昨年2025年の2月、国立新美術館の東京書道展(選抜作家展2025)に出品した友人 ウイリアム・リーさんの作品、「不生不滅」は、そんな永遠のものはないという般若心経にある言葉だとのこと。今回紹介する本の名前は不死の亡命者と言う名前であるが、般若心経の言葉に近いが、本の言っていることは、不死は亡命した知識人が亡命した後も、その生き方を変えず、その生き方を貫いていることを示したと言うことで、そこで不死という題名がついている。しかも本の内容の勢いがすごい。しかも本文だけで710ページもある。紙質も厚くしっかりしたものとなっている。しかも本の厚みは6cmもある。あとがきで、本書は2023年1月に博士論文として神戸大学に提出した「中国亡命知識人のライフ・ヒストリーとヒストリーの交差―外と内、境界・周辺」を諸先生の教示を基に加筆修正したものとある。博士論文を審査することだけでも大変な時間がかかりそうである。
中国の六四天安門事件を中心に声を上げた知識人などを追って、しかも亡命先まで追って調査している。※天安門事件は1989年
以下は本書の内容をいくつか挙げる。
p.238 「実際、方励之は政治に無関心ではない。彼が「科学的知識によって生み出されたものは、科学的基準によってのみ判断されるべきであ」り、知は権力から独立すべきだが、「この認識が中国にはまったく欠けている」ため、科学は「権力の成り行きにふりまわされ」てしまうという現実認識と問題意識に立ち、知の独立によってこそ「近代化が可能」となり、それはまた「真の民主主義」の「獲得」にもなると考える。」
ノーベル賞をもらった作家 高行健のはなし、
p.435 高行健のノーベル賞公演のタイトルは、「文学の理由」で、「人類の純粋な精神活動である文学に、功利的な目的はない。哲学同様、ただ言語をよりどころに、自我を完成させることができるだけである。」「われは表現する、故に我は存在する。」「我は考える、故に我は存在する。」デカルトは、「この世の最も名誉ある職務を与えてくれる人よりも、その好意によって私に何の支障もなく自分の自由な時間を享受させてくれる人びとに、つねにいっそう深い感謝の気持ちをもつだろう」と記して『方法序説』を結んだ。
詩人の 〇 亦武について
p.522 〇 亦武 天安門事件に対し、祖国を代表して憲法を虐殺する! 憲法を代表して正義を虐殺する! 母親を代表して子供を絞め殺す! 子供を代表して父親を鶏姦する! 女房を代表して旦那を謀殺する!市民を代表して都市を爆撃する!・・・・・・「代表」は何事も共産党が 「代表」するという言説へのアオロニーが内包されている。 さらに続ける。
学生に、労働者に、教師に、露店主に向けて発砲しろ!掃討しろ!掃討しろ!
憤怒の顔、驚愕の顔、痙攣する顔、惨めに笑う顔、絶望の余り平板になった顔に向けて掃討しろ!
チベットのオーセルについて
p.598 オーセルは父のネガフィルムを現像して、その中にあって70名の人への調査と史実を検証して、文革勃発40周年の2006年に『殺却』として公刊した。また同時にインタビューした70名以上のうち23名のオーラルヒストリーを『西蔵記憶(チベットの記憶)』にまとめた。この2冊はオーセルが、王力雄の後押しに励まされ、父の遺品と母の協力により進めた調査の成果であり、また激動のチベット現代史を生き抜いた家族の強靭な絆の結実である。
今後の課題と展墓
p.685第四に、如上の現状を認識した上でなお、先述した亡命の「境界」の「曖昧化」や亡命作家の「概念そのもの」の「流動」化には注目すべきところであると認識する。、、「権力に対して真実を語ろうとする」、、知識人とは「真実」の追求と表現の故に権力に対抗して「周辺」に存在する「亡命者」であるという認識は、「境界」の「曖昧化」や「概念」の「流動」化においても有効ととらえることができる。
方励之は、2010年劉暁波のノーベル平和賞授賞式に列席した際、オスロ大学に招聘され、理論天体物理学研究所で公演をした。方励之が95%の暗黒の中で極めてわずかな物質を取りあげたことが、、、「最も暗い時代において」しかも「不確かでちらちらとゆれる」「弱い光」であっても「地上で与えられたわずかな時間を越えて輝くであろう」と天体物理学の角度から表明した。このように亡命した中国の知識人について評価した。
本書にあるように、亡命中国知識人のことは現在進行形であり、中国の現政権に対しては十分慎重に事を運ぶ必要があることがわかる。ガリレオのできごとを思いだす。太陽が地球の周りをまわっているんだと。? ガリレオは望遠鏡を開発して、大航海時代の状況に貢献したようだが、これら中国の知識人も新たな世界に貢献し始めると思う。