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2011/05/20

関東大震災とNHK放送局・劇場

関東大震災が1923年(大正12)9月1日に発生して、後藤新平が内務大臣兼帝都復興院総裁に就任し、震災対策を行いましたが、その翌年1924年(大正13)11月に東京放送局が設立され、初代総裁にその後藤新平が就任しています。東京放送局は日本放送協会(NHK)の前身で、翌年1925年(大正14)の3月22日に中波放送が仮放送を開始し、この日を記念してNHK放送記念日となっています。その後愛宕山に正式の放送局(JOAK)ができて、7月22日に本放送が開始されました。ほぼ同時に大阪放送局、名古屋放送局もできましたが、この時期に放送局が相次いで産声をあげたのは関東大震災の反省があったようです。NHKの放送記念日の中の説明によると、『この時、多くの根もない噂(これは外国の攻撃らしいなどといったもの)が飛び交い、そのために朝鮮系の人たちが襲撃されて命を落としたりという事件が多数起きました。そこで、どういう時にでも瞬時に国民に正しい情報を伝えるメディアが望まれたのでした。』と書かれています。

また関東大震災と劇場に関していくつかの興味深い話があります。まず地震の翌年、どさくさにまぎれて(?)規制が緩くなったことを利用して、わが国最初の現代演劇用の劇場、築地小劇場ができています。また1911年(明治44年)にできた帝国劇場(名前は帝国ですが民間の劇場です)は、震災時にはまだ開館してから12年しか経っていませんでしたが、外部を残して焼失してしまいました。しかし地震の翌年には再開しています。また歌舞伎座は1921年(大正10年震災の2年前)に漏電により焼失し、直ちに再建に取り掛かり、躯体が完成したところで、震災に遭い、内装材として用意されていたヒノキ材が全焼してしまいましたが、1925年(大正14年)1月に復興しています。たくましい民間の劇場の姿が見られます。
またこのころから全国で公共ホールができ始め、1929年(昭和4年)東京の復興のシンボルとして、日比谷公会堂ができています。震災の2年後(1925年大正14年)、NHK交響楽団の前身の日本交響楽協会が設立され、この日比谷公会堂が主な演奏会場となっています。
このように関東大震災の後には、情報と芸術の局面に大きな動きがあったことが見て取れます。

今回の東日本大震災では、事実を発信するという放送の役割はある程度果たして、おかげさまで根もないうわさによる関東大震災の悲劇は、今回はありませんでした。しかしあまりに被害を受けた地域が広く、地震、津波、原発と3つの局面から復旧・復興を考えるには、現在の放送の機能だけでは不足し、インターネットを使った情報伝達が大きな役割を果たしています。
またさらに世界中から叡知を集め共有し、ばらばらの情報を早急に、復旧・復興の方向にまとめ上げていけるような、放送とインターネットを融合した新たな公共的な情報の態勢が、このような大震災の後にはできてくるように感じます。

またこの際、劇場にこだわらず、どこでも演劇空間・音楽空間と考えたらよいと思います。演劇や音楽は人生に必要なものだからです。生きていく喜びを表しているものだからです。