てて、考古学的に研究をしてみようと考えています。

2009/07/21

横浜ふね劇場の音響特性

 昨年の10月、横浜ふね劇場の屋根を持ち上げ、窓を設置する工事を行いました。それまでは、公演をする時には、停留しているときの屋根を撤去してテントを張ることとしていましたが、ふね劇場が完成して今まで一度しか公演がなく、めったにない公演のために、艀を密閉している屋根をそのままにして、その中で演劇の練習をするのは、あまりにも過酷な状態でした。
 そのため、昨年のふね劇場をつくる会の総会で、この状態を改良することが決まり、屋根を持ち上げる工事を行いました。

 屋根を持ち上げた状態での音響性能を測定し、今後の公演に役立てたいと思い、測定を行いました。また、その結果を今年のふね劇場の総会で発表いたしました。
 過去の1度の公演の時にはテントであったので残響時間は短く、500Hz帯域で0.55秒でした。
調査は二度、二度目は神奈川大学の寺尾研究室の学生と一緒に測定しました。芝居小屋の音響調査で行っている音響シミュレーションの方法です。

 残響時間測定結果を図に示しました。


 500Hz帯域では0.77秒と、テントの時と比較して、0.2秒ほど長くなっています。中高音域の残響時間が短くなっているのは、側壁に幕があり、また客席には座布団を敷いているためです。最適残響時間のグラフから考えると、空席の残響時間0.77秒は、講堂や会議室に適したものとなっており、明瞭な声の伝達に好ましい状態であることが分かります。したがって、演劇の公演には良好な状態であり、しかもテントの場合よりも初期反射音があるために、発声しやすいと思われます。また邦楽や、ガムランなどのアジアの音楽はもちろん、クラシック音楽も、残響を感じることから行いやすくなり、講演会から演劇、さまざまな分野の音楽にも公演しやすくなったと思います。
 また、このふね劇場は、大きな音を出すとふね上部の鉄板部分が振動をして音を出すことも分かりました。多少音色に鉄の色がつく場合があることになりますが、これも艀で出来たふね劇場の、欠点でなく特徴と考えることも出来るでしょう。

 屋根を持ち上げ、窓がついたことで、光と風が入るようになりました。屋根の上には断熱材も張られています。後はたくさん使うだけです。最近、横浜大桟橋の根元の象の鼻地区は、美しく、また便利に整備されました。横浜港を遊覧するふねの発着場にもなっていて、海を楽しむ事が身近になりました。大桟橋の屋上には、いつもたくさんの人たちがいて、海の風や景色を楽しんでいます。次はその近くにふね劇場を浮かべて、演劇や音楽を楽しむことができたらいいなと思います。

測定の様子。



 
 7月17日に建築学会の会館の中庭に青いテントを張って、劇団唐ゼミ公演、『恋と蒲団』がありました。その後、唐十郎氏を交えて、「劇空間再考せよ」というシンポジウムがありました。その中で、唐十朗氏から、安藤忠雄の設計した「下町唐座」は天井が高すぎる、使いにくかった、声が出しにくかったとの発言がありました。私は、赤テントの公演時に俳優が皆声をからしているのを見て、これはテントが声を反射しないためだと思っていました。当時、下町唐座を設計する段階で、私は音の検討をしていましたが、テントより確実に音は出しやすいと感じていました。しかし公演に行ってみると、なんと俳優の声の一次反射音を客席にもたらすために一番大事に考えていた側壁に幕がたれているではありませんか。おそらく練習の時に、空席のため、劇場の平面が正多角形なので、音に焦点や定在波が出来やすく困ったのかもしれません。そのとき、劇場を使う側と劇場を作る側とは、十分話し合わないといけないのではとつくづく思いました。

 今回の建築学会の会館の中庭でテントを建てる場合には、テントを透過した音は、建築会館の壁にぶつかって、再度テントの中に入ってくるために、テントだけよりも発声しやすいと思いました。また最近は、テント公演は騒音問題があり、なかなか問題になりますが、建物の中庭で行われれば騒音問題も解決し、屋外の雰囲気も楽しめるのではと思いました。

