隣町の驚神社の宮元お囃子の会から、荏田のお囃子の会の練習の時に時々来ていただいている矢島先生が、先日、破矢から全曲通して吹いて頂いた。あらためて矢島先生の笛はとても響きのある音色を感じた。我々の篠笛は響きを感じることがなかったので改めてびっくりだった。
響きのある音色がよくでるなと感心していたが、ひょっとしてお祭りは屋外で演奏するので、響きが必要なことが多い場合があるかもしれないと思うようになった。ただし篠笛でこの響きを感じられるようにすることは技術的にレベル向上が必要だ。多分笛の共鳴周波数を強調することと、強い息で音をならす必要がある。また基本的なことだが笛の穴を指でしっかり塞ぐことも重要である。
ところで残響のない、または少ない屋外の空間では、楽器で響きを作り出す必要があるのではないかと思うようになった。例えば三味線や箏や琵琶や太鼓などは自ら残響を持っているか、尺八のように音を震わせて残響を感じさせているものもある。
これに反してヴァイオリンは自分に残響がない。そのため残響のあるホールが必要なのはそのためかと思うようになった。しかしチェロやコントラバス、ピアノ、ハープ、ハープシコードやチェンバロも残響がある。ヴァイオリンはヴィブラートすることで響きを感じるように演奏しているのかもしれない。チェロも常にヴィブラートをしている。さらにパイプオルガンは残響の長い教会の空間の中にあり、ゆっくり弾く事で、自らも残響を作り出しているように思う。
またウクライナのバンドウーラには残響がある。カザフスタンの指でつま弾くドンブラや弓で弾くコブスやモンゴルの馬頭琴も残響がある。インドネシアのガムランは日本の鈴(リン)のように残響だけでなく、唸りもある。シタールやバンドウーラのように共鳴弦があるものもある。これらの楽器とホールの残響の関係は大変興味深いところがある。また楽器自らが持っている残響を自己残響、ホールなどの空間が持っている残響を空間残響と呼ぶことも必要かもしれない。