著書名:邪馬台国と地域王国
著者:門脇禎二、奈良女子大学教授などを歴任、2007年没
出版社:吉川弘文館 2026年5月1日第一版発行
品田知章著 「倭という種族」という本を今年の4月にブログに紹介したが、中部電力という会社にいて、歴史学の専門家ではない。そこであらためて歴史学の専門家の話を読みたく思った。
邪馬台国と地域王国の最後のあとがきのところで、副著者 狩野 久、佐藤宗諄が、Ⅰの邪馬台国論は新稿で、Ⅱ、およびⅢは筆者がここ5年ほどの間に発表されたものを編成したとのこと。著者の門脇禎二は出版間際で亡くなったとのこと。このⅠ編の原稿は、2005年に出版社に渡したものだそうだ。
本書、「邪馬台国と地域王国」という本は、「倭という種族」と同じ邪馬台国は九州説をとっている。また本書の原本は2008年に発行されているが、その後著者が発表したものを追加構成していたが、最終的に完成せずになくなったために、狩野 久と佐藤宗諄が最後にまとめたものだそうだ。
Ⅰの邪馬台国論については、多くの考古学者が主張するヤマト中心の政治体制を説く所論は、古墳文化のもつ民族・民俗文化形成の意義を見落とし過ぎだ。門脇氏は各地方の地方王国を調べて、魏志倭人伝 以外に東夷伝には、魏使は伊都国までは行くが、あとは伝聞で書かれている。当時の日本人の表現の仕方は、「里数を知らず、、ただ測る日をもってす。」とあり、倭人伝では、魏の使いは伊都国には着いたが、女王国の都する邪馬台国は、水行10日、陸行1月とある。しかしp.88には太宰府天満宮が持っているの中に引用された広志には、伊都国のすぐ南に邪馬台国があると書かれている。門脇氏は魏志倭人伝のことをまともに受け取る必要はないとした。ただ最後には、八世紀初期の律令による統一国家体制ができる前段階の5世紀末から7世紀、各地がぎくしゃくしている段階では、各地域の独自の歴史展開を再構成した方がよい。こういう観点からは、邪馬台国近畿・大和説は間違いではないかと考えている。筆者は文献資料を基に調べる文化史学者のために、非常に様々な観点から調査をしているようだ。
第二章のはじめにのところで、邪馬台国問題は、学徒兵として送られた中国戦線から何とか生還し復学を果たし、卒業して研究生活に研究生活に入った1949年(昭和24年)当時、既に古代史の中の重要論点の一つであった、と書かれていた。以下の私のブログでも紹介していたが、芥川 也寸志 生誕100年 誘う童心 目指した「みんなの音楽」、これは童謡、さらにテトラコルドの続き (http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/08/100.html)で、服部幸雄は1932年生まれ、小泉文夫は1927年生まれ、芥川也寸志は1925年生まれで、著者門脇禎二は、ほぼ同時代の活動年代である。明治維新および第二次世界大戦の敗戦後の日本の音楽や演劇の動き、さらに戦争時代の学問に反発して正常化しようとする動きかもしれない。ちなみに先日読んだ「倭という種族」を書いた品田知章は1936年生まれ、この門脇禎二より11歳若い。
本書の最後の方、p.266に、日本の最初の寺院である飛鳥寺を造った匠のリストがある。
飛鳥寺は天皇元年(588)に造られ始めたが、まず百済が仏舎利を献上、僧を送った後、日本に寺工を送ったようだ。そのリストもある。筆者は全て百済の技術者だと思っていたが、作家の松本清張が、飛鳥文化にはゾロアスター教が入っていると指摘。再度調べたら匠のリストには、ペルシャ語で、人の名前でなく、職業を指していると。日本最初の本格的文化である飛鳥文化の国際性は、シルクロードを通って隋・唐や百済を通してきたペルシャ文化の影響もすごくある。
我がブログの建築音響の交流の歴史 その19 シルクロードを通ってきた音楽・楽器・演劇でもシルクロードのことを示している。http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/05/19.html
この邪馬台国の歴史を見ていると、この本の著者は、文献の歴史を見ながら様々な角度から判断し評価する方法を取っているようだ。しかもその文献を書いた人たちの立場も異なって、考え方にも相違が出てくるので、そのことまで評価の対象としているようだ。また遺跡を発掘しながら歴史を評価する方法を取っている人もいる。さらに本当の歴史は様々な角度から見たもので評価すべきだとも感じられた。