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残響可変の変遷
藪下 満 有限会社YAB建築・音響設計
ここでは、残響可変の変遷について、舞台空間の可変、客席空間の可変、吸音可変、その他(残響室、電気的システムなど)に分類して述べる。参考文献は主に雑誌「音響技術」によっている。
1.音響反射板等による舞台空間可変
ここでは主に舞台空間にある可動音響反射板による残響可変について述べる。昭和56年発行の新建築学体系33 劇場の設計のP.265には、音響反射板は、「わが国に多く見られる多目的劇場、特に公共ホールの舞台に欠かすことのできない設備となっているものである。電気的拡声方法を用いないでクラシック音楽の演奏などの音声を客席方向へ集中指向させるための仮設壁面である。」。可動音響反射板は、いつ頃から、ホールに設備されたのかは、はっきりしないが、建築資料集成2(昭和35年)には、杉並公会堂の断面に可動の音響反射板が書かれている。この杉並公会堂は、昭和32年(1957)開館である。また日比谷公会堂は、昭和4年(1929)の開館であるが、主に公会堂として設計されているために、可動音響反射板は設置されていない。しかしフライズが小さく、舞台の壁も台形をしており、東京文化会館などが出来るまでは、東京のオーケストラコンサートの主会場であったようだ。その後、NHKホール(昭和46年(1973))では、オーケストラコンサートとオペラに対応するために、音響反射板を、残響時間の可変装置とし、満席時1.6秒から1.3秒に可変させた。その後、静岡市民文化会館、新宿文化センター(いずれも昭和53年(1978)開館)では、
舞台を完全吸音して、音響反射板を残響可変装置として、さらに意識して設計されるようになった。たとえば新宿文化センターでは、空席時で、設置時2.0秒幕設備時1.6秒と可変幅が0.4秒と大きくなった。それまでは、舞台空間がコンクリート素面のままということが多かったために、音響反射板の有無では、大きく残響時間が変化してはいない。その後、岩国市民会館(昭和54年(1979)などで、音響反射板有無で残響時間は、変化はするが、125Hzなど低音域では、残響時間が、設置時1.8秒が、幕設備時で、2.0秒と逆転する現象が多く見られるようになった。これはフライズの大空間が、吸音材が張られても、低音域の吸音に対しては十分でなく、残響時間を長くすることに影響し、また音響反射板は、低音域に対しては、吸音の役割をしてしまうためである。
また昭和54年開館の和歌山市民会館では、小ホールは、音響反射板の有無で、コンサート(空席時1.3秒)と邦楽用(1.1秒)と残響を調整している。
また主としてコンサートを目的としているが、オペラのために、重量物の天井の音響反射板をスライドさせて格納する方法が現れる。昭和58年の国立音楽大学講堂、昭和59年の洗足学園前田ホールである。 さらにオーチャードホール(平成元年1989)や滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(平成10年1998)のように、コンサートとオペラを両立させるために、フライズの空間を確保し、十分な音響反射性能を得るために、大規模に走行させて音響反射板を格納する方法が採用された例がある。また側方反射音を重視するようになったことから、音響反射板の天井板の高さが高くなったことも特徴のひとつである。
またアクトシティ浜松(平成6年1994)のように、多目的ホールであるが、天井の音響反射板の高さを高く設定するために、プロセニアムの高さも可変できるように工夫する例も現れた。
残響可変の変わった例として、伝国の杜 置賜文化ホールのように、舞台に能舞台を設置した時には、舞台空間が変化することで、残響時間も、音響反射板設置時、空席時1.5秒、能舞台設置時1.4秒、幕設備時1.1秒と変化させている。
2.客席空間可変による残響可変
客席空間を間仕切ることによって、残響を可変する方法の変遷について述べる。その多くが、2階席を1階席と可動間仕切壁で区切り、大ホールと中ホールに規模を変化させる方法である。昭和48年の加古川市民会館、昭和50年の八戸市公会堂、昭和51年の高知県民文化ホール、昭和52年の敦賀市民文化センター、昭和57年の土岐市文化プラザが、いずれも石本設計事務所による一連の設計で、2階席先端を可動間仕切壁で仕切る方法によっている。この中で、加古川、八戸、敦賀は、間仕切りの有無で、残響時間はほとんど変化していないが、高知では、大ホールの反射板設置時1.6秒、中ホール時1.2秒、土岐市では、天井に残響可変装置も装備されて下り、大ホール音響反射板設置時1.75秒、中ホールでは1.49秒となっている。
平成元年の水戸芸術館コンサートホールATMでは、残響時間の可変ではないが、天井を上下させて、客席への初期反射音の時間遅れを調節する機構がある。
また特殊な例として、平成10年の東京芸術大学奏楽堂で、オーケストラから邦楽までの用途があるために、音響反射板設置時、天井を上下させて、天井高さ10mで、1.8秒、15mで2.6秒と変化させることが出来る。
3.吸音材による残響可変
残響可変の最初の例は分からないが、今回の調査では、旧杉並公会堂(昭和32年)は、可動の音響反射板のほかに、蝶番つきの残響可変装置があり、可変幅が0.2秒であった。初期で、大規模な例としては、立正佼成会の普門館(昭和45年)で、5000名収容の宗教施設であるが、吹奏楽の全国大会が行われていることも有名で、天井からシリンダー状残響可変装置が設置されている。
残響可変装置は、吊り下げ式、蝶番による回転式、カーテン式、シリンダーによる回転式、スライド式などの吸音率を物理的に可変する装置のほかに、残響室(エコールーム)により、残響を付加する方法と、電気的に残響を付加する方法がある。
代表的な例として、サンプラザホール(昭和48年)は、建築的にデッドな空間をつくり、エコールームや電気的な残響付加装置を設置したもの、昭和49年のヤマハつま恋エキジビションホールも同様、半屋外のデッドな空間に電気的な残響付加装置を設置している。
吊り下げ式残響可変装置の代表的な例として、高知県民文化会館大ホール(昭和51年)および松江市総合文化センタープラバホール(昭和61年)がある。回転式では、札幌市教育会館大ホール(昭和55年)、つくばセンタービルノバホール(昭和58年)、スライド式では、中新田バッハホール(昭和56年)、カーテン式では、やはり中新田バッハホール、青山音楽記念館(昭和62年)の京都フィルハーモニー室内管弦楽団のホームグラウンドのホールなどがある。
またリハーサル時と本番の残響特性の変化を調整するための吸音カーテンが、東京オペラシティコンサートホール(平成13年)およびミューザ川崎シンフォニーホール(平成16年)がある。また舞台でピアノ演奏用に舞台周辺のライブネスを吸音材によって変化させているホールとして、カザルスホール(昭和62年)、岐阜メルサホール(平成3年)、ミューザ川崎シンフォニーホールが上げられる。
平成18年の新杉並公会堂は、側壁上部のグラスウールの幕および舞台上部の天井が90度回転し、幕類が下ろせる状態となり、残響時間もコンサート形式時、満席時1.9秒、講演時1.1秒と大幅に可変できるようになっている。
残響可変年表はこちらからダウンロードできます(PDF)。