かつて私が住んでいた久が原の家は、両親と私と弟がいましたが、私が結婚してその家を出た後、わが両親はどなたか私の部屋にかわりに住んでくれる人を探した様です。多分私が卒業した東京工業大学の教務課に連絡をしたらタイの留学生を紹介してくれたようです。バンディットさんといいますが、下宿をしてくれたようです。その後、今は奥さんになっているスラッピーさんやティーラウットさんやウライワンさんなど何人ものタイの留学生が我が家の居間に集まるようになってきました。ウライワンさんとティーラウットさんも現在は夫婦で、現在でもお付き合いがあります。何回かはタイに行って、彼らの家や親せきの人たちとお付き合いをしています。かれらも日本に来て、一緒に食事をしたりしています。私の両親はすでになくなってしまいましたが、息子夫婦はタイで仕事をしながら、さらにバンコクで結婚式を挙げています。タイの参加者の一人からいただいた陶器の置物です。とてもかわいいものです(写真)。世代を超えて付き合いが継続しています。実は最近、現在住んでいる我が家の倉庫に、バンディットさんが書いた色紙(写真)がありました。これは私の両親が現在住んでいたあざみ野の家の居間にも飾っていたものでしたが、亡くなってからは、倉庫にしまわれていたものです。この色紙の写真を先日バンディットさんにメールで送ってみましたが、その日に返事がきました。『懐かしい自分の書いた文書(タイ語の方も含めて)を読みますとやはりその通りで一生の思い出に残ります。 今でも時々懐かしく思い出しています。この色紙を書いたのは帰国前の1978年3月頃でしたので、もう46年も経ったのによく保存されています。』と、きれいな日本語で書かれていました。
現在はこの色紙は私の書斎の机の脇の壁に貼ってあります。バンディットさんは、現在は退職していますが、それまではタイ日工業大学の学長をしていました。専門はアンテナですが、多分携帯用のアンテナではないかと思います。タイは日本よりはやくに携帯が浸透しています。スラッピーさんは数年前、歌謡曲風のデュエットの唄をCD(写真)にして送られてきました。ティーラウットさんは国立がんセンターの外科医で、ウライワンさんは外務省の職員で、大阪の総領事館に勤務していたこともあります。
この色紙を時々みるとバンディットさんや私の若い頃を思い出して、元気をもらっています。