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2024/08/28

海に浮かんでいる横浜ボートシアターの海水の利用私見

 横浜ボートシアターは、海に浮かんだ艀からできた芝居小屋だ。しかし夏は冷房をしているわけではないので暑くて芝居ができない。今年は特にそう感じる。

横浜ボートシアターは海に浮かんでいる艀の劇場なので、この海を使って夏に芝居が出来ないものか!夏の海水温はおおよそ30℃、このままでは室内を冷やすためには使えない。

屋根の夏の直射日光が当たる部分は6070度もある。したがってその熱がそのまま室内に伝搬してしまうことが考えられる。メッシュ状の布を屋根面からどういう方法か難しいが、210cm開けて設置して、直接日光が屋根面に直接当たらないようにして、メッシュ状の網目から熱を放出する方法もあるようだ。

このようなメッシュ状の布に、海水を少しずつ流して、蒸発熱を奪うことによって、さらに温度を低下させることはできないか。この材料には、ポリエステルの布に撥水材を塗布した布、通気性もあり、撥水性に優れ、さらに雨傘にも使われ、さらに漁網にも使われ、塩水に強いと思われる素材もある。

もちろんこの海水をまく装置は、ソーラー発電によって、小さなモーターを稼働させ、海水をくみ上げる。

海水は塩が含まれているので、この塩に強い防水の屋根材が必要である。鉄板はもちろんステンレスやチタンも悪影響を受けるようだ。塩ビシートのような素材がよさそうである。           

天気予報で気温が例えば35℃と発表されるが、百葉箱のような中での、直射日光がないところの温度だ。したがって窓を開けて外気を取り込んだら天気予報に出てくる温度より高い温度の外気が入ってくる。したがって観客の換気のために外気を簡単に取り込むことはできない。窓は必要と思われるが、断熱効果のある2重窓が必要の可能性がある。さらに船体も今は鉄板一枚であるが、多分断熱材で覆う必要がある。海水温が高いためだ。鉄板の壁を折版などで、二重壁にして中の空気を排気する方法もありそうである。

次に冬については、海水温は20℃前後、外気は10℃前後と思われる。したがって海水温は積極的に暖房に用いることが出来そうである。鉄板の壁の2重壁には空気を流して、室内に取り込むことで室温を上げるのには効果的だ。屋根はメッシュ状の幕で覆われたとして、屋根面は太陽の輻射熱で、20℃程度に上昇していることを期待したい。その状態では、艀の周辺は約20℃で覆われることになり、熱環境としてはまあまあの状態となる。さらに夏と同様にソーラー発電によって、20℃程度の海水をくみ上げ、屋根面に撒くことで、屋根面を20℃程度に維持することができる可能性がある。

観客が入れば、新鮮空気や換気が必要となる。そのため夏には外気の暑い空気をそのまま取り入れないように室内の温度と熱交換が必要となる。冬には寒い空気をそのまま取り入れないように、室内の温度と熱交換が必要である。

将来、公海に接岸出来て、電気が取り入れることができる可能性もあるが、できる限り、エアコンなどによる冷房・暖房は使いたくないものだ。

ただこのような海水を用いて、その撒布により蒸発熱を奪って冷房する方法以外にも可能性があるかもしれない。海水を用いて冷房や暖房を行う技術開発費用も新たなテーマとして存在する。ただし技術開発費用や装置の設置費用など寄付が必要な気がする。

2024/08/24

キンボー・イシイ指揮 東京ジュニアオーケストラソサイアティ第24回定期演奏会

曲目は、ウエーバー歌劇「オベロン」序曲、シベリウスヴァイオリン協奏曲ニ短調、ブラームス交響曲第一番ハ短調、アンコール:ブラームス ハンガリー舞曲第一番

日時:2024821日(水) 1400開演

場所:文京シビックホール大ホール HPによると[1]1,242席、[2]560 [親子室]5 [車椅子スペース]6


 HPによれば、残響時間    2.3(空席時)、約2.0(満席予測値)とあった。音がよく響き、残響が長い。司会者や芸術監督の篠崎史紀が舞台であいさつした時には音声は明瞭ではなかったが、演奏時の音は良く響いた。さらに多分舞台側壁の三角の凹凸のある拡散壁の影響か、どの楽器から音がしているか、音像の位置がはっきりわかる。クラシック音楽にとってかなり良いホールのような気がした。また挨拶の声は多分天井のスピーカーからだと思われた。

 キンボーの指揮による音楽は、いずれも歯切れがよく、力強く、しかも音が大きく感じた。選曲もよかったかもしれない。また指揮も力強く、演奏者および音楽と一体化していた。

 このオーケストラの芸術監督は 篠崎史紀で、挨拶分に、「今回の指揮者は、私がウイーン時代から最高の音楽を共に追い続けた古き友人、マエストロ キンボー・イシイ氏です。マエストロは、お互いにこの年になって未来を担う子供たちの成長を一緒に考えていこうと新しい夢を追いかけています。」と書かれていました。ウイーン時代に同じ学校に通っていたようです。

