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2024/09/30

第50回江東オペラ公演、ガラコンサート

 日時:2024928日(土)1400より17時ぐらいまで。

場所:江東区文化センター 東陽町駅より歩く。地下鉄の出口は周辺より1m」ぐらい高くなっており、文化センターは、周辺より階段やスロープで、2度ほど上がる必要がある。これは洪水対策と思われる。観客席は511席とあるが、舞台に面している観客席はオーケストラ用になっており、おおよそ40名の演奏者がいた。観客席は平土間だけであったが、満席であった。

出演は、ガラコンサートの演奏は江東オペラ管弦楽団、合唱は江東オペラ合唱団、指揮は諸遊 耕史、歌のメインは歴代のソリストによる。

プログラムは、パンフレットによるが、とにかく愛、生、死などを激しく、強調して描いたものなので、聞いていて、感じるところが大きかった。

オペラの場合には舞台は幕設備が多いが、今回は演劇的なことがないことから、音響反射板で囲っていた。したがって声は良く響いていた。オーケストラも客席空間の一部なので、よく響いていた。多分バイロイトのようにオーケストラボックスが舞台の下に半分うずまっている場合には直接音が遮られて、拡散音だけになって、音量が抑えられるような気がするが、ただワーグナーの音楽は神秘的な幻想的なところがあるので、それでちょうどそれで良いのかもしれないが、愛とか生とか死などドラマティックな演技の場合には、力強くはっきり聞こえた方がよさそうだ。歌とオーケストラの音のバランスもちょうどよい気がした。

今回は響きについて書いたが、最近N響アワーで、西村朗 追悼番組があって、その中で2台のピアノと管弦楽のトリフォニーというのがあった。簡単に言えば響きあうような感じだが、番組でこの曲は雅楽の曲から来たと言っていた。多分、これは音の用語でいえば唸りであるが、その現象を、2台を同時に早く叩くことでその現象をえているようだ。実際平均律で調整されているピアノは高い音で唸りが聞こえる。わざわざその表現をしている作曲家の音も聞いたことがある。




      写真:フィナーレが終了すると幕が下りてしまったので、音響反射板は撮れなかった。



2024/09/21

バンディットさんの46年前の色紙

 かつて私が住んでいた久が原の家は、両親と私と弟がいましたが、私が結婚してその家を出た後、わが両親はどなたか私の部屋にかわりに住んでくれる人を探した様です。多分私が卒業した東京工業大学の教務課に連絡をしたらタイの留学生を紹介してくれたようです。バンディットさんといいますが、下宿をしてくれたようです。その後、今は奥さんになっているスラッピーさんやティーラウットさんやウライワンさんなど何人ものタイの留学生が我が家の居間に集まるようになってきました。ウライワンさんとティーラウットさんも現在は夫婦で、現在でもお付き合いがあります。何回かはタイに行って、彼らの家や親せきの人たちとお付き合いをしています。かれらも日本に来て、一緒に食事をしたりしています。私の両親はすでになくなってしまいましたが、息子夫婦はタイで仕事をしながら、さらにバンコクで結婚式を挙げています。タイの参加者の一人からいただいた陶器の置物です。とてもかわいいものです(写真)。世代を超えて付き合いが継続しています。実は最近、現在住んでいる我が家の倉庫に、バンディットさんが書いた色紙(写真)がありました。これは私の両親が現在住んでいたあざみ野の家の居間にも飾っていたものでしたが、亡くなってからは、倉庫にしまわれていたものです。この色紙の写真を先日バンディットさんにメールで送ってみましたが、その日に返事がきました。『懐かしい自分の書いた文書(タイ語の方も含めて)を読みますとやはりその通りで一生の思い出に残ります。 今でも時々懐かしく思い出しています。この色紙を書いたのは帰国前の1978年3月頃でしたので、もう46年も経ったのによく保存されています。と、きれいな日本語で書かれていました。

現在はこの色紙は私の書斎の机の脇の壁に貼ってあります。バンディットさんは、現在は退職していますが、それまではタイ日工業大学の学長をしていました。専門はアンテナですが、多分携帯用のアンテナではないかと思います。タイは日本よりはやくに携帯が浸透しています。スラッピーさんは数年前、歌謡曲風のデュエットの唄をCD(写真)にして送られてきました。ティーラウットさんは国立がんセンターの外科医で、ウライワンさんは外務省の職員で、大阪の総領事館に勤務していたこともあります。

