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2025/12/20

山下ふ頭の未来検討会 に参加した

 日時:2025126() 200500

場所:横濱情報文化センター6階ホール(可動階段席)

主催:市民がつくる山下ふ頭の未来検討会実行委員会

プログラムとして、以下の内容があった。

市民の提案の発表

1.    大学を軸とした文化公園の形成

2.    オアシス・横濱

3.    緑と海辺に触れ合う場に

4.    環境再生型循環社会の創出とアートを中心とした想像社会へ

5.    18区と多文化つなぐ平和の広場

6.    海から見た提案

7.    モビリティハブからカーフリーゾーンを

専門家によるコメント:北山恒氏、角野渉氏、大方潤一郎氏、菅孝能氏、

その他 メッセージとして金井氏(東京大学法学部)、中村氏(JT生命誌)、幸田氏(神奈川大学王学部)

この山下埠頭は広さが47Haもあり、山下公園の10倍の広さがあるようだ。このかなりの広さの面積をほとんどが公園としていて、更にそこに、大学を誘致したり、図書館にしたり、車の駐車場を整備したり、路面電車を走らせたりといろいろ案があった。ただいずれの案も主は公園で、事務所ビル群や遊園地のようなものではない。アーキテクチュア―・ワークショップを主催している北山恒氏も専門家として参加していたが、横浜市の沿海部都市計画に参画した経験からったが、横浜市が市民の意見を聴くような体制になっていないことを述べていた。どうも横浜市役所の提案は収益を上げることができる、みなとみらいの様な集合住宅や、テーマパークではないかと思われる。

 また横浜船劇場を文化財としてこの山下埠頭の開発の中に取り入れる話は残念ながらなかった。今年の暮れは船劇場で、ポール・ボウルズ作品集を12273時より演じるようだ。横浜ボートシアター側も頑張っている感じだけど、横浜市側も最近動きがみられる。

山下埠頭の場所で、音や映像でアートが実感できるイベント(THE MOVEUM YOKOHAMA)が1220(本日)から来年3月末まで開催されると新聞に出ていた。開催には、山中市長やトヨタグループの豊田章男氏や、作曲家の都倉俊一氏らが出席するようだ。いよいよ横浜市も山下埠頭をスケジュールに載せ始めた。このイベントは多くの人に山下埠頭を知らせるいい機会ではあるが、市民の考えを取り入れようとする考えは見当たらない。また12月20日には山下埠頭の再開発市民の検討会も終了したとのこと。新聞には様々な意見が聞かれたようだが、来年度中に事業者を選定することを目指いしているとのこと。いよいよ市民運動も正念場だ。

2025/12/16

樋口 覚 著 三絃の誘惑 近代日本精神史覚え書の読後感

 この本の題名からして、三味線の魅力が書かれた本だと思って読み始めたら大きな間違いだった。様々な作家の文章を引用しながら、日本の音曲、三絃のこと、特に義太夫について、さらに遊女、遊郭について、作家本人のにじみ出る感覚を記したものである。建築史家の藤本輝信が、本書p.210に「ちなもに東京の都市計画を丹念に追った藤本照信の『明治の東京計画』の中には、遊郭に関する記述は一行も出てこない。」とあり、多くの歴史家や作家がわざと無視してきたテーマが、遊郭や遊女などである。それを江戸時代から掘り起こして書いたものが本書になる。

実は20258月に書いたブログ「芥川也寸志生誕100年誘う童心目指した「みんなの音楽」 これは童謡、さらにテトラコルドの続き」の中にある我が国の音楽に串が通っていないの続きに当たる内容、その串に当たる内容が三味線音楽を示す本書のような気がする。

http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/08/100.html

 本書の出だしは、歌舞伎や浄瑠璃などの日本の音楽とヨーロッパのクラシック音楽を比較している。またシェークスピアやドン・キホーテのセルバンテスもほぼ同時に発生しているところなどは、地球が狭く感じる時だ。

 竹本義太夫の墓の章

.23第一章の竹本義太夫の墓の章で、邦楽と洋楽の年表を並べて書き、これから、「三味線の伝来が、キリスト教(これもコラールやオラトリオなどの典礼音楽抜きには語れない)の布教とほとんど同時であったのはかなり微妙な時間の配合というべきではないか。しかも、そのころ西洋はパレストリーナの時代であった。17世紀になって歌舞伎や浄瑠璃が起こりつつあったが、和歌集歌舞伎にせよ、女歌舞伎にせよそれが禁止された直後に、竹本義太夫が竹本座を起こしたこと。これがまた絶妙なタイミングである。木偶である「人形」が、新しい義太夫の声音と、複雑な情緒を醸し出すことができるようになった太棹の音色とによって、魂を吹き込まれるという、浄瑠璃にとって願ってもないことが可能になった。この頃、大高は急速に膨張、曽根崎をはじめ「新地」が多くでき、京都を凌駕する勢いで、人口も40万人になろうとしていた。この土地で、近松が竹本義太夫を知ることによって『曽根崎心中』が上演され、新しい浄瑠璃は完成した。時あたかもバッハやヘンデルの時代であったというのも、何かの暗号のように思える。その後の長唄や清元とベートーベンの配合はどうか。これらを源として多岐に展開した端唄、歌沢、小唄などの俗曲が、杢太郎ら明治から大正時代の日本人の、音楽的感性の生地であった。それにしても、これら俗曲が、ドビュッシーやエリック・サティのそれまでにない不安定な音階からなる小曲と同時代であったというのも、偶然とはいえ、絶妙の一致である。」

 旅宿の境界と浮世―荻生徂徠の『政談』の章


.118「元禄十六年は元禄最後の年である。、、、この年、荻生徂徠は柳沢吉保が創立した藩学文武教場で教授、、、近松門左衛門の『曽根崎心中』が初めて上演、、さらに「忠臣蔵事件」が起こり、、、、年末には関東で大地震が起こり、、」 「『曽根崎心中』は、、、、、、近松の世話物として初めての試みであり、圧倒的な評価を得た。」 荻生徂徠は、「最後の道行文「此の世のなごり、余もなごり、死に行く身をたどうれば・・・」を読んで、思わず本を投げ出し、「近松の妙処はこのなかにある、、、」 と嘆息したと思われる。」忠臣蔵の事件について、p.123「この事件を町民は、判官贔屓も手伝ってその政治的コンンテクストからは図示、別の義理と人情の物語の回路に接続し、楽しんだのではないか彼らは日常、時の権力によって鬱積している憂さをいささかなりとも晴らすことができた。」この章の最後の部分で、p.134には「近松はまさにこうした「河原者」であった。そして近松自身xむところあって、「遊女」を多く浄瑠璃の中で描いた。「種姓の混乱」を、風俗の乱れの第一原因と考える徂徠にとって、都市生活に寄生し、巨大都市江戸が生んだそうした「最暗黒」にいる「非人」、つまり比丘尼や俸手振や日雇取りなどの「遊民」は「種姓」から外れ、「旅宿の境界」を運命づけられた人々であった。」 近松の道行をほめた徂徠ですら、歌舞伎や浄瑠璃作者を「河原者」という蔑称で読んだ。しかし近松自身は武家の出であり、近松自身の「旅宿の境界」は、非常に屈曲している。武士の時代を過ぎた時の時代遅れの話で、政治の話が禁止されているのは、現在の中国にも通じる気がする。※12/15香港のリンゴ日報の創業者の有罪判決があった。※×はを示す。

