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2010/09/14

日本建築学会2010年北陸大会にて発表しました

日本建築学会北陸大会は、9月9日(木)から11日(土)まで、
富山市の富山大学で開かれ、私の発表は11日の午後4時半から5時までの
最終日の最後のセッションでした。

一昨年、昨年にひきつづき、
「木造芝居小屋の音響特性 その3-
康楽館、ながめ余興場、相生座、村国座、 呉服座、旧広瀬座の例」
として発表いたしました。

調査の目的は、以下。
・邦楽にとって、好ましい音響空間を、伝統芸能を育んだ木造の芝居小屋を通して検討すること。
・現在では数少なくなった芝居小屋の音響特性をインパルス応答の形で保存すること。

残響時間、音圧分布、RASTI、音響インパルス応答を測定し、音響シミュレーションを行ない、音楽・劇場関係者に聴感アンケートを行ないました。
その結果、朗読および三味線と篠笛などの邦楽器による音楽は、芝居小屋や歌舞伎座のような、残響の少ない劇場が好ましいと評価されました。

発表パワーポイント資料はこちらからダウンロードできます(約5.8MB)。


建築学会の参加者が非常に多いため、富山ではホテルが見つからず、隣町の高岡で11日に泊まり、翌日は、高岡見物をしました。
ホテルの前には青銅の大仏があるので、見に行きましたら、その前の商店街で5時半から7時半まで朝市が開かれていて、その中の酒屋さんの配送用の屋根のある場所で、テーブルや椅子が用意され、コーヒーやスープが飲めるようになっていて、たくさんの人が座っていました。

あいにく大雨で、いつもより朝市のお客さんが少ないと話をされていました。
大仏のあるお寺では、ご婦人たちが10名ほどで謡曲の練習をしていました。
高岡は古い町で、奈良時代は、歌人大伴家持が、越中の国府を治めていた(天平18(746年)から5年)ようで、その時に読んだ和歌がたくさんあるとのこと。
江戸時代は前田家の城であった高岡古城公園では、10月1日から3日まで、3日3晩徹夜で万葉集全20巻のすべての句を市民が朗唱するイベントもあります。
また奈良時代に国府があった雲龍山勝興寺は、ギリシャのパルテノン神殿の様に建物周辺に柱があり、風格のあるとても素晴らしいものです。現在は庫裡を大規模な修繕工事を行っていました。

また前田家の菩提寺の曹洞宗の瑞龍寺が、高岡駅の近くにありますが、美しい伽藍配置と建物で、感動しました。
(残念ながら、デジカメを忘れ携帯で写真を撮りましたので、ぼやけてしまいました。)


2010/08/04

平井先生の講演会「復元するということ -東京駅はそのまま復元してはいけません-」

2010年7月28 日(水)東京工業大学(緑が丘講義棟)で平井聖先生の講演会が開催されました。平井先生は、建築史、とくに城郭建築がご専門で、NHK大河ドラマの時代考証のご担当としても有名です。今回「復元」をテーマに講演とのことで興味があり、聞きに行くことにしました。

講演は、城郭建築でも奉行所の復元(お白洲のある裁判所、実はお白洲には屋根がある、一般のテレビドラマの空の下のお白洲は嘘)などの実例を説明され、最後に本題の東京駅の復元のあり方について、ご説明されました。東京駅周辺の、現代と全く違った明治時代の風景などを紹介され、そしてご自身でコンペに出品され佳作になった案についても触れ、ご説明されました。

東京駅は日清戦争がはじまった頃に建設が始まり、第二次世界大戦で焼失した軍国主義の象徴の様な建物であるから、復元の仕方としては、半分は建設当初のもの、半分は原爆ドームのように空襲で焼失した状態を復元し、敗戦の証としたいという内容でした。
私は、東京駅の復元について、もう少し当初の建設状態に忠実に行うべきといった話だと想像していたため、このような考え方もあるのだと感心をいたしました。
このように歴史や建築に対する基本的な考え方によって復元の内容が大きく異なってくることが理解でき、その奥深さを感じました。

私も、ここ数年芝居小屋の音響調査を行っていたため多少建築史に近い研究をしたと思っていますが、音響空間の建築史という分野も必要ではないかと思い始めているところです。
機会があれば、平井先生にこのようなお話をしたく思いました。

