日時:2024年7月6日(土) 14時から17時まで、休憩15分あり、
場所:藤沢の遊行寺 本堂内、
同様の公演の「新版 小栗判官・照手姫」 遊行寺公演が2023年昨年の11月4日(土)14:00より、開催されており、弊社ブログでこのことを以下に載せている。
https://yab-onkyo.blogspot.com/2023/11/blog-post_29.html
この公演の評価が高かったせいか、再度公演を行ったようだ。しかし更にこの時よりもレベルアップしていた。小栗が、成人になって登場した時に吹いていた横笛(巴烏(バウ))が前回の時にはもう少し短い曲だったが、今回は長い間吹いていた。なかなか吹くのが難しそうな笛だけど無事に吹いていた。筋としてはこのほうが自然だ。文武とも優れて、照手姫と結婚しようとしたとき、照手姫の父が小栗を毒殺してしまい、照手姫も流され、遊女の下働きとして売られてしまった。ただ地獄の閻魔大王の計らいで、餓鬼阿弥となって甦ることができ、閻魔が「このものを熊野の湯に入れよ」と書きつけた札をぶら下げ、藤沢に置かれた。始め照手姫が暇を取ることが出来て、「えいさらえい」と声を出して5日間引き、皆を呼んで、多くの人がかわるがわる「えいさらえい」と引き、これが結構長い間続き、結局熊野の湯に入れることができ、小栗に復活できたという話だ。これらの動きは、この話の中心の話だが、この盛り上がり方が、ガムランなどで使う太鼓やドラムが舞台上手や下手の様々なところ(写真)でたくさんの奏者がかわるがわる演奏されていて、盛り上がりを育てている。ガムランは強いて言えば、淡々としたリズム音楽であるが、今回の演劇は、これらの楽器を用いて、JAZZのように強いリズムで、動きに合わせて演奏していた。能や狂言では音楽や仮面や演技があり、人形浄瑠璃は仮面ではなく人形ではあるが、これも音楽と演技が同時にある。しかし現代演劇ではこのような仮面や音楽や演劇が同時に存在することは相当難しい。しかしオペラもそうだが演奏者と演技者は別に存在している。演奏や仮面に応じて演技もかわるがわる演じるのは、相当な訓練が必要なのではないかと思う。しかしそのことによって物語の変化を大きくしている。たとえばいままで太鼓をたたいていた人が、突然復活した小栗になって、餓鬼阿弥の後ろから入れ替わって登場するなどのことができていた。また最後に人買いとその奥さんが大きなのこぎりで、「えいさらえい」と挽かれる「落ち」まで付いていた。そもそも小栗判官・照手姫は説教節として三味線と共に演じられてきていたものだ。また楽器の琵琶も平家物語などで琵琶と共に演じられてきたが、この音楽と語りの相乗効果もこの横浜ボートシアターの公演には感じられた。今後の新しい動きと感じる。また世の中には戦乱もあり、政情も不安定だ。この「えいさらえい、えいさらえい」が生きろ、生きろと聞こえてくる。いま必要な演劇と感じた。
実はこの公演は夏の暑い時で、しかも室内には冷房などはなかった。ここ藤沢は横浜より1~2度低いと思われたが、室内でも30度以上と思われ、客席の窓を開けているため、かなり風が入ってきていて何とかしのげている感じだった。ただ客席、普段は信徒の座るいすや、船劇場から持ってきた折り畳みの椅子などで、満席となり、300名近くは居たと感じた。この演劇は遊行寺本堂というところで行われた。一般の劇場ではないところも興味深いところだ。
遊行寺本堂で公演があった。
舞台のあいさつ時に私の座った位置から撮影した。主催者から許可が得られている。
舞台上手側の楽器群
舞台下手側の楽器群、ほぼ中央には横笛のバウが見える。