 198586年 ウイーンにてハンスホラインと第二国立劇場設計コンペに参加して、その時ホライン事務所で、その設計を担当してくれた人が、衛藤さん、その奥さんがMienさんです。今から39年前です。キンボーは、Mienさんの息子さんで、約18歳の時です。そのとき篠崎さんもウイーンにいらした様に思います。それ以来、Mienさんを通して、お付き合いさせていただきました。昨年にはMienさんは亡くなってしまい、残念ですが、Mienさんに替わって、キンボーのコンサートにはなるべく伺うようにしている。篠崎さんではないが、キンボーは第一級の指揮者になったように感じた。天国にいるMienさんに報告しなければ。


2024/08/23

ガザ日記 アーティフ・アブー・サイフ著、中野真紀子訳 地平社刊

 .25 「砲弾が落ちるたびにホテルン体が揺れるのを感じながら、頭の中を過ぎるイメージのどれが夢で、どれが現実なのかわからなくなってきた。」

.121「このすべてが現実であり、既に死んでしまった誰かの夢ではない、、」 

.266 「ドローンは私の頭上をホバリングするのをやめない。ブンブンという音がずっと連続している。ときおり爆発音も聞こえるが、とても弱々しい。これは現実なのか、それともただの記憶か定かでなく、私は頭を振ってみる。」

これが現実であるか、死んでしまった跡のことか、、というような言葉がいくつか出てくる。

実は3年ほど前に、私は夜、脳梗塞で倒れ、病院に運ばれて手術をして、幸い何とか生き残った経験がある。しばらく入院した後、家に帰って、ある時、何かのために食器棚をあけたら、「これが現実だ、私は生きている」という実感を持った。その後も何度か似た出来事があったが、それに近い感じのことがたくさん出てくる。

この本の最初は、海で泳いで家族がくつろいでいるところから始まる。そのとき何の前触れもなく、ロッケト弾と爆発音が鳴り響くところから始まった。その後は毎日砲撃をうけ、たくさんの破壊と殺戮されたことと、遺体を片付けたり、救出したりすることがたくさん出てくる。

また破壊され、がれきになった街で、毎日食事をすることが大変で、食べ物を手に入れることがすごく困難になっていたようだ。

.187 七面鳥の肉を手に入れて、「私たちは、まだ完成していない2階の床で火を起こした。私は小麦粉に水と塩を混ぜた。ムハンマドの助けを借りて、その生地を塊に分け、焼き上げる準備を整えた。火の上に金属の一片を置くと、それは熱せられて手作りの「フォルノ(かまど)」になった。」 ガスや電気が使えなくなり、また街に食材の店が亡くなり、かまどを作り、料理をたびたびすることが出てくる。ここで登場するのはパンのことが多い。日本では必需品は米だ。

作者は作家で、パレスチナ関連の執筆も行っているようだ。

.124 「一つの民として、私たちは記憶されることを望み、自分の物語がかたられることを望んでいる。」

これが戦場の中で、なんとか生き延びながら書いた動機と思われる。ひどく生々しかったが、生きるという意志は強く感じた。



2024/08/16

清水寧氏論文「古くて新しい建築音響の問題-室内音響-」

清水氏論文は音響学会誌8月号(VOL.80 NO.8 2024)に掲載されたものである。はじめには、同著者の「室内音響の歴史と変遷-ホールにおける「残響」の歴史-」が紹介されており、その論文も併せて読んでみた。この論文は1年前の音響学会誌に出た論文(VOL.79 NO.4 2023)でよく知っている。私も建築音響の歴史はSabine からではなく、より前にさかのぼらなければならないと感じていた。Sabine以前の室内音響学の変遷という章では「音響学の歴史はピタゴラスの音階で知られるPythagorasによる紀元前5世紀ごろの数学的研究から始まり、17世紀ごろまでは音階の研究を除くと音響に関する研究はなく、、、、、科学的な研究はSabineの登場まで待つ。」とあり、Vitruvius Kircher 等が紹介されている。この時Kircherの存在を知った。この後、さらにクレメンスさんの芝居小屋の論文も紹介されている。この論文はわがブログにクレメンスさんが「The Acoustics of Kabuki Theatresについて書いたものを紹介している。https://yab-onkyo.blogspot.com/2020/11/the-acoustics-of-kabuki-theatres.html

Vitruviusについては劇場の音響について細かく書かれており、Kircherについても残響、エコーについて図入りで書かれている。また近世ヨーロッパでは音響学の科学的発展が始まった時代であったが、当時のホールは過去の設計理論書や当時の成功事例を模範としながら設計が行われていたようだと。上記ブログに登場するStefan Weinzierl 氏(ベルリン工科大学、音響学部教授) がかつて、クレメンスさんと一緒に加子母明治座を音響調査したときに持っていた彼のドクター論文は何というタイトルかはっきり覚えていないが、テーマはベートベンのConcert Venueについてで、残響時間など様々な種類の場所があったと書かれていたように記憶する。清水さんの書かれている近世ヨーロッパの当時の内容そのもののようだ。

