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2022/05/04

白拍子と乱拍子

 

2022422日の弊社ブログ(http://yab-onkyo.blogspot.com/2022/04/blog-post_14.html)でお囃子の乱拍子を紹介している。

邦楽百科事典 音楽之友社発行 p.1037には「乱拍子:能の用語。白拍子が舞う特殊な舞事。小鼓のみで奏し、笛がときどきアシラう。《道成寺》のみに用いる。」とあり、能の道成寺のみに用いると書いてあるが、お囃子にも用いていると感じていた。共通の内容は、能は足の踏み方、お囃子は笛の音の止め方かと感じていた。このときに能の道成寺には白拍子と乱拍子という言葉があり、対になることばで、興味深いと持って調べた。

 沖本幸子著の「乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽」が見つかり、その中に「乱舞の芸能として一世を風靡した白拍子と乱拍子」とあり、「白拍子の方は、静御前や祇王など女性芸能者の芸能として完成されていき」「一方の乱拍子は乱舞の代名詞ともなり、その即興性と勇壮な足拍子を持ち味としながら、僧兵のような下級僧侶たちの延年※の芸能として花開いていく。」

白拍子とは「実は、女性芸能者ばかりが白拍子ではない。なぜなら白拍子とは、もともとはリズムの名称だったと考えられるからだ。そして、そのリズムで歌う歌謡や、その歌謡にあわせて即興的に舞う乱舞のことも白拍子といった。さらに、それが一つの見せる芸能として形を整え芸能者の舞として確立されて、その舞や舞手のことも白拍子と呼ぶようになったのだ。」

「そもそも乱拍子とは、白拍子と同じく太鼓のリズムの名称であり、そのリズムにのって歌う歌や舞う舞のことをいった。歌としては和歌くらいの短い文章に「やれことうとう」という囃子詞がつく点に特徴があり、舞としては足拍子を踏む点に特徴があった。」

Wikipedia延年(えんねん)とは、寺院において大法会の後に僧侶や稚児によって演じられた日本の芸能。

本のp.24には「中世初期、平安末期から鎌倉時代にかけては特に、社会全体が乱舞の熱狂に包まれていたといっても過言ではない。後白河院の頃から後鳥羽院の時代にかけて、12世紀後半から13世紀前半頃が白拍子・乱拍子の最盛期だ。」とある。南北朝時代、室町時代に能を集大成した観阿弥・世阿弥の100200年も前の時代だ。

 世の中は源平の戦いや鎌倉幕府が成立したころで、戦乱が多かったと思える。後白河天皇の『梁塵秘抄』や鴨長明の『方丈記』のできたころだ。

いまの舞台で狂言の表現に足踏みがあるが、乱拍子の影響か?

ちょっと飛躍しているが、ベートベンの交響曲No.5の三楽章のタタタターン、タタターターンはどうなのだろう。ピアソラのバンドネオンのような感じだったのか?和太鼓の鬼太鼓座の太鼓は?

乱拍子とは、なんだか心をわくわくさせるような言葉だ。