最初にこのレバーハンドルを見たのは、ホラインがデザインしたウイーンのハースハウスの建物の事務所の入り口のドアところです。ハンドルのつけねのところで折れ曲がっていて強い意志を感じるものでした。もう30年も前になります。15年ほど前になりますが、我が家の木戸を老朽化のために取り換えることになり、このレバーハンドルを思い出し、変更しました。
ホラインはこのブログでも紹介しました。「ハンス・ホラインの死」と題して2014年4月24日に亡くなったことを紹介しています。http://yab-onkyo.blogspot.com/2014/08/ ホラインとは、第二国立劇場設計コンペ(1985~86)、東京フォーラム設計コンペおよび奈良市民ホールで一緒に参加させていただいています。第二国立劇場では優秀賞も得ています。実は第二国立劇場の設計コンペが国際コンペになった時に当時の企画部の部長から共同設計の相手として誰がよいか頼まれていました。候補としてはずっとドイツの建築家がよさそうだと思っていましたが、デザインが気に入らず、2年間ほど考えていましたが、ある時、設計事務所の後藤真理子さんのところに、ピアノ練習室の音響設計の打ち合わせにいきましたら、打ち合わせ室にホラインのフランクフルト現代美術館の設計中の建物がポスターになって張られていました。それを見た瞬間にホラインと一緒にやりたいと気が付きました。帰ってから社内の了解を得て、ホライン事務所にFAXをして、何度かのうちに交渉が成立しました。これの中継ぎをしていただいたのは、ケルンメッセ日本支店の宮崎さんを通して、ケルンメッセウイーン支店のゲゼルさんです。設計コンペが始まって、ホライン事務所に行って作業がはじまりましたが、ホライン事務所の担当は衛藤さんという人で、ホラインとの共同設計のきっかけとなったこのポスターのフランクフルト現代美術館の工事監理を担当していました。
また奈良市民ホールの設計コンペでは、審査委員長は黒川紀章で、ハンス・ホラインは磯崎新と設計を競って敗れたのですが、設計コンペが終了した後、ニューヨークで奈良市民ホールのコンペの展覧会がMOMA注後出であり、コロンビア大学で記念シンポジウムがありました。そのご苦労さん会が、ニューヨークのホテルでありました。私は同僚の松本聖一郎さんとブロードウェイのミュージカルCATSを見た後でホテルに戻りましたが、ドアの下に招待状があって、大急ぎでホテルに駆け付けましたら、一つのテーブルに、黒川紀章夫妻、ハンス・ホライン夫妻、フィリップ・ジョンソン、磯崎新夫妻、工藤国男(コロンビア大学)、私+松本さん、リチャード・マイヤーと新建築担当者2名がいらっしゃいました。工藤国男さんは私と同じ東京工業大学の5年ほど先輩にあたり、そのドクター論文「計画論」を提出したときに調査や実験などの研究でなく、審査が困難な建築論であったので、名前が知られていました。
このレバーハンドルをもって出入りするたびに、ホラインに握手をする気持ちになります。とともに、昔のことを思い出しています。
写真:MOMAで開催された奈良市民会館の設計コンペの展覧会(左ページはパンフレットの表紙と1位の磯崎案、次ページはその2ページ目で、ホライン案が載っている。パンフレットは松本さん貸与)