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2021/12/28

土井善晴著 「くらしの料理学」の西洋料理の「混ぜる」と和食の「和える」について

 今年の3月に発売された土井善晴著 「くらしの料理学」を読みました。その中のP.062に次のようなことが書かれていました。

西洋料理では、液体、粉類、卵などを「混ぜる」ことで、まったく違うものを作り出そうとします。混ぜる文化を持つ西洋料理は、化学的だと言えます。化学であれば数値化できますから、レシピ化できます。和食の特徴は「和える」ことです。和食における原初的な調理法は、自然を中心とするため、食材にあまり手を加えません。しかも、食材の状態は、季節、鮮度などによって変化します。季節、鮮度などは前提条件を揃えることができませんから、レシピは参考程度にしかなりません。

土井義春著 くらしのための料理学

この章は筆者がフランスのシェフに向けた講演会で話された内容です。この前の文章では家庭料理や一汁一菜やケ・ハレのことなどの話があり、料理とはこういうものだということがかかれています。

ところでこの話は「西洋音楽」と「邦楽」との関係に似ているような気がします。クラシック音楽用のホールは残響時間が長く、この本の内容のごとく、材料を混ぜて味わうことになります。強いて言えばオーケストラにけるサントリーホールのような響きです。

これに対して邦楽は、邦楽の多くに和声が含まれていることから、明瞭度を上げるために残響時間は短いところが多いです。例えば芝居小屋での演奏は1秒以下になります。そのような場合には客席から聞くと音源の違いがよくわかります。音色とか方向感などです。

ただ、この前の章で、料理は「一汁一菜」すなわち味噌汁とご飯と漬物を基本とするとの内容もあります。味噌汁は具沢山のものを指します。味噌汁は何となく「混ぜる」を基本としているように思います。また西洋料理のステーキはシンプルに焼く料理で、この定義に当てはまらないこともたくさんあるように思いますが。

最近、鹿児島にいる友人の今用さんのバイオリニストの奥さんのAsselさんのコンサートが11月に森の中で開かれました。多分、木々からの反射音で適度に音響空間が形作られますが、これはサントリーホールの中のような響きは得られません。多分適度な響きを感じながらの演奏となりますが、緑に囲まれた中での演奏はかえって好ましく聞こえるのではないかと思われます。

Assel Imayoさんの森の中でのバイオリンの演奏

Assel ImayoさんのYouTubeチャンネル

このような森の中で三味線や尺八の演奏をしたらどうなるだろうか、気になるところです。現在の室内音響の常識から外れたことがたくさんありそうです。

2020/09/30

お囃子のリズムについて

毎年10月初めに行われている地元荏田町の剣神社秋の例大祭、お神輿(荏田では子供神輿)も新型コロナの影響で中止になってしまいました。やはりこの時期にこのお祭りの音を聞けないと寂しい気がします。例年のお祭りは、関係者が集まって、宵宮(前夜祭)があって、仮設舞台で祭囃子を演奏し、翌日朝から荏田の町を地区ごとに、子供たちを集めて神輿を担いでいる後ろから、お囃子を演奏しながら回ります。老人施設ではお囃子のグループが回ってくるのを入り口広場で待ってくれていて、お囃子や「ひょっとこ」や「おかめ」などの面踊りを披露します。荏田の町をほぼ全域回ると、ここがわが町という印象になります。

若林忠宏 著 『日本の伝統楽器 知られざるルーツとその魅力』という本(p.254)を読んでいましたら、「祭り囃子以外の日本音楽にビート感がない理由は?」という章に(主題の内容ではないのですが)、

「なぜ『祭り囃子』には、例外的に『テンポ感・ビート感』が持続するのか。それは、その源流にシャーマニズムがあるからに他なりません。」

と書かれていました。

 著者が世界の各地のリズムを紹介している中で、日本の祭り囃子のリズムは以下のように書かれています。実際に、荏田町のお囃子もこのようなリズムです。


お囃子(本では祭り囃子)の練習で先生が太鼓を打っている時に、たまたま親に連れられて来ていた5~6歳の子供が練習用のタイヤを叩いていると、次第に乗ってきて踊りだす勢いでタイヤを叩き始めて驚いたことがあります。

祭り囃子の「源流にはシャーマニズムがある」とされているように、たしかに体のリズムを活性化させるような不思議な力があります。祭囃子は持続する太鼓のリズムと感情を表現する篠笛と相まって祭りが盛り上がってくる原動力となります。今年はそのチャンスがないのは大変寂しいですが、コロナに負けず元気を出さねばいけません。来年のために練習を続けようと思います。