 遊女論の系譜の章

.181 なぜ最初の阿国歌舞伎が元禄になって、遊里を中心に展開するようになったかについて、竹内勝太郎は、江戸時代の民衆生活の享楽と社交や好尚の中心が遊里であったことと、文明史的に見て当時の社会が遊里を枢軸として回転していたことを上げ、阿国の遊女買いの所作で演劇的要素となっている模擬的な物真似(もどき)がこの時代に開花したと述べている。

九鬼周造の芸者礼賛の章

.200「灯火の暗い秋の夜長に、「無の深淵の上に仮小屋を建てて住んでいる」ことをよく弁得ている人間同士※が、同じ気持ちで、小唄に聞き入る姿には無量の寂寞感がある。この音色のためには、他のすべてを捨ててもよいというデカダンスの極致がある。これは日本的情感の極北であると同時に、茎が最終的に到達した場であった。これが戦時下であることを考えると、いっそうその夜の気配が際立つ。」 ※林芙美子を指している。

幸田露伴の『一国の首都』論の章、

.219 「露伴は、江戸幕府が元和三年に傾城町を一か所、吉原を庄司某なるものに認可したと同時に、措置を講じた五か条の御条目に当時の政府の見識を見る。」

 二葉亭四迷の俗曲論の章 

.252 「しかし、大事なことは、こうした玄人はない女でも、一たび三絃糸を操り、声を出すとき、それはなにか神韻の域に近づき、人の存在を震撼させることができると言うことである。二葉亭はこの書生を通じてその思いをややxxさせながら述べているが、確かに江戸の俗曲には「国民の精粋」あるいは「日本国民の二千年来来比生を味わうて得たもところのもの」が、文字のように間接的にではなく、直ちに人の心に迫ってくるところがある.※xxはを指す

 土門拳と小出楢重の章 

.292「土門は「写真屋」になる前に文楽にのめり込み、弟子志願をしていた。昭和十八年(1943)頃に撮った『文楽』という写真集は、なかなか入りきれなかったこの世界に、脚立とカメラをもって入り、撮影した作品集で、気迫に満ちている。、、、ことに、立ち廻りなどで、つめの人形の頭などを乱暴に打つとゴツンゴツンという鈍い音がして、それがいかにもげてな頭に相応しい感じで、また、いかにも木偶という感じを催させる。」

 近代日本人の音楽生活―あとがきにかえて

.329「わが国の近代文学者の多くは、他の芸術においてそうであるように、明治以来の洋楽の影響を強く受けて、バッハやモーツアルト、あるいはマーラーを聴きつつ、彼らに魅了され、多くを語ってきた。」 「小林秀雄は、「大阪の街は、ネオンサインとジャズとで充満し、低劣な流行小歌は、電波の様に夜空を走り、・・・・」・と書いたが、なぜ小林秀雄には文楽の本場である道頓堀で、義太夫の一節が自然に浮かんでくることはなかったのであろうか、本書を書き終えたいまの率直な感想である。」

 樋口 覚は1948年生まれで、ほぼわたしと同世代である。以前このブログでテーマとした、小泉文夫、芥川也寸志、羽鳥幸雄、横浜ボートシアターの遠藤啄朗等は私と約20年違う。戦後の文化的な動きに対して、違和感を持っていた世代だ。その違和感の一つに、この本書にあるように、歌舞伎や浄瑠璃などの三味線音楽があげられるのだろう。この三味線音楽があれば音楽に1本の筋が通ると言えるのだろう。そういえば私の祖父は、毎朝ラジオを付けて、多分浄瑠璃節を唸っていたし、私が大学生の時には下宿していたが、そのおばさん、西尾さんが毎晩三味線を練習していた。戦後まもなくは、三味線音楽は身近なものだったに違いない。歌舞伎には女性の俳優がいず、男が演じる女形のことなども歴史的存在であることがよくわかった。また吉原遊郭についても都市計画的に選定されているようだ。江戸時代は士農工商という身分はあるが、その制度の基盤が崩壊してきていたので様々なところに遊郭ができて政府としては困って、江戸では吉原に限定したのだと思う。私にとっては、遊郭は歌舞伎の中でしか知らない世界だが、世の中には性をめぐる犯罪が毎日ニュースになっていることを考えると、とにかく経済的にも社会的にも安定した社会が必要であることがわかる。

現代は映画「国宝」が興行収入1位で、歌舞伎をテーマにしたものである。この三絃の誘惑の中身がこの映画にも表れたのだろう。今や様々な分野の音楽が均等に存在している。それぞれが頑張っていく必要がありそうだ。

 


2025/11/23

不死の亡命者 ―野性的な知の群像  劉 燕子著 天安門事件をきっかけにした亡命者たちの軌跡  発行 集広舎 2024年発行 を読んで

 昨年2025年の2月、国立新美術館の東京書道展(選抜作家展2025)に出品した友人 ウイリアム・リーさんの作品、「不生不滅」は、そんな永遠のものはないという般若心経にある言葉だとのこと。今回紹介する本の名前は不死の亡命者と言う名前であるが、般若心経の言葉に近いが、本の言っていることは、不死は亡命した知識人が亡命した後も、その生き方を変えず、その生き方を貫いていることを示したと言うことで、そこで不死という題名がついている。しかも本の内容の勢いがすごい。しかも本文だけで710ページもある。紙質も厚くしっかりしたものとなっている。しかも本の厚みは6cmもある。あとがきで、本書は20231月に博士論文として神戸大学に提出した「中国亡命知識人のライフ・ヒストリーとヒストリーの交差―外と内、境界・周辺」を諸先生の教示を基に加筆修正したものとある。博士論文を審査することだけでも大変な時間がかかりそうである。

