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2024/11/24

サクソフォーンカルテットコンサート

 日時:20241123()1330から1430

場所:美しが丘西地区センター 体育館

実は遅れて行ってしまい、最期の2曲、「川の流れのように」と「日本の四季によるミニチュアシンフォニー」とアンコールの「オー・シャンゼリゼ」しか聞けなかった。。

美しが丘西地区センターは我が家から歩いて行ったが、美しが丘西地区センターの近くまで早淵川が流れており(添付図)、その源流を見てみたいという気持ちがあった。早淵川は覚永寺のバス停までは県道の中央を流れているが、その先はその道から外れ畑や山道のすそ野を流れていき、小川のようになっていき、なかなか通り抜けられず、やっと抜けれたと思ったらこんどは目的地とは反対の方向に向かって歩いてしまい、美しが丘西地区センターに対しては2時ごろになり、大幅に遅刻してしまった。

遅れて着いたらセンターの玄関ホールで、サックスの音が聞こえてきていた。体育館に入ると100名以上のお客さんがいて、満席に近かった。サックスの音がとてもよく響いていて聞いていて心地よい音だ。多分この響きでは先日テレビで紹介されていた文楽をアルゼンチンタンゴで踊る?ということがあったが、そのアルゼンチンタンゴのバンドネオンのような激しい歯切れのよい音楽では音の変化が聞き取りにくい感じだし、ヴァイオリンだと聴衆に対してはいい響きだけど、その他の例えばピアノとのアンサンブルでは、、壁や天井からの反射音が遠くて、お互いの音が聞きにくい感じがあるかもしれない。サックスは適度に響きを持っていて、非常に気持ちの良い音になっていた。またバリトン、テナー、アルト、ソプラノのアンサンブルもよくきまっていた。おりあらば、また同じ場所で聴いてみたい感じだ。今度はバスか、ないし2時間前から歩くことを検討しないと。

 


            図:プログラムおよび出演者紹介


写真:美しが丘西地区センターの体育館の会場、コンサートが終了したのちに撮影



図 早淵川の源流は美しが丘西地区センター(赤い印)のすぐそばまで流れている(青い線で図示)。

2024/11/22

五島美術館 古裂賞玩(こぎれしょうがん)―舶来染織がつむぐ物語

 日時:20241119日(火)13001400

場所:大井町線 上野毛駅近くにある五島美術館、 この周辺は、隣は東急電鉄の生みの親、後藤慶太が住んでいた家があり、またその周辺は高級住宅が並んでいる。またこの五島美術館は森の中に存在しているような雰囲気があり、五島美術館の建物はRC造ではあるが平屋の和風の古い様式の建物である。

古裂賞玩は舶来の布を使って、風呂敷き、小ものを入れる袋、着物や丹前、掛け軸の地などを作ったものである。これら古裂は貴重なものという雰囲気がある。多くは江戸時代に大名が持っていたようだ。

実は最近、この布地のような雰囲気の壁紙を張ってある家の部屋を見学した。この壁紙によって高級感が現れていた。





2024/11/10

みなとから考える横浜のまちづくりシンポジウム カジノは止まったけれど山下ふ頭、市民不在の大型開発でいいの?

 日時:2024118日(金)19時~21

場所:横浜開港記念館 1F 1号室 (参加者が満席以上だった。)

主催:市民のための山下ふ頭シンポジウム

司会:椎名純子、コーディネーター:角野渉、

開会あいさつ:清原 理、閉会のあいさつ:中村寛三

講師:山下ふ頭の跡地活用事業について:大方潤一郎、

市民参加のまちづくり:坪郷實

講演:大方氏、この山下埠頭はそもそも市の施設、すなわち公共空間である。「都市の有効活用」という視点は不要だ。以前出した「みんなの山下ふ頭に〇〇があったらイイナ実行委員会」の企画書の案は市民の共創エリアと一般開発エリアがあるが、市民の要望をすべてこの共創エリアに押し込む必要もなく、また一般開発エリアを設ける必要もない。公共投資の一環として、不要になった倉庫等を取り壊し、もっとも市民のためになる公共空間を整備すれば良いと。市民の資産である土地を私企業に売却して金儲けのための私財にするのではなく、市民共有の資産(コモン)としての自由で自然豊かな空間にすること。

講演:坪郷氏、「市民参加はデモクラシーの心臓」が主要なテーマで、今は各自治体が途中の計画を市民に知らせず、進めてしまうが、市民が参加できるように法律を変更すべきだと言っていた。これは重要なテーマだ。