2010/07/12

ブブゼラの音

ワールドカップサッカーが、本日スペインの優勝で終了しました。
今大会、非常に印象的だったのがブブゼラの音でした。最初に聞いた時は、なんと威嚇的な音だろうと感じました。南アフリカの伝統楽器ということですが、この楽器でどのような音楽を演奏するのだろうか、サッカーの試合にもうるさくて邪魔ではないかと思いました。しかし、テレビでサッカーの試合を見ているうちに、その違和感が薄れてきました。しかも7月8日の朝日新聞の朝刊に、元NHKアナウンサーの山本さんが「選手がいいシュートを放つと、一瞬、ブブゼラの音が途切れ、再びブーブーとなる。うねりのようなものが自然に作られている。アナウンサーは、その波を体で受け止めて、しゃべることができる。」と好意的な意見を書かれていました。

ところで、日本にもこのような楽器は無いかと考えていたところ、6月23日の朝日新聞朝刊の「青鉛筆」の欄には、ブブゼラによく似た楽器として、秋田県立博物館に展示されている祭礼道具の「木貝(けや)」が紹介されていました。長さ55cmの木製のタケノコのような円錐形の形をしたもので、「ブオーン」と響くと書かれています。今も秋田県内の祭りに登場するとのことです。

そしてさらに似たものを発見しました。一作日(7月10日夕方)のことですが、池袋近くの護国寺で四萬六千日法要があり、その前に黒沢博幸氏による津軽三味線の奉納演奏が本堂で行われるとのことで、それを聞きに行きました。津軽三味線の始祖「仁太坊(にたぼう)伝説」と題し、仁太坊の生い立ちや、津軽三味線の演奏法があみだされた背景などを説明されながら、演奏が行われました。本堂は満席で、津軽の風景が浮かぶような素晴らしい演奏でした。その後法要が始まり、お坊さんたちが入場する際、また法要の合間、そして終了するときに、ホラ貝の音が合図のように本堂の外でなっています。それを吹いているお坊さんに「ブブゼラの音のようですね。」といいましたら、なんと「全く一緒なんです。」という予期せぬ答えが返ってきました。吹き口を見せてくださり、トランペットのように口びるをふるわせて音を出す方法も教えてくださいました。ブブゼラと一緒ですとのこと。また、横で一緒に聞いていた外国の方も納得するように、うなずいていました。

2010/05/31

津軽三味線 黒澤 博幸のソロライブ「幻奏」を聞く

5月29日(土)17:00より、マスミスペースMUROで、津軽三味線 黒澤博幸氏のソロライブがありました。黒澤さんは、和太鼓+パーカッションと津軽三味線のバンド「天地人」のメンバーで、昨年、芝居小屋ツアーを行った際に、コメントを寄せさせていただいた関係で、このコンサートも知り、大変興味を持って伺いました。黒澤さんは、津軽三味線の奏法を考え出した仁太坊が1857年7月7日に生まれた青森県五所川原市金木で毎年開かれる「津軽三味線全日本金木大会」で、2002年から2004年まで3年連続「仁太坊賞」を獲得した若いけれど大物(1972年盛岡生まれ)です。

ライブの場所ですが、山手線の大塚駅から歩いて5~6分の表具屋さんの倉庫兼ショールームのような場所で、床は板ですが、壁は和紙で仕上がっており、天井は小屋組みと化粧野地板が見える、和風の空間で、行燈が照明となっていました。30~40名ほどが入れそうな広さです。私は最前列に座ったので、三味線から3mほどしか離れていません。ライブでは、仁太坊の生い立ちの説明をしながら、彼は「叩き奏法」を開発し、三味線を伴奏楽器から独奏楽器へ格上げさせたとのこと。 その「叩き奏法」から繰り出される音は、3mで聞くと大変迫力のある耳が痛くなるほどの音です。バチが、弦ではなく、胴の皮に当たって出される音です。バチは叩く場合と、返しながら弾く場合があり、また左手の人差し指と薬指で弦を爪弾く場合もあり、その4タイプを素早く組み合わせ、また弦の上を、指を滑らす場合とビブラートをかける場合やサワリの音も含めると繊細な音から握力のある音まで、大変変化があります。しかもJAZZの様に即興だそうです。またJAZZのようにパルシブな音です。三味線を弾きながらの民謡も素晴らしく、津軽三味線を堪能しました。

仁太坊が生まれた1857年(安政4年)は、明治元年(1868年)より11年前です。秋田県小坂町の芝居小屋「康楽館」ができたのは明治43年(1910年)で、それよりもずっと後です。邦楽器の演奏会が開かれるようになったのは、明治になってからといわれていますが、仁太坊は、その先駆けです。もっとも演奏会といっても、街を周って、家々の前で演奏する、いわゆる門付け芸人だったとのこと。津軽には芝居小屋はあったのでしょうか?