Sabine の残響理論についてもCollective Papers on Acoustics中から残響時間について細かく書かれていた。

今回は室内音響の応用という観点から書かれたと。一番興味を持ったのはCoupled Room-吸音と残響-という部分で、我々音響技術者が用いる場面は、劇場の客席のある空間と舞台のある空間の境を仮想空間として音響設計するような場合であるが、ここでは大聖堂の祭壇のある空間やわきの空間を複数の空間が結合していると考えて、仮想壁に吸音率を設定して残響時間を考慮する方法などが書かれている。

これらのことから先日藤沢の遊行寺で行われた横浜ボートシアターの「小栗判官・照手姫」の公演では、遊行寺の本堂の外陣で舞台および観客が座り、内陣には半分幕で覆い、多分内陣に一部脇間に舞台裏を設定していた。この空間を考えてみると、本堂の仏像の安置されている内陣とお客さんがいる外陣とは欄間で仕切られており、音響的にはCoupled Roomと考えることもできそうである。

この論文の中で、残響理論の未解決の問題の項で、残響時間の予測は拡散音場を前提としているために、それを満たしていない場合には残響時間の予測方法は未解決となっている。その後の章ではコンサートホールの音響設計について、側方反射音は見かけの音源の大きさや音に包まれた感じ等のこと、さらに側方反射音が多いほど拡がり感が向上するなどの例としてシュ―ボックス型が好ましいとされ、更にはワインヤード型にもそれぞれに席に側方反射音が生じる壁を配置して、新しい室内音響の例を示したとしている。さらに客席以外の空間を残響付加装置として使われている例や電気音響によって残響を付加した例なども出ている。これらは新たなコンサートホールを設計しようとした場合にはテーマとなることである。

これらはあくまでもクラシックコンサートホールのことだ。様々な民族音楽、トルコのサズやクルグスのコブスやカザフスタンのドンブラ・コムズのような弦楽器やインドネシアのガムランやイタリアのオペラやスペインのフラメンコやケルトの民俗音楽、ウクライナのバンドゥ―ラ、ウズベキスタンのドタール、インドのシタール、中国のバフ(大きな横笛)・二胡、韓国のデグム(大きな横笛)・タンソ(縦笛)、日本の箏や三味線や尺八や和太鼓やお囃子、更に歌舞伎や人形浄瑠璃や能・狂言やお寺の声明など音楽に関係している劇場などの音響空間はまた別の考え方が必要となると思われる。さらに演劇や語りやさらに賛美歌、お経等の空間も音響空間の検討の範囲となる。またさまざまな民族楽器の合奏なども最近はあるようだ。さらにそれらを上演する建築空間との関係も重要な要素だ。建築音響に対して、やることはまだまだたくさんある。


2024/08/12

建築音響の交流の歴史その6

明治時代前後になるが、芝居小屋がたくさんできた。以下の表は、私が芝居小屋会議に参加している永石さんや奈良部さん、神奈川大学の寺尾研究室の関根先生および学生たちと音響調査に行った芝居小屋だ。主に全国芝居小屋会議に参加している芝居小屋だが、全国に数十軒ほどしか残っておらず、その他の芝居小屋は全国にそれほど多くは残っていないが、多分明治期には1000軒以上はあったようだ。このように日本の伝統芸能を育んできたとも言える芝居小屋であるが、これまで音響的なデータはほとんどまとめられていない。そこで芝居小屋の音響測定を行いその特徴を検討した。芝居小屋の利用方法は、江戸時代では主として歌舞伎や人形浄瑠璃の公演であったが、明治期に入って箏や伴奏音楽であった三味線などの器楽演奏会にも使われるようになったとされている


旧金毘羅大芝居金丸座の音響測定


八千代座の音響測定


以下は建築学会に私が書いた技術報告集の論文日本建築学会技術報告集 18 (38), 229-232, 2012 一般社団法人 日本建築学会)から抜粋したものです。

表 測定した芝居小屋の建設年

芝居小屋・劇場名

竣工年

鳳凰座

文政10年(1827年)明治16(1883)客席部分大改修

旧金毘羅大芝居金丸座

天保6年(1835年)

呉服座

明治7年(1874年当初戎座)

村国座

明治15年(1882年)

旧広瀬座

明治20年(1887年)

白雲座

明治23年(1890年)

常盤座

明治24年(1891年)

明治座

明治27年(1894年)

相生座

明治28年(1895年)

永楽館

明治33年(1900年)

八千代座

明治43年(1910年)

康楽館

明治43年(1910年)

内子座

大正5年(1916年)