 参加者からは、砂浜の実現、山下埠頭で小さい頃釣りをしていたといった興味深い話があった。最近私は早淵川(鶴見川の支流)に散歩に行って、その大きな楽しみは、その川に小さな魚がたくさんいること、それを狙いにアオサギやシロサギや鵜がときどき飛んでくる。さらにカワセミもセキレイもたくさんの鴨やスッポンもいる。さらにとんでもないことに50㎝ぐらいのコイもたくさん泳いでいる。さらにこの小さな魚を釣りに来た人や、さらになんというか!このでかいコイを吊ろうとする子供も現れた。さらに川に入ってスッポンを捕まえようとしている子供もいた。たかが小さな出来事だけれど、この川に来るとなぜかほっとする。私の子供の頃も川で釣りをしたり、泳いだりしたことがある。このような自然が山下埠頭の周辺にも存在できるようになると山下ふ頭も相当身近になる。私が小学生の頃、山下公園には何度か来たが、木も少なく寂しげだった。しかし今考えるとかつて山下公園は関東大震災時に出たがれきを捨てた場所だということが分かった。したがってできた当初は公園としてはさみしいところだったが、今や素晴らしい公園になっている。講演のなかで、シドニーオペラハウスの話があった。前市長がこの場所にこのようなオペラハウスをつくろうというのだった。シドニーオペラハウスは大成功だったが、後背には緑の大自然が構えている。この中でのオペラハウスなので、美しくできたのだと思う。自然をメインに計画出来たらよいと思うが、どう横浜市の計画の中に取り込めるのだろうか!私はふね劇場がこの山下埠頭に係留できるといいと思う。私が学生を卒業したころは、劇場は、赤テントや黒テントにばかり行っていた。当時、残念ながらこのふね劇場は行ったことがなかった。しかし音響的に考えるとこのテント劇場より圧倒的に素晴らしい空間である。テント劇場は、とにかく俳優の声は皆かれてしまって、ガラガラの声になっている。ふね劇場は、形は、今の劇場らしくない自然に存在する艀である。このふね劇場もこの山下埠頭再開発の中に取り込もうと思う。今日の講師の提案のように、まず行政の中に法律的に市民が参加できるような仕組みを作る必要があると感じた。しかも前回の講演のように艀を横浜の大事な文化財として扱うような仕組みを作ること。

                           写真:横浜開港記念館(入館前夜7時ごろに撮影)

※この建物は、大阪市中之島公会堂と並び、大正期の公会堂建築の有名な建物だそうだ。設計原案・基本構造設計は福田重義、山田七五郎で、関東大震災で倒壊してその後復興されたとのこと。塔の高さは約36mで 「ジャックの塔」の愛称で親しまれている。(ウキペディアより引用)


2024/11/07

キンボー指揮 N響オーチャード定期2024/2025 第130回

 時:2024113日(日・祝) 開演1530 ただしロビーコンサートが1450よりある。

曲目:

ホワイエで、G.ノックス:ヴィオラ四重奏 「スペインのフォリア」によるマラン・マレ変奏曲、

ウエーバー:(ベルリオーズ編) 舞踏への勧誘

ショパン:ポーランド民謡による大幻想曲

リスト:死の舞踏  ―休憩―

ビゼー:『カルメン』組曲(キンボー・イシイ版):トレアドール(闘牛士)、前奏曲、衛兵の交代、

    アラゴネーズ、ハバネラ、アルカラの竜騎兵、間奏曲、密輸入者の行進、闘牛士の歌、

    セキディーリヤ、ロマの踊り

アンコール曲はビゼーのアルルの女

指揮:キンボー・イシイ、ピアノ:福間洸太郎、

演奏:NHK交響楽団(コンサートマスター長原幸太、

場所:横浜みなとみらいホール

ロビーコンサートは、音楽はモーツアルトやベートーベンのようなクラシック音楽より古い時代の音楽のようだが、G.ノックスは現代の人のようだ。古い曲を編曲したようなかんじだが、音程を微妙にずらしていて、非常に興味深い曲だった。

今日の曲目のテーマは『Dance Dance!』で、すべてが踊るような流れの中での曲だった。大変親しみやすい曲だと感じた。またキンボーはでしゃばらず、謙虚で、独奏者やN響の演奏者に対して立てるようにふるまっていた。大変自然で好ましい姿勢だと感じた。いまやキンボーは多分偉大な指揮者になっていると思う。

また中野さんのiPadで写真を、キンボーさんと奥さんのまきさんと、中野さん、鶴見さんと一緒に楽屋ロビーでとってもらった。中野さんと鶴見さんは、キンボーのお母さんMienさんの鹿児島大学時代の友人で、この後、喫茶店によって、キンボーの小さい頃のことなどで、長話をしてしまった。わたしにとってはこの二人は、昨年亡くなったMienさんの置き土産だ。

