この荏田の地域には、釈迦道(しゃかんどう)や釈迦堂公園という名前は存在しているが、肝心の釈迦堂はすでになくなっている。釈迦堂は大昔に解体され、現在忠魂碑に替わっているが注)、その土地の西側部分に釈迦堂を立てるための敷地が残っているように感じる。昔のことを思うと、ここに釈迦堂があるといいとおもわれるが、現在本尊のお釈迦様は、国指定重要文化財となって、真福寺のコンクリートの建物に祀られていて、管理もしっかりしているように感じる。千葉の鋸山の日本寺が廃仏毀釈の時のようにぞんざいにお地蔵さんを扱ったようにではなく、大事に本尊を扱って真福寺に祀られているように感じる。したがって再度真福寺からお釈迦様を移動することも無理があるように思う。
そこで釈迦堂跡というような石碑を立てられたらいいように感じる。この忠魂碑の現在の土地は横浜市の土地で、管理しているところも横浜市で、簡単に個人の思いがかなえられるわけではない。むしろ経済の再生を考えた方がいいようにも思うが、現在はこの土地には入口にかぎがかけられ、簡単には入れないようになっている。しかしこの土地はほぼ山の頂上にあり、以前はいろいろなところの花火がみられ、川崎民家園の枡形山や旧荏田城のあった山も、更には富士山も丹沢山系の奥によく見える。それだけでも人が集まる契機になりそうだし、また忠魂碑に来るにはしゃかんどうの道から階段で登るしかないので、車は入ってこれず、落ち着いた散歩道になりそうなところだ。
注)釈迦堂がどのように消滅したかの歴史は以下のブログでも明らかではないが、そのうち資料を見つけられるといいと思っている。
横浜市歴史博物館の特別展 『横浜の仏像 しられざるみほとけたち』
http://yab-onkyo.blogspot.com/2021/02/blog-post.html
荏田街の散歩道