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2014/04/18

金比羅大芝居および粟津演舞場杮落とし公演に参加

4/10、朝4時半に横浜を車で出発して、香川県の琴平に14時に無事到着、第30回四国こんぴら歌舞伎大芝居の午後の部を観ました。今年は、市川染五郎座頭とする若手中心の一座で、演目は近松門左衛門の女殺油地獄、油まみれになりながらの殺しの場面は、すごい迫力でした。
翌朝は天気も良く、桜も満開で、鶯の鳴き声にも迫力があるような印象です。昨日につづき、午前の部は「菅原伝授手習鑑」。車引きの幕、梅王丸と桜丸の、まるで動画のコマ撮りの様な動きはとても印象的でした。回り舞台もスッポンも懸け筋も使っていないのですが、染五郎は素晴らしかった。堪能しました。地元の人が『今年のお練りは、若い人が多いせいか、集まった人の中を走り回っていた、いつもと違う』とおっしゃっていました。

こんぴら歌舞伎

余韻を楽しむ間もなく、その日は福井県の粟津温泉に車で向かいました。途中神戸での大渋滞をかわし、若狭湾経由で夜9時到着。この日は粟津演舞場の杮落し公演があり、夜は9時からオープニングパーティがあるため、皆さん晴れ晴れとした華やいだ雰囲気です。4/12は、御供田(ごくでん)幸子一座による公演、午後3時と夜8時の会に参加しました。「婆ちゃんコント」ではドッと笑いが起こっていました。

粟津演舞場は昭和8年に竣工し、温泉町の芸子さんによる公演を行っていましたが、わずか10年で軍需工場に転用されてしまい、戦後は温泉旅館の寮などに改修され、その後は倉庫として使用されていました。まるでお化け屋敷の様に廃れて住民の記憶から芝居小屋が失われ、解体して駐車場になるところでしたが、寸前に『粟津演舞場を救う会』が結成されました。そして今から4年前、コンパネによる仮設舞台がつくられ、仮設公演が行われました。その後注目が集まり、全国芝居小屋会議の仲間たちや小松市の協力も得られ、消防法もクリアし、今回の杮落し公演となったようです。やはり地元の人たちの強力なバックアップが実現の原動力です。


粟津演舞場

粟津演舞場内部

横浜船劇場も見習わないといけません。船劇場には中心になるレベルの高い劇団、横浜ボートシアターがいるのですから、後は地元の力強い住民の動きが必要です。横浜の特徴は港町であるということ。船劇場は舞台観客が一体となれる鋼鉄製の芝居小屋で、街のにぎわいに一役かってくれるはずです。

翌朝、4/13粟津温泉をでて、手取川ダム経由、福井県大野市経由、岐阜県下呂市門和佐の白雲座にちょっと寄り、明治座を横に見ながら中津川経由で10時に無事帰宅しました。

2014/04/17

日本建築学会環境系論文集 V0l.79 No.698(2014年4月)に掲載されました

論文は、「Helmholtz共鳴器を有する高性能乾式遮音二重床の開発 -2質点系モデルに基づく遮音特性の解明-」と題し、神奈川大学の安田洋介先生が筆頭、私は共著者として執筆いたしました。

この数年間かけて開発を行ってきた、「ヘルムホルツ共鳴器」を内蔵する二重床に関して、理論的な解析を安田先生が行ったものです。それは二重床そのものの錘とヘルムホルツ共鳴器の頸部の空気を錘とした空気をばねとする2自由度系の運動として解析されています。2自由度の運動方程式は基本的なものであり、その基本的な考え方が適用できるため応用問題が解きやすくなります。ただ共振現象を利用しているため計算上は大きなピーク(増幅)がありますが、何らかの抵抗要素で幸いにも大きな低減効果だけが得られ、63Hz帯域で10dBの改善がこのヘルムホルツの遮音二重床で得られています。

実用化にはまだまだ努力が必要なため、今年度はさらに大がかりな実験を計画しています。

2014/04/03

横浜ボートシアター公演 説経「愛護の若」より 恋に狂ひて

船劇場で3月8日(土)、その1週間後、シアターχで3月15日(土)夜の部を見ました。
横浜ボートシアター 説経「愛護の若」より 恋に狂ひて

公演はたくさんの人形と、それを操る数人の俳優で演じられます。またエレキ三味線やエレキギター、太鼓などによる伴奏音楽もあり、歌もあり、ヨーロッパで言えばオペラ、邦楽で言えば人形浄瑠璃に通じるものがあります。

物語は、中世。子供の居ない貴族が観音様にお願いして「愛護の若」を授かるが、その身代わりに母が亡くなってしまう。後妻「雲居の前」が「愛護の若」に恋をし、父親から誤解を受けた末、家を出て比叡山に助けを請うが受け入れられず、滝に身投げしてしまう。その後、彼に関わった人々全て、108名が滝に身を投げて終わるという話。

前半は貴族の華やかな生活、後半はあれよ、あれよという間に暗転してしまう。
主人公は一見悲劇の愛護の若のようですが、本当は恋に狂った継母「雲居の前」と思われます。悲劇という点ではオペラ「ムチェンスク郡のマクベス夫人」(2008年5月9日のブログ)を見た時の印象に似ていました。「マクベス夫人」では、金持ちの奥様が浮気をし、さらに義父と主人を殺し、浮気相手とシベリア流しになりながら、最後は自殺する。時代を表現しながらも、逆説的に人間が生きることを肯定的にとらえたもののように感じました。
愛護の若も悲劇ではありますが、最後は彼の負った苦しみを周りに理解されたことが救いです。

横浜ボートシアターでは1年半以上前に、この公演を企画し、船で練習を積み重ねてきています。時々公開された練習に参加してきました。当初は朗読だけで練習していましたが、人形がはいり、面がはいり、舞台美術が入っていきました。当初は継母の息子いじめの物語かと思いましたが、次第に若い継母の愛護の若への狂った恋の物語に変化して行ったように思います。とにかく同じことを何度も何度も繰り返すことで見えることがあるものだと感じました。
また何度も何度も練習できる船劇場という場が創造の場として非常に重要だということも感じました。

今回、船劇場とシアターχの両方で見られたことで両者の違いもある程度明らかになりました。シアターχは、声ははっきりと通り、照明も人が浮かび上がるようになっていました。
したがって古い言葉のままの分かりにくい台詞の多い前半は、声も明瞭で、照明で人形も俳優も良く見えたために、シアターχの方が見やすかったのですが、後半の人生がガタガタと崩れて行く時の変化の表現は船劇場がすぐれていました。船劇場では、愛護の若が滝壺に落ちて、波に巻き込まれて、一瞬で客席の下に消えていく、また愛護の若を抱いて、大蛇が滝壺から現れ、舞台の下に一瞬に消えていけることも、緊張感をみなぎらせた表現ができていました。
シアターχは見やすく聴きやすい劇場ではありますが、しかし船劇場は一体感のある芝居小屋であると感じました。