建築音響の立場からは、この横浜みなとみらいホールは、天井が高く、きれいなのだが、2F席の先端では舞台は見やすいが、天井が高いために有効な直接音を補強する初期反射音が得られにくいような気がする。東京文化会館やサントリーホールのように中央がたれ下がってきていれば、初期反射音が得られるのだけれど、そのためには3F席の座席を2F席よりも、もう少しせり出させて、初期反射音が得られるようにしたらどうなんだろうか。このホールはサントリーホールの舞台の後ろの屏風折れのデザインもモチーフにしているし、ウイーンムジークフェラインのような美しい空間が出来ているのだけれど、その点が気になる。

              写真:みなとみらいホール、コンサートの始まる前に撮影



           写真:左から、まきさん、中野さん、キンボーさん、鶴見さん、私

2024/10/30

建築音響の交流の歴史 その10 和室を含む様々なホールの音響特性

 建築音響の交流の歴史その9では、劇場の形態と、演技者と観客さらに観客同士の交流が必要と書いた。今回は日本の伝統的な空間の響きについて述べる。

 以下の表には、いくつかの芝居小屋や、多目的ホールの音響反射板状態の杉田劇場、ふね劇場、歌舞伎座(旧)、神奈川大学のセレスとホール、多目的劇場の鹿角市交流プラーザに加え、つくば古民家(つくば酒井泉邸)の残響時間測定結果をあわせてグラフに示した。500Hz帯域で考えると、音響反射板を設置した杉田劇場が一番長く、次は歌舞伎座、その後は芝居小屋やふね劇場があり、この中ではつくば古民家は0.4/500Hz程度と一番残響時間が短く、響きが少ない。

このつくば古民家の残響時間が0.4/500Hzと短い状態からクラシック音楽ができるように改修してみたいというのがつくば市の酒井泉さんの希望であった。


古民家からクラシックホールへの改修案:

パターン1:板襖(ベニア厚15mm)、屏風折れ音響反射板(設置90cm、縦180cmの音響反射板を10枚、内訳は、舞台の後に4枚、客席の後ろにある障子用に2枚、ガラス戸を隠すために4枚)を用いた。床は畳、木製ベンチ(194人掛)

パターン2:板襖、屏風折れ音響反射板設置、床は8畳間のみ板に変更、10畳間は畳のまま

パターン3:側面の屏風を連結し設置。後はパターン2と同じ

パターン4.舞台正面の屏風折れ音響反射板をガラス戸(共振と思われる160200Hz帯域の残響時間のディップ)に密着した。後はパターン3と同じ

パターン5:パターン4に加え、ベンチに座布団を置く。





                 図 残響時間測定結果

残響時間の測定結果は、和室の対策前と比較して、襖を板襖とし、8畳の畳を板とすることによって、残響時間が0.41秒から0.56秒にまで変化した。しかし座布団を置いたことで、0.44秒まで、短く変化してしまっている。また変化の仕方は1000Hz帯域のほうが大きく、対策前では、0.42秒であったが、パターン2では0.61秒まで変化している。したがって紙の襖を板襖とし、8畳分であるが、畳を上げて板床とすることで、残響時間は0.14秒長くなり、響きも感じられるようになった。

 

中高音域では、対策効果が得られているが、低音域(100200Hz)では、大きな効果が得られていない。しかし屏風折れ音響反射板が設置されている近くでは、拡散効果のためか、またガラスに直接音が当たらないためか、残響時間が長くなっている。しかし低音の吸音は、ガラス戸以外に、天井の杉板の板振動によるものも考えられる。

また10畳の畳も上に長尺塩ビシートを設置して、残響をさらに長くする。このことで、残響時間は500Hz以上の周波数帯域で、座布団が無い状態で、0.7秒ほどとなることが想定できる。その場合には人が在席しても残響時間は0.5秒ほど、平均吸音率は0.2程度で、一般のコンサートホール並みの値となり、残響感が感じられるようになると考えている。

これらのことで、ある程度クラシック音楽に対しては演奏しやすい、また聴きやすい空間ができると思う。ただし屏風が増えると圧迫感が生じ、美しい庭の景色が望めなくなることもある。また長尺塩ビシートが材質的に和室の雰囲気と合わないことも予想され、すべての床を8畳と同じような板材が好ましいとも考えた。

