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2009/09/14

木造芝居小屋の音響測定今年2回目無事終了

先々週の秋田の康楽館の調査に続き、9月8日(火)~9月10日(木)まで、今年2回目の測定に行ってきました。
8日(火)午後は群馬県みどり市のながめ余興場、9日午前中には岐阜県各務原(かかみがはら)市の村国座、午後には岐阜県瑞浪(みずなみ)市の美濃歌舞伎博物館となっている相生座、10日は愛知県犬山市の明治村の中にある呉服(くれは)座、計4座の調査を無事行うことができました。これで今まで調査した芝居小屋は、14座になります。

調査の目的は、邦楽に好ましい音響空間を探ることと、残り少なくなった江戸歌舞伎様式の芝居小屋の音響空間を音響インパルス応答の形で保存することです。インパルス応答があれば、無響室録音の音楽と重ね合わせることで、あたかもそこで演奏されたかのような音がシミュレーションできます。インパルス応答が、ダミーヘッドによるステレオ録音であれば、より立体的に空間を再現できます。
日本の伝統芸能を育んだ芝居小屋のような残響の少ない空間が、邦楽にとって好ましい音響空間ではないかという仮説を立てて、その正しさの検討をしています。
Sabineの残響理論(1900年)から始まった室内音響学ではありますが、劇場やコンサートホールはそれ以前にもあります。木造芝居小屋の建設には、もちろんこのSabineの残響理論が使われているわけはありません。しかし、いずれも残響時間は0.6秒~1.0秒程度、舞台回りの壁は、土壁、客席は、障子や土壁や板壁で、舞台側ライブエンド(反射性)、客席側デッドエンド(吸音性)のような形につくられています。
したがって建設時には、意匠デザインだけでなく、音響についても考えているような気がしています。今回調査した芝居小屋は、ながめ余興場、村国座、相生座の3座が、床が板張りで、特に、村国座は、壁はかなりの面積が漆喰壁で、残響感がかなりありました。

以下測定をした芝居小屋の特徴などをご説明いたします。
ながめ余興場はその名のとおり、渡良瀬川の渓谷を眺められる絶好の景色の「ながめ遊園地」の中にあります。遊園地は、大正14年(1924年)開園され、さらにながめ余興場は、昭和12年(1937年)、その中心施設として、建設されました。しかし昭和62年(1987年)閉館を余儀なくされましたが、保存運動の結果、平成9年(1997年)大改修が完了し、現在に至っています。この芝居小屋は、昭和12年の建設当時は、板床の上にゴザを敷いていたようですが、現在は、ベンチになっています。床はフローリング、壁は漆喰壁、天井は格天井で、畳の床と違って、結構響きます。また学生も含めて、地元民の利用も盛んのようです。この10月23日(金)~25日(日)には、ここで全国芝居小屋会議が開催される予定で、柳家紫文の都々逸や人形浄瑠璃の公演も計画されています。

ながめ余興場 測定の様子




 村国座は、村国神社境内にあり、客席後方が板戸で出来ていて、神社に向かって開放できます。村国座の創建は、慶応2年(1866年)に建設が提案され、明治10年ころ(1877年ころ)完成したようです。農村歌舞伎の舞台として、特に近年は子供歌舞伎の公演を行っているようですが、創建から130年たち、建物が傾いてしまい、平成の大修理を行って、この平成21年の2月に完成したものです。この大修理の指導は、神奈川大学建築史の西先生が行ってきています。この劇場は、金丸座の空間と同じように、建築的に緊張感のあるすばらしい空間です。特に松丸太の大きな小屋組みが見えて、天井の竹の化粧小舞が繊細で美しく、壁は、ほとんど漆喰です。床は升席ではなく、単に板の床となっています。したがってよく響きます。この小屋は国の重要文化財に指定されています。竣工後は、杮落とし公演として、5月に大黒摩季のコンサートもあったようで、そのときには、客席後の板戸も開放して、コンサートが行われたようです。またこの秋には、スペインのフラメンコの公演も計画されています。

村国座 外観

村国座 内観

村国座 測定の様子


 相生座は、岐阜県瑞浪市の山の中にある民間経営の芝居小屋で、昭和の高度成長期、都市化の流れの中で、地歌舞伎が危機的状況になったときに、危機感から美濃歌舞伎保存会が出来、当初はテント小屋で公演していたようですが、昭和51年岐阜県明智町と名古屋の芝居小屋を合体して誕生したそうです。中には、農村歌舞伎の衣装や小道具類も展示されています。この経営者は、これらの歌舞伎衣装の貸し出し業務や、相生座に隣接した日吉ハイランドクラブというゴルフ場や、歌舞伎の衣装や浮世絵などを展示しているミュージアム中仙道、またセラミックミュージアム内のフレンチレストラン『クレイ』も経営しているようです。このセラミックミュージアムは磯崎新の設計です。
この相生座は、村国座と同様、天井空間に小屋組みが見えていて大きな空間でしたが、なにかほっとするような親しみのある空間でした。

相生座 測定の様子




 呉服座は、今は明治村の中にありますが、ホームページには「明治初年大阪府池田市の戎神社の近くに建てられ、戎座(えびすざ)と呼ばれていたが、明治25年(1892)に同じ池田市の西本町猪名川の川岸に移され、名称も呉服座と改められた。」とあります。このときの地区名が「ごふく」でなく「くれは」と呼ばれていたようで、くれは座と呼ばれるようになったとガイドさんが説明していました。「ここでは地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才等様々なものが演じられたが、特に興味を引くのは、尾崎行雄や幸徳秋水らが立憲政治や社会主義の演説会に使っていることで、当時の芝居小屋が大衆の遊び場、社交場であると同時に、マスコミの重要な役割も果たしていたことがうかがえる」とあります。床は、升席となっており、板の上にゴザが敷かれています。現在屋根の杉皮葺きが、鳥にいたずらされ、大分持っていかれてしまったとのことで、青いネットが保護用に張られています。なお呉服座も国の重要文化財に指定されています。

呉服座 測定の様子



呉服座 内観



呉服座 外観 鳥よけの青いネット


明治村の中にある帝国ホテル
(旧所在地 東京都千代田区内幸町 建設年代 大正12年(1923))


 今回調査した岐阜県の芝居小屋は、村国座、相生座、一昨年は、白雲座、常盤座、鳳凰座、明治座でしたが、そのほかにも蛭子座(えびすざ)、五毛座(ごもうざ)、東座(あずまざ)とあり、岐阜県の中仙道沿いにたくさんの芝居小屋が残されています。これは江戸時代に、幕府の直轄領で、歌舞伎上演が許可されていたことによるそうで、現在でも地歌舞伎の保存会が27団体もあるようです。またその周辺の民家は、瓦屋根の軸組み構造のものがほとんどで、農村風景と相まって、街並みが大変きれいだと感じました。

芝居小屋の音響調査は、劇場演出空間技術協会のなかにある木造劇場研究会と神奈川大学寺尾研究室と全国芝居小屋会議の3団体の共同で行っています。また本調査には、ポーラ伝統文化振興財団の助成を頂いております。