今回の収穫は、表具屋さんの和風のショールームで、素晴らしいコンサートが行われたということです。抽象的な雰囲気の多目的ホールでなく、はっきりと和の雰囲気のある場所で行われるのは、活き活きした感じになるものだと思いました。
 次回は2010年7月10日 東京の護国寺の四萬六千日法要の奉納演奏を「仁太坊伝説」というテーマで行うようです。またそれに先駆けて、7月3日に金木町の太宰治記念館と津軽三味線会館で、仁太坊生誕祭を行うようです。双方興味があります。成功をお祈りいたします。

2010/05/10

久良岐能舞台の地歌舞の公演

「日本の伝統芸能に親しむ 地歌舞の魅力」と題して、「山村楽千代 舞二十番への道(其の四)」の公演が5月9日(日)2時からありました。公演は、村尚也氏の解説と以下の3演目です。村氏によると今日は久良岐能舞台始まって以来の超満員ですとのこと。

演目

地歌舞 からくり的、山村楽千代、地歌(歌と三弦) 藤井泰和
地歌舞 狐の嫁入り、おどりの空間(5名)地歌はテープ
地歌舞 鉄輪(かなわ)、山村楽千代、地歌 藤井泰和、
    鳴り物 望月太意吉、望月太意三郎、福原 徹

こちらは庭園にガラス障子で開かれている能舞台ですが、今日は若葉もきれいなよい天気なのに、雨戸が閉じられており外が見えません。その理由は、狐の嫁入りの公演のときの暗転のためでした。真っ暗やみの舞台を、一列の小さい火が橋掛からにじり口まで横切った瞬間、狐が化けた花嫁姿の5名が舞台に立っていたり、真っ暗やみの中に狐がにじり口から顔を出したり、幻想的な雰囲気が醸し出されていました。また踊りもしぐさが狐らしく、とても楽しいものでした。
からくり的は、楊弓場(江戸では矢場といった)で的を射ると、仕掛けで天井からさまざまなものが落ちてきます。その落ちてくるもの、例えば武者や白拍子や羅生門の鬼などを踊りで表現します。また鉄輪は、奥さんが鬼に変身し、浮気をした夫の彼女を呪い殺そうとする話です。この二つは精神性や象徴性が強く、能のような所作表現のために高度に想像力が必要な内容です。地歌舞すべてがこのように象徴性(村さんは、見立てという言葉を使っていました)があるのかどうかはわかりませんが、現代の演劇でも通用する内容だと思います。

また隣に座っていた方は、この久良岐能舞台で謡曲と能を習っているそうです。学生時代に上京され、昭和26年歌舞伎座が再度オープンした時から歌舞伎座に通っていたそうで、しかも金比羅歌舞伎も面白いと教えてくれました。とくに金比羅歌舞伎は一晩泊まることが重要で、役者たちが行く飲み屋を見つけて、一緒に飲めると言っていました。もうおそらく80歳近い方ですが、お元気で、今年の祇園の都踊りも行ってきたそうです。しかもお仕事は、芸能関係ではなく、工学部卒の技術者とのこと。興味深いお話をいろいろうかがうことができました。また機会があればぜひお会いしたいです。

次回の公演は、6月13日(日)午後二時より女流義太夫です。これも面白そうです。また切符は完売になりそうですね。

2010/05/06

荏田の真福寺で12年に一回のご開帳

地元の荏田商店街から少し入ったところに真福寺というお寺があり、そこの虎薬師坐像の12年に一回の御開帳(寅年の四月)が今年で、4月8日から20日まで開催されるとのことで最終日4月20日に見てきました。