 ひるがえって、音楽はクラシック音楽だけではなく、箏や三味線や篠笛や尺八や琵琶などの日本の楽器による音楽は、和室、そのままでもいいかもしれない。さらにトルコのサズやカザフスタンのドンブラ、コヴィズやキルギスタンのコムズやタジキスタンのドゥタール、インドネシアのガムランや中国の二胡、横笛バウ、韓国の横笛デグム、インドのシタール、イタリアのマンドリン、スペインのフラメンコギター、、、、、数えきれないほどたくさんの音楽がある。ただ演奏者は多分圧倒的にクラシック音楽に関係している人が多く、観客も聞きなれている人が多い。ただ様々な音楽を聴く人は確実に増えてきている。

そういえばつくば市の北部の北条(ほうじょう)という街に宮本家の住宅があり、その穀物倉庫で、コメのなくなった季節にクラシック音楽会をおこなっているとのこと。なかまで見せてもらったことがあるが、実際のコンサートは聞けなかった。また栃木県の宇都宮市近く、東北自動車道脇の西方町に、西方音楽館『木漏れ陽ホール』がある。たしか倉庫を改装して作ったクラシック用のホールがあり、永田先生の音響設計で、永田先生に誘われていったことがある。一応主に反射材を用いて完成してから、吸音材などで音響調整をしているとのこと。このことをテイラーメイドと言っていた。また隣には土蔵造りを改装して、『馬酔木(あしび)の蔵』という名前で、オルガン用のホールに変わっていた。ただいずれもクラシック音楽が対象となっている。

クラシック音楽は、多分ゴシック教会などキリスト教会の空間と関係があるように思う。またこの響きと音律の純正率も関係があるように思う。BC500年、ギリシャ時代のピタゴラス音律は、いかに唸らないかを追求してできた音律であるが、それをドとミとソをあわせた和音として成立したのが純正律で、教会の中で賛美歌がきれいなハーモニーとなるように作られたのだと思う。このきれいなハーモニーをつかって曲を作り出したのが、クラシック音楽ではないかと思う。ただ正確には、純正律を進化させて、ヴェルクマイスター音律、キルンベルガ―音律、つぎに中全音律をモーツアルトが、ウエルテンペラメントはベートーベンが用いているようで、強いて言えば歴史的産物ともいえる(参考:窮理社のホームページhttps://kyuurisha.com/talkmusic-no23/)。そういう関係からかキリスト教会の鐘は、唸ることがなく、ここに神がいると伝えているような気がする。これに反してお寺の梵鐘は、音が唸ることによって、人々の願いが天国に伝わるような感じになっている。キリスト教会の内部と比較して、お寺の本堂は、残響時間が短い。日本の芝居小屋も歌舞伎や人形浄瑠璃を対象としているせいか、音楽や音声が含まれており、残響時間が短い。また日本の古民家の和室も上記に示したように残響時間が短い。日本の伝統的な空間は、ヨーロパのクラシック音楽の空間と比較すると残響時間が短い。したがってザ・シンフォニーホールやサントリーホールが出来るまでには時間がかかった。クラシックコンサートホールは、従来の日本の空間とは音響的には別の考え方が必要である。ただ多くの人が今はピアノやヴァイオリンなどのクラシック音楽に向いているが、音楽はそれだけではないということを思い出してほしい。お祭りのお囃子もかつては身近なものだったと思う。だんだんこのような音楽もまた必要になってくるような気がする。そういえば私がときどき行く東京都大田区馬込の善照寺では、1か月に一回雅楽を練習していて、催事があるときにそれを披露するとのこと。そういえば、1020日に書いた建築音響の交流の歴史その9のブログには、山口県の楽桟敷で、雅楽の公演があると書かれていた。次第に身近になってくるような気がする。

 

2024/10/26

三渓園 鶴翔閣での『手仕事に学ぶ錦秋Vol.8』という展示会

 三渓園は、外苑と内苑と旧矢箆原家住宅(合掌造り)とこの鶴翔閣(かくしょうかく)からなる。ほとんどの建物は重要文化財であるが、この鶴翔閣は横浜市指定有形文化財である。外苑は明治39年に一般に向けて開放されてたエリア、内苑は原家が私庭として使用していたエリアである。有名な臨春閣はこの内苑にある。今回展示会が行われる鶴翔閣は明治35年(1902)に原家の住まいとして建てたとのことだが、現在、様々な利用に対応可能な貸出施設となっている。

この展示会は1024日(木)から26日(土)の3日日となっていて、私が見学したのは1024()である。初日で、また平日であったのに、お客さんはたくさんいらしていた。写真:外が見える廊下の部分には、外はガラス戸が入っているが、平安時代の源氏物語の世界は、このガラス戸がない状態が普通だったように思う。月や外の庭園はよく見えるが、冬は雪もよく見えるし、寒いだろうと思う。十二単が必要だ。たくさん着ないと冬は寒いに違いない。しかし明治時代になってガラス戸が入って、冬でもかなり寒さは防げると思う。このようにすれば庭も冬でも楽しめると思う。

