10/6の18時頃、お祭りの前夜祭の宵宮(よみや、よいみや)の時に台風25号が北陸方面へ通過していきました。お祭りと重なりやきもきしましたが、幸い、紅白の幕が時折舞い上がった程度でした。
この荏田に、隣町の驚神社宮元囃子連の援助のもと、お囃子が約30年ぶりに再開し、今回が3回目のお祭りとなります。いつも驚神社の宮元お囃子連のメンバーにかなり手伝っていただいて何とかこなしておりましたが、今年は驚神社のお祭りと重なってしまい、自分たちだけで行うことになりかなり緊張しました。
事前の練習を2週間毎日連続で行って、お祭りに備えました。お祭り当日にはすでに疲れがたまり指は腱鞘炎の様な状態でした。お祭り当日(10/7)は、台風一過のいい天気で暑いぐらいでした。
私は人数の少ない笛の係なので忙しく、お祭りの最初と最後しか写真は撮れませんでした。途中2~3か所、老人ホームに立ち寄って獅子舞とひょっとこ踊りを因幡(いんば)という曲で行います。この曲は難しく、またちゃんと聞いて楽しんでいただきたいので、宮元の人の援助をお願いしました。それ以外は荏田宿のお囃子会で行うことができました。途中はかなりの暑さでしたが事故もなく、無事終了することができました。
荏田宿の歴史は古く、江戸時代は大山街道の宿場町としてこの地域では華やかな場所だったと想像ができます。つい40~50年ほど前までは、周囲は山に囲まれていて、この荏田宿のあたりはこの地域の中心街だったと思います。
30年ほど前までは荏田宿のお囃子連も活躍していたようで、驚神社のお囃子連の再興のお手伝いをしていたとのこと。そんな縁で、今度は荏田宿のお囃子の再興にお手伝いをしていただいているそうです。昔は神楽も盛んだったようで、遠くまで出稼ぎに行っていたとのこと。しかし今や見る影もありません。商店街も記憶にある限りでは、30年ほど前には床屋さん、雑貨屋さんや酒屋さん、魚屋さん、すし屋さん、カラオケスナック、などがありました。床屋さん、すし屋さん、カラオケスナックは今でもありますが。しかし246が商店街を分断し、田園都市線のあざみ野駅ができて、港北ニュータウンに地下鉄が通って、その中間にある荏田宿商店街は急速にさびれてきています。商店街があれば住民同士顔を合わせることがありますが、今ではそういう機会もほとんどありません。誰でもが参加できるお祭りで、多少でも住民たちのつながりができるといいと思っています。
宵宮が始まりました |
お祭りの朝、子供神輿の組み立て
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山車を引き終わった時、祭りの後 |
お神輿も終わり、子供たちがいなくなった後、 大人たちで自治会館まで担いで帰ります |