70歳を過ぎてから、今頃はじめて源氏物語を読み始めました。この世界についていくことがなかなか大変ですが、源氏物語巻二 花散里の最初の方に以下のような興味深い文があります。
「風情のありそうに繁っている奥から、美しい音色の箏(そう)の琴(こと)を和琴(わごん)の調子に整えて合奏し賑やかにひいているのが聞こえてきます。」注:()内は訳者の瀬戸内寂聴がフリガナをふってくれている。なかなかむつかしい言葉が並んでいます。 これをGoogle 翻訳をすると以下のような文章になり、kotoが三か所も出てきてしまう。
「From the back
of the room, which seems to be full of atmosphere, you can hear the lively
ensemble playing the beautiful koto koto to the tune of the Japanese koto. 」
しかし自分の頭の中も似たような感じで、それぞれのkotoの違いはわかりにくい。箏曲演奏家、福田恭子氏の2015.11.05の筝曲口座のブログで説明があります。『「琴」という漢字で「きん」と呼ばれる楽器は、古代中国の「七絃琴」として知られる絃楽器を指します。琴柱(ことじ)や琴爪は用いず、徽(き)と呼ばれる13個の目印により左手の指で絃の長さを区切って音程を作り、右手の指で絃を弾きます。』 これに対して、筝については『奈良時代に中国の唐から十三本の絃を持つ楽器が日本に伝来しました。それが「箏」で、現在一般的に知られているものになります。箏の胴の上に立てられた柱(じ)という可動式ブリッジを動かして音の高さを決めるのが特徴です。そして、右手の親指・人差し指・中指に箏爪を付けて演奏します。なお、「箏」という字は訓読みで「こと」、音読みで「そう」と読みますが、楽器の名称としては「こと」と読むのが一般的です。確かに平安時代には「筝(そう)」あるいは筝(そう)のこと(・・)」と呼ばれていました。』
さらに和琴については『和琴(わごん)や伽耶琴(かやきん)にも「琴」の字が含まれていますが、これらには柱(じ)がありますので、「琴」と付くものがすべて柱(じ)がないというわけではないようです。』と有りました。
要するに源氏物語の「箏(そう)の琴(こと)」とは現代のことばで言えば、「箏」のことをさしていることがわかります。それでは「和琴(わごん)の調子に整えて合奏し」の意味はどんな音でしょうか?
和琴のWikipediaには以下のような事が書かれていました。
『宮中の祭祀にて奉仕される国風歌舞(「神楽歌」「久米歌」「東遊」「大和歌」など)の伴奏に用いられる。雅楽の楽器のなかではもっとも格が高く、古くは位の高い者のみ奏することができた。現在では、主に宮内庁楽部の楽長が奏する。弥生時代から古墳時代にかけての遺跡から、和琴の祖形とみられる木製の琴や、琴を弾く埴輪が出土している。『源氏物語』では、古代中国の士君子の倫理性を担った琴に対して、日本伝来の遊楽を楽しむ和琴が対比され、琴は礼楽中心の楽器、和琴は自由な発想を持った楽器として描かれた。』
東儀秀樹のYOUTUBEで「和琴」を聴いてみると、単にゆったりとした音楽で、サックスのリードのような長い箏爪でつまみながら、音が低い方から、または高い方からすべての6弦を引き流す弾き方で、繰り返し弾きます。そのほかのYOUTUBE和琴「菅掻(すがかき)※」二齣二返(ふたこまにがえし)一松神社もとても似ていました。その後、日本雅楽教会の第八回雅楽公演「特別編~心を込めて~(疫病退散・繁栄祈願)と題して、公演があり、最初に「雅楽管弦平調 越天楽」という管弦楽があり、和琴も演奏されていた。これはやはりゆっくりとした曲ですが、いくつかの楽器が演奏していて、華やかな感じもあります。しかしこの管弦楽は様々な楽器がありますので、華やかな感じもしますが、和琴の弾き方としては、ボロロンと弾く菅掻の方法が主ではないかと思われます。しかもYOUTUBEの弾き方はゆったりとしていますが、低い方からと、高い方からの弾き方と二通りあり、少しはリズムの強弱があってもいいかもしれません。「和琴(わごん)の調子に整えて合奏し賑やかにひいている」ということは基本的なリズムは「管掻」の方法で伴奏しながら、何台かの箏で合奏している状態で、したがって華やかに聴こえるのではないかと思われます。どんな曲だったか知りたいような気もしますが、そういえば源氏物語は宮廷を舞台にした物語となっているので「和琴」の音も身近なものだったと思います。
※精選版 日本国語大辞典:菅掻:和琴(わごん)の奏法の一つ。もっとも単純で基本的な手法で、全部の弦を一度に弾いて、一本の弦だけの余韻を残すように、他の弦を左指で押える。向こうから手前に弾く順掻と、手前から向こうに弾く逆掻と二通りある。本来は菅をもって掻いたことから出た名称ともいう。
この話の箏と和琴の音は家の外で聞いているので、現在の騒音対策の立場からは「騒音」と言われて文句が出てしまうような状況ではないかとも考えられる。これが毎日、隣から聞こえてきたらやはりうるさいと思われるかもしれない。しかしたまには箏の音色が聞こえてくるのも雰囲気を感じる音だと思っている。