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2025/09/05

建築音響の交流の歴史 その18 ギターの由来

 先日ヴァイオリニストのジル・アパップのコンサートの切符について、ピアニストの高木さんに入金のメールをしたときに、返信にギターの話が書かれていて、さらに手塚健旨氏が書いたギターのことについての文章が添付されていた。これを見たら建築音響の交流の歴史の中に入れられるような気がして、書きはじめた。ギターを始めて日本に持ち込んだのはフランシスコ・ザビエルと書かれている。1549年のことである。以下は手塚氏の現代ギターに連載された天正遣欧少年使節に関する文章です。https://drive.google.com/file/d/1fhs4RaJGCrq5LRe3NswYgfZg6bSOuvfs/view?usp=sharing

 手塚氏の「「ギター前史」斜め読み――私たちはいかにしてギターを手にすることができたのか――」という文章は、1582年に天正遣欧少年使節が、ポルトガルのリスボンに派遣された。少年たちは事前にアレッサンドロ・ヴァリアーノ神父によってヴィオラ(ギターのこと)やクラヴォ(持ち運びができる簡易なオルガン)を習っていたようだ。

スペインの枢機卿から少年たちに贈られた楽器の目録には、クラヴォ、ハープ、リュート、ビオラ(ギター)と書かれている。これらはまさに秀吉の前で演奏された楽器ばかりで、少年使節が日本に持ち帰って、秀吉に曲を披露したのち、楽器を召し上げ有られてしまった。その結果、その後、ギター等はすたれてしまった。

全体の筋はその流れだが、その中に少年使節団が所有していた楽器にビオラという言葉があり、それが、ヴァイオリンのように弓で引くビオラという楽器ではなく、これがギターだということを様々な角度から証明した感じのものだ。ただスペインやポルトガルにはその当時のギターの歴史は途絶えてしまっていて、しかも日本では秀吉に召し上げられてしまったままそれも途絶えてしまった。どんな曲を演奏していたかも気になるところだが、当時の天正遣欧使節はキリスト教に関係しているので、それに関する内容だと想像できるが、それ以上は分からない。ギターで賛美歌とというのはよくわからないが、YOUTUBEで、ギターで賛美歌を弾いているのを聴くとしみじみした感じの曲になっている。ギターは明治維新の時、また第二次世界大戦の敗戦の後など、大きく影響を受けて今は、主流を占める楽器といってよい。いいか悪いかは別として、現在は三味線なんか足元にも及ばない。江戸時代だったら主流だったのに。

 日本の戦国時代に、国境をものともせず、フランシスコ・ザビエルがギターとクラヴォをもって、日本にキリスト教の布教に勤めることが出来たように、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが、その他の活動家と共に831日にバルセロナからガザに向けて、食料・薬などの支援物資を積んで船で出港し、ガザで人々に手渡そうとしている。ただ残念なことに、その時、荒天で、のちさらに91日、イタリア南部シチリア島から、ガザに向けて船で出航し、9月中旬にはガザに到着する予定だそうだ。その時には70席の船団になっているようだ。21世紀の現在、ザビエルや天正遣欧少年使節の時から比べれば、スペインからガザへは技術的には簡単なようで、ガザで食料品などを手渡すことは、イスラエルがガザの国境を封鎖していて、イスラエルの妨害があると思われるので、何とか無事にガザに到着して支援物資を渡してほしい。