この色紙を時々みるとバンディットさんや私の若い頃を思い出して、元気をもらっています。







2024/09/20

建築音響の交流の歴史 その8

コンサート専用ホールないし演劇専用劇場という言葉がはやったことがある。ザ・シンフォニーホールが出来た(1982)ころである。建築音響の交流の歴史その7ではBeranekCremerの音響設計によるクラシック音楽用のホールについて書いたが、1970年当時は演劇には向かないが、クラシック音楽用の残響が2秒ほどのホールが必要とされていた。今はクラシック用の残響の長いホールがサントリーホールやミューザ川崎、紀尾井ホールなど、いくつもできている。しかし今はクラシック音楽以外にも様々な音楽がある。歌舞伎や人形浄瑠璃、組踊、雅楽、オペラなど音楽と演劇が重なっている。さらに例えば横浜ボートシアターが演じる演劇にはガムランに使う楽器などを演技と共に音楽を演劇に沿って奏でていく。これを聴いているだけでも大方の筋がわかる。また演じるものと演奏するものが同一で、立ち代わり入れ替わり演じたり演奏をしたりする。このような演技をする人と音楽を演奏する人が同一というのは珍しい形態であるが、演技と音楽があるのはオペラや組踊、人形浄瑠璃と似た感じである。演じる場所は横浜ボートシアターの場合には、鋼鉄製の艀を劇場に改装した横浜船劇場がメインである。さらにここだけではない。最近はお寺の本堂でも公演をしている。このことは公共の劇場設計を扱う技術者としては悩ましいところである。しかし現実に実在する様々な施設で公演ができるということは、演劇が現実に近くに存在することを感じるようになる。今この船劇場を特定の施設ではなく、公海に係留して誰でもが来れるようにする運動をしているが、これも劇場としての施設と艀という空間の境目のような空間が出来て、新たな現実の空間ができるような気がする。

横浜船劇場は、200810月に屋根を70㎝持ち上げ、40mmの断熱材を敷き、その上に防水シートを敷く工事を行った。その翌年、神奈川大学と共に音響調査を行った。側壁の矢板型鋼板には多分吸音のために幕が張られていた。




残響時間測定結果を表に示したが、500Hz以下の残響時間が長く、それ以上の周波数では短くなっている。 この傾向は、座席に敷いた座布団と側壁にある幕による吸音のためと思われる。壁の幕については、演劇の公演の場合には、あるほうが、明瞭度のためには好ましいが、室内楽などの場合には、幕は無いほうが、残響時間周波数特性が平坦になり、残響もより感じられるようになると思われる。ただし63Hzは近くを走る道路騒音の影響で、計測できなかった。

 表 残響時間測定結果

 

63Hz

125Hz

250Hz

500Hz

1Hz

2Hz

横浜船劇場

0.81

0.87

0.77

0.61

0.59

 

この横浜ボートシアターの演劇は、音楽が伴っている。いつ頃になるのかわからないが、インドネシアのガムランに近い音楽を、主にガムランに用いる楽器を用いて演奏している。以前はガムランに近いテンポであったような気がするが、現在(2024)の「小栗判官照手姫」の音楽は、楽器はかなりそのままだが、テンポはJAZZのような速さで、しかも大きな力強い音で、さらに演技者と演奏者が入れ替わり立ち代わり演奏する。この音楽を聴いているだけでも大方の筋が理解できる。したがって音楽にも演劇にも好ましい音響状態がいいことになる。そのためかわからないが、鋼鉄の側壁にあった幕は、今は撤去されている。幕の後ろ側は矢板のように凹凸があり、フラッターエコーなどが起こりにくく、側方反射音もある程度拡散するので好ましい状態となっている。


このグラフは、旧歌舞伎座や杉田劇場などの現在の劇場とさまざまな芝居小屋と船劇場の残響時間と容積をグラフにしたものである。杉田劇場を別にすると、講堂に好ましい残響時間にほぼまとめることができる。船劇場(約室容積6003)は、幕が撤去されたことにより、現在このデータより、会議室やオペラハウスの曲線に近いところにあると思われる。

また能・狂言や人形浄瑠璃、組踊やJAZZやトルコのサズ(近じか公演がある)なども好ましいかもしれない。

このような空間で、残響のより長い空間を得るためには、この形状で屋根をできる限り持ち上げて室容積を大きくすることが必要となる。たとえば10m以上、現在の倍以上にすれば艀の空間をクラシック音楽にもより好ましい空間にすることができると思われる。

