先日バッハ作曲によるマタイ受難曲を、オーケストラを伴った合唱を聴いたが、きれいなハーモミーが実現で来ていた。とにかくここでは美しいハーモニーが重要だ。このバッハ(1685~1750)が生活していたのがライプッチヒのトーマス教会で、そこで音楽監督をしていたようだ。このバッハが多分クラッシク音楽の元を作り出した人の一人ではないかと感じている。音律の最初はギリシャ時代のピタゴラス音律とされていて、唸らないことを目標につくったようだが、残念ながらその音律では、ドミソの美しい和音がつくれなかった。12世紀ごろ、そこに大きな教会が出来てきて、讃美歌が美しい和音を用いて作れるようになってきた。それが純正律で、バッハはそれを進化させたヴェルクマイスター音律を使っているだ。これらがクラシック音楽のもとになった可能性がある。要するに教会の讃美歌を経由して、クラシック音楽が成立し始めたと言える。さらにモーツアルトが中全音律を、ベートーベンがウエルテンペラメントを用いているとのこと。現在はこれら純正律のグループから、移調の便利さからか、更に平均律に変化している。この平均律では正確な和音はできていないので、美しいハーモニーはできていない。蛇足だが、バッハの平均律クラヴィーア曲の平均律という訳は、誤訳になる。(参考:窮理社のホームページhttps://kyuurisha.com/talkmusic-no23/)。
ところで教会の讃美歌は聖壇に向かって歌い、聴衆もやはり聖壇に向かって座るので、聴衆は、聖歌隊には背を向けることになる。音楽を聴く立場からは、少し矛盾しているような感じである。
神社の神楽の舞台となる神楽殿はどうなっているか?多くの場合には聴衆は立っているので、神楽があるときには神楽の方に向かって立っているような気がする。音響測定に行った各務原市にある芝居小屋の村国座は、村国神社に向かって立っている。舞台の向きは神社の方を向いているが、観客はあくまで舞台に向かって座ることになっている。村国座のホームページによれば、村国座は、年に一度の村国神社祭礼に氏子が奉納する地芝居のために建設された舞台で、こけら落としは明治15年(1882年)10月26日であった。昭和40年代後半から現在のように子供歌舞伎が奉納されるようになったと。
写真:村国座のホームページから引用
写真:村国座の正面(音響測定時)
写真:村国座の舞台に向かってみた内部(音響測定時)
虚無僧は、宗教と尺八の音楽と関係がありそうなので、「虚霊山 明暗寺 普化明暗尺八」のホームページを見ると、「明治以前の虚無僧と現代の虚無僧」という項に、「尺八を吹いて托鉢行脚する禅的生活の最初の実践者は、虚竹禅師であり、また虚無僧の元祖は楠木正勝公と伝えられています。」「江戸時代には、幕府により普化宗が公認され虚無僧の全盛期を迎えます。」「虚無僧になるには武士に限られ、厳重な身元調査の上、確実は武家の保証人を要しました。」「寺での生活は、夜明け前に役僧が吹く、「覚醒鈴」の曲を合図に起床、仏殿に集まって朝の勧業として「朝課」の曲を奏し、そのあと朝の座禅をします。」「虚無僧の吹く曲はすべて禅の修行、つまり吹禅の曲と考えられていました。」
楠木正勝は南北朝時代の1388年ごろの人、虚無僧は、藁の天蓋を被って、尺八を吹いている禅宗の僧で、身分としては武士ではあるが、仏教としての修行で、自由に全国行脚もできるために、忍者が天蓋を被った虚無僧にも化けることができるといういかがわしい雰囲気もある。なんで武士から虚無僧が生まれたのか、またなぜ中国から伝来した尺八を使うようになったのか気になる。ただ江戸時代に入って戦国時代が終わり、武士が暇になったことも挙げられる可能性がある。歌舞伎:2025年3月30日に放映された「古典芸能の招待」の歌舞伎 御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)は尺八を背中に持っていて、相手が来ると尺八を振りかざすという場面がある。尺八は竹製で、かなり重く、こん棒のように武器にもよさそうであるが、歌口が一部刃物のように薄くなっていて、その部分はきゃしゃで本当は乱暴には扱えない!!歌舞伎の見世物にはいいかもしれないが?尺八はやはり楽器なので大事に扱わないといけない。現在では、普化宗の虚無僧の尺八だけでなく、様々な人が尺八を楽器として吹いている。かすれた音はTake the A trainのジャズにも使え、まるで蒸気機関車が蒸気を出して走っているような感じだ。
声明について、天台宗のホームページを見ると、「声明とは法要儀式に対し、経文や真言に旋律抑揚を付けて唱える仏教声楽曲です。伝教大師最澄が中国(唐)に渡り天台の伝えたおりに、声明も伝えられましたがこれを、体系的に伝えたのは慈覚大師円仁(794~864)です。」「平安時代には声明と雅楽・舞楽との合奏曲も作られ浄土信仰とも重なり盛んに奏されたと言います。現在でも天台宗ではほとんどの法要に声明は使われ、また、舞楽法要などは伝統音楽として、公演公開されています。」
