日本の芝居小屋いくつかの音響測定時に、計測した舞台間口、開口高さ等の実測値を表に示す。また旧歌舞伎座の実測した舞台間口も示した。この表では、芝居小屋の舞台間口は、呉羽座が一番小さく9.89m、一番大きいのは嘉穂劇場で16.5mである。歌舞伎座は27.5mであるので、意味は違うとおもわれるが大歌舞伎といわれるゆえんだ!
表 舞台間口、高さ等
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舞台開口間口
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舞台開口高さ
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舞台奥行
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鳳凰座
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舞台間口13.81m
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軒高3.78
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奥行8.13m
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八千代座
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舞台間口13.23m、
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高さ4.26m
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舞台奥行10.21m
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嘉穂劇場
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舞台間口16.50m
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高さ5.85m
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奥行17.37m
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金丸座
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舞台間口14.44m
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簀の子まで6.11m
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舞台奥行8.96m
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村國座
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舞台開口10.59m
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桟敷席まで5.63m
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奥行9.998m
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康楽館
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舞台間口10.63+αm
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舞台奥行12.7m
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ながめ余興場
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舞台間口12.74m
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舞台奥行9.1m
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呉服座
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舞台間口9.89m
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簀の子まで5.33m
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舞台奥行16.43m
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相生座
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舞台間口12.58m