嘉穂劇場

大正10年(1921年)

ながめ余興場

昭和12年(1937年)

 

  


 

旧金毘羅大芝居金丸座の測定位置図

 

芝居小屋の室容積は、鳳凰座が最も小さく、嘉穂劇場が最も大きく7573,7393と変化がある。歌舞伎座は約9,0403、杉田劇場は約3,0203である。

                      残響時間測定結果


                     平均吸音率分析結果


室容積と残響時間測定結果との関係

この論文のまとめ項では、「芝居小屋の音響的特徴は、響きの少なさ、音声明瞭性および音の方向感である。芝居小屋の残響時間(空席)は、室容積と最適残響時間の関係からみると、KnudsenHarrisが推奨する講堂に適した残響時間曲線周辺に存在しており、Bagenal WoodKnudsenHarrisが推奨するコンサートホールに適する残響時間とはかけ離れた位置にある。また主観評価実験により、朗読や常磐津三味線および篠笛などの邦楽については、芝居小屋や歌舞伎座などの響きの少ない空間が好まれることが確認された。」この論文の影響か、ドイツのベルリン工大のクレメンスさんが共同研究を呼びかけてきた。

 

 メンバーはクレメンス・ビュットナー(ベルリン工科大学)、森下有(東京大学建築学科)、アントニオ・サンチェス・パレホ、藪下満

スケジュール(1回目)

201542313001730 鶴川座(川越市) 3Dレーザースキャナーおよび音響測定

2015年4月25日横浜を出発して琴平に向う

2015年4月26日こんぴら歌舞伎の午前の部(伊勢音頭恋寝刃 野道追駆けより油屋奥庭まで、道行初音旅 吉野山)を鑑賞

2015427日内子座の3Dスキャナー調査(17002100

2015428旧金毘羅大芝居・金丸座  3Dスキャナー調査(17002100

2015429日琴平を出発して横浜に向う

2015512日大隈講堂(早稲田大学) 3Dレーザースキャナーおよび音響測定

 

スケジュール(2回目)              

メンバーにStefan Weinzierl 氏(ベルリン工科大学、音響学部教授) が加わった。


写真:左から:Clemens Buttner氏、藪下 満、森下 有氏、Antonio Sanchez Parejo氏、明治座の館長 加藤周策 氏、Stefan Weinzierl  かしも明治座前で撮影

 

 

  2017925()  900 待ち合わせ場所 京王稲田堤 出発

      1400 かしも着、 1500から1800明治座の音響測定 

  926日(火)9001030 白雲座の3Dレーザースキャン測定、

         10301200 白雲座の音響測定

  927日(水)かしも村出発、下呂でクレメンスさんおよびステファンさんと分かれる。

宿泊場所は森下先生の紹介で加子母村の中島工務店が推薦する宿泊場所に泊まれた。

 

クレメンスさんはACTA ACUSTICA UNITED WITH ACUSTICAという論文にThe Acoustics of Kabuki Theatresについて書いたので、ブログにて紹介しています。

https://yab-onkyo.blogspot.com/2020/11/the-acoustics-of-kabuki-theatres.html

ACTA ACUSTICA UNITED WITH ACUSTICA というヨーロッパの音響学会誌に、Dr.Clemens Buttner氏が筆頭の、私を含む共著で「The Acoustics of Kabuki Theatres」というテーマでの論文が掲載されました。

内容は、代表的な八つの芝居小屋明治座、白雲座、内子座、金丸座、鳳凰座、村国座、八千代座、嘉穂劇場について、ISO3382の室内音響の評価方法に従って空席状態の劇場を測定し、満席状態の音響特性についてシミュレーションを行ったものです。

俳優と観客が共感して一つに融合する劇場空間の無限の自由』があることとしています。芝居小屋の公演内容が音楽を伴う演劇が主のために、音響空間は音声の明瞭性が重要になります。したがって残響時間は約1秒程度で、残響2秒のクラシックコンサートホールが出来るまでずいぶん時間がかかりました。このように日本の芝居小屋と西洋の音楽コンサートの室内音響の残響時間が約2秒の標準は、日本人の観客にとって非常に珍しく、非常に遅れて20世紀の後半に確立することができた[33]

33]は大阪のザ・シンフォニーホールのことである。

これら明治期の初期に、富岡製糸場は明治5年(1872年)、西洋の最新技術を導入し器械製糸工場を設立した。近代的な大工場で、多くの女工が働いていたようだ。ただ当時のドイツとは違い、マルクス18671897年で資本論)の言う労働者階級はまだ注目されるような存在ではなさそうだ。私はこの富岡製糸場の西置繭所の耐震設計に関わり、西置繭所の耐震要素であるガラスの壁と天井の中にホールの音響設計を行った。その中で2023年に富岡製糸場行啓150周年記念講演会・ピアノコンサートがあり、久しぶりに行ってきた。ガラスで囲まれた部屋での講演会やコンサートは、人が唯一吸音材となっているが、それなりに十分な音響特性となっていたと思う。以下はその時のブログである。 

https://yab-onkyo.blogspot.com/2023/10/150.html

 