中国の六四天安門事件を中心に声を上げた知識人などを追って、しかも亡命先まで追って調査している。※天安門事件は1989

 これに対して、日本政府はうしろむきだった。慎重だというべきか。「 本書p.147 「六四」天安門事件の後、アメリカ大使館に方励之・李淑x夫妻が避難したことに関連し、「日本にも亡命を求める中国人が出てくれば厄介」であるため「中国側に警備要請」するよう指示した。」

x印は以下の文字を示す。

以下は本書の内容をいくつか挙げる。

 科学者 方励之について、

.238 「実際、方励之は政治に無関心ではない。彼が「科学的知識によって生み出されたものは、科学的基準によってのみ判断されるべきであ」り、知は権力から独立すべきだが、「この認識が中国にはまったく欠けている」ため、科学は「権力の成り行きにふりまわされ」てしまうという現実認識と問題意識に立ち、知の独立によってこそ「近代化が可能」となり、それはまた「真の民主主義」の「獲得」にもなると考える。」

ノーベル賞をもらった作家 高行健のはなし、

.435 高行健のノーベル賞公演のタイトルは、「文学の理由」で、「人類の純粋な精神活動である文学に、功利的な目的はない。哲学同様、ただ言語をよりどころに、自我を完成させることができるだけである。」「われは表現する、故に我は存在する。」「我は考える、故に我は存在する。」デカルトは、「この世の最も名誉ある職務を与えてくれる人よりも、その好意によって私に何の支障もなく自分の自由な時間を享受させてくれる人びとに、つねにいっそう深い感謝の気持ちをもつだろう」と記して『方法序説』を結んだ。

詩人の 〇 亦武について

.522 〇 亦武  天安門事件に対し、祖国を代表して憲法を虐殺する! 憲法を代表して正義を虐殺する! 母親を代表して子供を絞め殺す! 子供を代表して父親を鶏姦する! 女房を代表して旦那を謀殺する!市民を代表して都市を爆撃する!・・・・・・「代表」は何事も共産党が 「代表」するという言説へのアオロニーが内包されている。 さらに続ける。

 撃て! 撃て!老人に、子供に、女性に向けて発砲しろ!

学生に、労働者に、教師に、露店主に向けて発砲しろ!掃討しろ!掃討しろ!

憤怒の顔、驚愕の顔、痙攣する顔、惨めに笑う顔、絶望の余り平板になった顔に向けて掃討しろ!

〇 亦武 の〇は次に示す。

チベットのオーセルについて

.598 オーセルは父のネガフィルムを現像して、その中にあって70名の人への調査と史実を検証して、文革勃発40周年の2006年に『殺却』として公刊した。また同時にインタビューした70名以上のうち23名のオーラルヒストリーを『西蔵記憶(チベットの記憶)』にまとめた。この2冊はオーセルが、王力雄の後押しに励まされ、父の遺品と母の協力により進めた調査の成果であり、また激動のチベット現代史を生き抜いた家族の強靭な絆の結実である。

今後の課題と展墓

.685第四に、如上の現状を認識した上でなお、先述した亡命の「境界」の「曖昧化」や亡命作家の「概念そのもの」の「流動」化には注目すべきところであると認識する。、、「権力に対して真実を語ろうとする」、、知識人とは「真実」の追求と表現の故に権力に対抗して「周辺」に存在する「亡命者」であるという認識は、「境界」の「曖昧化」や「概念」の「流動」化においても有効ととらえることができる。

方励之は、2010年劉暁波のノーベル平和賞授賞式に列席した際、オスロ大学に招聘され、理論天体物理学研究所で公演をした。方励之が95%の暗黒の中で極めてわずかな物質を取りあげたことが、、、「最も暗い時代において」しかも「不確かでちらちらとゆれる」「弱い光」であっても「地上で与えられたわずかな時間を越えて輝くであろう」と天体物理学の角度から表明した。このように亡命した中国の知識人について評価した。

本書にあるように、亡命中国知識人のことは現在進行形であり、中国の現政権に対しては十分慎重に事を運ぶ必要があることがわかる。ガリレオのできごとを思いだす。太陽が地球の周りをまわっているんだと。? ガリレオは望遠鏡を開発して、大航海時代の状況に貢献したようだが、これら中国の知識人も新たな世界に貢献し始めると思う。



2025/10/30

第二十八回都筑区三曲協会演奏会 箏・三絃・尺八のしらべ  を聴く

日時:令和七年(2025年)10月 26日(日) 1130分開演 (プログラムの12時開演は間違い)

場所:ボッシュホール(都築区民文化センター) 2Fホール  在席300

    音響反射板設置状態

主催:都筑区三曲協会、何度かこの演奏会に行ったことから、招待券が来ました。私は4年ほ

ど前に脳梗塞になり、そのためアルトサックスが吹けなくなってしまい、約2年前にこの三曲コ

ンサートのおかげで、尺八に興味を持ち始め、尺八を吹けるようになって来た。それ以来この

三曲は気にいって、コンサートに時々聞きに行っている。

コンサートのチラシには、『未来につなぐ伝統文化・残しておきたいにっぽんの音(和楽器)』と

書いてあるので、この三曲はいつごろから発祥してきたのか気になって、三曲について、ウイキ

ペヂアで調べたら、『いつ頃から使われたかはっきりしないが、三種の楽器を合わせる意味に

おいていくつかの用例がある。』      『やがて芸術音楽として確立されるに従い、地歌、箏曲、

胡弓楽は独自の楽曲を持つようになり、合奏されることのない、それぞれ独立した別個の音楽

として成立した。しかし江戸中期頃からこれらの楽器は特に地歌を中心に合奏されるようにな

った。特に三曲の楽器三種をすべて合奏させることを三曲合わせ、三曲合奏と呼ぶ。』 三曲

とは多分江戸時代から様々な動きがあり、一本筋が通った流れでは無さそうだ。箏や三味線

や尺八もそれぞれの分野で発展してきていて、とくに尺八は明治期にこの三曲に加わるように

なってきた。きっとそれぞれの楽器を組み合わせることで、華やかな感じにもなり、表現も豊か

になり、合奏曲として発展してきているように思う。

なお多分三味線、ここでは三絃は、少し長さが長い、浄瑠璃三味線、地唄三味線が使われ

ているようだ。きゃしゃな音ではない。

演奏は何台かの箏、何台かの箏と尺八、何台かの箏と十七弦(箏)と尺八、さらに箏や尺八、さらに三絃(三味線)、さらに箏とヴァイオリンの組み合わせもある。さらに語りを含んだ公演もある。いずれも尺八の音は美しかったし、14番の千鳥転生 十七弦箏が含まれていて、その低音の響が組み合わさって新しい雰囲気の表現が豊かな曲になっている。

 今回の公演は、最近できたボッシュホールでの初めての公演である。『素晴らしいホールでの演奏を楽しみにしている。』とチラシに書いてある。ただ今度のボッシュホールの舞台は音響反射板設置状態のために、響きがあり、どちらかといえばクラシックコンサート用の仕様となっている。したがって尺八は枯れた音ではなく、生き生きしたフルートの音に近い感じがする。箏や三絃にしても響きがあり、最後の曲のたぬきばやしでは、語りがあり、この時には後壁は、映写幕を設置しているので、多少吸音力が増しているはずであるが、語りの言葉が明瞭に伝わってこない。いっそ幕設備に最初からして、吸音性を増し、明瞭度を上げたらどうだったのだろうか!