2009/06/22

神奈川大学吹奏楽部サマーコンサート、管弦楽団の第55回定期演奏会を聴く

6月12日(金)横浜みなとみらいホールで神奈川大学吹奏楽部のサマーコンサートを聴きました。この吹奏楽部は、全日本吹奏楽コンクール大学の部で、ほぼ毎回上位に位置しており、金賞も数多く受賞しています。
曲目は、福島弘和『祝典序曲「未来への翼」』、中橋愛生『閾下の櫻樹 吹奏楽のための』、グスタフ・ホルスト『吹奏楽のための第一組曲』、チャイコフスキー『歌劇「雪姫」より道化師の踊り』です。
祝典序曲は、明るく華やかに始まる力強いいい曲でした。閾下の櫻樹は、最初重苦しい出だしから始まり、華やかな櫻の印象に変わっていく日本人の深層にある櫻を表現したものだそうで、これもいい曲でした。
後半は、開港150周年を迎える横浜市歌から始まり、2009年度全日本吹奏楽コンクール課題曲 藤代敏弘 Ⅳ.『マーチ「青空と太陽」』、諏訪雅彦Ⅰ.『16世紀のシャンソンによる変奏曲』、平田智暁Ⅲ『ネストリアン・モニュメント』、江原大介Ⅴ.『躍動する魂~吹奏楽のための』、島田尚美Ⅱ.『コミカル★パレード』、最後の曲は、アルフレッド・リードの『エル・カミーノ・レアル』。
結構難しい曲もあり、またどの曲も新鮮ないい曲です。最後の曲は「皇帝の道」という意味で、スペインがメキシコからカリフォルニアへ侵攻していた時の名残の道で、その名前が道に残っているとのこと。スペインの行為の良否は別にして、曲はスペイン風のいい曲です。全日本吹奏楽コンクールは10月にあるそうですが、今年も頑張ってほしいものです。
アンコールは、真島俊夫のBay Breezeで、なんとものびのびした曲で、特にアルトサックスのソロがすばらしかったです。また吹奏楽器の中の、コントラバスや打楽器も重要な役割をしていることがよく分かりました。


吹奏楽部のコンサートの2日後ですが、6月14日の14:00より、目黒パーシモンホールで、神奈川大学管弦楽部のコンサートがありました。第55回定期演奏会です。曲目は、ベートーベン 歌劇『フィデリオ』序曲、チャイコフスキーバレエ組曲『眠れる森の美女』、シベリウス 交響曲第一番ホ短調作品39、アンコールは チャイコフスキー『くるみ割り人形 花のワルツ』。
指揮者がアンコールの前に挨拶をされ、学生にこんな難しい曲を選んで大丈夫かと聞いた際に、学生は大丈夫と返事したという話をされました。確かに、眠れる森の美女もシベリウスも難しそうな曲でしたが、学生たちは力強く演奏していました。また指揮者の松岡さんの指揮の仕方も、とても熱心で、また表現力も豊かで、とても感じが良かったです。
終了後、ホールの脇にある緑のきれいなカフェの庭で、一緒にいった家内と、しばらく余韻を楽しみました。

2009/06/17

長岡散歩

5月28日、鍛造工場の騒音対策のために長岡に来て、測定を終え、その日の夜は、米どころの長岡の、味しい日本酒を頂きました。 
次の日は、8時頃から駅前のホテルを出て、駅前に宣伝されていた火焔土器の国の展示をしている歴史博物館に向かって散歩に出ました。歴史博物館は地図によれば、信濃川の長生橋を渡った先にあるようです。10kmほどはありそうです。先ず、信濃川手前の長岡市立劇場に行ってみました。この建物は、昭和48年にオープンした劇場で、すっきりとしたファサードが非常にきれいで、とても印象的だったことを覚えています。そのファサードは、未だに美しく管理されていました。