2024/08/08

早淵川(国道246の東側近く)の2024年夏の生き物たち

 最近道行く人にこれはアユだという人が何名かいる。見た目でたくさん泳いでいる。せいぜい10cmぐらいの魚だが、たくさんいる。どこから湧いて?でてきたのか。(2024.08.26魚を取りに来ていた子供が魚の名前はオイカワと言っていた。)


この魚を求めてか、アオサギがときどき飛来する。

さらにきれいな色のカワセミも時々飛来し、きっとこの魚をつかまえに来ているのだろう。ただ常にじっとしていない。


この8月にかもの雛が生まれたのだろう。固まっているのが雛のかたまり。


鴨のひなが泳いでいるところ。


早淵川の脇の道沿いにとぶ多分 ハグロトンボ、これも草の茂みにたくさんとんでいる。


セキレイが川べりでハグロトンボを食べていた。


スッポンが3匹、誰かが餌をあたえたためか、何かピンク色の食べ物を食べている。


川の上からスッポンをみていると、何か餌をくれるかと思って近寄ってくる場合がある。



川は生き物の豊かに生きる場所になっているようだ。川べりを歩くと生き物が身近に感じられる。ただこの夏は猛暑で、この散歩は6時前後の朝の早いうちでしか散歩できない。

※2024.08.12 夕方の6時ごろ 早淵川の246号線から見て上流の中村橋近くで、多分アユの子供が何匹か泳いでいた。しかしその近くで、3~40cmのコイかフナが泳いでいた。珍しいことだ。それを見ていたら、すぐ近くの斜路を登ろうとして、結局登れなかった。そばを通った人が、ここにコイ?がなんでいるかよくわからない。246号線の東側には大きな魚がたくさんいるが、近くには堰もあるからそこを上るのは容易ではない。数日前に大雨が降って水かさが増した時にでも登れたのか?





翌日の朝 6時ごろ 昨日の大きな魚が同じ斜路のところでとどまっていた。

2024.08.24 朝6時ごろ渕上橋近くに水浴びをしていたカワセミがいた。


2024.09.15 朝6時ごろ 早淵川庚申塔近くで、大きなコイが10匹以上とスッポン6匹以上がいた。
以前はより下流、柚ノ木近くにいたが台風10号で移動したのか?上流に一匹いたコイもこの近くに移動したといいのだが。更に近くにアオサギも止まっていた。



2024.09.23(月祝)の朝、雨が止んだ後、布川が早淵川に合流するところで
鵜が羽を広げて休んでいた。周辺にはコイと鴨がいた。

2024.09.25(水)朝、4/23と同じ場所で鵜とアオサギがいた。

2024.06.29 朝7時ごろ 早淵川にアオサギが水に入って、水浴びしているのか、魚を取っているのか、近くに鴨が2羽とコイが泳いでいる。










2024/08/07

建築音響の交流の歴史その5

ドイツ出身の音響研究者で、アタナシウス・キルヒャー16011680は、イエズス会司祭で、当時の検討結果をまとめて学術的検討を行い、1850年には「普遍音楽」という本を著し、Wikipediaによれば「観察や実験を重視したという点において中世と近代をつないだ学者であるといえる。この本はバッハやヘンデルに多大な影響を与えたとのこと。主要な部分は「ハルモニア」で、これは音楽だけでなく、星も含めて生きている空間での様々な調和を意味しているようだ。当時の音律の研究もクラシック音楽に大きな影響を与えているようで、ハーモニーのある音楽がクラシック音楽の出現に影響を与えつつある。YABブログ「キルヒャーの普遍音楽と純正律」で、http://yab-onkyo.blogspot.com/2023/05/blog-post_31.html にこの内容は示している。ちょうどガリレオやニュートンの時代で、シェークスピアやセルバンテスやオペラや歌舞伎や人形浄瑠璃が始まった時代である。1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見をはじめ、ヨーロッパに人による大航海時代も始まっている。このことによってヨーロッパの音楽はキリスト教とともに世界中に拡がっていった。