尺八の音は自然の風の音を感じるような感じ自分の感覚では尺八でTake the A Train 吹くとTrain

は蒸気機関車だとわかるような感じだ。






           写真:14.千鳥転生 十七弦箏が低音を響かせていた。

                 写真:15桜狩 三絃が含まれている。

                 写真:16篝火 (かがりび)

           写真:かさじぞう 映写幕にかえておじぞうさんを映した。


 

2025/10/28

仲町台地区センターまつり JAZZ DAY  の感想

 日時:20251025日(土)

場所:仲町台地区センター 2階体育館、入場無料

主催:仲町台地区センター 、協力:つづきジャズ協会 私はこのつづきジャズ協会の案内で知った。

出演:チラシの通り、ただしこのJAZZDAYは 朝の11時から始まっており、私は都合上、CHIPSの最後の曲から聞くことが出来た。

建築設計:高橋晶子+高橋寛/ワークステーション、この建物は、外観はとてもきれいで、何度も前を車で通り過ぎていたが、音楽室がないので今まで行きそびれていた。高橋晶子は、東工大卒で、最初に有名になったのは、坂本竜馬記念館で、高知市に行ったついでに、見学に行ったことがある。しかし今回は、仲町台地区センター2階の体育館で、JAZZのコンサートをやるということで行くことにした。

体育館なので、ジャズの演奏会場という雰囲気はあまりない。長手方向に5m×10m程度のステージを組み、そこに照明やマイクを設置している。スピーカは舞台の両脇に設置して、ミキサーが舞台脇でコントロールをしている。体育館なので多少エコー気味のところもあったが、天井や壁の上部は吸音しているようなので、ほぼ音響的には問題は無い。椅子は折り畳み椅子を長手方向に配置している。

写真:JAZZ DAYがはねたあとの7時頃の外観、ハーフミラーガラスのカーテンウオール。

図:仲町台地区センターの平面図(上は1階、下は2階)

出演したバンド名は、チラシに示してあるが、私の都合から、CHIPSの後半から聞くことが出来た。たぶんそれぞれのバンドは素人であるが、それぞれがとても素晴らしかった。写真を撮ってもよいようなので、横浜モダンジャズクラブからとって、下記に示している。そのころからジャズの音楽を体が受け付け始めてきた。なんだか素人という感じではなく、レベルが高かった。次のハッピージャムは各地福祉施設などを訪問演奏しているようだ。このバンドは青い山脈や夕焼け小焼けなども演奏している。年寄りには懐かしい曲だ。次のSwing AJMは横浜旭ジャズ祭りの時に公募してできたバンドで、 On the sunny side of the street は私の頭の中でいつまでもささやいていることができるほどだ。つづきジャズオーケストラはVocalに高橋明子がいて、下の写真ではピアノを弾いているが、後半3曲は素晴らしい歌を聴かせてくれた。声に深みがあって力強く、ひょっとしてこの人はプロかもしれない。まつビッグバンドはまつというジャズスナックで演奏を重ねた常連客と東工大の卒業生が中心になっているバンドで、コンテンポラリー系のJAZZだ。この音楽は、メロディーなどはなかなか覚えられない感じだが、横浜ボートシアターの元団長の遠藤啄郎が、死ぬ間際にこの世の中は四角形や三角形などで出来ていることが分かったと言っていたようだが、この曲は遠藤さんお言葉を思い出すほどに、立体的な造形が次から次と浮かんでいくような構成になっていて、非常に哲学的な音楽だった。またアルトサックスの音がとてもきれいだった。

最期は夕方7時ぐらいまで演奏があって、頭はジャズだらけになってしまい、私の頭の中は夜中まで響いていた。

 


 





写真:横濱モダンジャズクラブ


                                     写真:シニアジャズバンド・ハッピージャム

                                                                           写真:Swing AJM


          写真:つづきジャズオーケストラ ゲスト:高橋明子(Vo(現在はピアノを弾いている)


                                                   写真:まつビッグバンド


2025/10/21

解決されぬ「1音」背負う音楽家 バーンスタイン作曲のウエストサイドストーリーについて 朝日新聞2025年10月19日朝刊を読んで。

 この朝日新聞の「日曜に想う」という文章の中に、バーンスタイン作曲のウエストサイドストーリーの曲について書いてある。この曲の最後の部分は、本文をほぼ引用すると、『恋人のトニーが殺された後、ヒロインのマリアは「あなたたちみんなが彼を殺した。」と泣き崩れ、やがて毅然と歩み出す。その後、両グループが静かに従う。澄み切ったドミソの響が葬送の列を包む。そのときバーンスタインは低音域にファ#の音を響かせる。この1音は異なる価値観の持ち主を対話へと導く難しさの象徴でありながら、平和への道のりを、聴く人それぞれに深く思考させる。』

私の小学校の時に何人かの友達と日比谷の映画館で映画館の周りを1周以上回って並んでやっと入ったことをよく覚えている。映画を感激してみたものだ。みんなは学校で足を上げたり、鉄棒で宙返りなどをして、その気になっていた。それ以来バーンスタインが好きになった。

写真:写真集 BERNSTEINREMEMBERD 日本語版 解説 ドナルド・ヘナン p.74 ウエストサイドストーリーの1場面、ジェット団の少年たちの誇らしげな踊り

 この朝日新聞の文章の前段は、ベルギーの音楽祭で、イスラエル人の指揮者が率いるドイツの楽団をボイコットしているとあり、イスラエルのガザへの攻撃が激しくなっていることが影響しているようだとある。作曲者のバーンスタインがイスラエル系のアメリカ人であり、メータ、バレンボイムといった名匠たちが「イスラエルのオーケストラ」という国家的属性を越え、平和を希求する精神の象徴とするべく指導に情熱を傾けてきた。しかもバーンスタインのお父さんはウクライナ生まれのユダヤ人だそうで、根っから大変そうな生まれだ。