2019/12/25

鈴木聖子著 <雅楽の誕生 田辺尚雄がみた大東亜の響き> を読んで



音響技術にかかわっているとヘルムホルツという人のことが出てきます。弊社のブログにもヘルムホルツ共鳴器を有する乾式遮音二重床という二重床を開発している話が載っています。このヘルムホルツという人は1862年に「On the Sensations of Tone 」(初版)(訳は音律の感覚についてというような意味)という本を出して、音響技術者にはヘルムホルツ共鳴器の発明者として知られていて、現在よく目にできる放送局のスタジオの天井や壁などにある有孔板に利用されています。本書の中では数ページにこの共鳴器の仕組みが周波数分析器として発明され、紹介されていますが、この本の主題は純正律から現在の平均律に移行していることに対して批判的な見解を述べているようです。このヘルムホルツのもとへ東大の音響物理学者田中正平(物理学科の第一回の卒業生(1882年卒業)が明治21年(1888年)に留学し、純正調オルガンを完成させたということは音響学の歴史の中に知られています。明治20年(1887年)に東京音楽学校が設立されたばかりで、なんで東大かと疑問を持たれる方もいると思いますが、音楽の研究も当時、東大が物理学の研究として最先端だったと思われます。

鈴木聖子著 <雅楽の誕生 田辺尚雄がみた大東亜の響き>の主人公の田辺尚雄(1883~1984)も東京帝国大学理科大学物理学科(1904年入学)で音響物理学を学び、大学院で日本音楽を研究対象としたとのこと。影響を受けたのは指導教官及び先輩でベルリン大学のヘルムホルツの下で学び、帰国してから邦楽研究所を構えた田中正平および夏目漱石の俳句の弟子でもあり、尺八について論じた博士論文で博士号を得た(1908年1月)寺田虎彦(1878~1935)(1899年入学)が影響しているようです。

本書の序章に
明治期の日本が、西洋の「music」という言葉を「音楽」と訳したときに、日本の「音楽」の概念は大きく揺さぶられることになった。
とあります。バッハやモーツアルト、ベートーベンなどのヨーロッパの音楽に対して、田辺は日本の音楽の存在も西洋音楽と同じようにレベルの高い位置にあるということを根拠づけようとしたようです。
ダーウインの「種の起源」(1859年)以降、進化論を国家や民族の進化に適応させることが流行り、西洋音楽研究にも進化論が登場しました。ここで登場したのがヘルムホルツで、彼は、和声の発展に向かって音楽が進歩してきていると主張した。それと同じような考え方で、日本では和声を持っているのが雅楽であると認識し、雅楽が進歩発展していくであろうと田辺は考えたようです。

しかし現在からみれば日本の音楽は和声の方向に向かって発展しては来なかったし、同様にヨーロッパの音楽も純正律から平均律に大方変化している。日本の音楽は雅楽に向かって発展しているのでもなく、歌舞伎の音楽の方が雅楽よりまだ我々の中に溶け込んでいるようにも思います。

しばらく前になりますが(9/19)、サントリーホールで蘇州民族管弦楽団のコンサートを聴きに行きました。オーケストラは100名近くいましたが、普通のオーケストラの場合には前面にはヴァイオリンのグループがいるところ、その代わりに40名ほどが二胡で、その後ろに琵琶や月琴のような楽器、中国の琴や横笛、大太鼓などのほとんど中国楽器、チェロやコントラバスが5~6台ずつ、ハープ、ティンパニーなどの洋楽器もありますが、全体の中の一部でした。曲目もほぼ新作、華やかな感じで、ものすごいエネルギーを感じました。コンサートのパンフレットには蘇州民族管弦樂団は2017年11月に結成されたとあります。「中国民族楽器を使った民俗音楽とさらに西洋の音楽との融合は、先進的な芸術性と優れた演奏技術で聴衆を魅了し音楽界で高く評価されている」とありました。田辺尚雄が考えた未来を一瞬で乗り越えているような気がします。