もうひとつ一見すると音楽にこのましくない空間を紹介する。富岡製糸場の西置繭所の多目的ホールである。大きさは約9.3m×26.7 m×CH2.65 m、矩形で、室容積658で、しかも壁・天井はガラスとなる。ホールの壁・天井をガラスとする理由は、建物本体のレンガ壁の表面、天井の漆喰などをガラスのホール内から見学できるようにするためである。さらに鉄骨フレームとガラスの強度で耐震補強も行っている。この多目的ホールはガラスのホールともいわれている。ただし一辺の壁は人の出入り口、空気の取入れ入口、ならびに音を上方向、天井方向に反射させるガラリが内側にあり、長軸方向でフラッターエコーとならないように音を拡散させている。新鮮空気は床下空間を給気ダクトと考え、ところどころでガラリを設け給気している。

天井はガラス、床はフローリングでほぼ音の反射材で来ているため、人が入っていない場合には、当然残響が過多である。ただし講演会も演奏会も人が在籍することが前提である。人が吸音材の役目もしている。これはガラスの天井が2.65m程度しかなく、吸音材としての人の効果が大きいことから実現できた。竣工時に音響実験を行った。ポリエステル繊維吸音板(商品名:シンセファイバ1m×1mのものを10枚および20枚で残響時間の測定を行い、グラフに示す。シンセファイバー10枚(10m2)で42名、20枚で84名在席に相当する。2023108日の講演・コンサートの時には100名ぐらい、ほぼ満席であった。


                      図 富岡製糸場西置繭所の竣工時の残響時間測定結果

 

2023年10月に富岡製糸場行啓150周年記念イベントとして、塚原康子さん(東京芸術大学)の講演と下山静香さんによるピアノのコンサートがあった。竣工時のデータから推測すると、ピアノコンサートの時には、人間の吸音力でほぼ満足できるものだった。ピアノコンサート時にはスピーカは用いていない。ただし講演時には、スピーカを部屋の両端に設置した為に、それぞれから出る音が聞く位置によって大きくずれ、明瞭度を阻害するレベルとなっているようであった。したがって、スピーカはなるべく中央位置に(エコーにならないためには最長でも演者から8.5mづつ離して)設置して明瞭度を上げるとともに、ハウリングを生じないような位置にした方法が好ましい。

 富岡製糸場は、日本初の生糸の機械製糸工場で、1872(明治5)に設立された。これにさきだってフランスのポール・ブリュナが官営製糸場建設のために、明治政府に雇用され、富岡製糸場開業後は1876年まで総責任者として活動をした。上記の講演・コンサートは明治6年(1873に行われた皇后・皇太后の行啓の意図および二人のピアノ演奏や音楽のかかわり方などブリュナ夫婦を通して行われたことなどを話された。したがってこのガラスのホールでの講演会・ピアノコンサートを、この富岡製糸場で行われたことは適切な催物であった。

 このガラスのホールはクラシック音楽にとっては、ちょうどよい響きであるが、講演などや、または三味線・尺八などのような場合には、適度にロールスクリーンを用いることがよさそうである。

 

2024/09/13

建築音響の交流の歴史 その7

 建築音響の交流の歴史 その5では、ヘルムホルツ、レーリー、セイビンと20世紀を切り開いた音響技術者を書いたが、今回、その7では20世紀を展開した二人の音響技術者を書く。一人目はBeranekで、ニューヨークフィルハーモニックホール(1962年昭和37年開設)の音響設計者、もう一人はCremerで、ベルリンフィルハーモニー(1963年昭和38年開設)の音響設計者である。両ホールともほぼ同時期に建設された。

Beranekがかかわったニューヨークフィルハーモニックホールは音楽・オペラ・演劇の6つのホールと音楽学院からなるリンカーンセンターの中にある。座席数2836席、設計当初2400席であったが、席数を増したため、ホールの幅を広げ、樽のような形となった。残響時間は2.1秒(満席)で、十分長いが、音響的に評判が悪かった。このホールが出来ると同時期に、Beranek による「Music, Acoustics & Architecture」『音楽と音響と建築』(19627月)翻訳は昭和47年第1刷発行)というホールの評価に関する本が出版された。