最近は、ロシアーウクライナ、イスラエルーガザ、ミャンマーのロヒンギャ難民や、タイーカンボジアの紛争があり、私は、特にロシアの作曲家や演奏者などに一瞬ためらいが生じる。しかしチャイコフスキー、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ はみんなロシア生まれ、だからといってどうしたらよいのか。そんなためらいを捨てて、馬鹿な考えを直して聴くことにしている。

ただ身近な日本と韓国や日本と中国との間でもし戦争があったら、どうするか!音楽には戦争を遂行したいという音楽もあるし、平和を希求するという音楽もあるので、やはり見極める必要がありそうだ。「この1音」を判断する意思が必要だ。その場合には平和を希求する音楽を聴こう。

 



2025/10/14

杉山哲雄ピアノリサイタル ベートーベン ソナタ連続演奏会 シリーズⅠソナタからフーガへ(全3回)

日時;2025102日(木)午後630分から

場所:銀座王子ホール 座席数約300席、シューボックスタイプ

曲目:ソナタ第一番、ソナタ第4番、ソナタ第7番、ソナタ第14番「月光」 アンコール曲

演奏は杉山哲雄。主催:杉山ムジーク・アカデミー

このコンサートは建築家の濱口オサミさんに紹介された。以前渋谷で、杉山さんのピアノの練習スタジオの設計に音響設計の立場からかかわったことがある。設計は(有)濱口建築・デザイン工房、建物は渋谷にある大きな集合住宅の一階で、この住戸部分は、台所とトイレを残し、あとは1室を浮構造にして、遮音対策をした。この浮構造は、床は木造のヘルムホルツ床を用いている。

杉山さんのプロフィールを見るとわかるが、伊勢市出身で、濱口さんと同郷となる。濱口さんは私と東工大の同期なので、多分杉山さんも似たような年だと思われるが、ものすごく元気だ。プログラムのチラシの後ろ側には2026年、2027年の予定まで書かれている・

しかも演奏は楽譜を見ないで力強く演奏している。杉山さんのプロフィールには、バッハ、モーツァルト、ベートーベンのリサイタルで、古典調律を用いたとある。この古典調律は何を意味しているか正確には解らないが、純正律を中心とした音律のことではないかと思う。モーツアルト、ベートーベンの時代はこの純正律を用いることによってきれいなハーモニーができるようになった。ただ現在は平均律という音律になり、正確には純正率より美しい響きではない。チラシには「ベートベン没後200年(2027年)に完結するベートベン全ソナタの連続演奏会は、ベートベンの創作の本質に光をあてるものである。」 と書いてある。気合が入っている。しかもいずれの曲も力に入った演奏だった。この曲の最後の曲はソナタ第14番“月光”で、月の光が水面に反射してキラキラしている印象があるが、この曲は作曲した当時から人気のあった曲だとある。このような主観的に表現が出来る曲はいいが、コンサートのチラシは、ピアノの演奏の技術的な説明が多く、例えばソナタ第一番では、「全曲を統一する6度の音程や下向音型を含んで、上昇する音の波の引き締まった音楽の表情を見せ、冒頭の動機の反行形よる第二の主題による第二主題も無駄がない。」 とあってなかなか曲の技巧的な説明は分かるが、曲の雰囲気は私には伝わってこない。第4楽章プレスティッショモの説明で、「第一主題の和音は、「闘争」を感じさせ、独創性がある。和声の微妙な変化が美しい経過部をへて、穏やかな第二主題がなだらかな地平線を思わせる。」 やはりベートーベンの曲は言葉で表すことが難しいことがわかる。ただ感情的な動きによって、強い意志を感じさせる美しい曲だった。やはりベートーベン創作の本質に迫るには、最期の20276月まで聞く必要がありそうである。

2025.10.20 追加:

ブログに 建築技術201812月号に「渋谷スタジオの音響設計」という記事を書きました。実はこの文書の中に、へrムホルツ床のことを書いていて、URとの共同の特許工法と書いてあるが、実は特許になっているのは、床下開口に唾を設けたものだけで、現在はこの工法は使っていません。誰でもがこの工法を用いることができます。

http://yab-onkyo.blogspot.com/2018/11/201812.html

さらに次のブログも書いています。杉山スタジオの内容が見れます。

杉山スタジオ オープン

http://yab-onkyo.blogspot.com/2018/07/blog-post.html

 





 


2025/10/02

Afternoon Jazz Live 明るい表通りで 後藤裕二カルテットwithマリア・エヴァ

日時:2025928日(日)1400開演

場所:ブッシュホール 1Fリハーサル室 大きさは正確には分からないが、15m×10m程度で、天井高さは2.52.6m程度、収容人数は約100名、舞台は長手の面にある。客席と舞台は段がなく一体感がある。床は浮床コンクリートの上に直貼りフローリングのような気がする。

出演: 後藤裕二:Tenner Sax & Flute, 須藤俊也:Piano,ジャンボ小野:Piano、八城邦義:Drum, マリア・エヴァ:歌、幕間の後、次回出演予定のトロンボーン奏者薗田勉慶が挨拶

曲目:曲目はほぼプログラム通りで、アンコールは1曲に更にアンコールの声にこたえて、ちょっと悩んで更に一曲。

テナーサックスの後藤裕二は、チラシによれば1955年生まれとある。今年で70歳ぐらいになる。出演者はおおよそ70歳前後の人だ。ベースの人はジャンボ小野と紹介されていたが、最近30kgほど痩せて、(ジャンボでなくなり、)背広がぶかぶかと紹介されていた。

コンサートはちょうど秋になったころと思ってこの曲を選んだ。Tis Autumn、ところが今年は大変暑かったのでサマータイムを加えたと。そのあとマリア・ヱヴァが加わり、みなさん眠くないですか、もう2時ですよと。夜と昼を間違えているようにしてしゃべった。本当は昼の2時。マリア・ヱヴァの声は力強い歌声で、とんでもない迫力だった。しかも観客席の中央まで歩いてきて、歌うので、拍手を求める人も出てきた。実は私の横まで歩いてきて歌うので、本当のことを言えば私も握手をしたかった。共感した。