突然御伺いしましたが、親切にも中を案内していただき、見学させていただきました。中に入るとロビーも大空間でした。


小ホールで催物があるのか人が入っていっています。大ホールの客席内部は、ワンスロープのなんとなくゆったりとした形状です。



壁は半分以上が岩綿吸音板で仕上がっていましたが、案外響きます。塗装が何度もされているからだと思われました。この塗装はメンテナンスもありますが、数年前の中越地震でも改修を余儀なくされ、塗装をしたようです。


ロビーで、チラシを見つけました。7月16日は、寺内タケシとブルージーンズが、8月18日は佐渡×シエナ(吹奏楽)の公演があるとのこと。
市民劇場を出ると直ぐ隣に、雄大で美しい信濃川が流れています。



川の土手にそって信濃川を長生橋に向かって歩きました。途中青い大きなサギを見つけました。


長生橋は、昭和13年に出来た造形的に美しい橋で、橋の向こうには越後富士とも呼ばれている米山が見えます。


しかし橋を渡ると、郊外型の汚い看板が多くなります。

歩き続けて11時半になり、そろそろ新潟県立歴史博物館に着くのではと思って、道路脇の工場の人に御伺いしたら、説明が難しいのでご親切にも車で案内してくれるとのこと。行ってみると確かに難しく、予想よりもさらに随分行き、山の中で、もう12時近くなっていました。


火焔土器を見たかったのですが、時間がなく、帰ろうにもタクシーも拾いにくい状態になって困っていましたら、車で一休みに来た人から、またまた親切をいただき、長岡駅まで連れて行ってくださいました。長岡リリックホールも信濃川を越えた中心街からは遠い位置にあり、この県立歴史博物館はさらに遠かったです。しかし現在、シティホールが、駅の直ぐ近く、厚生会館が解体された位置に建設中です。町の人によると、中心街がさびしくなってきたので、再び賑やかになることを目指しているとのこと。この方向のほうが良いように思います。

鍛造の音は、印象に残りました。騒音計の最大レンジで計測する必要があるほど相当大きな音ですが、鍛造の音を聞いていると、等間隔に打撃するのではなく、人間が打撃間隔を調節しているのか、鍛造の機械が独自に調節しているのか良くわかりませんが、まるでドラムをたたいているような、ロック音楽のような感じの音になって聞こえました。

2009/06/16

浅野太鼓400周年記念祝賀会に参加

浅野太鼓400周年記念を記念して、6月5日(金)~7日(日)の3日間に感謝祭が開催されました。創業は慶長14年(1609)だそうです。一昨年、東京の祐天寺に浅野太鼓の練習所である響和館の音響設計をさせていただいたときに、もうじき創業400年と伺って、気の遠くなるような話だという印象を持ちましたが、いよいよ現実のものとなりました。
6月6日に白山市の松任で行われた祝賀会にご招待いただきました。
当日は、全国から和太鼓に関係している多くの方たちが参加されていました。アトラクションもあり、八丈太鼓や三宅太鼓、藤本さんの鹿踊りなどがありました。








江戸時代が1603年からですから、それからまもなく創業されたということになります。創業者は皮革師として加賀藩が播磨の国から招いた、播磨家左衛門五郎と治郎だそうです。浅野村に住み、一次製品としての皮革生産および太鼓、馬具、皮細工など、皮革に関する藩のご用達を一手に務めたそうです。祝辞の中で、太鼓は戦争にも使われたとの発言が何度かありました。確かに陣太鼓という言葉があるくらいですから、戦争に必要な道具だったようですが、時は戦国時代を経て、江戸時代に入ったところ。加賀藩は、外様大名であったために、幕府に逆らう意思が無いことを示すために、文化や芸能を奨励したそうで、九谷焼、加賀友禅、輪島塗、加賀宝生流能楽や金沢素囃子が発展し、太鼓や鼓は、そのためのものとして欠かせないものとなったようです。しかし明治になって、加賀藩という後ろ盾を失い、生活は困窮を極めた時もあったようです。しかし戦後の日本経済の復興と、東京オリンピックや万博を契機に、全国各地の祭りが盛んになり、村興し、町興しの手段として、太鼓が売れるようになったとのこと。鬼太鼓座の田耕氏と出会ったことがきっかけになって、太鼓の演奏会のプロデュースや、演奏家の育成も始めたとのこと。いまや欅の植林事業も始めたそうです。最後に、「つぎの400年へ」とありまたびっくり。400年後を目指して、事業の発展をお祈りいたします。