1600年代のアタナシウス・キルヒャーの建築音響を含む研究から一挙に19世紀半ばのヘルムホルツまで飛んでみる。残念ながらこの間の室内音響についての研究はあるはずだが、良くは分からない。ただこのヘルムホルツやレーリーの頃から建築音響をふくむ音響の理論が体系だって来た。キルヒャーの普遍音楽のテーマは広い範囲にわたっているが、ヘルムホルツやレーリーも広い範囲を扱っている。キルヒャーの「普遍音楽」には第1巻解剖学音の定義や耳の解剖、声や動物の声、第二部文献学で、音楽の発明、ダビデの音楽、ギリシャ人の音楽とその楽器、第Ⅲ部楽器、リュート・マンドーラ・キタ―ラ、打楽器など、第Ⅳ部比較古代人の楽器、音楽の力、グレゴリオ聖歌、多声音楽、第Ⅴ巻魔術 自然科学、協和音と不協和音、音の共感と反感、劇場の音楽、ハーメルンの子供たち、音響の魔術、建築に含まれた錯覚の道具、反響の魔術、第五部、奇蹟論共感の音楽をどのように作ればよいか、第Ⅵ巻類比天上のシンフォニー、脈のハルモニアと人体の脈の動き、統治界の調和性、統治の世界音楽、神の音楽あるいは神と地上世界との調和、などが書かれていて、司祭としての内容を含む広い範囲の音響的なことが書かれている。

ヘルムホルツの「On the Sensations of Tone 」では目次を追うと、PARTIn General, On the Composition of Vibrations, Analysis of Musical Tones by the Ear, On the Differences in the Quality of Musical Tones, On the Apprehension of Qualities of Tone, PART Combinational Tones, On the Beats of Simple Tones, Deep and Deepest Tones, Beats of the Upper Partial Tones, Beats due to Combinational Tones, Chords, PARTⅢ General View of the Different Principles of Musical Style  in the Development of Music, The Tonality of Homophonic Music, The Chords of the Tonal Mords, The system of Keys, On Discords, Laws of Progression of Parts, Esthetical Relations

上記Google 翻訳「PARTⅠ全般、振動の構成について、耳による楽音の分析、楽音の質の違いについて、音色の質の把握について、PARTⅡ 組み合わせ音、単音の拍子について、深い音と最も深い音、高音部分音の拍子、組み合わせ音による拍子、和音、PARTⅢ 音楽のさまざまな原理の一般的見方 音楽の発展におけるスタイル、同音異義語音楽の調性、調性モードの和音、調性の体系、不協和音、部分の進行の法則、美的関係について」

 ヘルムホルツはOn the Sensations of Tone1863年著)で、音楽と聴覚と楽器音響学につぃて、自然哲学から芸術理論に移行するという試みで、物理的および生理学的音響学の境界、そして音楽科学と美学の境界を結び付けることを目指した。音や音律などの物理的な観点とその人間の感覚について幅広く検討した。この論文に先立ち、1847年「力の保存について」という論文を書いて「エネルギー保存則」を定式化したことでも有名だ。この時彼は医学の研究者であった。これは「もっとも基本的な自然法則となり、19世紀後半の電磁気学の理論に体系化につながり、マクスウェルの理論の形成に大きな役割を果たした。

1888明治21音響物理学者の田中正平が、このヘルムホルツのもとに留学して、純正調オルガンを完成させ、指揮者のハンス・フォン・ビューローが「エンハルモニウム」と命名し、ドイツ皇帝の前で、御前演奏された。明治時代の中期に音楽の最先端での交流が日本とドイツの間であった。さらに音響技術者にとってはこの本の中で、ヘルムホルツの共鳴器の発明は周波数分析器(楽器のチューニング)として用いられただけでなく、有孔吸音板として録音スタジオなど多くの建物に利用されるようになっている。

実は、研究分野は異なるが、マルクスは18671897年で資本論を書き、資本主義経済の分析を行った。この資本をテーマにした経済学全般の分析の方法は同時代のヘルムホルツの1863年のOn the Sensations of Toneの音などに対する分析方法が物理学、音律やさらに感覚にまで広い範囲まで及んでいるところから、分析の方法が似ているような気がする。次ぎに述べるレーリーの論文も物理学の範囲が広く、しかも奥が深い。我々にとってTheory of Soundが一番印象的であるが。

1878明治11 Lord Rayleigh Theory of SoundRayleigh) 今日の音響学の理論体系が完成した。レーリー卿(Lord Rayleigh寺田寅彦(昭和五年十二月、岩波講座『物理学及び化学』)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/43083_23775.html 以下はその抄録である。

 1842年の1112John William Struttが生まれた。レーリー卿の本名である。Cambridge大学で、1865年研究を始めた。読書はマクスウェルの電磁気論(1865)や、マクスウェル及びヘルムホルツの色の研究、それからストークスやウィリアム・タムソンの主要な論文を読み、またミルの論理学や経済論を読んだ。彼が音響の問題に触れるようになった動機は、ドイツ語の練習のためにヘルムホルツの Tonemspfindungen を読んだのが始まりだそうだ。1873年にレーリー卿になり、1877年に彼の Theory of Sound の初版がされた。足掛け5年が必要だった。1876年頃から音の方向知覚の問題に興味を感じていたが、1906年に到って、両耳に来る波の位相の差がこの知覚に重要な因子であることをたしかめた。彼は自分でもしばしば言明したように、全く自分の楽しみのために学問をし、研究をした。興味の向くままに六かしい数学的理論もやれば、甲虫の色を調べたり、コーヒー茶碗をガラス板の上に滑らせたりした。彼にはいわゆる専門はなかった。しかし何でも、手を着ければ端的に問題の要点に肉迫した。1904年にはノーベル賞を、1905年には王立協会の会長に選ばれた。1908年ケンブリッジで名誉総長デヴォンシャヤー公が死んで、その椅子レーリーに廻って来た。除幕式は19211130日、ジェー・ジェー・タムソンの司会の下に行われた。その時のタムソンの演説は「レーリーの仕事はほとんど物理学全般にわたっていて、何が専門であったかと聞かれると返答に困る。また理論家か実験家かと聞かれれば、そのおのおのであり、またすべてであったと答える外はない。」