        写真:公演の始まる前のリハーサル室、私の席から撮影

このリハーサル室の入り口の反対側は、楽屋として使っている部屋や音楽練習室がいくつかあり、トイレもある。音楽練習室は、除き窓があり、浮構造ともなっている。この上の2階は先日行った劇場となっている。多分同時進行が可能と思われる。






2025/09/25

ジル・アパップ 珠玉のヴァイオリンリサイタル with フレンド 音楽を楽しむこと

日時:2025921日(日)4:00公演

場所:横浜市磯子区民文化センター 杉田劇場 300席、可動音響反射板設置状態、席は自由席だったので、前半は上手桟敷席、後半は最前列に座ってみた。ここの劇場は響きが豊かで、半分より後ろの席の方が響きがよいと考えてのことだろうか、そこで前の席は空いていて、席を替わることが出来た。この劇場は20年以上前に私が音響設計の観点から設計に関与していた。可動音響反射板を備えていて、可動音響反射板設置状態では、できる限りクラシック音楽に好ましい状態になるように残響をできるだけ伸ばし、幕設備にしたときには、客席はそのままで、幕設備の吸音によって、芝居にとって好ましい状態にしたつもりであった。今回のジル・アパップの公演では、音響反射板設置状態だったので、響きを多く感じることが出来た。特に高い音の多いヴァイオリンは、いい響きだ。またギターは音が小さいので、最前列でもいい音が聞こえることを確認した。これがある芝居になった時には、舞台に天井も含む、大きな部屋を舞台装置としたため、コンサートの時の様に残響が長くなってしまい、声が明瞭に聴こえないときがあった。この劇場の名前が杉田劇場という名で、劇場を主に設計しているような印象があるが、本当はコンサートに対してできるだけ残響を長くした設計をしている劇場だ。その時には演劇団体にこのいきさつについてメールをしたことを覚えている。舞台を囲うような舞台装置はできれば板材でなく、音が吸音できる布のようなものでつくれればいいのだがと、話した。

出演者:ジル・アパップ(ヴァイオリン)、高木洋子(ピアノ)、カンパニ―ジャ(ギターアンサンブル)、柴田杏里(ギター)

プログラム:曲目はプログラムに示してあるが、実際にはその前後に追加の公演があった。

ジル・アパップの演奏スタイルとギターやピアノの演奏スタイルは大きく違い、ジル・アパップは歩き回りながら演奏し、一緒に演奏している人に対して身近な感じで挨拶しながら演奏する。楽譜も一切見ない。しかも見るからに楽しそうに演奏する。ギターのアンサンブルの人たちやピアニストの高木さんにもあいさつしながら演奏する。ギターの柴田さんの時には、二人とも椅子に座って演奏していたが、ジル・アパップは体を動かしながらの自由な演奏であった

※高木さんのメールによれば、柴田さんは「柴田杏里さんとジルさんはあの日が初合わせながら、ジルさんともアイコンタクトもかなり取りながら、とても楽しかった。」とのこと。
 
コンサートのタイトルに、「ジル・アパップ その笑顔は偏西風にのってやってきた。」とあるが、確かにこれが音楽だと言わんばかりの雰囲気だった。スペインでフラメンコを踊るときのギター演奏も楽し気なリズムを大事にした雰囲気のように思う。次回はフラメンコダンスを伴ったギター演奏が聞きたい。その時にはジル・アパップもヴァイオリンで参加できれば素晴らしい。実は弊社に10年近く前に、スペインから来たアントニオ・サンチェス・パレホという音響技術者がいた。彼は時々フラメンコの公演を新宿や日暮里で見ていたようだ。私も双方に行ったことがある。ある時両親が来て、日暮里のフラメンコの公演を見に行った。そうしたら初めてなのに、お母さん、カルメンさんという名前だったが、フラメンコの踊りに参加し始めた。何ということは無い、まったく溶け込んでしまった。楽しむと言うことはこのことだと実感した。ちなみにお母さんの仕事は医療の看護師で、フラメンコを仕事としていない。






表:プログラム


写真:上手桟敷席から見た公演が始まる前の舞台の様子。


写真:公演が始まる前の劇場側面、壁は屏風折れで、さらに丸柱を設けて、細かな高い周波数の反射音をもたらすように考えている。天井の勾配は、舞台から天井に反射した音が、後部の客席まで届くように設計している。したがってシーリングスポット室は一般の劇場より少し後ろに位置している。


写真:公演が終わった後の舞台の様子、一番後ろの席から撮影。舞台では一部幕が引かれていて、この状態で多分調律している。YAMAHAのピアノだった。




2025/09/23

横浜船劇場の係留場所、山下埠頭再開発は公園として開発し、その一部に繰り込めないか!

 横浜は飛鳥田市長の時に田村昭さんという都市計画家が横浜市役所にいて、1965年横浜の6大事業という計画を発表し、都市計画を担っていたようだ。これによってかつて三菱重工横浜造船所だったところが、金沢区に移転し、みなとみらい地区に大きく変化していった。私もかつて桜木町駅から三菱重工横浜造船所へ、焼却場の防音対策のために打ち合わせに通ったものだ。これも懐かしい景色だった。しかしこの移転後は、みなとみらい地区という業務地区として大きく変わり、かつてその東端にあった廃墟だったレンガ倉庫は人々が楽しむレストラン、劇場、店舗などの場に大きく変化した。横浜公園から日本大通りを経て象の鼻公園に至る道、さらにレンガ倉庫を含むみなとみらい公園など大変美しくなり、いつも散歩をして楽しんでいる。この象の鼻公園から山下公園にいたった先に、今注目されている山下埠頭再開発の計画がある。ここを林市長の時にカジノにしようという計画があり、市民運動によりカジノ計画は中止になった。しかも林市長は、田村さん等がたてた計画を停止してしまっただけでなく、カジノを計画していた組織はそのままで、山中市長にかわっても、再開発の計画を行っていたその組織はそのままに残され、表には何をしたいかの具体的な提案はなされていない。関内駅から日本大通りに向かう途中に旧横浜市庁舎あったが、林市長の時にほぼ壊され、超高層ビルに立て直された。この脇を通る時にいつもビル風に悩まされる。関内駅から横浜球場、横浜公園に向かうときに、この超高層建物の数階は、外壁の多くが窓でなく壁にしているようだ。現在も建設中であるが、横浜公園周辺の界隈という雰囲気はなくなってしまって、排他的な雰囲気だ。またこのような超高層ビルが山下埠頭の再開発後に建ちならんだとしたら、現在あるみなとみらい業務地区と同じような単なる業務地区となってしまう。建設費は大変大きくなるが、できた地域は一般の人々には多分さみしいものだ。現在のみなとみらい地区もランドマークタワービルからみなとみらいホールまでの場所は、多くの人でにぎわっているが、その先の建物にはなかなかいく理由が見当たらない。山下埠頭を単に公園にしようというのであれば、既に公表されている気がするが、今の計画がいまだに公表されていないところを見ると、単に建設費が儲かるだけの業務地区にしたいのではないかと思ってしまう。