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舞台高さ3.6m
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舞台奥行 8.04m
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旧広瀬座
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舞台間口11.56m
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舞台高さ5.14m
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舞台奥行7.28m
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歌舞伎座
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舞台間口27.5m
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旧共楽館※
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舞台間口は12.1m
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※共楽館のホームページより
たとえばギリシャ劇場の舞台間口と比較する。たとえばヘロディス・アッティコス劇場の観光案内の写真から推測すると、観客席の間隔を0.9mとすると約21.7m、1mとすると約24.1mとなる。観光案内には、『ローマ時代に入った後の紀元後161年に建造されたこの劇場は、ローマ式の音響が非常に優れた構造で、現在でもアテネフェスティバル芸術祭の主会場として活躍しています。』
清水裕之著 劇場の構図のp.17には、『ギリシャ・ローマ劇場をはじめとして、能舞台や歌舞伎劇場のように完成度が高い、固有の劇場という型を持つ空間の考察では、観る側と演じる側は、明らかに異質な存在として扱うことを前提とされてきた。、、、この傾向はプロセニアムステージ形式の劇場が発達し、技術的に舞台を客席から切り離して論じることができるようになったことで、益々強められた。、、、、、、舞台と観客は、さまざまなかかわりにより互いに影響を及ぼしあうもので、決して一方だけで完結した空間ではありえない。』 この本では劇場の視軸がテーマになっている。私はプロセニアムステージによる舞台は、プロセニアムの額縁と舞台と客席に間の段差が大きいことから、舞台と観客が分断されていることは感じることがあるが、歌舞伎の芝居小屋や能舞台からそのようなことを感じることは少ない。ギリシャ劇場は公演を見たことがないのでわからないが、ギリシャ悲劇を主の公演とすると、日本の神楽のような話とかなり近く、観客と舞台は一体化していて、プロセニアム型の劇場とは大きく異なるような気がする。観客は舞台に向かって集中してるが、観客同士も見合うことができる。能舞台も芝居小屋もそうだ。特に芝居小屋は、花道、仮花道やそれらを横に結ぶ通路や桟敷席などが観客と一体化させる要素になっている。
ヘロディス・アッティコス劇場(撮影:ユーラシア旅行社)
日本建築学会編 建築設計資料集成2の劇場の舞台の項目(p.185)で、プロセニアム比較図というのがあった。この図に八千代座と金丸座とギリシャのヘロディアス・アッティコス劇場のプロセニアムの大きさを比較した(図示)。
八千代座(舞台開口の高さ4.26m)や金丸座(舞台の簀の子まで6.11m)は、ウイーンオペラハウスの舞台の高さは12mと大きく違うが、八千代座、金丸座は13~14mで、ウイーンオペラは14mと舞台間口に近く、ヘロディアス・アッティコ劇場の円形の舞台は約22mとすると、リンカーンセンターのオペラハウスの舞台間口の近くに存在していた。旧歌舞伎座は舞台間口が27mもあるため、この図では最も大きい舞台となっている。ギリシャ劇場のほぼ円形の舞台とほぼ半円形の客席は舞台の間口は20m強なので、まあまあの大きさだが、客席の収容人員は1万人ほどいて、この形態は現代のポップスのコンサートで1万人ぐらい観客を集める装置として客席が舞台にいずれも近く、好ましい形だ。ただしその場合でも電気音響は必要と思われる
音響的にも、芝居小屋の残響時間は1秒以下で、音声と音楽が適度に好ましい響きとなっている。壁は障子や土壁でできていて、適度に吸音や反射が出来ている。初代歌舞伎座は明治22年(1889)に、洋風の外観、内部は日本風でつくられた。芝居小屋の伝統から来たものではなかった。芝居小屋は同時期には、相当な数で作られていたが、現在は、文化財として残っているだけで、現在ある多目的劇場には伝承していない。最も伝承しているのは、平成中村座かもしれない。この劇場は中村勘三郎が、多分赤テントや黒テントに刺激されて、移動できるテントで芝居小屋の形のものを2000年に作ったようだ。浅草に仮設芝居小屋として設営されたが、その後、最近は姫路などでも公演したらしく、NHKEテレで放映されていた。最後に舞台後部のテントをあけると姫路城がくっきりと背景になっているのは、以前、相当前に赤テントが新宿で公演したときに、最期に幕を上げるとブルドーザーのシャベルの部分に人が載って、超高層を背景にその時の状況を表して、くるくる回っていることを思い出した。この平成中村座は、観客席にもその周辺に桟敷席があり、舞台の上手・下手にも2階部分が桟敷席になっていて、プロセニアム型の1方向の視軸とは大きく異なる。