※聴衆が半分以上帰った後に来賓に対してあいさつがあったので、撮影しました。
ただし日本の楽器で蘇州オーケストラのように考えると、ヴァイオリンの代わりに蘇州では二胡が適用されていますが、日本の楽器では三味線では撥弦楽器で音が途切れるため、ヴァイオリンの代わりにはならず、蘇州オーケストラを簡単にまねすることは難しそうです。
日本の楽器で長音を出せるのは、笛類ですが、一般に篠笛は同時に二本以上で音を出すと唸ってしまいます。11/29のNHK Eテレ「にっぽんの芸能」で 「オークラウロ」というクラリネットのような形にキーを付けた尺八を紹介していました。大倉喜七郎が大正11年に開発したもののようです。この尺八は西洋音楽の音階に合わせたもののようで、もしこれが一般的な楽器になっていれば、西洋音楽に近い連続的な音で作曲ができた可能性があるかもしれません。

2019/09/10

モーツアルトのムクドリ

ライアンダ・リン・ハウプト著「モーツアルトのムクドリ」 を読んだ。

モーツァルトは、飼っていたムクドリのさえずりから「ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453」の曲想を得たという話があり、それをテーマとして書かれたものである。曲は1784年4月12日に作曲された。モーツアルトはこの曲の完成前後で、ムクドリを購入し、飼っていたようである。



モーツアルトのムクドリに関するメモに対して著者は、

「ムクドリの歌の記譜はこの鳥の購入記録の“zugleich folgende” すなわち”すぐあとに“書かれたとあり、この彼がこのムクドリを買うと同時に歌を記録したことが示唆される。 」

とする。(モーツァルトは、ムクドリのさえずりを楽譜にしたっていうことは、筆者は、モーツアルトがムクドリから曲想を得たということに興味を持ち同じようにムクドリを飼ってみたいと思い、自然保護管の旦那さんがムクドリの巣の除去を行った際に孵ったばかりのひなを飼うことになった(本来は野生動物で飼うことはできないが、合法的に)。
名前をカーメンと名付けたムクドリとの共同生活で、モーツアルトのムクドリ(シュタール)との生活を再現しようとした。

筆者はこのカーメンにモーツアルトのピアノ協奏曲第17番ト長調の主題を覚えさせようとしたとする。シュタールはこのフレーズを歌えたことが記録に残されているからだ。しかし、「雛のころから1日少なくとも30回は自分のヴァイオリンでこの協奏曲のモチーフを弾いて聞かせた。」が、カーメンがそれを覚えることはなかったそうだ。そして、カーメンには別の好みがあるとする。

「鳥はほかの作曲家よりモーツアルトを好むと言われており、もしかしたらそれは事実かもしれない。だがカーメンは違う。彼女はバッハとブルーグラスの方が好きだ。喜びにあふれんばかりの反応からすると、お気に入りのバンドもある----グリーンスカイ・ブルーグラスだ。」

さらに読み進むと、本文第6章でモーツアルトのムクドリ(シュタール)が購入されたのは、作曲された4月12日より後の5月27日と支出簿にあることが判明する。

「ここまで読んだ方はもう、ムクドリが簡単なフレーズを模倣できることには驚かないだろう。とはいえ、この鳥がモーツアルトの旋律をどうやって覚えたかは、様々な説が流布している。」

として、モーツアルトが購入する前からムクドリ-シュタール-はこのモチーフを覚えていたか、購入した後に覚えたのか、この問いについて著者は悩みに悩んでいる。結論は読んでのお楽しみとさせていただく。

ムクドリは、一般的には大きな群れで街中の大きな木などをねぐらとして生活し、鳴き声は騒音となり、糞で周囲を汚す害鳥と思われている。しかしこの本のおかげでかわいいい鳥という面を知ることができた。

事務所からみえる大きな竹に止まったムクドリ

「ムクドリが音声模倣をしたからといって、驚くにはあたらない-------ムクドリ科の鳥として、世界でも屈指の物まね上手な種に属し、鳥や楽器のほか、人間の声も含む様々な音を上手にまねる能力はオウムにも引けをとらない。」(本文より)
そうだったのだ。きっとモーツアルトもそのことを知っていたに違いない。多分ムクドリは人を含めた周囲の環境に適応しながら、コミュニケーションを取りながら、生きていることがわかる。

この春、我が家の庭でシジュウカラの子供が孵った。しばらく小さなシジュウカラが10羽近く飛んでいた。玄関の扉を開けると子供たちが目の前の電線に何羽もとまり、話しかけてくる気がした。何を言っているのかよくわからなかったが、遊んでくれと言っているようだった。

庭のシジュウカラの子供

シジュウカラの親

近くの駅の大量のムクドリたち(音量注意)。