以下はTheory of Sound の各項目の題目を示した。

Theory of Sound ContentsVolume one  Historical Introduction By Robert Bruce Lindsay, Preface, Introduction, Harmonic Motions, Systems having one degree of freedom, Vibrating systems in general, Vibrating systems in general, Transverse vibrations of strings, Longitudinal and torsional vibrations of bars, Lateral vibrations of bars, Vibrations of membranes, Vibrations of plates, Curved plates or shells, Electrical vibrations, Volume two, Aerial vibrations, Vibrations in tubes, Special problems, reflection and refraction of plane waves, General equations, Further application of the general , Theory of resonators, Applications of Laplace’s functions, Sherical sheets of air, motion in two dimensions,  Friction and heat conduction, Capillarity, Vortex motion and sensitive jets, Vibrations of solid bodies, Facts and theories of audition,

上記をGeogle翻訳した。

音の理論 内容:第 1 巻歴史的序論ロバート・ブルース・リンゼー著、序文、序文、調和運動、1 自由度を持つシステム、振動システム一般、振動システム一般、弦の横振動、棒の縦振動とねじり振動、棒の横方向の振動、膜の振動、プレートの振動、湾曲したプレートまたはシェル、電気振動、第 2 巻、空気振動、管内の振動、特別な問題、平面波の反射と屈折、一般方程式、一般方程式のさらなる応用、共振器の理論、ラプラス関数の応用、二次元の空気および運動の平面的な動き、摩擦と熱伝導、毛細管現象、渦運動と敏感な噴流、固体の振動、聴覚の事実と理論、

Theory of Soundでは音の。伝搬、音の損失は距離減衰のほかに、粘性損失や熱損失や酸素や窒素の分子吸収などがあるまた安定した平衡位置の周りで制約された型で振動するモード形状を仮定し、運動周期における位置エネルギーと運動エネルギーの最大値を等しく設定することにより、連続体系の自由振動の基本固有振動数を評価する、この計算手順はレーリー法として知られるようになった。 しかし、リッツは 1908 年に、周波数とモード形状を決定し、複数の許容変位関数を選択し、位置エネルギーと運動エネルギーの両方を含む関数を最小化するための有名な方法を確立しこの手法はレーリー・リッツ法と呼ばれた。


1895(明治28)  W.C.Sabine残響理論の発表。このことによって、室内音響学が誕生。

「残響時間は幾何音響学において、室内音場を評価する上で最も基本的な概念である。云々、定常状態でE0=4W/CA 定常状態で音源を止めると、t­=0W=0, E=E0とおけばEE0e-cA/4V/t 減衰式で、減衰率D(dB/s)はD=10log10ecA/4V (dB/s)で、残響時間T60B減衰する時間であるからT=60/D=6*4V/cAlog10eとなってSabineの残響式を得る。」※建築・環境音響学、前川純一著、ただしこのSabineの残響式では一般の吸音力がある部屋では使えなく、少なくともEyringの残響式を用いる必要がある。または空気の吸音を考慮したEyring-Knudsenの残響式を一般には用いている。

Sabineについては、この残響理論だけが紹介されているが、Harvard University PressからSabine Collective papers on acousticsという論文集(11論文)が出ている。特に後半の記述は、Boston Music Hall(のちボストンシンフォニーホール)の建設時に用いた音響設計の例が含まれている。20世紀の室内音響の理論的展開の嚆矢となる1900年の画期的な論文である。

https://archive.org/details/collectedpaperso00sabiuoft/page/12/mode/2up?ref=ol&view=theater

CONTENTS

1.    Reverberation (The American Architect,1900) Page3

2.    The Accuracy of Musical Taste in Regard to Architectural Acoustics. The Variation in Reverberation with Variation in Pitch (Proceedings of the American Academy of Arts and Sciences, Vol.XL, No.2. June, 1906) page69

3.    Melody and the Origine of the Musical Scale (Vice-Presidential Address, Section B, American Association for the Advancement of Science, Chicago, 1907) page107