この視軸の観点からは、芝居小屋に似た形式の劇場、すなわち舞台と平土間の立ち見の客席とその周辺に3層の桟敷席がある劇場がある。ロンドンにある現代再生されたシェークスピアのグローブ座(木造)やスペイン アンダルシアにある世界最古(1628)の木造のアルマグロの劇場(Corral de comedias de
Almagro)は芝居小屋と似た形状となっている。
引用:只木良也 森林雑学研究室ブログ2020.01 イギリス訪問記かららグローブ座の写真
http://shinrinzatsugaku.web.fc2.com/150zatsugakulogo.jpg
写真引用:YABブログ:スペイン アルマグロの劇場
http://yab-onkyo.blogspot.com/2018/11/almagro.html
これらの劇場は、現在は演劇などに使われているようだ。日本の芝居小屋は、現在は歌舞伎や人形浄瑠璃などに使われているが、現在の多目的劇場でも、私が関係した横浜の横浜市の杉田劇場は、舞台の近くには上手下手側に桟敷席を設け、花道もせりあがって設置できるようになっている。今後、多目的ホールもプロセニアム劇場ではない形も検討すべきだと思う。
また川越市にあった芝居小屋の鶴川座は、老朽化が激しく、再建運動も盛んだったが、結局、インバウンド用の旅館に変わってしまった。川越市は伝統絵的建造物保存地区として認定され、歴史的な建物の保存で成功しているところだったのに残念だ。
今から考えると、オペラハウスの最終の形は、バイロイト祝祭劇場のような気がする。平土間席を囲む桟敷席はなくなり、オーケストラピットは舞台の下に、半地下に埋まり、音もこもった感じになって、観客にはオーケストラは見えず、プロセニアムのなかの舞台に1方向で集中するような形になっている。しかしこの形はバイロイトだけに価値があるが、多分この形を日本の多目的ホールが踏襲するような形になっているような気がする。さらに清水裕之の「劇場の構図」ではその関係を批判的に書いているような気がする。
ギリシャ劇場の場合には、すり鉢状の客席床や舞台背後の建物、スケーネなどによって、初期反射音が得られているので、多分残響は大きくはないが、声や歌や楽器などの演奏などに好まし響きとなっている。Beranekの著、「Music, Acoustics &
Architecture」『音楽と音響と建築』の本のp.11のギリシャの劇場の項で、「最期に、ギリシャ劇場は、その時代や場所とその目的のみのために大成功であった。今日の音楽の演奏項目、特に19世紀に作曲された音楽の演奏に対してはすぐれているということは、音楽についての神話の一つとされている。」 この言葉は、以下のブログに示している。
http://yab-onkyo.blogspot.com/2024/09/7.html
これはサントリーホールのような残響2秒の響きのあるホールを指している。
ギリシャ劇場の公演内容については、以下のCommedia 音楽と建築、そのデザイン2011年4月17日日曜日 ギリシャ・ローマの古代劇場という加藤宏之氏のブログにあった。
https://sadohara.blogspot.com/2011/04/blog-post_17.html そこから引用させていただいた。
『(聖地に建つ劇場) ギリシャ悲劇はディオニュソスの祭礼が始まり、そのための劇場は神と合一の祝祭空間から始まった。ギリシャ劇場は満天の空の下、オルケストラという演技の場を、神である自然と、観客である人間が半円ずつを正円として囲むことで、デザインされる。、、、アテネのディオニュソス劇場、デルフィーのアポロン劇場、アッティカのエピダウロス劇場、ギリシャでは劇場のあるところはどこも聖地だ。』
『(ディオニュソス劇場) 豊壤の神ディオニュソスの大祭では悲劇の上演がメインイベントとなっている。、、、競演は十人の審判員によって審査され、瓶の中に投じられた十票から任意の五票が抜き出され、順位が決定された。判定そのものは偶然性によるのだから、審査そのものもゲームを楽しむお遊びのような雰囲気。しかし、選ばれた作品の数々、そのリストは現在でも残されていて、アイスキュロス、ソポクレース、エウリピデス、アリストパーネスの幾多の作品が記録されている。野外劇場は朝はやくから詰めかけた二万人近い観衆で一杯。普段はあまり外に出ない若い女性たちにとって、劇場は公に男性たちと同席できる格好の機会。隣邦からの外交使節や観光客はもちろん、子供たちや奴隷たちまで、アテネ中の人々は葡萄酒や無花果、オリーブの実をかじりながら、春の陽や風と共に演技の進行を楽しんだ。、、ディオニュソス劇場は紀元前六世紀 アゴラ(広場)でのお祭りをアクロポリスの中腹に移したのが始まりと考えられている。』 『(エピダウロス劇場)、、紀元前四世紀の建設とされるこの劇場、、、彼はアスクレピオスの神殿の直ぐ脇に円形の建築トロス(円形建築)を作った。、、、、、その建築の直径はほぼ20m、エピダウロス劇場のオルケストラの直径と全く同じだ。』