この本のp.11のギリシャの劇場の項で、「最期に、ギリシャ劇場は、その時代や場所とその目的のみのために大成功であった。今日の音楽の演奏項目、特に19世紀に作曲された音楽の演奏に対してはすぐれているということは、音楽についての神話の一つとされている。」 その後、クラシック音楽について、親密感や残響感や直接音の大きさなどの評価項目が設定されて、様々なホールを評価している。この本は評価が高く、私も当時、購入した。この本の「はじめに」にユージン・オルマンディが、「リンカーンセンター フィルハーモニック ホールの計画がいかに慎重に注意深く進められたかの記述である。」 またまえがき(19627月)では、著者レオ エル ベラネク(Beranek)が「音楽用ホールの内情についての私の探求は、オペラや交響楽の指揮者、演奏者、音楽評論家との数百回のインタビューや、約60のホールで音楽に耳を傾けたり、精密な音響測定や正確な建築の図面および写真の収集を行ったことである。」その第1章の音楽の音響で、ボストンのシンフォニーホールについて、「当時すべての人々は、音楽の音響“の基本法則が公式化されたと信じた。しかし残念ながら何かが間違っていた。以降のホールは、ボストンほどには成功せず、その理由がだれにもわからなかった。」多分ここでベラネクが本書を書く理由が出来たのだろう。

第三章の音響学と音楽の中の音の大きさ、騒音、ダイナミックレンジという項には聴衆要素とホールの音響効果の要素の相互関係を示した以下の図がp.43に載っている。音の豊かさ、澄明(ちょうめい)さ、が残響時間や反射音の大きさに対する直接音の大きさ(この大きさはLoudnessのこと)に関係しているなどが書かれている。



4章音楽の音響の質の主観的特性の章で、コンサートホールの音楽の質に関連した音響的属性について音楽家と音楽評論家の助けを借りて18の明確な、認識しえる属性とその対句の表を作成した。それを以下に示す。

これらの語句は、その後の音響研究者に音響の分析について刺激を与えた。それだけでなく、ニューヨークフィルハーモニックホールの音響的な評判がよくなく、さらに分析が必要になった。

「コンサートホールの科学」(2012628日発行) 日本音響学会 編 第二章 ホール音場の性質と心理評価、執筆担当の羽入敏樹によれば、「1960年代後半から、初期反射音の到来方向が徐々に注目されるようになった。M.R.Schroederらは、当時、音響的に評判の良くなかったニューヨークのフィルハーモニックホールにおいて、、、音響測定を実施、、1966年に、、、“初期反射音の到来方向がホール音響の品質に重要な要素と考えられる”との仮説を提示した。」 ほぼ同時期に、A.H.MarchalJ.E.Westがそれぞれ側方反射音の重要性を示唆し、天井反射音より側方反射音が客席に早く到来させることが重要だと述べた。

ホールの響きの印象評価要因という章の「受聴者による音場評価プロセスと音の要素感覚」という項で、1)時間的性質:残響感、リズム感、持続感、2)空間的性質:方向感、距離感、広がり感(見かけの音源の幅、音に包まれた感じ)など、3)質的性質:大きさ(音量感)、高さ、音色などを表記した。

これらの項目は、Beranekの音質の評価項目と、2012年の「コンサートホールの科学」による音質とは音の分析のレベルが大きく異なる。Beranekでは音の大きさ(Loudness,や残響音の大きさなどの項目があるが、コンサートホールの科学によれば空間的性質、たとえば拡がり感や見かけの音源の幅が注目されている。最近クラシック音楽のコンサートで、演奏が終わった後に指揮者が、演奏者の評価をする場面がある。クラリネットやホルンなどの演奏者に向かって、拍手したりするが、観客が、これらの演奏者の位置をしっかりと見分けることができるかである。サントリーホールやミューザ川崎のようにワインヤード型のホールは、観客から演奏者がわかりやすく分離して聞こえるが、どちらかというとシューボックスタイプのホールは楽団員の位置が見分けにくい。この音像の位置、見かけの大きさないし方向感も需要な音質と思われる。

また拡がり感や音に包まれた感じは側方反射音が重要な要素であるが、この傾向から横幅の広いNHKホールのクラシック音楽の評判が悪い時があった。NHKホールは1972年竣工、3500名収容のホールであるが、大きく扇型に拡がっており、観客席に対する壁による側方反射音の影響は小さい。しかし天井からの初期反射音が強く、クラシック音楽を聴きに行くと音がとても強く感じられる。Beranekの評価項目を思い出す。もう50年以上経ているが、いまだNHK交響楽団の本拠地となっている。

また第4期、現在より一歩前の歌舞伎座で、音響調査をする機会があった。収容人員は約2000席、横幅が広いが、客席で音響調査を直接音から約50msおくれて側壁から反射音が到達する。これも残響感ギリギリ、エコーになるギリギリの反射音であった。したがって歌舞伎座、独特の声の音となっている。