横浜レンガ倉庫から象の鼻公園、大桟橋、山下公園、氷川丸、その延長で山下埠頭公園が出来たら、この地域はかなり楽しい場所になるはずだ。更にその一角に横浜船劇場が係留できたら、劇場に行きやすい場所になる。現在、山下埠頭は市の所有である。市民のものにすべきである。

横浜船劇場は、横浜ボートシアターが所有している劇場で、鋼鉄製の艀だった船を、劇場に改修して使っているものだ。現在は自由に船に近づけない場所に係留されているが、当然、公共的な場所に係留して、誰でもが演劇を見れる状態が好ましい。現在山下埠頭再開発の計画が進められているが、公園として開発し、その一部に劇場として係留できることが望ましいように思う。事務所などの事業用の地区として再開発されるのではなく、メインは公園として開発し、一般の人もその場所に立ち入ることができ、その中に船劇場があることが望ましい気がする。それが出来たら横浜市にある自慢の現代の芝居小屋(芝居舟)が実現する。

写真:象の鼻公園から見た大桟橋、たまたまここに飛鳥Ⅱ、およびダイヤモンドプリンセスが係留していた(2025.09.20())

写真:山下公園から足元の山下埠頭およびベイブリッジを眺める。さらに右手には氷川丸が係留されている。氷川丸は誰でもが中を見学できる状態になっている。もし山下埠頭に超高層ビルが立ち並ぶと、この場所からはベイブリッジはほぼ半分見えなくなる(2025.09.20())



2025/09/17

童話 オリオンの三人娘 の読後の感想

  著者は作:渋屋せつこ、絵:ノガワアイ、出版社:幻冬舎。作者の本名は渋谷セツコ、今までは建築家(一級建築士)として仕事をしていた。私は50年ほど前から知っている人だ。その人が童話を書いた。「オリオンの3人娘」という本だ。多分子供夫婦が宮古島に住んでいて、その夫婦が3人の女の子を授かった。ここまでは私の予想。ただ三人の女の子はオリオン座の腰のところにある三つの星の申し子という感じで書かれている。最近ここ横浜ではオリオン座をはじめとして、夜が明るくて、星座はよく見えていないが、多分宮古島では星座はよく見えるのだろう。浜辺で星を見ながら居るだけでなんだかロマンチックな気がしてくる。多分この最初から物語が始まっている。下図は宮古島とその隣の伊良部島、本の最初に、沖縄に次いで大きな島で、三角定規みたいな形をしているとあるので、多分宮古島だと思う。主人公たちはこの島でパッションフルーツを栽培している。登場人物は、この夫婦と小さな娘三人と、ヤモリ、ケンムンという妖怪で、ケケケケと笑う。歯のないハブ、失神する子供のカラス、笛吹き鳥(母親は胸に土笛をぶらさげている、ピョルルーと鳴く)、飛びイカ、子供たちはこれらの動物と親しい。大きな台風が来て、両親に大変な出来事??が起きる。そのため、子供たちが仲良くしていたこれらの動物たちが助けてくれる。子供たちの親を思う気持ちや親が子供たちを思う気持ちがひしひしと伝わってくる。一気に読んでしまった。さすが建築家だけあって、空間的に広がりのある展開となっている。さらに童話は星たちや動物たちとこうありたいと思う世界を容易に創作できると言う長所がある。今後に期待できるところだ。

 9/24追記:大昔話をしていた時に、何の話からかどんな曲が好きかと聞いたら、マーラーが好きといわれた。当時、あまり知られていない作曲家だった。今から考えると、モーツアルトやベートーベンは意志を表現しているような気がするが、マーラーは感覚や感情を表現している。この感覚や感情を表現することについて、渋屋さんは様々な面で、継続していると改めて思う。

10/1追記:マーラーが好きという話は奥が深かった。フィンランドに仙台ヘルシンキ都市セミナー’99というのがあり、建築と子供たちというテーマでこの会議に参加することになり、さらにこのヘルシンキで、フィンランディアホールに行って、マーラーの交響曲第二番復活を聴いて、感動したとのこと。そのことを私に話をしたと思ったようですが、それより20年以上前にもマーラーが好きだと言ったので、奥が深いと感じたことです。

渋谷さんのメールには、その前の年に市の職員が持ってきた石の写真が貼付されていて、写真の上部はフィンランディアホールの外壁を改修した時の大理石で、下部はヘルシンキ周辺にある花崗岩バルモラルレッドで、有名なテンペリ・アウッキオ教会もこの岩を水盤状にくり抜いてそれに木造の構造屋根を掛けた教会です。



                                            地図:この三角形の島が宮古島、左側の島は伊良部島

※実は渋屋さんから、舞台になった島は奄美大島とのこと。たしかに南西諸島で、沖縄に次いで二番目に大きな島だ。以下の地図で奄美大島を示した。たしかに三角形の形をしている。






2025/09/10

歌 木村聡と2人のディーヴァ コンサート

 日時:2025.9.7(日) 1400開演

場所:横濱ノアスコンサートサロン、観客数は50名程度。

出演:木村聡(バリトン)、ディーヴァとは歌姫のことで、末広貴美子(メゾソプラノ)、

中島壽美枝(ソプラノ)、ピアノ伴奏:神保道子

曲は、添付のプログラムに示してある。オペラのアリアだけでなく、ミュージカルの曲もある。3大ミュージカルは、ここにあるレ・ミゼラブル、キャッツ以外に屋根の上のヴァイオリン弾き、またはオペラ座の怪人、木村さんはなんて言っていたか。

ホールは、舞台側のスパンは約6m×6mで、観客席側は、幅が約5mで奥行きも約5mで、その背後にはビロードのカーテンがあり、その中は楽屋となっているようだ。ビロードのカーテンは、舞台を見て右側の壁一面と、後壁の楽屋との境にある。多分これは平行壁によりフラッターエコー防止のためと、歌手に対する適度の吸音のためと思う。

トイレは観客席の脇の、舞台を見て左側の舞台に近いところに、男女別々にひとつずつあり、コンサート時には。そのゾーンは引き戸(板戸)で閉まるようになっている。舞台と観客席に間は平土間になっている。一般的には舞台は観客席より1m近く上がっていて、視覚的に見やすいように配慮していることが多いが、これによって舞台と観客の間に距離が出来てしまうように感じる。舞台と観客席が同一フロアだと、歌手が観客の間を行き来することができ、舞台と観客の一体化の可能性があるかたちだ。