同時に国指定重要文化財で、鎌倉時代の作である釈迦如来立像も毎年この時期ご開帳とのことで、そちらも見ることができました。この釈迦如来立像は、境内のコンクリートの小さな収蔵庫に安置されており、寄木造で木目がとても美しく驚きました。
真福寺のご本尊は千手観音立像で、こちらは子の歳の四月に御開帳とのこと。残念ながら後10年見ることができません。こちらは神奈川県の重要文化財に指定されています。

私は荏田町に住んで22年になりますが、いままでこの御開帳のことは知らず、一度も見たことがありませんでした。今回、たまたま近くの野菜の直売所に寄った時に案内を見て知りました。とくに御釈迦様は、一度は拝んでおいたほうがよいと思われるほどの美しさでした。

我が家の住所は、開発される前は、荏田町字釈迦堂谷と言い、前の道路は釈迦道(しゃかんどう)と言っていたようです。しかし現在この釈迦堂はありません。真福寺の御釈迦様が、この釈迦堂と関係があるのか、またこの御釈迦様がいったいどこから来たのか、興味があります。
数え年で七年に一度(現在は丑と未の年)行われる有名な長野の善光寺御開帳はたくさんの人出がありますが、ここはひっそりとしていました。善光寺のように、真福寺も6年ごとに一度くらいの割合で御開帳があれば、忘れられなくていいかもしれません。またこのような催しにより、街を賑やかにすることができればいいと思っています。

2010/04/28

第26回四国こんぴら歌舞伎大芝居を見ました

4月17日の早朝、この時期41年ぶりの雪の中、四国の高松に向けて車で横浜を出発しました。午後2時に無事に琴平に到着、目的はこんぴら大芝居を見ることです。
こんぴら大芝居は、天保6年(1835年)に完成した江戸歌舞伎様式の芝居小屋、旧金比羅大芝居金丸座で、鶯のさえずる4月に毎年行われています(今年は4月10日~25日)。実際、劇場の中にいると、鶯の声が聞こえてきます。



午後の部は「通し狂言 敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)三幕」。敵討の話ですが、一幕も二幕も、裏切りや殺しなど暗い話から始まり、3幕目でようやくドタバタ劇が始まります。小悪人演ずる市川亀次郎が、平土間の客席の中で追いかけっこをしたり、梯子を持ち出して2階桟敷席まで登り、そこから舞台へひらりと飛び降りたり。その間、観客はやんややんやと笑い声がいっぱいになります。最後は無事敵討を果たすことができるという話で、このような形の劇場のよさを十分活かしていると思いました。

翌朝は、こんぴらさんの階段を数百段上り、金比羅宮大門を入った近くにある資生堂の神椿という素晴らしいデザインの喫茶店に入りました。コーヒーを飲み、その後歌舞伎の午前の部を見ました。3部あり、一部は義賢最後(よしかたさいご)、二部は棒しばり、三部は浮世風呂です。

義賢最後の公演の演出には度肝を抜かれました。追われる源氏の片岡愛之助演じる義賢は、妻や子供を逃がした後、平家に切られ血まみれになって舞台の上に仁王立ちした後、階段に向かって顔から棒のようになったまま倒れます。見ている方は、さらに血まみれになっているのではとハラハラします。二部「棒しばり」、主人が出かける留守の間、召使いが蔵のなかの酒を飲まないように両手を棒に縛られていますが、二人で力を合わせてその酒を飲んで踊る話で、非常にこっけいな話です。一人は中村翫雀(かんじゃく)、もう一人は先ほど顔面血だらけになったはずの片岡愛之助です。三部は、三助の話で、風呂を掃除していると大変美人のナメクジが出てきて言い寄ってくるのですがそこに塩をかけて撃退する話です。あり得ない話なのですが、気持ちが悪くおかしな話です。あんなナメクジなら出てきてほしいような妖艶なナメクジで、塩をかけられて消える時には花道のすっぽんからスーッと消えていきます。セリは人力ですからずいぶんスムーズに動いていました。
二日間なんと楽しんだことか。


数日前、ブログで紹介したM邸ピアノ室で試演会がありました。ピアノ、ヴァイオリンやソプラノやチェロの演奏でした。20名ほど観客がいましたが、残響時間が2秒ほどあるために、ソプラノの人は残響をうまく使いながら、それに声を重ねていくように次第に乗って歌っているように感じましたし、ヴァイオリンも艶のある素晴らしい音で響いていました。
金丸座の響きとは全く違う世界で、こちらも大変素晴らしい演奏会でした。