日時:2025年5月16日(金午後)6:30~9:30
場所:横浜船劇場
最初に映画「泥の河」の上映があって、その後講演会があった。戦後間もない時代、1955年ごろ、人々が一生懸命に生きている状況が映し出される。場面は泥の河、大阪、堂島川、土佐堀川周辺を設定、実際には名古屋の河で撮影されたらしい。馬に木材を引かせる人が、車に驚いた馬が、飛び跳ねて、材木が崩れて死んでしまう。川に舟から落ちてなくなってしまう。戦争で死ぬより大変だったかもしれないとつぶやいていた。艀を使った水上ラブホテルもある。旦那が亡くなって、これしか生きる道がない状態になっている。主人公の少年の家は、河のほとりで食堂、そこの近くに、水上ラブホテルの艀が停留した。その中で、さらにそこの子供たちが、お互い知り合い、その状態の上で、子供たちが生き生きと生活している。
どうもその子供たちの当時の年代は、今の私の年代に重なっていて、戦後の雰囲気が残っている状態が共感でき、すぐ理解できた。泥の河の水がヘドロでよどんだ状態で、しかもその映画ではその水の中に大きなコイも泳いでいた。ただ私は小学校の前半の頃は、多摩川で泳いだ(多分水浴び!)経験があり、そのころ一緒に遊んだ人、原さんは、その後のヘドロの多摩川を見て、それが影響されたと思うが、北海道大学水産学部に進み、環境ホルモンの研究をしたようだ。またこの映画は1981年に映画化されたが、白黒映画だった。時代をイメージさせたかったのだと思う。
講演会は、元映画プロジューサーの古澤敏文、河北直治(横濱界隈研究家)、以前講演があった松本和樹(横浜都市発展記念館調査研究員)の講演があった。タイトルの「シリーズつなぐ<艀> ②」の②は松本さんの講演の2回目のような感じだ。古澤さんの話は、この原作は宮本輝で、映画監督は小栗康平で、共に処女作のようだ。
松本さんの話は、現在われわれがいるこの船劇場が、泥の河の舞台になっていると感じてくださいとのこと。とても現実感が出てきた。
実はこの映画はフィルム映画で総計110分とのこと、この間に2回フィルムの交換があつた。2回目の交換の時には、この劇場の最初の設計者である舞台美術家の堀尾幸男さんがトイレに行き、一緒になつた。私にとってはよく知っている人で、お会いしたことも何度もあるが、直接話したことは初めてだ。
また私が座った席の隣は横浜ボートシアターの劇団員増田さんでした。私にとっては公演の時にはよく知っている人でしたが、直接お話をしたことは初めてです。しかも帰るときには、私の足は遅いので先に行って下さいと言いましたら、なんとお話をしながら元町・中華街駅までお付き合いをしていただきました。この公演の中には「Spirit of YOKOHAMA」という映画のチラシがあり、その中に「この映画をきっかけに、新たな人の繋がりが生まれてくることを、、」と書かれているが、この泥の河もつながりを生んでくれたようだ。
昔、唐十郎の赤テントとか佐藤信の黒テントなどの公演は何度も行ったが、横浜ボートシアターの木造の艀の劇場については、気にはなっていたが、劇場が木造の舟・艀で、何となく閉鎖的な感じがして行けなかった。1997年前ごろに、遠藤さんに親しい元黒テントにいて、飛島建設では都市文化センターにいて、さらに銀座に文化科学高等研究院を開いた竹沢さんからお誘いがあって、「船劇場を作る会」に参加して、それが実って、ほぼ無事に鋼鉄製の船劇場が完成した。この何となく閉鎖的な感じは魅力的であると同時に、ある程度この閉鎖的な感じから脱却する必要がある。しかし現実には、係留場所が、やはり不特定多数の人々が公演に来ることはできない状態になっている。
一般的な場所に係留が出来き、一般の人が来場できたら、横浜ボートシアターの公演やそのほかの演劇、今回の様な映画会の開催や様々なコンサートも企画することが出来そうだ。多分競合しそうだが、唐十郎、今の劇団唐組のテント小屋より可能性?がありそうだ!!。
写真:船劇場の内部、映画が始まる前