2024年12月18日(水)から19日(木)まで、白鳥のいる瓢湖を目的に旅行した。全行程は新潟駅、旧伊藤家住宅、角屋旅館(腎臓食を出してくれる)、瓢湖(朝7時前後)、旧斎藤家別邸、北方文化博物館別館、港のマルシェ、新潟駅
東京駅から11時半ごろ上越新幹線で新潟まで向い、まず旧伊藤家住宅、現在北方文化博物館にいった。豪農だった伊藤家住宅は大きい敷地に建っているが、これを北方文化博物館として、さらに民家数軒や食堂やお土産屋まである。下記は大広間の写真であるが、庭の美しい景色が眺められるように作られている。廊下側にある柱は屋根から欄間が懸垂され、それから下はなくしている(写真)、敷居がフラットになっていて、庭をいかにきれいに見せるかと心を砕いて設計されている。当日は、外は半分雪景色であるが、昔から開け離れていたのだろうか?
写真:廊下部分の欄間は屋根から懸垂されている。
写真:囲炉裏の上部には吹き抜けになっていて、煙抜きがある。
写真:豪農の住宅の台所
豪農の住宅の台所は広い。炊飯器や洗濯機がない時代、また囲炉裏が重要な役割がある時代には、台所は広いスペースが必要だったと思われる。
写真:集古館(旧米蔵)から伊藤邸主屋を見る。
その後、五頭温泉郷にある角屋旅館にいった。ここは湯治場としてのラジウム温泉というだけでなく、腎臓病のための食事を出してくれるところでもある。しかもおいしいものだった。住所は新潟県阿賀野市村杉4631-1、腎臓病のものにとっては代えがたい旅館だ。さらに瓢湖があるから角屋旅館に行きたくなる。
翌朝、角屋旅館から朝6:30、バスで5~6名と瓢湖に向かった。瓢湖は新潟県の阿賀野市にある。新潟市の隣の市である。瓢湖の白鳥は何千羽もいるようで、さらに幾種類かの鴨がやはり何千羽もいるようだ。
これらの白鳥が刈り取った稲の残りを取りに一斉に飛び立つのが見もののようだが、既に12月で、稲の残りが少なくなってしまったようで、なかなか飛び立つ気配がなかった。
写真:瓢湖には民家が隣接している。
瓢湖は江戸時代に水田用の溜池としてつくられていて、人造湖であるために、山の中にある湖ではなく、民家も湖畔まである。白鳥や鴨の出す声は聴く人によっては騒音といわれるほど賑やかで大きい。ただバスの都合か30分程度で引き揚げた。
10時に旅館をチェックアウトし、旧齋藤家別邸に行った。この齋藤邸も豪農の一人のようだ。建物の装飾も素晴らしいもので、建築家・大工の力を感じるものだ。
写真:2階の広間
旧齋藤家別邸に隣接して、北方文化博物館新潟別館がある。これは旧伊藤文吉の別邸であったが、この一部洋館を戦後 歌人 会津八一(あいづやいち)別名 秋艸道人(しゅうそうどうじん)に貸していたとのこと。以下は旧伊藤文吉の別邸の広間で、先ほどの旧齋藤家の広間と似た造りとなっていた。庭とのつながりを大事にしていたことがわかる。
写真:1階の庭とのつながり、旧齋藤家と似た造りで、庭との関係を大事にしている。
写真:旧伊藤文吉別邸の床の間、障子の細工が細かい。
見学をしながら、時々雪になったり、雨になったりしていた。そのあとは昼ご飯を港のマルシェで食べて、新潟に向かった。
この新潟駅周辺には見るべき文化遺産がたくさんあった。瓢湖だけでなく、建物の文化遺産がたくさんあった。建築家=大工の高い精神性を感じた。また行ってみたいところだ。