荏田町の散歩道

弊社がある荏田町は、大山街道を江戸から歩くと最初の宿場町にあたります。事務所から2~300m東に行くと、246号線の荏田の交差点があります。


旧大山街道は、246号線をこの交差点で直交していたようです。手前に戻って、下の写真の建物あたりが宿場町の中心街だったようですが、現在は、その面影は全くありません。
シャッターが下りているお店は、数年前まで電気屋さんでした。右隣りは江戸時代からあったという床屋さんでしたが、現在は営業をしていません。その隣りは美容院、左隣はスナック、そしてすし屋さんです。この建物の向かい側には、現在はセブンイレブンになっていますが、かつては江戸時代から続いた赤田屋さんという酒屋さんでした。


この荏田の交差点をさらに東に進むと左側の民家の庭のなかに、常夜灯という灯篭があり、
(民家のため、周りをぼかしています。)


そこからさらに進むと庚申堂があり、宿場町の入り口であることが分かります。


その先には早渕川があり、橋から下を見ると、大きな鯉が泳いでいます。




この狭くてやっと歩けるくらいの大山街道と平行に荏田商店街があります。


しかしここもかなりシャッターが下りています。現在は、商業施設は、美容院やコンビニ、酒屋さん、現金屋という学生服などを扱っている洋服屋さんなど数が限られており、飲食は、すし屋さん、飲み屋さんだけです。店は、次第に学習塾などになっています。この商店街は、246号線を歩道橋でしか越えられません。したがって246号線を越えた江田駅側にある人たちは、大変行きにくい状況です。この商店街の中ほどを西側にちょっと脇に入ると真福寺という寺があり、ここには国の重要文化財の木造釈迦如来立像(寄木造)がある、落ち着いたいい雰囲気のお寺です。しかしこの釈迦如来立像は、弊社近くにあった釈迦堂から移設されたもののようです。弊社の昔の住所は、大字釈迦堂谷といっていて、現在弊社の南側にある公園は釈迦堂公園といっています。





また荏田の商店街をさらに南に行き、柚の木交差点を右に暫らく行くと、剣神社があります。




先代の神主さんまで神楽を演じていたようで、江戸時代はかなり遠くまで出張して公演をしていたようです。

この荏田の商店街は、かつての荏田宿の中心街であったのですが、現在は田園都市線のあざみ野駅、江田駅からも遠く、さらに南側は、港北ニュータウンがあり、大規模な商業施設が出来ています。したがって商業的には大変条件が悪いです。看板だらけでさみしい風景です。


歴史もあり、現在もこのような神社や寺のあるこの街を、何か魅力的にするにはどうしたらよいか。1つは、かつて地元の子供たちが泳いで遊んだ早渕川です。今はひっそりと街と無関係に存在していますが、例えば桜並木などがあり、せせらぎを感じる散歩道になっているといいと思います。今でも、鯉のほかにサギや鴨もいる魅力的な川です。また、真福寺や剣神社は由緒ある文化施設であり、地元が一体となるような、御祭りや神楽その他演劇や音楽があるといいのではないでしょうか。また、この商店街の周辺には、畑や水田など里山の風景が残っており、新鮮な食べ物が付近にあるのですから、都市と農村の接点としての役割があるような気がします。一番の魅力は江戸時代から栄えた歴史のある街だったということだと思います。