空間が狭いこともあり、残響も調整されていて、カヴァレリア・ルスティカーナなど歌は迫力を持って聞こえたが、平土間のために、私の席は7列後ろで、歌手はよく見えなかった。ただ木村さんが、後半のはじめに、後ろの楽屋から出て、カルメンの「闘牛士の歌」を唄いながら、観客に握手をしつつ舞台中央へ歩いて行ったときには、観客はオペラ「カルメン」の世界に入った気がして、これが観客席と一体化になれるヒントになった気がした。部屋は長方形なので、現在の位置から、舞台右手のビロードのカーテン側に配置し、観客席もそれに対して長手方向に舞台を取り囲むような配置にしたら、観客の列はもう少しになり、舞台に観客がそれぞれ近くになるような気がした。

天井高は2.52.6mで、エアコンが天井から突き出している。コンサートの時にはその騒音に対してはどんな対処をしているのだろうか。多分コンサートの時には、エアコンは弱か停止しているのかもしれない。また同時に換気はどうしているのだろうか。歌の間には歌手はマイクをもって話しているが、スピーカがどこにあるのかよくわからず、しかもその音声はよく聞きとれなかった。玄関扉は二重の扉で、コンサートの前はガラスの框戸を1重で用いていたが、コンサートの時には、さらに内側に防音扉を設置してあり、二重に防音していて、道路騒音は全く聞こえない。目の前は、岡野町交差点で広い道路があり、道路騒音がうるさい。車を運転していた時にはよくとおった道だ。

このコンサートホールは、規模は小さく、不便も感じたが、観客と舞台が一体となれる可能性を感じた。













2025/09/05

建築音響の交流の歴史 その18 ギターの由来

 先日ヴァイオリニストのジル・アパップのコンサートの切符について、ピアニストの高木さんに入金のメールをしたときに、返信にギターの話が書かれていて、さらに手塚健旨氏が書いたギターのことについての文章が添付されていた。これを見たら建築音響の交流の歴史の中に入れられるような気がして、書きはじめた。ギターを始めて日本に持ち込んだのはフランシスコ・ザビエルと書かれている。1549年のことである。以下は手塚氏の現代ギターに連載された天正遣欧少年使節に関する文章です。https://drive.google.com/file/d/1fhs4RaJGCrq5LRe3NswYgfZg6bSOuvfs/view?usp=sharing

 手塚氏の「「ギター前史」斜め読み――私たちはいかにしてギターを手にすることができたのか――」という文章は、1582年に天正遣欧少年使節が、ポルトガルのリスボンに派遣された。少年たちは事前にアレッサンドロ・ヴァリアーノ神父によってヴィオラ(ギターのこと)やクラヴォ(持ち運びができる簡易なオルガン)を習っていたようだ。

スペインの枢機卿から少年たちに贈られた楽器の目録には、クラヴォ、ハープ、リュート、ビオラ(ギター)と書かれている。これらはまさに秀吉の前で演奏された楽器ばかりで、少年使節が日本に持ち帰って、秀吉に曲を披露したのち、楽器を召し上げ有られてしまった。その結果、その後、ギター等はすたれてしまった。

全体の筋はその流れだが、その中に少年使節団が所有していた楽器にビオラという言葉があり、それが、ヴァイオリンのように弓で引くビオラという楽器ではなく、これがギターだということを様々な角度から証明した感じのものだ。ただスペインやポルトガルにはその当時のギターの歴史は途絶えてしまっていて、しかも日本では秀吉に召し上げられてしまったままそれも途絶えてしまった。どんな曲を演奏していたかも気になるところだが、当時の天正遣欧使節はキリスト教に関係しているので、それに関する内容だと想像できるが、それ以上は分からない。ギターで賛美歌とというのはよくわからないが、YOUTUBEで、ギターで賛美歌を弾いているのを聴くとしみじみした感じの曲になっている。ギターは明治維新の時、また第二次世界大戦の敗戦の後など、大きく影響を受けて今は、主流を占める楽器といってよい。いいか悪いかは別として、現在は三味線なんか足元にも及ばない。江戸時代だったら主流だったのに。

 日本の戦国時代に、国境をものともせず、フランシスコ・ザビエルがギターとクラヴォをもって、日本にキリスト教の布教に勤めることが出来たように、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが、その他の活動家と共に831日にバルセロナからガザに向けて、食料・薬などの支援物資を積んで船で出港し、ガザで人々に手渡そうとしている。ただ残念なことに、その時、荒天で、のちさらに91日、イタリア南部シチリア島から、ガザに向けて船で出航し、9月中旬にはガザに到着する予定だそうだ。その時には70席の船団になっているようだ。21世紀の現在、ザビエルや天正遣欧少年使節の時から比べれば、スペインからガザへは技術的には簡単なようで、ガザで食料品などを手渡すことは、イスラエルがガザの国境を封鎖していて、イスラエルの妨害があると思われるので、何とか無事にガザに到着して支援物資を渡してほしい。

※イスラエルは、ガザの完全制圧にむけ、ガザに地上軍を9/16に進行しはじめた。とんでもない行為だが、このような状況で、グレタさんたちは無事、ガザで食料や医薬品を手渡すことができるのだろうか。グレタさんたちは9/15にチュニジアを出航したようだ。

※国連総会が9月22日あり、パレスチナ国家が共存する二国家解決を目指す会議が開かれ、フランス・カナダ・イギリスがパレスチナを承認し、国連193か国中150か国超が承認した。アメリカは、パレスチナのアッバス議長が国連総会に参加することに反対し、ビザを下ろさなかった。日本の立場は、パレスチナを認めない。認めるという段階ではなく、いつ認めるかであると、現段階では承認をしなかったが、国連世界食糧計画(WFP)を通じて、パレスチナに5億円の無償援助を行うと発表した。

※朝日新聞9/26朝刊によれば、グレタさんたちの船は9/24、地中海上で、9/23深夜から24日未明にかけて、ドローンによる攻撃を受けたと発表。これに対しイタリアおよびスペインは、それぞれ護衛艦を派遣することを決めたと。多分世界情勢がガザに注目している。

※Yahooニュースによれば、グレタさんらの船団は、1日夜(10/1)、ガザへ向かう40隻以上の船のうち一部が拿捕され、船にイスラエル軍が乗り込んできたということです。