浅野太鼓400周年記念を記念して、6月5日(金)~7日(日)の3日間に感謝祭が開催されました。創業は慶長14年(1609)だそうです。一昨年、東京の祐天寺に浅野太鼓の練習所である響和館の音響設計をさせていただいたときに、もうじき創業400年と伺って、気の遠くなるような話だという印象を持ちましたが、いよいよ現実のものとなりました。
6月6日に白山市の松任で行われた祝賀会にご招待いただきました。
当日は、全国から和太鼓に関係している多くの方たちが参加されていました。アトラクションもあり、八丈太鼓や三宅太鼓、藤本さんの鹿踊りなどがありました。
江戸時代が1603年からですから、それからまもなく創業されたということになります。創業者は皮革師として加賀藩が播磨の国から招いた、播磨家左衛門五郎と治郎だそうです。浅野村に住み、一次製品としての皮革生産および太鼓、馬具、皮細工など、皮革に関する藩のご用達を一手に務めたそうです。祝辞の中で、太鼓は戦争にも使われたとの発言が何度かありました。確かに陣太鼓という言葉があるくらいですから、戦争に必要な道具だったようですが、時は戦国時代を経て、江戸時代に入ったところ。加賀藩は、外様大名であったために、幕府に逆らう意思が無いことを示すために、文化や芸能を奨励したそうで、九谷焼、加賀友禅、輪島塗、加賀宝生流能楽や金沢素囃子が発展し、太鼓や鼓は、そのためのものとして欠かせないものとなったようです。しかし明治になって、加賀藩という後ろ盾を失い、生活は困窮を極めた時もあったようです。しかし戦後の日本経済の復興と、東京オリンピックや万博を契機に、全国各地の祭りが盛んになり、村興し、町興しの手段として、太鼓が売れるようになったとのこと。鬼太鼓座の田耕氏と出会ったことがきっかけになって、太鼓の演奏会のプロデュースや、演奏家の育成も始めたとのこと。いまや欅の植林事業も始めたそうです。最後に、「つぎの400年へ」とありまたびっくり。400年後を目指して、事業の発展をお祈りいたします。