4.    Effect of Air Currents and of Temperature (Engineering Record, June, 1910) page117

5.    Sense of Loudness (Contributions from the Jefferson Physical Laboratory, Vol. vⅢ、1910)  page 120

6.    The Correction of Acoustical Difficulties (The Architectural Quarterly of Harvard University, March,1912 page131

7.    Theatre Acoustics (The American Architect, Vol.C, p.257) page163

8.    Building Materia and Musical Pitch  page199

9.    Architectural Acoustics (Journal of the Franklin Institute, January, 1915) page219

10.  Insulation Sound (The Brickbuilder, Vol. xxiv, No. 2, February, 1915) page237

11.  Whispering Galleries    page255

Appendix On the Measurement of the Intensity of Sound and on the Reaction of the Room upon the Sound  page277


この項目のうち、最初のReverberationの項について取り上げる。

1. 残響 (The American Architect1900)  page3

音響上の問題で、現実の講義室の改善をいくつも指示された。最大限の有効性を得るためには、聞こえるためには、音が十分大きいこと、同時の存在する複合音が適切な音の大きさであること、会話や音楽による連続音が明瞭で、互いの音や外部の騒音がないことが重要だ。音の干渉や共鳴現象、双方とも悪影響を及ぼす。「共鳴」という言葉は、「残響」や「エコー」と同義語として漠然と使われており、科学文献では、この用語は、弾性体の振動運動が、その自然な振動速度に合わせて周期的な力を受けると増大するという現象をさす。音はエネルギーであり、限られた空間で生成されると、境界壁によって伝達されるか、他の種類のエネルギー (通常は熱) に変換されるまで継続する。音が吸収される速度に比例する。最初の作業は、さまざまな物質の相対的な吸収力を決定すること。クッションやカーテン、ラグ、布、キャンバス、フェルトなど、また男女の人も吸音力を持つ。さらに吸音力はオルガンパイプの音が止まった電流は、クロノグラフの最初の記録にもなり、観測者の唯一の義務は、音が聞こえなくなったときに記録を取ること。可聴時間は、音源の位置とはほとんど無関係である。また吸収材が通常の状態で残留音の持続時間を短縮する効果は、その位置にほとんど関係がない。クッションを使用して作業する必要があるが、結果は開いた窓の単位で表す必要がある。窓の吸音力はクッションと同様に面積に正確に比例している。

オルガンパイプの音とあるが、ドレミファのでるオルガンの1部の音ではなく、多分ノイズと思われる。以下の本文にあるオルガンパイプの図を示す。

今実際に行われている残響に対する考え方と大きく異なる。まず音源はオルガンパイプによる多分全帯域のノイズであるが、周波数特性は表されていない。また空気吸収については吸音力は残響については無視できると書かれている。ただ残響について何もないところから実験によって汲み上げていくところが大変興味深い。

オルガンパイプの標準の音源は最小可聴音の60B大きなものであるが、これが基準になっている。窓開口部の解放された面積の吸音力は基準1m2で、任意の部屋の残響曲線は直角双曲線の式(α+x)×t=kと表される。αは室の吸音力、xは家具や観客の吸音力、tは音源が減衰するまでの任意の時間、k=任意の部屋の双曲線の形状を決定するパラメータ。ただしαT=k=KVの関係からKの値を実験的に求めていく。Vは室容積である。

この数字を決定するために様々な実験を繰り返し求めていく。室の吸音力には壁や床や閉じられた窓ガラスなど、観客の吸音力や家具の吸音力なども実験によって確認する。最後の項では実際のホール、この論文ではボストンミュージックホール(現在はボストンシンフォニーホール)をライプチッヒゲヴァントハウスと比較しながら検討をする。このゲヴァントハウスはボストンミュージックホールとは収容人員や室容積が大きく異なり、単に仕上げを同一にしたところで残響は同じようにはならないことが書かれている。これらの努力でボストンシンフォニーホールが音響的には、世界で最も重要なホールとされている。

大正71918年に早稲田大学の建築学科の内藤多仲がHarvard大学のW.C.Sabineを訪れ、日本で最初の建築音響学の資料を持ち帰ったことが歴史に残されている。多分この技術が、昭和2年 1927年、早稲田大学の佐藤武夫による大隈講堂につながっていくことになる。

さらに常磐津の鈴木英一さんの紹介で、早稲田大学文学部の児玉隆一教授の案内で、20155月にクレメンスさん、アントニオさん 東大の森下先生、藪下晶子、私と早稲田大学の大隈講堂の音響測定をすることができ、この結果はクレメンスさんのドクター論文「Symphonic Concert Life and Concert Venues in Tokyo 1868-1945」につながったと感じている。

藪下晶子は、現在YABRugs(RugLife)という会社の代表で、先日ブログに書いたクルグズのコムズコンサート、 クルグズの壁掛けの刺繡布トゥキッシュ・キーズ展に合わせて、企画されたが、この展覧会の主催者の一人である。 https://yab-onkyo.blogspot.com/2024/07/blog-post_29.html