ところで、中央にある大池には、コイや鴨、さらにアオサギもいた。写真を撮ろうとしたら、飛んで行ってしまったが、これは多分、遠くで人がコイに餌をあげたのをついでにわけてもらおうという魂胆だ。生きているアオサギだ。アオサギの像のある目白庭園と大違いだ。

                   写真:鶴翔閣

            写真:建物入り口脇に置いてあった絨毯の一部

       写真:外をみれる廊下が広い、当時はここで楽しんでいたものと感じる。ガラス戸が現在はあるが、平安時代は、そのまま外部だったのかもしれない。空間は広く、和風のため、静だ。

         写真:畳の上に敷物が敷かれている。この部屋も外がよく見える場所だ。

 







2024/10/22

自由学園明日館および講堂の見学

 日時:20241019日(土) おおよそ11時から 曇り

場所:自由学園明日館および講堂、池袋駅近く、

施主:羽仁もと子・吉一夫妻、設計:フランク・ロイド・ライト+遠藤新、ライトが帝国ホテルを設計中に、同時にこの自由学園の設計を依頼することが出来たようだ。

元飛島建設 設計部の松本聖一郎さんの提案で、自由学園明日館および講堂と、さらに目白庭園にも行ってみた。自由学園は、池袋駅の東京芸術劇場近くを出てから、少し迷路のような細道を10分程度で歩いて行ける、主に平屋建ての校舎である。パンフレットによれば、大正11年(1922)に中央棟、西教室棟が、大正14年(1925)に東教室棟が、昭和2年(1927)に講堂が完成したと。現在は、自由学園そのものは東久留米市に移転した様で、この建物は、関東大震災や第二次世界大戦の時の大空襲でも焼かれず、無事残ることが出来き、さらに東久留米市に移動した後は、この建物は明日館として卒業生の活動の拠点として残したようだ。現在は重要文化財となっているが、生きた文化財として結婚式などにも貸し出されて活躍しているようだ。今日は、一般に開かれた見学日とされている。

敷地の入り口を入ると、まず中央のホールの外観が目に付く。ステンドグラス風の窓は、コストのために、実は木製で出来ている。女学校当時には、毎朝礼拝をしていたとのこと、またこの北側に半階上がって食堂となっていて、更に半階のぼると展示室がある。南の光はこの展示室から食堂に流れるようになっている。

講堂は道を隔てて、反対側にある。写真は、松本さんが声を出したり、手をたたいたりして、響き具合を調べた。実は建物には吸音材風の材料が見当たらず、長椅子に椅子に合わせた座布団が設置されていて、これが吸音材の役割をしているようだ。したがって声は大きな響きもなく、声はよくとおっていた。

 また各室に暖炉があるようだが、各室床に長細い大きなガラリがあり、床吹き出しの空調もついていた。大正時代の建物だが、この様な設備は一般的な学校にはなく、私の経験でも、70年前の小学校では、各教室にダルマストーブがあるだけだった。このように様々なところが、手が込んでいて、サッシもステンドグラスのような木製の桟があり、壁にも模様があった。またホールには生徒が書いた壁画があった。光の取り扱いも食堂を見るとよくわかる。講堂も響きの調整をよくしていると感じた。やはり重要文化財と感じた。


                   写真:中央のホール外観

            写真:中央ホール内観、人物は松本さん、この反対側には暖炉がある。

         写真:半2階の食堂 部屋中央に暖炉があり、更に半階のぼると展示室がある

             写真:食堂の照明、ライトらしいデザイン

            写真:講堂、声が通るか実験をしているところ




ここを出て目白駅に向かう途中に和風の目白庭園があった。かつて武家屋敷だったのではなく、赤い鳥という雑誌を記念して作ったようだが、その後豊島区の施設となったようだ。自由学園を見た後なので、一息入れた。池に向かってあずま屋があり、そこから池の錦鯉が見れた。さらにアオサギの像が池の縁にあった。この風景は、毎朝早淵川を散歩しているときの風景に重なる。コイは同じような大きさのコイが20数匹、川の中で泳いでいる。またアオサギやシロサギや鵜や鴨はその時々でいて、もちろん生きているものだ。何となく比較してしまう。早淵川の方が自然、生きた世界で、しかも美しい。この庭園は美しいが、アオサギの像は不要な気がする。