ページ

2022/04/02

さくら と 歌謡曲

 

我が家の北側にある忠魂碑の桜が今は満開です。桜は満開になっていますが、忠魂碑の入り口の門は鍵がかかっており、誰も入れません。かつて10年以上前、門が開いているときには、花の咲いている時には花見をしている人たちもいました。いいんだか悪いんだかわかりませんが、さみしい気もします。

朝日新聞の天声人語2022.3.29には「桜の花を兵士に見立てた歴史があるから」 「考えすぎるかもしれないが戦後しばらくは歌謡曲の世界では桜の花を正面から取り上げるのが避けられたように見える。坂本冬美さんの「夜桜お七」や森山直太朗さんの「さくら」などが出てきたのは、戦後から半世紀ほどたってからだ。」とありました。

確かに森山直太朗の「さくら」が出たころは、新鮮な気がしました。ただ私は小学校の時に覚えた「さくら」(さくら さくら やよいのそらーは)の歌詞もよく覚えていて、森山直太朗の「さくら」がよく対抗できたとびっくりしました。私が生まれたときに住んでいた大田区の家にも桜があって、私が結婚して家を出た後に、バンコクからバンディットさんが桜の前にあったその部屋に下宿して、この桜がとても印象的だったと言っています。

また日本からワシントンのポトマック川沿いに移植した桜も満開になったとのニュースも毎年あります。また伊豆の河津桜も満開できれいだとのことが話題になりました。いまはこの河津桜はこの横浜でも咲くようになっています。河津桜はソメイヨシノより咲くのが少し早いです。

隣にある忠魂碑は1920年(大正9年)に建立の様で、主にまつられているのが日清戦争、日露戦争当時に戦死した村の人たちです。この土地の前の用途は釈迦堂で、おそらく釈迦堂が古くなって困っていた時に忠魂碑のために横浜市に土地を寄付したようです。この忠魂碑も地域の良い歴史になっているようだし、ワシントンの桜もとてもきれいです。

現在は多分桜を見て戦争をイメージする人はあまり多くは無く、それより桜が咲くとこれから春だという印象の方が大きくなります。

                写真 忠魂碑の桜 202242