何年か前に聴覚障碍者の学生が来て、卒業論文で、舞台のダンスを音ではなく、振動を感じて楽しめる劇場を作りたいとのこと。こちらでは具体的な提案はできなかったが、言っていることはよくわかった。要するに舞台でダンスをしている姿を見て、音楽を振動で床や椅子に伝えて体で感じるというものだと思う。
振動を伝搬する媒体は躯体でなく、空気と思われる。躯体を木とすると3500~4500m/s、コンクリートとすると約3000m/s、空気の伝搬速度を15度Cとすると340m/sとなり、伝搬速度に速さの違いがある。
音源から例えば20m離れているとすると、空気では20m/340m/s≒0.058s=58ms、木では20m/4000m/s≒0.005s=5ms、コンクリートでは20m/3000m/s≒0.0066s=6.6msと伝搬時間が異なる。5ms程度ではほとんど同時に聞こえるが、50ms離れるとエコーとしても感じられる時間差となる。もし躯体を振動で伝搬する音が空気を伝搬する音と同程度の大きさである場合には、空気による残響だけでなく、エコーを伴った躯体を含めた残響音になってしまう。
実際には躯体を伝搬する音のエネルギーは小さいと見え、躯体を伝搬する音は聞こえない。我々が感じる振動は空気を伝搬する音が床や椅子に伝搬して感じるものと思われる。ただし空気から伝搬して振動する大きさは実際には小さなもので、聴覚障碍者がこれを感じて楽しむことにはかなり不足していると思われる。
そこで客席の中に、聴覚障碍者のためのスペースを、地震用起振機のようなシステムで、床が振動するようにした場合を考えてみる。システムとしては障碍者のスペースで、マイクで音圧を拾い、振動加速度に変換して、床を振動させる方法が考えられる。
まず耳の感度は、図1に示すように音圧レベルと周波数と音の大きさによって異なっている。1000Hzを基準に考えると、それより低い周波数では感度が鈍くなり、1000Hzより高い周波数ではわずかに感度が上がり、10kHz付近でまた感度が鈍くなるような特性である。これをフレッチャーマンソンの曲線と呼ぶ。しかしこのままでは複雑なために、騒音計ではA特性で表していて、図2で示すように1kHzを基準に、500Hz以下は低音域になるに従って、感度が落ちてきている。また1kHzから5kHzまではわずかに上回っていて、感度がよくなっている。骨伝導による特性も同様の特性である。これに反して振動レベルの特性は、図3に示すように、振動加速度レベルで、鉛直特性では4Hzから8Hzまでは感度が最もよく、それ以上の周波数ではオクターブ6dB低減している。ただし公害用振動計の振動レベルの特性は100Hzまでしか表されていない。
ある劇場の客席部分の音圧レベルの特性を聴覚障碍者のスペースで、適正な特性の振動加速度レベルに変化する必要がある。式1では音圧レベルLpを、壁面ないし床面の振動加速度レベルLaに変換する式を以下に示す。
La≒Lp-10×Logk+20×Logf-10×Log(S/A)-36 (dB) 式1
ただしLa:加速度レベル(実測データ)、Lp:音圧レベル、k:放射係数(125Hz以上はk=1、63Hz以下は多少小さくなるが、安全のため、すべて1とすると10×Logk=0)、f:周波数(Hz)、Sは放射面積、A:吸音力となる。
式1によれば音圧レベルと加速度レベルの関係は、音圧レベルに主に周波数の2乗の対数を加える、実数で言えば周波数の2乗を音圧に掛けることになる。物理的にはこのようにすればいいが、実際の音圧レベルの感覚特性と、振動加速度レベルの感覚特性を少なくとも1000Hzまで合わせるための、実験が必要と思われる。
さらにこの振動台を稼動させるための機構が必要である。実際の地震のための振動台は油圧で稼働させているが、より高い周波数を稼動させるためには、多分その他の機構が必要となる。
振動で感じるホールの実現には、まだまだ実験が必要だと思われる。
図1. 耳に聞こえる音の周波数と音圧レベルの範囲及び音の大きさの等感曲線
※引用 公害防止の技術と法規 編集委員会編 公害防止の技術と法規 騒音編
図2. 騒音計の周波数補正特性
※引用 公害防止の技術と法規 編集委員会編 公害防止の技術と法規 騒音編
図3. 振動レベルの基本的レスポンス
※引用 公害防止の技術と法規 編集委員会編 公害防止の技術と法規 振動編