新井弘順へのインタビュー記事が載っていたので、一部転載する。「千年の時空を越えて劇場で親しまれる仏教音楽「声明」の世界」聞き手:花光潤子(2007年4月27日「寺院でしか聞けなかった僧侶の男性合唱である声明をコンサートとして劇場公開し、現代音楽の作曲家による新作声明にも挑戦している僧侶グループがある。「声明の会・千年の聲」の新井弘順師(真言宗豊山派宝玉院住職)がかたる声明の世界とは。」「「声明」は、お経に節がついたもので、仏教寺院で僧侶が儀式のときに唱える男性コーラスです。仏さまの教えを讃歓するする仏教の聖歌です。仏教とともにインドで生まれ、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わりました。仏教が伝来したのは6世紀ですが、声明については、752年に東大寺大仏開眼供養の大法要が行われた際に、国中から約1万人のお坊さんが集まり、420人で、声明を披露したという記録が古文書に記されています。」「民族音楽の研究家であった小泉文夫先生は、日本語による声明「講式」(漢文訓読体)が書かれた物語を音楽的に表現した最初のものだろうと言われ、そこから平曲や謡曲、浪花節が発展していったと考えられています。」 「声明の大合唱のほか、中国の曲芸や仮面劇、ベトナムやインドなどのアジア各国の舞楽等、大陸から来たいろいろな芸能が催されました。大仏殿そのものが一つの大劇場、祝祭空間だったのです。」
先日2025年4月27日の「古典芸能の招待」で、能 自然居士(古式)を放送していた。雲井寺の造営のため、僧、自然居士(じねんこじ)というものが、月が出る前に説教をしようとして始めた。その僧は半僧半俗の身でまだ前髪を有し、これから正式の僧になろうとするものである。そこに両親の追善供養に、お寺にお供えしようと、小袖を持って女の子が現れる。実はその小袖は、人買いに自分を売ったお金で買ったようだ。その子供を探しに東国の人商人が来て、連れて行ってしまう。僧はその小袖を首にかけて、その人商人が舟をこぎ出そうとするところに追いついて、小袖を渡して、子供を連れて帰るという。人商人は、それは冗談じゃないと思うが、相手は僧、そこで僧を困らせようとして、舞を舞わせ、次に小舟の由来を話させ、さらに次に簓(ささら)の由来を聞き、さらにさらに小鼓をたたかせとところで、僧は子供を助け出してつれて帰るという結構ドラマチックな話だ。今までの声明や自然居士のことは昔のはなしであるが、次は身近にあるお寺の話。
私の両親や弟が眠る墓のあるお寺、馬込の善照寺は、日常的な仏事のほかに、月に1回、檀家及びその他興味がある人と、雅楽の練習をしていて、何かの折に、その雅楽を披露するとのこと。声明は、現在では劇場でも公演するとのこと、残念ながら私はテレビでしか見たことは無いが、次第に仏教も世間に自らを溶け込ませ始めているようだ。今まで見てきたように宗教も音楽や演劇を介して、現在の世の中と繋がっているように思う。
カトリックのローマ法王フランシスが2025年4月21日に亡くなった。復活祭で挨拶をした翌日になる。アルゼンチン生まれで、本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオという。ご遺体はサン・ピエトロ大聖堂に安置され、大空間の中でパイプオルガンが鳴って響いているのをニュースで見た。4月26日葬儀がサン・ピエトロ広場で行われ、世界各国の首脳たちが弔問に来て、その後、ローマ中心部のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に埋葬された。フランシスコ法王の葬式の間に、各国の首脳、特にトランプとゼレンスキーが会議をやり、トランプもゼレンスキーも前向きに会議が出来たと評価していた。法王は人と人の間に壁でなく、橋をつくることが重要だと言っていたが、死んでからも仕事をしていた。見上げたもんだ。
ウクライナとロシアはいずれもキリスト教系に属している。しかしガザでの戦争はパレスチナとイスラエルの戦いになっているが、これを宗派で言えば、イスラム教とキリスト教の間での戦いになっている。これを仏教が間に立って平和を作り上げることはできないのだろうか。たくさんの僧が声明を唱えながら停戦を求めて、ガザの検問所を通過していくような離れ業を。突然思い出した。今年2025年の2月、国立新美術館の東京書道展(選抜作家展2025)に出品した友人のリーさんの作品、「不生不滅」を思い出した。永遠のものはないという般若心経にある言葉だ。この心意気が必要だ。
写真:国立新美術館での書道展で、リーさんの作品「不生不滅」
民俗