評価項目は、現在はBeranekの評価項目これから大きく進歩したようだ。ただ見かけの大きさや、広がり感等の物理的な目標値はまだないようである。

またこれらの評価項目はクラシック音楽に対してのものであるが、その他の音楽に対しては技術的にはこれからだ。クラシック音楽は音律がハーモニーを重視した純正律でできていた。今は平均律になっているがここでも考える余地はある。さらに例えば能・狂言については、現在ほぼ室内の能楽堂(観客席も屋根壁で覆われている形状)で行われていることが多い。この室内音響についても実際の能楽堂で聴いてみると、さらにこれから検討が必要な気がしている。

同時代のもう一人の音響技術者Cremerは初めてのワインヤード型ホールに携わった。客性数、2218席、 ブロック状に客席を配置し、その壁から側方反射音が生じるように設計している。客席の形状はステージ周辺に配置して、客席とステージの一体感を視覚音響的に実現した。

またCrenerはベルリン工科大学の所属であったが、当ブログで紹介したWienzierl 氏やCremens 氏もベルリン工科大学の所属だ。ハンス・シャロウンが設計した舞台を観客が取り囲む形はひょっとしてグロピウスのトータルシアター(1927)計画案に触発された可能性もある。

Sounding Space About the acoustics of the Philharmonie というフィルハーモニーホールの音響についての論文が以下のホームページに出ている。 

https://www.berliner-philharmoniker.de/en/about-us/philharmonie/acoustic/

当初のハンス・シャロウンの計画は、演奏者を全方向に開かれた空間、観客が取り囲む形で、クレマーは、最初に考えたのは演奏者が互いにお互いの音をいかにして聞き取れるかという問題であった。これは両側がまっすぐな壁で囲まれている方が実現しやすい。『フィルハーモニーホールでは、反射を特定の方法で段階的に調整する必要がありました。これらの反射は、ミュージシャンには部屋の反応として知覚されます。音が一方向だけに拡散するのを防ぐために、指揮台の後ろと両側の「ブドウ園のテラス」に反射面、突出したグラデーション、手すりが取り付けられました。クレマーはまた、ホールの天井が高すぎて音を反射して拡散できないため、オーケストラの上に反射板を取り付けるよう要求した。』 また舞台の後ろ側にある観客席用に反射面を用意したり、低音域を吸音する目的で天井にピラミッドの形を設けたりした。『新しいホールに耳を慣らすプロセスが始まると、多くの主観的要因が作用します。フィルハーモニーの場合も意見が変わり、音響は当初よりも後の段階で良くなったと一般的に感じられました。それでも、音響上のリスクは残ります。開会式で弦楽四重奏団の楽章が演奏されることが判明すると、関係者全員がすぐに懸念を表明し、これほど大きくて広いホールが室内楽の親密な響きと両立できるのか疑問に思いました。この問題について相談したところ、専門家は肩をすくめて答えました。わかりません。その四重奏の演奏は素晴らしかったと言われている。』

このようにして新しい形のコンサートホールが誕生した。今はワインヤード型と言っている。結果的には評判の良いホールになっていて、この形を採用して、日本にサントリーホールが誕生した。今まではウイーン学友協会ホールのようなシューボックス型が主流であったが、ベルリンフィルハーモニーホールの様な新しい形のホールが誕生したことは、音響技術だけでは生まれないかもしれない。設計者のこうしたいというイメージがあって、それに音響技術者が後をついて行っている感じである。ただコンサートホールについては、正確に言えばデザインは見た目より、音がよいかどうかなので、音が先にあって、建築デザインが後にということがあってもいいかもしれない。

2024/09/09

Beseeltes Ensemble Tokyo 特別演奏会 

日時:202497日(土)14001600

場所:横浜みなとみらいホール

曲名:海をテーマとした3曲、

クロード・ドビュッシー 『海』管弦楽のめの3つの交響的素描、

ジャック・イベール 交響組曲『寄港地』、

ニコライ・リムスキー=コルサコフ 交響組曲『シェヘラザ-ド』

演奏者はBeseeltes Ensemble Tokyoという名のアマチュア楽団、ベートーベンを愛する演奏家の集まりのようだ。元ヤマハにいらした花尾さんにこのコンサートを呼びかけられた。花尾さんとはもう長いお付き合いである。

公演のパンフレットの表紙は、葛飾北斎の富岳百景の神奈川沖浪裏をイメージして書かれたもののようで、いずれの曲も海をテーマとしているために、この絵を参考にして書かれたものだと思う。この絵には葛飾北斎にはある舟が描かれていない。海を強調しているのかもしれない。演奏された曲はいずれも迫力があり、力強く、音が大きかった。演奏者は多分100名以上で、みなとみらいホールの舞台一杯だった。