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2026/06/02

演劇  眠レ 巴里 を見て

 日時:2026531日(日)1400開演

会場:中野・劇場MOMO 客席数90席、満席だった。

本公演は、高橋和久さんから直接お手紙をいただいて知った。前回高橋さんが出演した人形劇ペドロ・パラモという演劇は、生と死がテーマだったと思うが、今回はどうであろうか!以下はそのブログ 

http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/03/blog-post.html

 最初、エレクトーン奏者が舞台に出てきた、シャンソンを奏でながら、楽しそうな雰囲気。そこに賑やかな姉妹が登場する。ホテルの1室、窓にはエフェル塔の景色が見える。これからパリを観光するという雰囲気、なんだ!それで観光で眠れない夜を過ごさないように、眠レという演劇のタイトルがあるのか、、、、、。とんでもない。姉妹は何かを恐れて、多分現実を恐れて、ここまで来て、最終的には多分エッフェル塔で自殺する。

高橋和久の役割は、「現実」を表現したかったように思う。やっとこの姉妹のいるホテルを見つけて、出刃包丁をもって現れ、しかし殺そうとした姉妹がすでにいなく、姉妹がいたベッドで、まずそうにハンバーグを食べ、鼻をかみながら、チリ紙をそのまま床に捨てる。そんなことをしているうちに多分、天国にいる帽子をかぶった天使のような格好で姉妹があらわれ、高橋和久と楽しそうに踊りを踊って終わる。姉妹にとっては「しめしめ」という感じだ。

姉妹はどのような現実から逃れたいのだろうか?よくみるとチラシの副題に、「また 見つけた なにを?―永遠。」この演劇で求めていたのは、永遠と言うことなんだと思う。安易に考えると死ぬことで、永遠が手に入ると言うことを意味しているのか!そんな馬鹿な!!これでは中野の飲み屋でお酒を飲まないと帰れない。たしかに中野には飲み屋がたくさんあった。この永遠と死というテーマは、ひょっとしてパリ!では成り立つかもしれないが、パレスチナのガザでは成り立たない。何かを求めて演劇で生きろ生きろと訴えて、永遠を手にする方が観客にとっては多分気持ちがすっきりする。それも飲み屋で話そうではないか!この永遠に対しての現実は荒々しい暴力の世界かもしれない。高橋和久が演じる現実の荒々しい暴力の世界、したがって永遠とはすべてが均衡して、それによって得られる平和な世界を表しているような気もする。そう考えるとなるほどと思われる。※私は約5年前に患った脳梗塞のために、一度は死ぬような経験をしている。今では酒は飲めない体になっている。病気の前を思い出して、そういう気持ちだったはずだと思い出した。

 

      写真:劇がはねた後の劇場の風景、舞台中央にベッド、舞台下手にはエレクトーン。