船劇場で3月8日(土)、その1週間後、シアターχで3月15日(土)夜の部を見ました。
横浜ボートシアター 説経「愛護の若」より 恋に狂ひて
公演はたくさんの人形と、それを操る数人の俳優で演じられます。またエレキ三味線やエレキギター、太鼓などによる伴奏音楽もあり、歌もあり、ヨーロッパで言えばオペラ、邦楽で言えば人形浄瑠璃に通じるものがあります。
物語は、中世。子供の居ない貴族が観音様にお願いして「愛護の若」を授かるが、その身代わりに母が亡くなってしまう。後妻「雲居の前」が「愛護の若」に恋をし、父親から誤解を受けた末、家を出て比叡山に助けを請うが受け入れられず、滝に身投げしてしまう。その後、彼に関わった人々全て、108名が滝に身を投げて終わるという話。
前半は貴族の華やかな生活、後半はあれよ、あれよという間に暗転してしまう。
主人公は一見悲劇の愛護の若のようですが、本当は恋に狂った継母「雲居の前」と思われます。悲劇という点ではオペラ「ムチェンスク郡のマクベス夫人」(2008年5月9日のブログ)を見た時の印象に似ていました。「マクベス夫人」では、金持ちの奥様が浮気をし、さらに義父と主人を殺し、浮気相手とシベリア流しになりながら、最後は自殺する。時代を表現しながらも、逆説的に人間が生きることを肯定的にとらえたもののように感じました。
愛護の若も悲劇ではありますが、最後は彼の負った苦しみを周りに理解されたことが救いです。
横浜ボートシアターでは1年半以上前に、この公演を企画し、船で練習を積み重ねてきています。時々公開された練習に参加してきました。当初は朗読だけで練習していましたが、人形がはいり、面がはいり、舞台美術が入っていきました。当初は継母の息子いじめの物語かと思いましたが、次第に若い継母の愛護の若への狂った恋の物語に変化して行ったように思います。とにかく同じことを何度も何度も繰り返すことで見えることがあるものだと感じました。
また何度も何度も練習できる船劇場という場が創造の場として非常に重要だということも感じました。
今回、船劇場とシアターχの両方で見られたことで両者の違いもある程度明らかになりました。シアターχは、声ははっきりと通り、照明も人が浮かび上がるようになっていました。
したがって古い言葉のままの分かりにくい台詞の多い前半は、声も明瞭で、照明で人形も俳優も良く見えたために、シアターχの方が見やすかったのですが、後半の人生がガタガタと崩れて行く時の変化の表現は船劇場がすぐれていました。船劇場では、愛護の若が滝壺に落ちて、波に巻き込まれて、一瞬で客席の下に消えていく、また愛護の若を抱いて、大蛇が滝壺から現れ、舞台の下に一瞬に消えていけることも、緊張感をみなぎらせた表現ができていました。
シアターχは見やすく聴きやすい劇場ではありますが、しかし船劇場は一体感のある芝居小屋であると感じました。