『(オルケストラとスケーネ)、、、ギリシャ劇場ではオルケストラこそ見られることの中心、しかし、ここは平坦ではあるが舞台ではない。オルケストラの周囲は白い石灰岩、円形の中央の小石は祭壇の位置を示している。劇場は古代の宗教建築の一つ、アテネのディオニュソス劇場ではオルケストラに神体が置かれていた。ディオニュソス祭は農耕における豊穣の祝祭がその発端。祝祭では仮に旋律はなくとも、農作業で必要となる歩調を合わすかけ声、ある種の唱和は日常的であったに違いない。従って祝祭から演劇が形成される過程では単純なリズムを持つ斉唱的歌曲が中心となったと考えられている。こうした中、ギリシャ劇では合唱隊が組織され、祝祭の場であるオルケストラは音響効果がもっとも重視されていたとことが理解できる。』
小谷喬之助著 「現代の劇空間」のp.5に『現在残っている、アテネ、アクロポリスのディオニソス劇場、エピダロウス劇場は、紀元前4世紀後半に建てられたものといわれている。すなわち、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人や、アリストパーネスなどの作品を次々に上演されていた時代は、今に残る石造の劇場ではなく、粗末な木造の劇場であったのである。』 昭和50年1月発行とある。1975年のことである。小谷喬乃介氏の本の内容と加藤宏之氏のブログの内容と大きく異なる。加藤宏之氏のブログでは、ディオニソス劇場は紀元前6世紀、エピダブロス劇場は紀元前四世紀の建設とあるが、小谷喬乃介氏の本では、ギリシャ悲劇の作者が生きていた時代とディオニソス劇場やエピダブロス劇場が建てられた時とは時代が違っているというのが根拠である。
ユーラシア旅行会社のHPでも、『古代演劇の中心であったアテナイ(アテネ)。アクロポリスの丘の南側には紀元前6世紀頃に建造された最も古い古代劇場の一つ、ディオニソス劇場が佇んでいます。残念ながら保存状態はあまり良くなく、その西側にあるヘロディス・アッティコス劇場の方が目に留まるでしょう。』とあり、ディオニソス劇場は紀元前6世紀ころと書かれている。
Beranekは本の中で、『ギリシャ劇場は、その時代や場所とその目的のみのために大成功であった。』 この目的のために大成功とは、『豊壤の神ディオニュソスの大祭では悲劇の上演がメインイベントとなっている。』 この歌や踊りや演技をほぼ半円形の1万とか2万の客席から生音できいたりすることができることが、Beranekの言いたいことのようだ。
ただ先日(2024.10.6)、ドイツのワルトビューネコンサート「Wald(ヴァルト=森)+Bühne(ビューネ=舞台)」というベルリンフィルをキリル・ペテレンコが指揮するコンサートがNHKEテレのクラシック音楽館という番組で、放映された。ワルトビューネはギリシャ劇場の形状をしていて、半円形の客席に2万人が入っていた。オーケストラ(半円の平らな部分)には各自シートを敷いてその上に座って聞いていた。舞台は観客席最前列から2mほど高くなっていて、下部にはスピーカがたくさん並んでいた。大きなスクリーンも上手下手にあった。曲目はムソルグスキーの禿山の一夜やプロコフィエフのピアノ協奏曲1番、ラベルのボレロなどで、アンコールはベルリンの風というので、その時には観客は拍手をしながら立ち上がって、聞いていた。最近の軽音楽のコンサートのようだ。これは電気音響を併用する形ではあるが、Beranekの意見とは大きく違っている。ただここでのピアノの音は、マイクを通した音ではあるが、ホールで録音した音と違い、ちょっとかたい音になっていた。
写真:ドイツ旅行会社 GERMAN EXPRESSのホームページから引用
しかも来年(2025)の夏には、このベルリンフィルのコンサートは河口湖ステラシアターで公演すると宣伝されていた。
このことはギリシャ劇場がBeranekのいう話から大きく展開していることがわかる。もちろんベルリンフィルなのでクラシックコンサートである。先日のNHKEテレのクラッシク音楽館でも、ウイーンフィルがシェーンブルン宮殿で、夏の宮殿との間の庭園で、野外コンサートをしていた。これも観客は1万人とか2万人がいて、もちろんスピーカによる拡声を行っていた。
このギリシャ劇場よりかなり規模は小さいが山口県長門市の赤崎神社楽桟敷を調べたら、読売新聞オンラインで、楽桟敷で雅楽の演奏会(2024.10.16)を計画しているというニュースがあった。ここで今後コンサートやファッションショーなどに利用するきっかけにしたいとのこと。ここで言っている内容に合致する話だと思う。
写真:楽桟敷(読売新聞オンライン)
先日のウクライナ支援のコンサート(http://yab-onkyo.blogspot.com/2024/10/2024-vol5.html)で、最期の曲「ヘイ・ハヤブサよ!」を観客は手を横に振って、曲に合わせていたが、まるでポップスのコンサートの様だった。これも演奏者と観客の相互の交流のかたちだ。劇場は、演技者と観客または観客同士の交流があり、演技者と観客が一体となることが劇場に求められる姿のような気がする。
2024.10.23 一時 雨が降ったので、センター南駅前のすきっぷ広場は濡れていて人が座っていなかった。普段は多くの人が座っている。ただここで最近では里山まつりが計画されていると掲示板に出ていた。この楽桟敷を書いた後に、そういえば家の近くにもこのような広場があることに気が付いた。身近な存在だった。この隣には都築公会堂があり、クラッシクコンサートが計画されているともあった。
写真:センター南駅前のすきっぷ広場(雨上がり)
写真:11/5(火)センター北駅の前にも同じような形態の場所があった。